28 モブ令嬢
アンナ嬢は騎士団の地下牢に拘束されており、ゆっくりと王都へ帰って来た私たちとは違い、彼女はこの地下牢ですでに二週間も過ごしていたため令嬢らしさなどもう消え果て、ボロボロの姿をしていた。エルティミオ様と共に現れた私の姿を見て「なんでそんな女を……」と呟いた。
エルティミオ様は私に「何も持ってはいないはずだけど、あまり近づかないように」とこれ以上近づかないように手で私の動きを制した。
「わかりました。エルティミオ様。できれば何も言わずに話を聞いていてもらえますか?」
エルティミオ様は「ああ」と頷く。
「アンナ嬢……私、あなたの邪魔をしたことなんてないと思うですが、私たちどこかでお会いしましたか?」
私は独房の中から柵を掴んでこちらを見る彼女に単刀直入に質問した。すると彼女は私をきつく睨み上げる。
「邪魔をしたじゃない! 十年前! 私の出番はあの時だけだったのよ!」
十年前? 十年前の出来事など一つしか覚えていない。
「もしかして王家主催の交流会にアンナ嬢もいたのかしら?」
「そうよ。あの日の私は黄色のドレスを着ていたの」
「黄色のドレス?」
あの日の出来事はあまり覚えてはいないが一人の少女の黄色のドレスにタムタムという大きな虫が付いていて、前世は田舎育ちで虫が平気だった私がそれを取ってあげた覚えがある。
「あのときドレスに虫が付いてしまった少女はあなただったのね」
「私のドレスに付いたタムタムを取るのは、本当はエルティミオ様だったのよ!」
「あなたはゲームの中で虫を取ってもらうだけの名前もないキャラクターだった。だからあなたは自分のことをモブ令嬢と言っていた……ちょっと待って! シナリオ通りにいけばヒロインのアリシア嬢がタムタムを取る流れだったじゃない!」
アンナ嬢は私の言葉に嫌そうな顔をする。
「悪役令嬢のリナルーシェも転生者だったのね……だからあなたがアリシアからイベントを奪ったの!?」
「えぇっ? イベントを奪う!? そんなのじゃないわよ! アリシアは虫が無理って言っていたし、あなただって早く取ってほしそうにしていたじゃない! それにエルティミオ様だって、虫が苦手なご様子なのに無理をして前に出ていたから、虫が平気だった私が取っただけよ! あの時の行動に別に他意なんてないわよ」
「やっぱりあなたが邪魔をしたんじゃない! アリシアが虫を取らなかったらエルティミオ様が虫を取って、モブ令嬢の私が推しのエルティミオ様と仲良くなるチャンスだったのよ!! あんたがいなければ、モブ令嬢がヒロインになってエルティミオ様とハッピーエンドできたのよ!」
アンナ嬢はすごい剣幕でまくし立てる。彼女はモブ令嬢パターンに懸けていたようだ。だが、彼女の言い分は私には何も響かなかった。
「なんでよ。別に交流会なんだから虫なんて取ってもらわなくても、自分から行動すればエルティミオ様と仲良くなるチャンスくらいあったじゃない? 伯爵令嬢なんだし交流会に呼ばれるくらいなのだから絶対にエルティミオ様のお相手にはなれないって程の身分差でもないでしょうし」
私はポカンとしながら反論する。
「無理よ! だって私はモブ令嬢なのよ!」
「え……? モブだからそれ以上は諦めて何も行動しなかったってこと?」
「そうよ」
彼女は悔しそうに唇を噛みしめる。
「だったら、なんで今になって私のことを陥れようなんて考えたのよ」
彼女がモブだからと何も行動しないのなら、最後までなんの行動も起こさずにいてくれれば、何も問題はなかった。
「エルティミオ様とリナルーシェの結婚が発表されたとき、思い出したのよ。『恋シェフ』の裏設定を……」
「裏設定?」
「ヒロインのアリシアが別のルートを選ぶとリナルーシェとエルティミオ様は結婚することになるのだけど、根っからの男好きの悪役令嬢のリナルーシェはエルティミオ様一人では我慢できずに色んな男たちと身体の関係持つようになるのよ」
そんな設定は聞いたことがない。なんてひどい話だ、と思ったら「リナルーシェはそんな女性ではない! でたらめを言うな!」とエルティミオ様は血走った目でアンナ嬢を怒鳴りつける。そして私を彼女から遠ざけるように後ろから抱き込み向こう側へと身体の向きを変える。
「エルティミオ様、おっしゃる通り、私はそのようなことはいたしません。ですが、今は彼女の話を聞かせてください」
エルティミオ様は不服そうな顔をしつつも「わかった」と腕の力を緩めた。
「そんな不貞を働く女はエルティミオ様には相応しくないのよ! それにリナルーシェは不貞が明るみになりそうになるたびに父親に泣きついて騒動をもみ消してもらっていたのでしょう! 子どものことだって、本当は結婚前から妊娠していたくせに医師に金を積んで妊娠の周期を誤魔化していた。だから本当はリナルーシェと一緒にあの父親も排除したかったのに……」
彼女は険しい顔をしながら説明する。彼女のその想いが一度目の人生での父の死に繋がったのかと理解した。
「悪役令嬢のリナルーシェが男好きで、いろんな男性と身体の関係を持っていたなんて話聞いたことがないのですが、その裏設定と言うのはどこで聞いた話なのでしょう?」
「散々ネットに上がっていたじゃない! 過激な設定だけど分かり易い物語になっていたわよ。前世の私はそれを見ている最中に交通事故で死んだの」
過激な設定と聞いてハッとした。
二次創作にも過激なものはいくつかあり、あまりにひどい設定のものは公式が否定したりということもあった。
「それって二次創作の話じゃない!? しかも公式が否定していた設定……」
「二次創作……? 公式が否定……!?」
アンナ嬢は顔を青ざめる。
「もしかして、公式が否定する前に見た二次創作の情報を私に当てはめていたってこと……」
私が眉を顰めると、彼女は小刻みに身体を震わせながら、ふるふると首を振る。
「うそよ! あの情報は正しいのよ! リナルーシェ、あんたは男好きで不貞を働いたエルティミオ様には相応しくない、悪女なのよ!」
彼女は狂ったように何度も「悪女」「浮気女」と私に向かって叫び声を上げた。彼女は彼女の思う正義に盲目になっているように思えた。
「ルーシェ……もう行こう。この者とはもう何を話しても無駄だ……」
エルティミオ様が気遣わしげに私の肩を抱いて地下牢の外へ繋がる階段へ向かおうとした。私も「そうですね」と応えてエルティミオ様と階段へと向かう。
だが、最後に私の想いだけは伝えようと彼女の方へ振り返った。
「アンナ嬢。あなたがせめて私のことを知ろうとしてくれれば、その情報は事実と違うことが分かったはずよ。ここはゲームの世界ではなく現実なのだから、もっと自分の目で確認して欲しかったわ」
その言葉を聞いてアンナ嬢はハッとしたような顔をしたがすぐに俯いてしまった。
◇
アンナ嬢はあれから数日ずっとブツブツと「リナルーシェが悪い」「いや、私が間違っていた」と繰り返し、自分の信じたいものとそれが間違っていたという葛藤に苦しんでいるらしい。そしてたまに狂ったように笑い声をあげていると聞く。
「エルティミオ様……彼女の処刑は絶対に変えられませんか?」
エルティミオ様は「言うと思った」と緩く笑う。
「変えられるよ。今回の件、私たちは当事者だから私たちの意向で処罰は決まる」
「でしたら……」
私はアンナ嬢の減刑を願い出た。それに対し、エルティミオ様は「君は優しすぎるよ」と苦しそうな表情をした。「だけど、そんなところも好きなんだけどね」と彼は私の頭に口づけを落とす。
「彼女は私と同じで前世の記憶があります。彼女は亡くなったタイミングが悪すぎたのです。彼女は前世の誤情報を信じてしまったのだけど、彼女が亡くなったのがあと一週間遅ければ、その情報が間違いであると知ることができたはずでした」
前世ではゲームと言われる世界でも、この世界で生きる私たちにはここが現実でみんなそれぞれに意思がある。彼女はちゃんと自分で考え行動して、自分の目で見て判断するべきだった。
モブだから、設定だから、考えることを放棄してはいけなかったと思う。
「確かに、彼女がちゃんと考え行動して確認していれば、誤情報であることはわかったとは思うのです。でも……前世の記憶を頼りに先入観で行動してしまう……ということは私にもありましたから」
私の場合はリナルーシェとしての一度目の人生でエルティミオ様に地下牢は入れられたと思っていたから王宮から逃げ出してしまった。
「前世で亡くなったタイミングが悪かったのは彼女のせいではないのに、それで処刑というのも哀れというか……可哀想というか……」
「わかったよ。アンナ・モーブの処罰については考え直す」
「エルティミオさまっ!」
彼への説得は成功した。
これは後になっての話だが、アンナ嬢は国の外れにある戒律の厳しい北の修道院へ送られることになった。
北の修道院はフィカスの修道院と違って荒野の中にポツリとある修道院で、施設は修道院だが生活は監獄と変わらないもので、脱走が出来ないように高い塀に囲まれている。脱走をしたところで町までが遠いので馬にでも乗らない限りは容易に町まではいけない。物資は週に一度馬車で届けられるのみで、清貧な生活が求められる。彼女はそこで内職をして生涯を過ごすことになる。フィカスの修道院生活のときのようにこっそりとどこかから魔法道具を入手することなどできないだろう。
期間は定められていないが、一度目の人生では人を殺すようなことをした彼女をエルティミオ様は自由にすることはないと思う。彼女なりの正義で行動していたのだとは思うが、彼女はやってはならないことをした。だから彼女が残りの生涯をその修道院で過ごすことになったとしても仕方のないことだ、と私は自分に言い聞かせた。
次回、最終話です。ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いです。
お読みいただきありがとうございました。




