10 吹雪の森でアンリが見たもの
アンリはブリジッドの名前を呼びながら、ずんずん歩いてゆきました。大きな枝を振り回す森の木々は巨人のよう。ドサリドサリと雪の塊が落ちて来ました。地面の雪を巻き上げて、そこかしこで雪の竜巻が起きていました。複雑に生え並ぶ木々にぶつかって、雪は顔にも吹きつけて参りました。
アンリは薄目になって腕を顔の前に掲げました。どうしてなのかはわかりませんが、アンリは炎の魔法を使いませんでした。なぜか思いつかなかったのです。いつもは、考えるより先に魔法を使っておりましたのに。
「ブリジッドー!どこだー!」
アンリは向かい風に抵抗しながら、ゆっくり足を進めました。深い雪に幼い少年は胸の辺りまで埋まってしまいました。それでもアンリはめげずに雪の中を漕いでゆくのでした。
灰色の嵐に捕まって、アンリはひとりぼっちでした。大人も子供も、森の動物たちですら、ぜんぜん見当たらないのでした。お空を見上げても、灰色の嵐が吹き荒れているだけでした。
アンリはどうしてここにいるのでしょう。それは、アンリ自身にもわかりませんでした。気がついたらいたのですもの。
(寒いなぁ)
アンリの金色に漂う繊細な髪の毛は、霜と雪とで覆われておりました。眉毛もまつ毛も凍っております。アンリは炎の魔法使いですのに、溶かすことができませんでした。なぜなら、アンリは魔法を使うことをすっかり忘れてしまっていたからです。
「うわわっ」
アンリは横様に倒れました。雪がザクザクっと音を立てて、アンリの形に穴が開きました。
「なんだ?」
アンリのすぐ横を、ものすごい勢いで何かが通り過ぎていったのです。それが通ったところは、しゅうしゅうと水煙が立ち昇っておりました。なんだか暑くも感じられました。
アンリは深く積もった雪の底で、ジタバタともがきました。周りは真っ白です。アンリの上に、雪が崩れてきそうでした。このままでは埋まっしまいます。アンリは必死で立ちあがろうといたしました。
アンリのそばには、なにかが通った後が細い溝のように続いておりました。溝をつけて過ぎ去ったものは、はるか先の方でまだ水蒸気をあげております。もくもくと白っぽい水煙が、灰色の森を動いてゆくのでした。
アンリはその溝を利用して、どうにかこうにか立ち上がりました。
「ふうーっ、なんだったんだろう」
熱を放ってビュンビュンと飛ぶように地面を走る生き物なんて、アンリには見当もつきませんでした。それはあたりを焚き火のように暖めました。けれども光りはしないのです。暖かくするのを通り越して、真冬の森を暑くしてしまうほどですのに。
考えても答えは見つかりません。アンリは気を取り直して再び雪を掻き分け始めました。
「おおっ?」
アンリが肩を大きく動かして進むと、にょろりとロープのようなものが飛び出したのです。雪を被って真っ白くなった荷造りロープのような太さでした。長さは大人の人差し指くらいでしょうか。
「うえぇ」
ロープのようなものは、雪の粉を散らしてくねくねとのたうちました。雨上がりの土手を這うミミズのような動きでした。アンリは思わずのけ反りました。アンリは一旦足を止め、鼻に皺を寄せて様子を伺っておりました。
しばらく見ていると、ロープが増えました。長さや太さはまちまちでした。大人の掌からはみ出すくらいに長いものもありました。とはいえ1番太いものでも、アンリの小指くらいでした。
「ぎええ」
アンリは思わず悲鳴を上げました。ロープはにょろにょろ、うにょうにょ、雪から這い出してまいります。雪で包まれておりますから、不潔な感じはしないのですが。動きがなんとも不快なのでした。
「えっ」
一本のロープが、別のロープにぶつかりました。すると、互いに相手を砕いてしまったのです。キラキラと銀色の粉を残して、雪のロープは風に流れて消えました。それを皮切りにして、ロープたちは次々とぶつかり合って消え始めました。
「雪まみれだったわけじゃないんだ」
アンリは驚いて、ロープたちをまじまじと観察いたしました。確かに生きているようです。けれども、あっという間に粉雪へと変わってしまうのです。声はたてず、這い回る音もせず、ロープたちはただうねうねとうごめきあっておりました。
「生きている雪なんて、初めてみた」
好奇心から観ているうちに、なんだか面白く思えて参りました。
「へへへ、面白いな」
ロープたちは、アンリに向かってくるわけでもなく、しばらくするとみんな吹雪に散らされてしまいました。
溝を作った生き物の熱も、だいぶ冷めました。
「そうだ、ブリジッドを探しに行かなくちゃ」
アンリは急に思い出しました。変わった生き物たちに夢中で、すっかり忘れておりました。
「だけど、いったいどっちに向かえばいいんだろうか」
どちらを向いても、灰色の森が続いております。ゆきの重さで曲がった枝が、あちらこちらに見えました。時折雪がどさりと落ちて、枝は勢いよく戻ります。そんな時、枝は風を切ってブンと大きな音を立てるのでした。
「ブリジッド、泣いてるかな」
ブリジッドは泣き虫でした。アンリの何気ない一言で、すぐに泣き出してしまうのです。アンリの頭に、ブリジッドのお母さんが見せた怖い眼がよぎりました。
「また、ブリジッドを虐めたって言われちゃう」
アンリは、なんとしてでもブリジッドを見つけ出したいという気持ちになりました。無事に連れて帰れたら、少しは見直してもらえるかもしれませんから。
「どんなに魔法が使えたって、良いことなんてひとつもないや」
アンリの顔が曇ります。雪を分けてゆく肩も、こころなしか弱々しく見えました。
森の梢を鳥が渡っております。鳥たちだけの言葉で囀り交わしながら、乾いた羽音をさせておりました。アンリがとぼとぼと雪の中を進んでおりますと、数羽の鳥が舞い降りました。
「なんてきれいな鳥だろう」
アンリの頭くらいはありそうな、とても大きなとりでした。七色の光を宿した、不思議な氷の鳥でした。どうやら魔物では無さそうです。鳥たちはアンリと友達になりたそうでした。
初めは、アンリの目の高さにある枝に止まりました。数羽が並んで羽をたたんでおりました。アンリは炎の魔法使いですから、氷や雪の生き物とはあまり親しくはありません。知らないことの方が多いのでした。
「君たちは氷の鳥なんだから、きっとブリジッドを知ってるに違いないね」
アンリは期待を込めて、氷の鳥に話しかけてみました。鳥たちは首を傾げて、互いに目配せをいたしました。それから一羽が飛び立つと、梢の方から一際美しく輝く仲間を連れて戻って参りました。
「シャリシャリシャリ」
鳥は、氷を削るような音を出しました。どうやらこれが、彼らの囀り声のようです。
「何か伝えたいんだね?ねえ、ブリジッドを見なかった?」
「シャリシャリシャリ」
美しい氷の鳥は、一生懸命に何かを伝えてくれるのでした。残念ながら、アンリにはさっぱり分からなかったのですが。
「ありがとう、さよなら、鳥さん」
アンリはとうとう諦めました。ひとつ小さなため息をついて、鳥たちに手を振りました。それからまた、胸まで積もった森の雪をおしのけ始めるのでした。
美しい鳥たちと別れて間もなく、アンリは小川に出くわしました。水は流れておりません。すっかり凍った川面では、奇妙なお魚が滑っておりました。鱗の間で銀色の炎を燃やしながら、お魚は口をパクパクしております。
鱗の隙間からチョロチョロと漏れ出す炎の舌は、氷を溶かしているようでした。溶けた氷は瞬きをする間に、また凍りついてしまうのでした。
「お魚、言葉は分かるかい」
アンリは、銀色の炎を出すお魚に話しかけてみました。お魚は、億劫そうに体を曲げて、アンリの方へと近寄って参りました。
「あっ、ありがとう」
アンリは喜んでにっこりといたしました。
お魚は凍りついた川の上を滑って、アンリの足元までやって参りました。
「ねえ、お魚、ブリジッドは通らなかった?」
お魚はギョロ目でアンリを見上げます。それから尾鰭をビチビチ動かしました。凍った川に積もっている雪が跳ね上がります。跳ねた雪はお魚の炎で解けました。溶けた雪は細い針のような水に変わって、川を離れた場所に降り注ぎました。まるで、そこだけ雨が降っているようにみえるのでした。
「あそこに行ってみろ、ってこと?行ってみるね、お魚、またね」
アンリは張り切って出発しました。お魚に見送られながら、川岸の雪を踏んでその場所へと急ぎました。
「何かが光ってる」
お魚に教わった場所では、細長い葉っぱが生い茂っておりました。草は透明なエメラルドグリーンです。灰色に染まる雪夜の中で、草は華やかに光っておりました。
「ずいぶん明るいな」
アンリは葉っぱを一枚折り取りました。一枚あれば充分です。
「これで周りがよく見えるぞ」
アンリは葉っぱをしっかり握ると、顔の横に掲げて森を照らしてみました。
「おや、今度は狐だな?」
エメラルドグリーンの灯りに、銀色の毛皮が浮かび上がったのです。老木の陰からのぞいております。狐は雪の嵐をものともせずに、細い四肢を踏ん張っておりました。
「ねえ狐、ブリジッドを知らない?」
アンリは狐に聞きました。すると狐は、尖った鼻を得意そうに上げたのです。
「知ってるの?」
アンリの瞳が琥珀色に輝きました。狐は、ついてこいと言うようにくるりと背中を向けました。
「そっちにいるんだね?」
アンリが急いで追いかけると、狐はふわりと浮き上がりました。空中を走り出した狐は、半分姿が消えております。腰から先は風になってしまったのです。
「ひゃー、君は風の狐なのか」
風の狐は、チラリと振り向くと満足そうにニヤリといたしました。風の狐は、かつて通り過ぎた町の伝説に出てくる生き物でした。風の強い晩に森で迷子になった時、助けてくれる存在なのだと言われております。
先を走る風の狐を見失わないように、アンリは一生懸命に全身を動かしました。川はもう見えません。森は坂道に差し掛かりました。登ってゆくと、低くまろやかな歌声が響いてまいりました。
歌声に惹かれてゆくと、ゴツゴツとした大きな岩が見えてきました。雪化粧をした大岩は、こんな歌を歌っておりました。
花嫁が来た
花嫁が来た
吹雪の晩に花嫁が来た
花嫁が来た
花嫁が来た
氷の牙の城に来た
花嫁が来た
花嫁が来た
コオリオオカミの主の元に
アンリは青ざめました。まだこの歌がブリジッドのことだとは決まっておりません。それでも、魔物にさらわれたと考えてもおかしくはないないようだったのですから。
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続きます




