お勉強会
(…………)
フィーナはアルフレッドの部屋に来ていた。目の前には並んで椅子に座るアルフレッドとクロエの二人。
テーブルの上にはアルフレッド用のものと予備の蝋板・鉄筆計二組。
ちょっとだけ不機嫌そうなアルフレッドとは対象的にクロエは目を輝かせている。
フィーナに勉強を教えて貰いたいと母親に聞いたクロエだったが、返答は二つ返事でOKだった。
もしかしたら、クロエをあの場にあまり置いておきたく無かっただけかもしれないが。
もしよろしければ、お屋敷内を色々見せてもらいなさいとまで言ってきたくらいである。
娘をよろしくお願い致しますと笑顔で言われるとまでは思っていなかった。
その後すぐに客間を後にする事になったのだが……ジェシカ奥が苦虫を噛み潰した様な渋い顔をしていたがなんとも言えないものがあった。
彼女の顔面のシワが五割増し位になっていたほどである。
そもそもが他所の貴族の御息女を預かるなど責任重大である。
とりあえずはクロエに満足して貰える様な授業にしなければならない。
二人で勉学に取り組むと言うのはアルフレッドにとってもいい経験になるだろう。
「それでは始めましょう。お二人には自分のお名前を蝋板に書き出して頂きます」
最初の課題は文字で自分の名前を書き出して貰う事にした。クロエも貴族家の御息女であるのだから読み書きは出来るのだろうが……
「これは速さを競う物ではありません。他の方から見ての読みやすさが大事です。きれいな字を書く事を心掛けて下さいね。では始めて下さい」
フィーナの合図と共に二人は各々のフルネームを一斉に蝋板に書き始めた。
アルフレッドに関してはいつもの授業で見ているので問題無いだろうが、一方のクロエはと言うと、流れる様な筆使いであっと言う間に書き出してしまった様だ。
「出来ましたわ!」
クロエは嬉しそうに書き出した蝋板をフィーナに誇示するかの様に見せ付けてきた。
やや遅れながらアルフレッドも書き終えた様で自分の蝋板をフィーナに見せてきた。
二人の文字の違いは一目瞭然だった。アルフレッドの書いた文字は英文字で言うところのブロック体、かたやクロエの方は筆記体である。
しかも、南の王国文字と東の帝国文字の合わせて三種類で書かれていた。
完全に勝ち誇った顔のクロエは悔しそうな顔をしているアルフレッドに対し完全にドヤ顔である。
「クロエ様もアルフレッド坊ちゃまも大変よくお出来になられました。クロエ様は外国の文字もお書けになられるのですね。驚きました」
クロエの三ヶ国語による名前の書き出しにフィーナが素直に感嘆の声を上げるとクロエもやはり嬉しそうな顔をしていた。
一方のアルフレッドは何だか面白くなさそうな顔をしている。時間もそれほど無いだろうと次の授業に移るフィーナ。
「次は計算問題です。とある冒険者さんがギルドで穴あき銀貨五枚を受け取りました。彼は市場で一本銅貨一枚の肉の串焼きを五本と一本銅貨ニ枚の魚貝類の串焼き五本買いました。さて、おつりはどうなりますか?」
足し算でも引き算でも掛け算でも解答を出せる小学校低学年相当に対する程度の問題である。
二人は蝋板に問題の数字を書き出し一生懸命解いていく。
「出来ました。銀貨三枚と銅貨五枚です」
いち早く問題を解き終えたアルフレッド。彼が隣のクロエの様子を伺っていると
「フィーナ様、もんだいの問いはおつりですよね? それなら答えは銅貨五枚です」
と、アルフレッドとは違う答えをやはりドヤ顔で答えるクロエ。
(あ……)
二人の答えが別れてしまった事にフィーナは自分の迂闊さを後悔した。
普通の計算問題として考えるなら手持ちの銀貨五枚から使用分の銅貨換算十五枚分を引いたのが答えとなるのでアルフレッドの答えで正解と言える。
しかし現実的に考えれば物品の購入に一々全財産を差し出す者などまず居ない。
おつりであればクロエの解答が現実に即している。
この場合は買い物を終えた後の冒険者の手持ちを問うべきだったとフィーナが気付いた時は遅かった。
アルフレッドもクロエも自分の答えが正しいと疑う事の無い眼差しでフィーナの解答を待っている。
「はい。お二人共正解です。問題の内容から現実的な行動までを推察なさったクロエ様、よく出来ました」
まずはお釣りとして受け取るお釣りを答えたクロエに正解を告げる。
「アルフレッド坊ちゃまは……計算を素直に解かれましたね。こちらも良く出来ました」
どちらも正解なのでフィーナにはこんな答え方しか出来なかった。
一方、フィーナの対応にはクロエのみならずアルフレッドも不満げだった。やや気まずい空気が室内に流れる……。
「そ、それではここで小休止としましょうか。何かお飲み物とお菓子をお持ちしますので、少々お待ち下さい」
ちょっと気まずい空気に耐えられなかったフィーナはその場からの逃亡を選択した。
時計も三時を示していた為、小休止を取るには問題の無いタイミングなのだが……。
キッチンに戻りお菓子を取ってくる間に事態が収束していればいいのだが……。
(歴史改変したい……)
フィーナは自身の対応の不備を呪いながら足取り重く、キッチンとアルフレッドの部屋との往復を終えた。
「お待たせ致しました。こちらオレンジジュースとお菓子になります」
フィーナが二人のテーブルにお菓子を載せていこうとした時
「フィーナ様、さきほどのもんだいですが、アルフレッド様とこたえがちがうのに二人ともせいかいとはちがうとおもいます」
クロエからクレームが来てしまった。少し時間を置いた程度では水に流される事はなかった様だ。
「先程の問題はどちらとも受け取れる紛らわしいものでした。それは私の落ち度です、申し訳ありません」
自分の正しさに自信を持っていて正解を答えたクロエに否は無い。
かと言って現実的では無いとは言え計算自体は間違っていないアルフレッドの答えを否定する理由も無い。
「フィーナさんが謝ることじゃないです! きちんと問題を聞かなかった僕が悪いんです!」
フィーナが自身を庇っていると受け取ってしまったのか、アルフレッドが大きな声でクロエに対し深々と頭を下げた。
フィーナとアルフレッドの二人に謝られてしまった為、自身の優秀さをアピールしたかったのであろうクロエはいたたまれなくなってしまった様で
「す、少しこまかい事をしてきしすぎてしまいましたわ。しようまっせちゅ……」
ーガッー
「あいたっ!」
クロエは途中まで言いかけたところで噛んでしまった様だ。相当痛かったのか涙目になりながら一生懸命口を抑えている。
肝心なところで噛んでしまった事で恥ずかしさも倍増だろう。
「クロエ様! 大丈夫ですか!」
フィーナは慌ててクロエの状態を確認する。涙目のクロエに口を開けてもらうと特に外傷は無いのが確認出来た。
神力を使う程でも無いのだろうが、念の為ヒールを掛けておく事をにした。
ーパアアァァァー
ヒールで舌の痛みが引いていくのが分かったのだろう。クロエはフィーナの指先がほんの僅かに光っているのをまじまじと見ている。
「クロエ様、痛みは無くなりましたか?」
フィーナは穏やかに微笑みながらクロエに問い掛けた。コクコクと頷く様を見てフィーナもこれで一安心である。
「 それでは、お飲み物とお菓子をお召し上がり下さい。お代わりもありますので御遠慮無く仰って下さい」
テーブルの上を片付けおやつを並べ終えたフィーナは定位置とも言える運版用のワゴンの側に付いた。
「アルフレッド様? フィーナ様ってこのおやしき長いのかしら?」
ジュースを一口飲んだところでクロエがアルフレッドに尋ねてきた。
突然の質問にアルフレッドは口にしていたクッキーを一気に飲み込むと
「はい。僕のちいさいころから家ではたかれてます。なんでもできるすごい人なんです」
と、アルフレッドは聞かれた事以上に答えてしまった。その顔はちょっとだけ誇らしげにも見える。
(アルフレッド坊ちゃま……)
彼に真っ直ぐに褒められてしまい照れ臭くなったフィーナは出来る限り二人の会話を聞かない様に気を散らす事にした。
「うらやましいですわ。あんなやさしいメイドさんについていただいているなんて……」
そんな事を寂しそうに呟くクロエに対しアルフレッドはフィーナの事を褒められたのが嬉しかったらしく、顔を赤くして黙ってしまった。
気を紛らわす為か比較的早いペースでクッキーを食べている。
「お母さまにおねだりしてみようかしら……?」
クロエはアルフレッドに聞こえる程度の声で一人呟いた。
アルフレッドはクロエの真意には気付いていないらしい。一枚一枚クッキーを食べ続けている。
「ねぇ、アルフレッド様? フィーナ様をうちにいただけないかしら?」
クロエがジュースを飲みながら上目遣いでアルフレッドの反応を伺うと、彼は少しポカーンとした後
「だ、だめだよ! フィーナさんはぼくのだ!」
アルフレッドは彼らしからぬ、部屋の外まで響くくらい結構大きな声で叫んでしまった。
当然話を聞かない様にしていたフィーナの耳にも、話の前後が不明瞭なままで届いてしまっていた。
(え? ……え?)
第一声を聞いて状況が理解できず、頭の中で反芻してもさっぱりなフィーナである。
(ここは聞いてないフリ、聞いてないフリ……)
彼女はやや現実逃避気味に沈黙を貫くべしと、我関せずに徹する事にする。
ここで下手に動けば、話がややこしい方向へ進んでしまう可能性が高いというのは自明の理である。
第一、冷静さを欠いた今の自分が動くのは、自分としてもいろんな意味でリスクが高い……と、顔を赤くしながらフィーナが考えていると
「フフッ、言ってみただけですわ」
と、クスッと笑いアルフレッドを窘めようとクロエはさらに言葉を続ける。
「アルフレッド様のだいじなだいじなメイドさんですものね。おふたりを引きさいては恨まれてしまいますもの」
肩をすくめながらクロエが言う。言葉を終えたところでジュースを飲みクッキーを一つ手に取る。
何かを言おうとするアルフレッドの口にクロエはクッキーを放り込んだ。そして
「フィーナ様ぁ! ちょっとよろしいですか?」
と、ひたすら無心を貫いている真っ最中のフィーナに声を掛けた。
クロエの声にフィーナは突然話しかけられたためかビクッと変な反応を見せ
「は、はい? ななななんですか?」
どもりながら慌てて駆け寄ってくる有り様だった。その様子が可笑しかったらしいクロエはクスリと笑うと近付いてきたフィーナに
「フィーナ様? 私にフィーナ様とおなじかみがたにしていただけませんかしら?」
と、そんなお願いをしてきた。
「わ、私と同じ……ですか?
クロエ様の髪はお綺麗なのですから、そのままでも……」
と、言いかけたフィーナだったがクロエはフィーナの手を取り真剣な表情で
「おねがいいたします! クロエのいっしょうのおねがいです!」
と、懇願されてしまってはさすがに断れない。フィーナはクロエの髪型を整えるための準備を始めるのだった。
程なくしてクロエの髪型変更の儀が執り行われる運びとなった。クロエを椅子に座らせ彼女の後ろに回りフィーナが丁寧にブラッシングを続けていく。
そして、その光景をただ見ているだけのアルフレッド。
「はい、クロエ様。少し顔を上にお上げしますね。こうすると後ろ髪が奇麗に纏められますので……」
手際よくクロエの髪をポニテへと変えていく。フィーナはフィーナでクロエの艷やかな髪に驚きながらブラッシングを続けている。
クロエの髪はクシが引っ掛かる事無くスムーズにとかす事が出来ている。
「フィーナ様はわたしの髪は……不気味にはおもわれないのですか?」
クロエの言う事の意味は理解出来るが、この世界の迷信の類については現地人では無いフィーナにはそういった偏見は全く無い。
「そうですね。私はそういった考え方に疎いものでして……率直な感情を申し上げさせて頂くのでしたら、艷やかでお綺麗な髪かと……」
フィーナはクロエの質問に答えると
「……クロエ様、リボンのお色は如何なさいますか?」
髪留め用のゴムで一旦仮止めした状態でフィーナがクロエに尋ねる。髪留め用のゴムなどこの世界においてはオーバーテクノロジーに類するものなのだがこの程度で歴史に悪影響は及ぼさないだろう……と、あえて考えないものとした。
フィーナがクロエの返答を待っていると……
「その……フィーナ様とおなじものを……」
さっきまでのハッキリとした物言いは消え、クロエはとたんにもじもじし出してしまった。
フィーナ自身、ファッションに自信がある訳では無いしこの世界の流行りなど調べていないので何とも言えないのだが……
黄色いドレスに髪が紺色、リボンの色が深緑……は何となく合わないのではと思ってしまう。
とは言っても結局は全体のバランス次第の話になってしまうのだが……
「今回は私より明るめの薄緑色にしましょう」
やや独断で薄緑色のリボンをクロエの髪に結び付けた。そしてちょっとガッカリした様子のクロエの目の前のテーブルにフィーナと同じ色のリボンを置いた。
「クロエ様、服装のお色に合わせてこちらもお使い下さい。
それと、こちらを……」
クロエに手鏡を渡し、フィーナ自身はクロエの後ろで大きな鏡を手に待機する。
「わぁ……! フィーナ様、ありがとうございます!」
大きく変わった自身の見た目はクロエにとって満足のいくものだった様だ。
ずっと二人のやり取りを見ていたアルフレッドもクロエの変わり様に驚いている。
「アルフレッド坊ちゃま? クロエ様、いかがでしょう?」
フィーナがアルフレッドに尋ねると、彼は顔を赤くしたまま
「か、可愛い……です」
と、忌憚の無い素直な感想を口にした。アルフレッドにも褒められクロエはかなり御満悦の様だ。
手鏡の位置を変え、色々な角度から自身の変わり様を確認している。
ーコンコンー
「失礼致します。クロエお嬢様、お帰りのお時間です」
ドアのノックと共に声を掛けてきたのはアニタだ。彼女は部屋に入ってくると、クロエに急ぎ帰り支度をする様促す。
気が付けばすでに日が傾き始めている。馬車でどこまで行くのかは分からないが夜間の移動には常に危険が付き纏う。
前方をしっかり照らす事の出来るライトなど存在しない世界だ。ましてや人の道理など通じない魔物の闊歩する世界だ。
ちなちに盗賊や山賊の類は貴族の妻や子供には手を出さないのがこの世界の不文律となっている。
過去に山賊の被害に遭った名のある貴族が執った行動は、下手人の山賊達は言うに及ばず一族郎党親類縁者に至るまで、一人残らず見せしめ的に処刑したからだ。
その件が抑止力となり現在まで機能している。貴族に手を出すくらいなら商人の馬車を狙った方がよほど金になる……と。
まぁ、商人の馬車隊には大抵冒険者が護衛に付くので襲撃のリスクが高いのは言うまでもないのだが。
クロエを玄関まで案内すると、すでにマックスウェル婦人が馬車と共に待機していた。
お出迎えの時同様に屋敷のメイド達が左右に並びお見送りの準備は万全だ。
列に並ぶ前にフィーナがクロエに声を書ける。
「クロエ様、結んだ髪がクセにならない様にお気を付け下さいね。」
綺麗なサラサラの髪に変なクセが付いてしまっては申し訳無い。
分かっているとは思うが一応念の為。
すっかり様変わりした娘の印象にマックスウェル婦人も嬉しく思っている様だ。
髪型云々より、娘が喜んでいるのが一番嬉しいらしい。軽く会釈するとクロエと共に馬車に乗り込んでいく。
馬車に乗ったクロエはフィーナ達に向けて手を振りながら去っていく。
釣られてフィーナも去っていくクロエの馬車に小さく手を振っていた。
いつの間にかフィーナの側で見送りの列に混じっていたアルフレッドも手を降っている。
「お友達が出来て良かったですね、アルフレッド坊ちゃま」
フィーナが声を掛けると静かに頷くアルフレッド。次に二人がいつ会えるかは分からないが、いつかきっと会えるだろうとは思う。
見送りが終わり屋敷に入ろうとフィーナがアルフレッドを連れ歩き出したところ
「フィーナさん、ちょっと」
アニタに話しかけられ嫌な予感がするフィーナ。アニタが用件を先に言わない場合は大体がお小言な為、無駄とは分かっているものの
「な……なんですか?」
彼女は恐る恐るアニタに尋ねるが……アニタは無言でこっち来いをするのみだった。




