2 ほら穴の一夜
他のことなんかみんな忘れて、アンリは胸を張りました。
「大きくて、乾いてて、風も来ないよ」
「ほら穴?」
ブリジッドはポカンとしています。
「ついておいでよ!」
「あっ、待ってよ!」
駆け出そうとするアンリを、ブリジッドは手首を掴んで引き留めました。アンリを取り巻くレマニたちは顔を見合わせました。大人たちの多くは、苦虫を噛み潰したような表情でした。
「長老、どうする」
人々の視線がひとりのレマニに集まりました。アンリはもどかしそうに足踏みをしております。
大人たちの視線の先には、いちばん歳上の老人がおりました。長老は、水色と白の縞々ローブをはためかせて立っています。髪はすっかり灰色でした。落ち窪んだ眼は柔らかな土色で、穏やかな春風を思わせるのでした。
「アンリ、よく見つけたなぁ」
長老は、土色の目を細めてアンリに微笑みかけました。しわがれ声が、強くなった吹雪の音に掻き消されてしまいそう。長老には、冷たい夜がとてもこたえるのです。
「長老さま、早く行こうよ!」
アンリは熱心に長老の手を引いて、先頭に立ちました。
「これこれ、そんなに引っ張ったら、転んでしまうよ」
「あっ、ごめん」
「はっはっは」
早く早くと気が逸るアンリを、長老が嗜めました。アンリは素直に謝りました。長老は他の大人たちとは違って、優しく笑いながら注意したのです。
(長老さまは、いきなり怒鳴ったり嫌味を言ったりしないから好きだな)
アンリは心が温かくなるのを感じました。雪は灰色の空からひっきりなしに落ちて参ります。それでもアンリの気持ちは、反対に落ち着いてゆきました。
アンリに手を引かれた長老に続いて、レマニたちはほら穴を目指しました。色とりどりのローブが一列になって進むのです。みんなの肩や頭には、見る間に雪が積もって行きました。吹き付ける雪片は、背中にすらくっついてきます。
「コオリオオカミがいるよ」
ブリジッドが怖そうに首を縮めました。
「アンリの炎が怖くて、様子を見ているみたいだよ」
ブリジッドより少し小さなセシルが言いました。おかしそうにクスクス笑っております。
「油断しちゃダメよ、セシル」
ブリジッドがお姉さんぶると、セシルは真面目な顔で頷きました。
「ウン!イダンしない」
レマニの子供は少ないので、大人に混ざって暮らしております。ですから、町や村の子供たちよりも早く、自然に大人たちの言葉を覚えます。でもやっぱり小さいですから、少し間違えるのですけれども。
子供たちは大人に手を引かれておりました。よちよち歩きの小さな子たちは、抱っこやおんぶです。まだ自分の魔法が分からないほど幼い子供は、大人のローブにすっぽりくるまっておりました。
大人しい子供ばかりではありません。泣いている子も、怒っている子もおりました。今年生まれたオルタンスは、お母さんにしがみついてぐっすりと眠っております。一昨年生まれのラウールは寒い寒いと怒っております。
「アンリ、速すぎるよぅ!」
ブリジッドがほっぺたをぷうっと膨らませて叫びました。アンリが振り返ると、繊細な金の髪がふわりと風を含みました。フードはとうに脱げてしまっておりました。
「さっきは吹雪に乗ってたじゃないか!」
「えっ、うん、でも、また出来るかなぁ?」
「できるさ!」
ブリジッドはアンリが心配で、気が付かないうちに吹雪に乗っていたのです。その時は夢中でしたので、どうやって吹雪を足に纏ったのかは覚えておりませんでした。
「ウーン」
ブリジッドは掌に小さな雪の竜巻を作りました。頭の周りに氷の花を咲かせました。背中から氷の羽を生やしました。でも、どれもブリジッドを運んではくれません。
アンリはもう前しか見ておりませんでした。長老の手を引いて、ぐいぐいと進んで参ります。
「アンリ、アンリ、待ってよぅぅ」
ブリジッドは泣き怒りで涙を滲ませました。
「早く来いよ!ブリジッド!」
アンリはちっとも気にせずに、吹雪を溶かしながら走っておりました。
「なによぅ!イジワルー!」
「なんでだよ?泣くなよ!」
「泣いてないもんッ」
2人は雪嵐のなかで叫び合いました。
「お前ら、喧嘩すんなよなぁ」
赤毛のオーギュストが疲れたように言いました。オーギュストはアンリのお兄さんです。でも、レマニたちはみんな親戚でしたから、ブリジッドのことも妹だと思っておりました。
「喧嘩してない」
アンリは断言します。アンリは思ったことを言っているだけなのです。
「してない!アンリがイジメるだけよ!」
ブリジッドも憤慨しました。喧嘩はふたりとも悪いものです。でもブリジッドは、自分は悪くないと思っておりました。泣かされたのに謝らされるなんて、信じられないことなのでした。
「はぁ、仲良くしろってこと」
オーギュストは溜め息を吐きました。
レマニは魔法使いの一族ですから、炎と熱の魔法使いたちがある程度は寒さを防ぐために助けてくれました。長老たち風の魔法使いも、温かな風でみんなを守ろうといたしました。それでも間に合わないほどの雪だったのです。普通の人々でしたならば、一瞬で凍りついてしまうような猛吹雪なのでした。
吹雪は激しくなるばかり。アンリが雪を溶かした道も、またすっかり白くなっておりました。ふかふかのブーツがキシキシと雪道に足跡をつけて参りました。
アンリは、もう心が静かになっておりました。ですから出鱈目に魔法を撒き散らしていた時とは違います。火の粉すら出ておりません。
「アンリー!あったかくしてよぅ」
セシルが叫びました。セシルは風の魔法使いでした。長老の孫娘なので、風を表す水色と白のローブを着ておりました。大人になれば、温かな風を吹かせることができます。でも、セシルはまだ、自分の周りにすら風を自由に起こすことができないのでした。
「もうすぐほら穴につくから我慢しろよなー」
「アンリイジワルー」
セシルが大きな声で言いました。
「ほんとよ!イジワル!」
ブリジッドが眼を吊り上げて同意しました。
「何がだよ。雪と氷の魔法使いが寒いとか、風の魔法使いがみんなを温めることもできないとか、変だろ?」
「変じゃないもん」
アンリの暴言にもセシルは平然として反論いたしました。ブリジッドはセシルよりもほんのちょっとお姉さんです。でも、アンリに嫌なことを言われると、すぐに怒ってしまうのでした。
「威張る魔法使いは、死んじゃうんだから!」
ブリジッドは、お母さんの言葉を思い出して言いました。
「威張ってないよ」
アンリには解らないのです。アンリは自然に魔法を上手に使えました。練習なんかしなくったって、です。ですから、普通の子供が出来ないことが本当に奇妙なことだと感じていたのでした。
やがてレマニたちは、森の奥にあるほら穴にたどり着きました。ほら穴の入り口は、木の根や大きな葉っぱのシダで隠されております。もしもアンリが雪を溶かしていなかったならば、誰もここに大きなほら穴があるだなんて気が付かなかったことでしょう。
「ここなら一晩どころか、冬の間過ごせるんじゃないか?」
ほら穴に入ると、アンリのお父さんが言いました。
「そうだな。アンリ、よく見つけたな」
赤毛のオーギュストが言いました。オーギュストは夏草色の眼をしておりました。
「へへっ、兄ちゃん、僕すごい?」
「ああ、すごい、すごい」
怒られてばかりのアンリは、褒められて心底嬉しそう。でも、お父さんとお母さんはまだ怒った顔をしておりました。
「アンリ、今回は偶然良い結果になったけどな?ひとりで知らない森の中に飛び込むなんて、とっても危ないことなんだぞ」
「そうだよ、アンリ。本当に心配したんだからね」
お母さんは細くてふわふわした金髪です。眼はオーギュストと同じ、夏草の色でした。兄弟は半分ずつ、お父さんとお母さんに似ているのでした。
「まあまあ、今日はもうご飯にして寝よう。吹雪の中で旅をして、みんな大変だっただろう?」
長老の言葉で、皆は素早く食事の支度を致しました。レマニたちは旅暮らしです。食事といっても、携帯用の干し肉を薬草や干し芋などと一緒にふやかして煮る程度です。
旅の途中の町や村で、チーズや果物が手に入ることもありました。隠れて暮らすレマニたちにとっては、村や町に入ることは滅多にない出来事でした。ですから、野山で出会った珍しく信頼できる人の故郷に招かれることは、特別に大切な思い出になりました。
今は、そんな貴重な食べ物はございません。いつもの干し肉や薬草です。セシルは楽しそうにお手伝いをしておりました。オーギュストはお鍋をかける火の準備をしております。ブリジッドも薬草を千切ってお手伝いです。
アンリはほら穴の外を見つめておりました。
「アンリ、手伝ってよ」
ブリジッドが不満を口にしました。
「僕は食べ物を獲ってくるよ」
ほら穴の外は吹雪です。鼻の先すら見えません。
「えっ?何を言ってるの?アンリ」
ブリジッドは苛立ちました。
「コオリオオカミがいなくなった。奴等を怖がってた雪鴨たちが餌を求めて近くに来ている」
「そう?」
ブリジッドは訝しそうに灰色の夜を見つめました。雪の空に未練がましく走っていたお日様は、今やすっかり地平線の向こうへと隠れてしまいました。
「もう夜になるよ?」
「大丈夫さ。僕には炎があるからね」
アンリはクルリと回って、ブリジッドに背中を見せました。大きな太陽が、小さな赤いローブの背中一面を飾っておりました。
「どうしても出かけるの?」
ブリジッドは眉を寄せました。
「出かけないよ。ここから火の矢を放つのさ!」
言うなりアンリは針のように細く尖らせた、いくつもの細い火の矢を放ちました。キーッと甲高い声が吹雪を切り裂き響きました。大人たちはギョッとして手を止めました。
「アンリ」
お父さんが飛んできました。
「勝手なことをするな」
アンリはまた怒って火の粉を散らしました。
「なんだよ、僕、ユキガモ仕留めたよ」
「誰が回収するんだ?」
「僕行く」
「ダメだ。危ない。悪い大人や強い魔物の群れが隠れているかもしれないだろう」
「そうよ、アンリ」
お父さんの小言に、ブリジッドも同意しました。
「アンリ、油断はやめるのよ!」
「そんなやつら、みんな燃やしてやる」
アンリは叫びました。お父さんの顔がますます怖くなりました。
「人間を燃やすのか?レマニを狙う者どもと同じじゃないか!」
「アンリ、そんなのレマニじゃないよ!」
ブリジッドは銀の巻毛を逆立てて喚きました。魔法の風がブリジッドの体の周りで渦を巻き始めました。
泣き怒りのブリジッドに対して、アンリは急に晴れやかな顔を見せました。
「ブリジッド!ねぇ、その風でユキガモを運んでよ」
「えっ?」
思いがけない提案に、ブリジッドはアンリの琥珀色に輝く瞳をまじまじとみつめたのでした。
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