第三十一話「忙しかったんですよ、この一月は。ちょっと聞いてくださいです」
わたしは今、百葦神社の傍らの共同墓地にある一つの墓石の前に立っていますです。
時刻は夕暮れ頃。少し小高い部分にある為に傍らでは村の全貌を見ることができ、もう片方にはあのお土様がいた山があります。
オレンジ色の夕陽が差し、風が草木とわたしの白いワンピースを揺らす中、わたしは水と杓の入っている木の桶を置きました。
先端部が尖っている兜巾と呼ばれる形の四角錘の石がズラリと並ぶ中、目の前にある石には「日佐家之墓」という文字が掘ってあります。
ここにわたしのお父さんとお母さん、そしておにいちゃんが眠っています。
「久しぶりです。一か月振り、でしょうか」
木の桶にある水を杓で掬ってかけた後、石を雑巾で丁寧に拭いていきますです。二回目、ということもあり、ほったらかされていた時に比べたらかなり綺麗になってきました。
一通り掃除を終えたわたしは、ほっと息をつきます。
「忙しかったんですよ、この一月は。ちょっと聞いてくださいです」
村の祭りが野外フェスに乗っ取られたあの日から、一月が経とうとしていましたです。フェスの後始末、亡くなったおにいちゃんの諸々の供養、洗脳が解けて村長を失った村の今後等、やることがてんやわんやになっていましたが、ようやく落ち着きを見せてきました。
気が付くと月も九つ目に入り、大学の夏休みも折り返しを迎えています。
「まずはホウロクのいなくなった村ですが、思ったよりも混乱がなかったんです。まあ、役場とかは大変だったみたいなのですが」
村長を失った村は滅茶苦茶になるんじゃないか、という懸念もありましたが、村民達は意外とタフでした。
「なんであんなおっさんを崇拝していたのか、まあいいか」くらいの勢いでそれぞれの仕事に戻り、一週間もしない内に元の生活に戻ったんです。
人間って、たくましいんですね、まざまざと思い知りました。
「しかもですよ。野外フェスが楽しかったとかで来年もやろうという意見が出て、もう次の計画を練り始めたみたいなんです。信じられねえです」
村民総パリピ化計画、とでも呼びましょうか。年老いた方々は変化を嫌うものだと勝手に思い込んでいた節はありましたが、現実はそうでもないみたいでした。
今後、わたしの故郷はどうなってしまうのでしょう。
「ちなみにフェスに乗じて不貞をしてたキヨおばさんとその旦那さんは、未だ互いにはバレてないみたいです。キヨおばさんは、今でも沢村先輩と連絡を取ってるみてーなんですけど」
互いは知らずとも、村民の間では公然の秘密と化しているとのことです。いくら子宝に恵まれなかったからって、今更ハッスルするのはどうなんでしょうか。
いっそわたしがチクってやろうかとも思ったのですが、不倫は文化と言われていた時代の方々なので、これ以上は何も言わないです、はい。
「あのフェスの後遺症は、他にもあるです。まず部長なんですけど、宗像先輩に影響を受けた所為で筋トレを始めまして」
何処ぞの動画配信者の言葉を一気飲みして信じてしまうような部長だったので、当然っちゃ当然なのかもですが。それでもこの前会った時に「おお、日佐クンッ! 世界を動かしていくのは裏組織ではない、筋肉だ。レッツ、バルクアップッ!」と言っていたので、敬って遠ざけました。
今後はオカルト研究部の部室にもトレーニング機材を搬入する計画を立てているらしいので、ウチの部活の未来はどっちなのでしょう。
まあ、わたしは蟲の後遺症で怪力が残っているのでどっちでもいいんですが、部室内であのマッチョオフ会が開かれたら、全員窓から投げ捨てるかもしれません。
むしろそうする予定です。
「あとクロちゃんなんですけど、こっちは沢村先輩に影響された所為で、動画サイトで自分のチャンネルを立ち上げちゃいまして」
一方のクロちゃんはあの後、沢村先輩に連れられてライブ中継での対談配信に付き合わされたのですが。
その最中で好みの男性について聞かれた際にブツブツモードに入って熱く語り過ぎた結果、服が破れて巨乳を晒したことも相まってバズったらしいのです。
乗るしかない、このビッグウェーブに、と言わんばかりの沢村先輩の後押しによってチャンネルを立ち上げ、見事なスタートダッシュを決めました。
今は固定ファンを獲得している段階であり、SNS等での発信も積極的に行っています。
わたしが見た動画では、いつものお酒が入った際のブツブツモードの彼女そのままだったのですが。
三角ビキニを着ていたこともあって、セクシー系陰キャというジャンルを確立させてファンを獲得していっているみたいです。これだから脳みそと下半身が直結してる男とかいう生き物は。
本人曰く、そろそろ収益化に手が届きそうだから頑張る、とのこと。部室に配信機材を持ち込み始めた彼女は、何処へ向かっているのでしょうか。
「終わってからも怒涛のような出来事ばかりで、わたしも色々と大変でしたけど……ようやくわたしも、やりたいことが見つかったんです」
道を見つけた(誤った?)のは、彼らだけではありません。わたしも、そうなのです。まあ、彼ら程に舵の切り方の思い切りはよくないですけどね。
「あれ、お魚ちゃんもう来てたんだ。ごめん、遅くなっちゃったかな?」
「カナカ殿ー」
続けてお父さん達にお話しようと思っていたら、声をかけられましたです。わたしが振り向くと、金髪を揺らしたイケメンのパリピと、いつもの狩衣姿のアヤメちゃんの姿があります。
「いえ、わたしが勝手に早く来ただけです」
「そっか。じゃあ、オレも祈らせてもらおうかな」
パリピの手には緑色のみずみずしい葉っぱを携えた榊の枝がありました。それをお供えするとアヤメちゃんが燭台にロウソクを刺し、火を灯します。
ゆらゆらと小さな火が燃え始めた時、彼らは揃って手を合わせました。
「ひふみ、よいむなや、こともちろらね。しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか。うおゑ、にさりへて、のますあせえほれけ」
不意にパリピが、聞いたこともない言葉を口に出しました。顔を向けてみれば、アヤメちゃんも目を閉じて同じことを言っています。
「これ、ひふみ祝詞って言うんだ。実際の解釈は多種多様だけど、心身や場を祓い清め、清らかな魂で天に昇って欲しい……そんな鎮魂の意味もあるって、聞いたことがある。破門されたオレじゃ、正しい作法に則ってなんてできないけど。せめてお兄さんやご両親の魂に、安らぎがありますように」
不思議な顔をしていたわたしに対して、目を開けたパリピがそう口にしました。それがわたしの家族への言葉だと分かると、口元に笑みが浮かびます。
「ありがとう、です。みんなの為に、祈ってくれて」
「全然大したことじゃないさ。本当は、こんなことにならないことが、一番だったんだから」
パリピは相変わらず、険しい顔をしています。彼はわたしへと向き直ると、深々と頭を下げました。
「もう何度目になるか分からないけど、お兄さんのこと、本当にごめん。オレが余計なことをしなかったら、お兄さんは死ななかったかもしれない。オレが殺したも、同然だと思ってる」
パリピの口調は、はっきりとしたものでした。いつものおちゃらけている雰囲気は微塵もなく、真摯に伝えようとしてくれているのが見て取れますです。その背中が、少し震えていることにさえわたしは気が付きました。
おそらく彼の心の中には、酷い後悔が渦巻いているに違いありません。自分の不手際で実の妹を殺してしまったからこそ、彼はより一層の責任を感じているのでしょう。
また、繰り返してしまった、と。
隣で彼を見ているアヤメちゃんは、悲しそうに眉を下げたまま、何も言いません。
確かに、彼の言う通りなのかもしれません。こいつが何もしなかったら今年の百葦祭は例年通りに行われ、千人のパーティーピーポーが飛来することも、あのホウロクが自棄を起こしてお土様を呼び出すこともなかった筈です。
そんな世界では、おにいちゃんも生きてくれていたでしょう。
「君は、オレのことを恨んでくれていい。いや、そうすべきだ」
「……お前が謝ることなんか、ないです。本当に、ありがとうございました、です」
全部を分かった上で、わたしはお礼と共に深々と頭を下げましたです。「えっ?」という言葉が頭の上から降ってきたので、彼は顔を上げたみたいですね。
「な、何を言ってるんだい? オレが余計なことをしたから、お兄さんは」
「お前が来てくれなかったら、わたしはクロちゃんと部長をお土様に差し出していました。彼らを食わせた後、あのデブの中年に喜んで抱かれていたに違いありません。そんな最悪の未来を変えてくれたのは、お前なんです」
しかし彼が来てくれなかったら、もっと酷いことになっていたのも事実です。
わたしは間接的に人を殺し、気持ち悪い中年男性に抱かれて喜ぶような、最低の人間になっていたでしょう。
「おにいちゃんのことは、本当に残念でした。あの時、お土様があんな風に動くなんて、誰も分からなかったことです。神様は自然的な存在でどうしようもないって、お前が言ったんじゃないですか。事故に遭ってしまったと、今ではそう思っています」
台風、地震、津波など、自然の脅威の前には人は無力です。同じように家族を失ってしまった人だって、大勢いることでしょう。本当に悲しいですけど、そういうことだったって、考えるしかないのです。
「わたしはお前のことを恨んでいません。だってお前はアヤメちゃんとわたしを重ねて見ていたとは言え、悪意を持っておにいちゃんを殺そうとした訳ではなく、善意でもってわたしを助けてくれたんじゃないですか。だから、お前に言う言葉は、ありがとう、です」
「…………」
「もう一度言います。助けてくれて、ありがとうございました。です」
呆気に取られたような顔をしていたパリピでしたが、やがて顔を綻ばせました。
「まいった、なあ。は、はははっ、本当に、まいった、よ」
その目から、涙を溢しながら。
「君の言葉だけで、救われた気がした。酔ってないのに、こんな気分になれるなんて、思わなかった。オレ、なんかが。アヤメを殺した、オレなんかが、こんな」
「感謝する、カナカ殿」
右手で目元を覆うようにしているパリピの隣で、アヤメちゃんがペコリと頭を下げました。




