21 ブリジッドはトゲトゲの蔓に乗る
魔物が隠れている魔法の氷は、溶けたりまた固まったりを繰り返しておりました。口数の少ない魔物でしたが、時々馬鹿にしたような言葉をアンリやブリジッドに浴びせかけるのでした。
「我が城の中では、人間など塵芥にも劣る存在だ」
王の言葉に応えるように、玄関ホールには魔物たちが集まって参りました。コオリオオカミの群は、アンリとお父さんの炎熱を恐れながら、遠巻きにしております。真っ白な女の人たちは、やはり火が怖いようでした。一列に並んで、一歩踏み出してはまた足を戻すのを繰り返していたのです。
「もとの部屋に押し込めておけ」
魔物の王は片手をあげて、コオリオオカミたちに命令しました。けれども魔物の群れは思うように動きません。燃え盛るレマニの炎には、近づくこともままならないのでした。
アンリのお父さんが、勢いよく腕を前に突き出しました。大技を繰り出すつもりなのです。
「アンリッ!」
お父さんは、魔物を見据えて叫びました。
「行け!こいつはお父さんたちが引き留めておくから!」
アンリは繊細な金色の眉根を寄せました。
(父ちゃんには、伝わらなかったんだな)
魔物を引き留めて貰っては困るのです。アンリとブリジッドは、魔物をお月様のお船に引き摺り込むつもりでしたから。そして、夢の中に閉じ込めてしまおうと言うのです。
舳先に立っていたブリジッドが振り向きました。アンリは困ったように眉を下げました。お父さんに説明するわけにはゆきません。魔物はつい目の前にいるのです。ここで説明をしたら、魔物に計画が知れてしまいます。
せっかく魔物が油断しているのです。そのまま黙っているのが得策でした。アンリのお父さんやブリジッドのお母さんたちが張り切ってしまうと、少し都合が悪いのでした。上手く魔物を夢の中まで連れてゆくことが出来なくなるかも知れないからです。
魔物は子供たちの困った顔を見て、勘違いをしたようでした。血溜まりのような魔物の眼が、ブリジッドたちに注がれました。
「悪あがきはやめろ」
魔物は言うなり、尖った氷柱を降らせました。氷柱は空中に留まって、お月様のお船を囲みました。ヒュンヒュンと冷たい空気を切り裂く音がいたしました。
「子どもたちから離れろ!」
「大人しく雪の中にでも隠れていなさいよ!」
レマニたちが叫びました。
先の尖った氷柱は、コオリオオカミの牙みたいに鋭く光っておりました。お船を取り囲む様子は、まるで巨大なオオカミのアゴがグワッと開いてアンリたちを呑み込もうとしているかのようでした。
「ええいっ」
アンリは炎を放ちます。氷柱はカタカタと空中でぶつかり合いました。
「どうせ砕けてなくなるよ」
ブリジッドはしたり顔で断言いたしました。今まで魔物が放った氷は、みんな溶けるか砕けるかして無くなったからです。
ですが、今度は違いました。ブリジッドの予想は外れました。氷柱はしばらくぶつかり合っていましたが、やがてぐるぐるとお船の周りを飛び交い始めたのでした。
「うわー!」
「きゃあー!」
氷柱のぐるぐるはどんどん早くなりました。アンリとお父さんの炎で溶けて、ブリジッドとお母さんの吹雪で凍って、を繰り返しながら。そのためでしょうか。魔物の氷は、グネグネと不気味な姿を形作ってゆきました。
少しだけ足止めを食らってふたりでしたが、大人たちの助けですぐ前に進むことができました。乱れ飛ぶ氷の牙は、やはり溶けたり凍ったりいたしました。
「邪魔な奴らだ」
魔物は遂に大人たちと向き合いました。今は自分のお城におりますので、余裕を見せているのです。ブリジッドから目を離しても、手下の魔物が捕まえておくだろうと考えているのでしょう。
「早くいけ!アンリ!」
お父さんは、一際大きな炎の柱を立てました。小さな魔物は、溶けた氷をそのままにしておきました。それどころか、炎の柱に向かって、次々と新しい氷を投げ込んで行くのです。一体何を企んでいるのでしょうか。
「きゃあっ!」
「痛い、痛い!」
答えはすぐに出ました。レマニたちは銀の粉を少しだけかぶっておりました。けれども、紫色の痛い水から完全に身を守るには足りなかったのです。
「父ちゃん!」
「お母さん!」
ふたりは気を取られましたが、お月様のお船は構わずに進みます。
「気にするな!そのまま行け!」
「アンリ、早く起きなさい!」
「ブリジッド、何してるの!ほら穴に戻るのよ!」
レマニたちは口々に叫びました。痛みに顔を歪め、声はしゃがれておりました。どの声が誰のものやら分かりません。
「なんだよ!大人のくせに、だらしねぇな!」
アンリは嘯いて、魔物が入っている氷の塊を溶かそうと致しました。
「なにすんの!溶けたらまたみんなが痛くなっちゃうじゃない!」
ブリジッドが怒って、氷の針をたくさん作りました。
「あっ、そうだった。ごめんよう」
アンリは謝ると、慌てて炎を止めました。
すると、待っていたかのように、コオリオオカミの群れが飛びかかって参りました。真っ白な女の人たちも一列に並んで走っております。今まで回廊から様子を伺っていたのですが、みるみるふたりに迫りました。
魔物の氷から溶け出した紫色の水は、蛇になったり蝙蝠になったり、虎になったり狼になったり、あるいは牙のある魚になったりしておりました。目まぐるしく姿を変えるので、大人たちも手こずっているようでした。
「どうしよう、アンリ?」
ブリジッドが不安そうに聞きました。
「何とかあいつをお船に乗せよう」
アンリは初めの計画をそのまま進めるつもりです。
「うん、そうだね。他に思いつかないし」
ブリジッドは控えめに賛成しました。
本当は、ブリジッドにはこの計画が上手くいくかどうか分からなかったのです。ですが、代わりの案があるわけでもなかったのでした。
(反対したって始まらない)
ブリジッドは思いました。
「よし、あいつを捕まえるよ!アンリ!」
ブリジッドは自分に言い聞かせるように、はっきりと宣言をいたしました。アンリがニヤリと笑いました。健康な歯が剥き出しになって、氷の欠片がぶつかりました。
「うわっ、冷てっ!」
アンリが思わず顔を顰めると、ブリジッドが明るい笑い声を上げました。
「アハハハハ!アンリ!頼りないなぁー!」
「なんだよー!」
アンリは決まり悪そうに真っ赤なフードを引っ張りました。金色の髪も、なだらかな額も、美しい琥珀色の瞳も、全部隠れてしまいました。
ブリジッドは少し残念に思いました。アンリの瞳はとても綺麗だと思っていたからです。自信に満ちた輝きには、今夜何回も勇気を貰いました。
(見せてよって、言おうかな)
ブリジッドは迷いました。けれどもアンリは、もう恥ずかしさを忘れて魔物の方へと手を伸ばしておりました。今は、琥珀色の目を眺めている場合ではありません。
(明日、お日様の下でじっくり見せて貰おうっと)
ブリジッドは思い直すと、お城の中に吹き荒れる凍った風を吸い込みました。勢いよく吸い込んだので、小さな身体が膨らみました。
「見てなさいよ、魔物の王様!」
ブリジッドは、舳先を蹴ってお船からピョンと降りました。そのまま吹雪に乗って、魔物の入っている氷にダァンと音を響かせて飛び降りたのでした。
アンリは魔物を捕まえようと伸ばしかけた手を止めました。
「ええっ?」
ブリジッドは氷に乗って吐き出す息と共に、なんと、口から氷の棘を出したのです。棘はトゲトゲのツルバラのようにうねって、魔物の氷を絡めとりました。
灰色のローブを着た小さな女の子が、魔物が入った氷の上で厳つい棘を操っております。その奇妙な光景に、大人たちはあんぐりと口を開けて立ち尽くしました。
「本当に、しつこいんだから!嫌な魔物め!」
ブリジッドはプンプンと怒りました。
「ブリジッド、どうする気?」
アンリが恐る恐る聞きました。
ブリジッドは、悪巧みをする赤ん坊のようにニィーッと口角を上げました。
「こうするの!」
掛け声のように叫ぶと、ブリジッドのトゲトゲは氷の塊をきつく縛り上げました。グイグイと締め付けるので、氷にはヒビが入りました。
「氷など割ったところで、痛くも痒くもありはせぬわ」
魔物は傲慢な言葉を淡々と述べました。
「ふん、そうかな?どうかな?」
ブリジッドはニヤニヤと魔物を見下ろしておりました。足の下、氷の中から、魔物の王が血色の眼で見上げて来ます。
勝ち誇って胸の前で腕を組むブリジッドは、トン、足踏みを致しました。それから自分が吐き出したトゲトゲのツルに乗って、お月様のお船に戻りました。
「貴様、何のつもりだ?」
魔物はブリジッドが何をしようとしているのか、興味を持ったのでしょうか。心というものを持たないコオリオオカミの王様は、ひび割れてゆく氷を内側からじっくり監察しておりました。
「さあ、観念なさい」
ブリジッドは、一旦しゃがんで弾みをつけました。そして思い切り跳んだのです。そのまま、もう一度ヒビだらけの氷に降り立つと、魔物に人差し指を突きつけました。魔物は、温度のない眼でブリジッドを見ております。魔物とブリジッドを隔てる薄紫色の氷が、ギシギシと耳障りな音を立て始めました。
「ブリジッド、危ない!お船に戻って!」
氷は今にも割れそうでした。アンリは焦ってブリジッドに呼びかけました。
「早く!」
アンリが必死に叫んだ時、ブリジッドの足元で氷が砕け散りました。ブリジッドはトゲトゲのある蔓に乗って、ニョロニョロとお船まで戻ってまいりました。蔓は氷で出来ております。
「ああ、無事で良かった」
アンリは、ほっと息を吐き出しました。
見れば氷の蔓は魔物の氷を砕いた後に、そのまま魔物を縛り上げておりました。
「こっち!連れてきて」
ブリジッドの言いつけをよく聞いて、トゲトゲの蔓は魔物をお船に放り込みました。蔓は巻きつけたままです。
「お月様、さあ、出発しよう!」
魔物のせいで足止めされていたブリジッドは、ようやく進めるので大満足でした。
「夢のアンリをアンリの夢まで送って行ってよ」
魔物は無表情でジタバタしておりました。
「なんだ、このツルは?外れないぞ」
蔓に流れるブリジッドの魔法は、トゲトゲになって魔物を離しません。アンリは魔物が跳ね出さないように、お船の周りに炎の壁を巡らせました。
「すごいや、ブリジッド!」
炎で壁を作りながら、アンリは頬をうっすら朱く上気させました。こんな魔法は見たことがありません。
「すごくカッコいいよ!」
アンリの目には、ブリジッドが光り輝く妖精の戦士みたいに映ったのでした。
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