23 夢の扉を守るレマニたち
ブリジッドの確信に、アンリも釣られて熱心に天井を見上げました。
(何が出てくるのかな)
紫髪の小さな魔物は、感情の無い眼でふたりの子供を見つめていました。何かを企んでいるのでしょうか。それとももう観念したのでしょうか。ジタバタするのもやめておりました。
天井からは、削れた霜のかけらが霙のように降って参りました。凍った冬の明け方に霜柱を踏んでゆくような、バリバリという音も天井から落ちて参りました。
アンリが見ていると、ギザギザな葉っぱにみえる霜の間で、何かが銀色に光りました。
天井の霜は、ガサガサと硬い音を立てました。コオリオオカミたちは、急に立った大きな音に怯んだようでした。低い唸り声を上げながら、釣り上がった獰猛な眼で天井を凝視いたしました。
くるり、と銀色の球体が霜の茂みから滑り出てこぼれ落ちました。
「あ、やっぱり!お目々!元気だった?」
ブリジッドは両手を窪めて器のようにいたしました。その手を天井に向けて、落ちてくる目玉を受け止めるつもりなのでした。
「あれが、銀の粉をくれた魔物なの?」
アンリは興味深々でした。
「うん。そうだよ!」
ブリジッドは元気いっぱいに頷きました。霜の茂みから落ちて来た銀色の目玉は、どこか嬉しそうに見えました。ほんとに目玉だけですのに、とても表情豊かな魔物なのでした。
「忌々しい目玉だ」
魔物が平板な声で申しました。
「ブリジッド、銀色の目玉はコオリオオカミの仲間じゃないの?」
アンリが意外そうに聞きました。ブリジッドにもよくわかりません。ですが、夢の中で出会ってからずっと、銀色の目玉はブリジッドにひどいことをしませんでした。
「わかんない。分かんないけど、お目々はイジワルしないんだよ」
「へー、変わった魔物なんだねぇ」
「そうだね。魔物にしたら変わってるかもしれないねぇ」
ふたりの言葉は、銀色の目玉を馬鹿にしたのではありませんでした。魔物は普通凶暴で、人間を襲ったり食べたりするものなのです。それなのに目玉は、ブリジッドに何でも治す魔法の粉をくれました。そんな魔物は、変わっていると思いませんか?
ブリジッドの手の中で、銀色の目玉は楽しそうにギョロギョロ動いておりました。時々チラリと小さな魔物に視線を向けます。ですが、あんまり気にしていないようでした。
「お目々は喋れないの。でも、なんだか伝わるんだよ」
ブリジッドはアンリに説明致しました。
「そうだねえ。今はなんだか楽しそうに見えるよ」
アンリが目玉を見ながら言いました。すると銀色の目玉は、ブリジッドの手の中で軽く跳ねたのでした。まるで子犬が喜んでジャンプをしているみたいでした。
「あら、お目々、分かってもらえてうれしいのね?」
銀色の目玉は、その通りだと言うように、ピョンと跳ねた後でくるりと回転までいたしました。
お月様のお船が、ガタガタと横揺れをし始めました。なんだかふたりに急げと促しているようです。
「どうしろって言うのかしら。扉はびっしり霜が降りていて開かないし、外に出られる窓もないのに」
ブリジッドは膨れました。
「廊下の先は見えないけれど、上に行く階段があるのかどうかも分からないねえ」
アンリも不満そうでした。
「元来た道はもう辿れないし、お月様にお任せするしかないよねぇ」
すると目玉は、同情するかのようにふるふると身をゆすりました。何度も申しますように目玉だけの身の上です。身体というには少し抵抗がございました。けれども他に言いようがございません。
「お目々、なにか良い考えはある?」
会話が出来ないのは分かっておりましたが、ブリジッドは銀色の目玉に聞いてみました。目玉は少し考えるように傾きました。それから、くるくると螺旋を描きながら斜めに飛び上がったのでした。
「おっ、何か思いついたんだね?頼りになるお目々だなあ」
アンリが感心して褒めますと、目玉は得意そうな回転を見せました。それまでよりも、いっそう派手な回転でした。
「お目々、何をするつもりなのかしら」
ブリジッドはアンリに言いました。
「なんだろ。でも、扉に向かっているよね」
アンリは目玉の行方を琥珀の瞳で追いかけました。
「アンリの夢につながっている扉なのかなあ?」
ブリジッドは期待を込めて言いました。
「そうだといいんだけどね」
アンリも目玉の行動に、希望をつないでおりました。
魔物は動じておりません。氷の棘に縛られたこの城の主でしたが、焦りも怒りも見せません。徹頭徹尾、温度を感じさせない魔物なのでした。
正反対に表情豊かな銀色の目玉は、扉の霜に飛び込みました。扉に降りた霜は分厚く、硬いように見えました。けれども目玉は、深く潜ることがありませんでした。
勢いよく扉の霜にダイブすると、モグラのように霜を盛り上げて走り出したのです。ジャリジャリと氷が削れる音がしました。目玉が通った後には、筋が縦横に刻まれました。
「霜を剥がしてくれるのかなあ?」
ブリジッドは、半分しか信じていないようでした。だって、目玉はとても楽しそうでしたから。ふたりを助けてくれたというよりは、ただ愉快に遊んでいるだけ、というほうがスッキリするほどです。
呆れも込めて眺めるブリジッドの隣で、アンリはにこにこ笑っておりました。
「へへっ、楽しそうじゃないか!」
アンリは、しばらくは大人しく観ておりました。でも見守っているうちに、楽しくなって来たようです。
「あ、ちょっと、アンリ!」
ブリジッドが青褪めてとめました。けれどもアンリは聞きません。お月様のお船を飛び出して、目玉と一緒に霜に覆われた扉を駆け回りました。
アンリは人間の男の子です。けれども魔法使いでした。ですから、床に背中を向けて、扉に足をつけて走り回ることなど朝飯前なのでした。
「もうっ、何してんのよぅ」
ブリジッドは呆れておりました。お船の底でなりを潜めている魔物のことは、少し忘れてしまうほどでした。
魔物は隙を見逃しません。紫色の魔法が膨れ上がりました。ブリジッドのトゲトゲ蔓は、いまにも千切れてしまいそう。
「ああっ、ちょっと!調子にのらないでよね?」
間一髪で気がついたブリジッドは、さっさと蔓を増やしたのでした。
「小癪な。逃げられると思うなよ」
魔物は言いましたが、所詮は口先だけでした。吹雪の夜にブリジッドを投げ飛ばした時の勢いは、もうありません。それは、ついこの夕方のことでしたのに。
銀色の目玉とアンリが駆け回ったので、扉の霜はだいぶ剥がれて参りました。お月様のお船は、今度も銀色に光ります。
「アンリ、お船に戻って」
出発の時を悟ったブリジッドが、アンリをお船に呼び返しました。呼ばれはしなかったのですが、銀色の目玉もブリジッドの元へと戻って参りました。目玉は、楽しそうに銀色の粉を撒き散らしました。
「ブリジッド、扉が開くよ!」
アンリは炎の竜巻を扉にぶつけると、薄くなった霜を溶かしきりました。そのまま炎の勢いが扉を押しました。
「お船が動くね!」
「出発だ!」
ふたりは手を取り合って飛び跳ねました。銀色の目玉も跳ねておりました。魔物ひとりが無反応で、ブリジッドを見つめておりました。
扉は音もなく開きました。けれどもそこは、期待したような出口ではありませんでした。扉の向こうには、立派な銀色の絨毯が敷き詰められた、豪華な階段しかなかったのです。
ふたりが言葉を失って、魔物がじっとしている間に、お船はなおも進みます。銀色の目玉は、ブリジッドの巻毛に埋もれておりました。どうやら、銀の巻毛がお気に召したようなのでした。
立派な階段のてっぺんには、もう一つ扉がありました。扉は布張りの観音開きでした。所々に布を抑える鋲が打たれておりました。鋲は紫色の宝石でした。宝石の鋲に相応しく、扉の表面では、銀色のビロウドがしなやかに艶をみせておりました。
「見て、外じゃない?」
「ほんとだ!」
扉は自然に開きました。魔物の王様は無感動に寝転んでおります。目玉は興奮してくるくる回りました。
「お月様、僕の夢まで行けますか?」
アンリはそっと尋ねました。いよいよお外には出られましたが、それだけではダメなのです。アンリは自分の夢に帰らなければなりません。
銀色の目玉が、キョロリとアンリのほうを向きました。
「心配してくれるのかい?」
目玉は、頷くように、動きました。
「ありがとう」
アンリがチョンと目玉をつつくと、目玉は照れたように俯きました。それからまた、銀色の粉が目玉から噴き出しました。お月様のお船は、月の無くなった灰色の空へと駆け上りました。アンリの炎と目玉の粉が、水先案内をするように光っておりました。
お月様がお空に昇ると、魔物はすっかり動きを止めました。まるで蝋で固められたみたいです。怪我をした傷にも見える不気味な両眼も、命を失ったかのように固まっておりました。
「夢の中に入ったのかな?」
ブリジッドが言いました。思えば、ブリジッドは夢で魔物のお城を歩き回りました。けれどもその時、魔物の王様に会うことはついぞなかったのでした。
「夢の中では、こいつ、動けないんじゃないの?」
「よかったあ。、夢の中に閉じ込めてしまうつもりだったけど、出てくるかもしれないって、不安だったんだ」
アンリはほっと胸を撫で下ろしました。目玉はますます銀の粉をたくさん撒きました。
「あれ?人間の怪我は治るけど、コオリオオカミの王様には、この銀の粉が毒になるんじゃない?」
アンリが気づいて言いました。目玉は肯定するように、勢いよく上下に揺れました。ふたりは目玉に感謝して、夢のお空に漕ぎ出しました。
ブリジッドが通った楽しい星の野原が、アンリの目の前に広がりました。
「ぼくがお城に来た時には、こんな素敵な場所は通らなかった」
不貞腐れるアンリを軽く笑って、ブリジッドは自分の夢を話しました。今日の夕方に見た夢です。けれどもブリジッドには、遠い昔の記憶みたいに思えて仕方がありませんでした。
「今夜はいろんなことがあったねぇ」
ブリジッドがしみじみといいました。
「まだ終わってないよ」
アンリはお空の野原を見回しました。ブリジッドは、ここでお船を降りて、危うく置き去りにされるところだったと聞きました。
「ブリジッド、お船はどんどん先へと行くんだよね?」
「そうね。うっかり降りると置いてかれちゃうの」
アンリはニィっと嗤いました。
「あっ」
ブリジッドも気がつきました。
ブリジッドはトゲトゲの蔓を操って、魔物をお船からうんと遠くにやりました。見えないくらい遠くまで蔓を伸ばすと、ブリジッドはポイっと魔物を放り出してしました。
あんなにしつこく狙ってきた魔物でしたが、最後は呆気なく、夢のお空に捨てられてしまったのでした。
「でも、本当に夢から出てこないか分からないね」
アンリは不安そうでした。
「ぼく、起きたら魔物のお城にあった夢の世界に続く扉を見張ることにしようと思うんだけど」
「いいんじゃない?でも、あたしがカチコチに固めちゃうから、アンリは溶かしちゃダメなんだよ?」
「わかったよ。でも、あいつはコオリオオカミの王様だろ?魔法の氷で固めたって、出てきちゃうんじゃないかなあ?」
「じゃあ、トゲトゲの蔓で扉を閉めちゃう!」
「そりゃいいや。そしたら僕は、さっきみたいに蔓がちぎられそうになっても、すぐ見つけられるようにする!」
アンリは、魔物のお城に住むと言っているのです。でも、自分ではそのことに気が付いてはおりません。銀色の目玉は、もどかしそうにくるくると、アンリの周りを飛び回りました。
お月様のお船は、ふたりが色々と相談をしているうちに、月を映す湖までやって参りました。
「あ、ここだ」
アンリはお船を降りました。
「アンリ、降りられたのね」
「うん。ここから帰れるみたい」
「それじゃ、また、ほら穴でね?」
「ブリジッドは降りないの?」
「あたしはお目々と、魔物のお城から戻るつもり」
ブリジッドは、うつつから夢に入ったのです。銀色の粉は、やはり夢を出入りする力があったようです。
「そう?じゃ、起きたらまた会おうね」
「もちろんよ!それで、扉を一緒に見張りましょうね!」
「そうだね。じゃ、もういくよ」
アンリは、自分の夢に戻って来ました。月を映す湖から変な生き物がいる雪原を通り、気がついたときには、レマニたちのいるほら穴で目を覚ましたのでした。
ブリジッドは魔物のお城に戻りました。扉にはアンリに言ったとおり、氷でできたトゲトゲの蔓を這わせました。それから吹雪に乗って階下へと向かいました。銀色の目玉も一緒です。
魔物のお城は不思議なことに、月明かりに浸されて、清々しい明るさをみせておりました。
「ブリジッド!無事だったのか」
大人たちとホールで合流すると、ブリジッドはこれまでの出来事をかいつまんで話しました。
「それは大した冒険だなあ」
「とにかくほら穴に戻ろう」
ブリジッドと大人たちは、それぞれの魔法に乗ってすっかり晴れた夜の森を進みました。お空に戻ったお月様が、みんなを静かに見守っておりました。
銀色の目玉は嬉しそうに銀色の粉を撒き散らしながらついてきました。森一面に、夢とうつつの境を越える、魔法の粉が降り注ぎました。
次の日目を覚ましたアンリは、真っ先に長老と話をしました。
「ぼく、夢の出入り口を守る人になるんだ」
最初は驚いた長老でしたが、話を聞くうちに考えがかわりました。
「アンリだけに任せられない。みんなで守っていくことにしよう」
こうしてレマニたちは、魔物を閉じ込めた夢の出口の番人となったのでした。
皆の魔法で、魔物の城は魔法使いの平和な城となりました。魔物を夢に送り込んで閉じ込めたので、上が平らなお月様は、夢送りの月と呼ばれるようになりました。
夢送りの月が昇る夜、レマニの夢には雪が降る。全てを浄めてくれるような、白銀の優しい雪が降るのです。森のお城に今もある夢の扉は、氷のトゲトゲがついた蔓で覆われておりますよ。銀の巻毛に琥珀の瞳を持つデリク王子様も、いつか扉の見張りに立つようになるのです。
お読みくださりありがとうございます
完結です




