流れる様な日々
フィーナが異世界に残る事を決めて以降、いつもの日常が絶え間なく過ぎていった。
季節の移り変わりこそあれど平和な毎日がただただ繰り返される日々。
気付けばフィーナがこの世界に降りて六年、自分の意志で出張を伸ばしてから五年余りが経過していた。
ーカーン! カーン!ー
「アルフレッド坊ちゃま、腕だけではなくもっと腰をお使い下さい」
オーウェン家の屋敷の洗濯場に木と木がぶつかり合う乾いた音が響き渡る。
何匹かの猫達が思い思いに寛ぐ中、フィーナとアルフレッドの二人が剣術の稽古に勤しんでいた。
フィーナは以前、自分自身で剣術の技能を自らに付与しているため、真の達人には及ばないまでもかなり腕が立つと言われるくらいの技量はある。
一方のアルフレッドは稽古を始めて一年が経過したといった程度のものであり、二人の技量の間には雲泥の差があった。
「はぁ……はぁ……」
息を切らせながら木剣を振るアルフレッドの剣技に一生懸命さは伝わるがまだまだ成長途中の段階だ。
「今日はここまでにしましょう」
あまり無理をさせるものでもない為、フィーナが稽古の中止を告げるがアルフレッドは不服そうだ。
十歳間近になり幼かったアルフレッドも確かに成長した。
そういえばこの五年の間に彼にも第一次反抗期は到来してしまった事があった。
本来は三歳位で迎えるはずなのだがどういう訳か遅れていたらしく、世話係のフィーナが対応する事となってしまった。
経験の無い子供の反抗期にはほとほと困り果ててしまった時期もあった。
そんな時、メイド長のアニタや猫族のミレットに相談に乗ってもらえたのはありがたかった。
そういった些細な日常的な問題は絶えなかったが、件の高熱や黑ローブの男の来襲の様な日常を脅かす様な大きなトラブルに見舞われる様な事は全く無いまま日常が過ぎていった。
フィーナは時たま買い物がてら冒険者ギルドに顔を出したりもするのだが、そちらも日常通り何の異常も無かった。
冒険者ギルドではエルフィーネに絡まれるのが悩みでもあったが、ある時を境に彼女はバタリと姿を見せなくなった。
受付嬢に話を聞いたところ、エルフィーネはどこか遠くへと旅立っていったらしい。
別れの言葉などは特に無かったのが彼女らしいと言えば彼女らしかったのかもしれない。
(…………)
フィーナが過ぎ去っていった日々に思いを馳せていると
ーガチャー
「フィーナさん。間もなくマックスウェル家の方々がいらっしゃるから貴女も支度を手伝いなさい」
屋敷の扉が開き、アニタが声を掛けてきた。
どうやら、今日はジェシカ奥が他所の貴族の奥様を招いてお茶会をする様だ。
以前はフィーナが貴族のお客様の相手をする事などなかったのだが、使用人の数がジリジリと減っているオーウェン家にはメイドを遊ばせておける様な人的余裕はすっかり無くなってしまっていた。
夜勤専属だったはずのミレットが日勤に駆り出される様な有り様である。
「それではアルフレッド坊ちゃま、続きは明日にしましょう。御身体を冷やさない様になさってくださいね」
と、フィーナは乾いたばかりの洗濯物の中から一枚の布を差し出す。
「ありがとうございます」
お礼を言い素直に布で汗を拭うアルフレッド。初めて会った時と比べると感情豊かな礼儀正しい子に育ってくれた様に思う。
フィーナは洗濯物を急いで取り込むと、キッチンへと向かうのだった。
客間にお菓子等を用意し、王都から戻ってくるジェシカ奥と長男のアルス、そしてマックスウェル家からの客人も出迎える為、他のメイド達と共にフィーナも玄関の道の横に並ぶ。
程なくして二台の馬車が玄関前に到着した。
「「おかえりなさいませ!」」
玄関前に並ぶ総勢十二名のメイド達が一斉に頭を下げこの館の主を出迎えた。
馬車から降り立ったのはこのオーウェン家の婦人であり、老化と若作りにますます磨きが掛かっているジェシカ。
続いて、やや小太りな十代中頃の長男アルス。前髪パッツンな髪型なのはこの国の貴族の流行りなのだろうか。
初めて見る長男アルスのふくよかな姿に、少し運動が必要かも……とフィーナが取り留めも無い事を考えていると、長男のアルスは物珍しそうにフィーナを見てきた。そして
「母さま。これ何?」
と、フィーナを指差しながら隣を歩くジェシカに聞いている。
「あれは弟専属の珍獣よ。見てはいけません。下賤な匂いが移ってしまいますから」
と、ジェシカは扇子で口元を隠しながらホホホ…と、腹の立つ声でひとしきり笑うのだった。
しかし、侮蔑の表情のジェシカと違いアルスの目はご馳走を目の前にした獣の様な…まるで獲物を見る様な視線だった。
年頃の少年ならそれは無理も無い。なぜなら目の前に居るのは綺麗な金髪の可愛いエルフであり、その服装はと言えば……
それはメイド服と言うにはあまりに先鋭的過ぎた。
華やかでフリフリであざとかった。
それは正に間違ったメイド服だった。
何しろ白いカチューシャとエプロンこそ普通だが、短めのスカートは薄緑、白い長袖のブラウスに深緑色のタイ、スカートと同色のコルセット、スカートの裾から覗く絶対領域、白いガーターベルトから続く長い白ストッキング……と、初めて見る者にとっては明らかに異質な存在だろう。
しかし、フィーナ自身も周りの者達もあまりにその姿に慣れすぎてしまっており、悪い意味でその違和感に鈍感になってしまっていたのだ。
食い入る様な目でフィーナを眺めながら通り過ぎていくアルス達に続いて、客人であるマックスウェル家の御婦人とそのご息女と見られる少女が馬車から降り屋敷へと向かって来た。
他のメイド達が御辞儀をするので同じ様にフィーナも頭を下げる。
(……ん?)
頭を下げているフィーナだが、何か違和感に気付いた。
本来ならすでに通り過ぎているはずのお客様二人の気配が自分の前で明らかに止まっていた。
また好奇の視線を向けられているのかとフィーナが恐る恐る顔を上げると
「きれいな髪……おにんぎょうさんみたい……」
こちらを見上げる少女は目を丸くしてこちらをジッと見つめている。藍色の長い髪が特徴的な可愛らしい少女だ。
年相応の黄色いドレスを着た少女の顔は羨望と言うか憧れの表情といった顔をしている。
さっきのアルスの様な視線も苦手だが、目の前の少女の眼差しもなんだか落ち着かない。
褒められ慣れていないせいか、どうにもこそばゆい感情が否めないのだ。
「お嬢様もお綺麗ですよ。艶やかでとても上品な御髪でいらっしゃいますね。えー……」
ここまで言って目の前の少女の名前を知らない事にフィーナは今更ながら気付く。
二の句が継げないでいる彼女の様子に察したのか
「クロエ・マックスウェルともうします。本日はおちゃかい、まんきつさせていただきます」
と、片足を引きスカートを両手でつまみ深々と頭を下げて挨拶をしてきた。
流れる様な見事な少女の所作にしばし見惚れた後、慌てて我に返るフィーナだったが貴族の作法など知識はあっても実践した事などない。
とにかく同じ様にスカートをつまんで御辞儀をしようとしたものの自身のスカートが短いのを失念していたらしく、その動作はただ単にスカートをたくし上げただけに過ぎなかった。
しかも急いで膝を降り重心を下げたため風圧でスカートがめくれ上がり……
(……っ!)
事態に気付いたフィーナは顔を真っ赤にしてスカートを抑えたものの時すでに遅く……全てが終わった後だった。
マックスウェル婦人は空気を読んで目を逸らしてくれたみたいだが、おそらくクロエには丸見えだっただろう。
一連の動作を見ていたアニタが大きな溜め息と共に頭を抱えてしまっていたのは言うまでもなく……。
お茶会が終わった後洗濯場へ呼び出されたフィーナに対し、アニタのお小言が延々と続いたのは言うまでも無い。




