エルフの王女
フィーナがエルフの城の屋根に転移して屋根を下り始めてから結構な時間が経過していた。
彼女の屋根を下りる速度は本当に亀の歩みといった具合でゆっくりとしたものだった。
だが、彼女が慎重になるのも無理は無い話で、一度滑落してしまえば引っ掛かる場所などどこにも無く間違いなく地上に真っ逆さまである。
それも地上に降りられるのならまだ良い方で、フィーナの視界には下層にある尖った屋根が剣山の様に突き出しているのがよく見えていた。
一度足を滑らせて落下してしまったら地面とキスであれば良い結果と言える方だろう。
確率で言えば下層の屋根に串刺しになる可能性の方がはるかに濃厚なのだから。
(神様……)
女神でも神に祈りたくなる状況であり、フィーナはひたすら滑落しない事だけを考えていた。
もっとも、エルフ達の城の屋根が簡単な円錐形だったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
ロシアの赤の広場にある聖ワシリー大聖堂やインドのタージ・マハルに見られる様な玉ねぎ形な半球形の屋根だったらフィーナは確実に詰んでいた。
時間を掛けて慎重に降りてきた甲斐もあって、フィーナはようやく下のバルコニーが視認できる位置まで下りる事が出来た。
これで正確に転移先の位置座標を知る事が出来たので、無理をしてスタントマンの真似事を続ける必要は無くなった。
フィーナはすぐさま転移のために屋根から左手を放して自分の方に向ける。その時
ーズルッ!ー
「ひゃっ!」
フィーナが左手を自身に向けた瞬間、身体を支えていた足に変な力を加えてしまったせいで足を滑らせてしまい滑落を始めてしまった。
「あわわっ!」
ーガシッ!ー
屋根から滑り落ちる寸前、フィーナは咄嗟に左手で屋根の縁の突起を掴む事が出来て事なきを得たのだった。
「あ……!」
屋根の縁にぶら下がる格好となってしまったフィーナは、バルコニーから外を眺めていたエルフの王女ディアナと対面する形になってしまった。
「あの……どちら様でしょうか?」
ディアナが恐る恐るといった感じでフィーナに話し掛けてきた。
「あ……、わ、私は怪しい者ではありません。冒険者をやっているフィーナと申します」
屋根の縁にぶら下がりながらフィーナはディアナの問いに答える。どう見ても不審者だが今の彼女には余裕が無い。
「あ、あの……そちらのバルコニーに降りさせて頂いてもよろしいですか?」
レザー製のグローブを付けて屋根の縁を掴んでいるのにも限界が来ていたフィーナはディアナに懇願に近い口調でバルコニーへの着陸許可を願い出た。
そんな彼女の必死さが伝わったのかディアナはコクコクと頷くと後ろに下がりフィーナが着地しても大丈夫なスペースを空けてくれた。
ースタッ!ー
「ふぅ……」
フィーナは無事にバルコニーに降り立つ事が出来、初めて平らな地面に感謝した。
「あの……、フィーナさん? でしたわね? 私はこれからどうすべきなのでしょうか? 誰か人をお呼びすれば良いのでしょうか?」
王女であるディアナは屋根の上からやってきた不法侵入者にイタズラっぽく笑ってみせた。
「ここでは何ですから、中でお話しましょう。どうぞ、こちらへ」
彼女はフィーナを手招きすると自室の中に案内してくれた。
「は、はい……」
フィーナは彼女に案内されるまま部屋の中に入っていくのだった。
「すみません。夜分遅くにお邪魔しまして……」
部屋に通されたフィーナは突然の訪問を陳謝した。まさか、こんな形で訪問する事になるとは考えてもいなかった。
屋根から建物に侵入しようとするなど完全に泥棒のソレである。そんなフィーナに対しディアナは
「こちらをどうぞ。それでフィーナさんは、どの様な理由でこちらに?」
暖かいお茶の様な何かを勧めつつ単刀直入な質問をしてきた。ディアナはフィーナと同じ金髪碧眼、薄緑色の丈の長いドレスを着ており装飾品の類は一切身に付けていなかった。
就寝前だったのだろうから当たり前と言えば当たり前なのだが……明るい場所で見るその顔はフィーナに本当にそっくりである。
ダークエルフ達が見間違えるのも無理は無い。相違点は服と髪型くらいのもので完全に瓜二つと言って良い。
フィーナは違う異世界で自身と似ているエルフィーネと会った事もあり、衣装を同じにした事で間違われた事もあった。
しかし、それでも萩原と荻原くらいの違いはあり、分かる人が見れば簡単に見破れたものだった。
しかし、ディアナとの相違点は何処にも見られなかった。顔付きやその表情から全てが同じに見えて性格や仕草といった細かい部分までは不明だが、少なくとも見た目だけで判別するのは不可能に近かった。
「そ、それではこちらも単刀直入に申し上げます。どうか、小田信永の戦争に加担するのを止めて下さい」
フィーナも言葉通りかなり直接的に自分の要望をディアナに伝えた。
ディアナはそんなフィーナの言葉に驚いた表情を見せながら
「どうしてでしょう? 彼は私に外の世界を見せてくれると約束して下さいました。それにエルフ達が安心して暮らせる世界を築いて頂けるとも」
小田の言葉を信じ切っているその様子をディアナはフィーナに見せた。
天界での情報通り、彼女は小田の甘い言葉にゴロッと騙されている様だ。
「確かに外の世界はエルフにとっては厳しい世界です。私も……誘拐された経験がありますから」
洗脳された人間に対し、頭ごなしな否定は悪手である。フィーナは基本に立ち返りながら自身の経験を織り交ぜつつディアナの説得を試みる。
「ですが、そんな私を助けてくれたのも人間の皆さんなんです。人間をエルフにとって害悪であると一緒くたに考えるのは早すぎます」
ディアナはフィーナの言葉に黙って耳を傾けている。
「それに……、これから戦おうとしておられるガイゼル王国にも平和に暮らしている方々は居るんです。どうか考え直して下さい!」
フィーナはステファニーやカレン、ゲイル達の平穏を守りたいが為に熱が入ってしまった。
戦争を回避出来るか否かの瀬戸際なのだから無理もない話であった。それに対しディアナは
「ですが、小田様も戦争を避けるために全力を尽くすと言っておられました。こちらの要望を伝えつつ、妥協点を探るって……」
彼女自身も決して戦争は望んでいないという様子であった。
もしかしたら小田はガイゼル王国との交渉の内容をディアナには、いやグリンウッド国に伏せているのかもしれない。
ディアナが戦争を望んでいないのであれば希望はある。フィーナが戦争回避の確信を得たその時だった。
ーコンコンー
突然ディアナの部屋の扉をノックする者が現れたのだった。




