本屋での散策
フィーナが夜勤帯から日勤帯に移って数ヶ月が経過していた。
最初の内は疲れる事が多かった作業でも慣れてくるもので、大量の洗濯も苦もなくこなせる様になっていた。
屋敷の仕事に慣れてきたのも良い事だが、フィーナの本来の目的であるアルフレッドに関する事でも良い傾向が見えてきた。
最近はアルフレッドが自分に慣れてきているのを感じられていた。
最初の頃はどこか余所余所しかったが、近頃はよく笑顔を見せてくれる様になったし、ベルでの呼び出し回数も増えてきている
このままの調子なら一年と少し後に彼が前世の記憶を取り戻す日を迎えたとしても、難なく対応出来るだろう。
それにしても、この屋敷に来て半年以上経つが長男のアルスは全く見かけた事が無い。
彼の世話係ではないのだから接点が無いのは当然とも言えるが、それにしても姿が見えなさ過ぎる。
話で聞く限りはジェシカ奥が過保護過ぎるせいで軟禁に近い状態なのだそうだが……
以前に冒険者ギルドに出した家庭教師募集の依頼も全く音沙汰無い。
冒険者ギルドに大卒の人間を求めるのが無理な気がするが、いつまでも成果無しで割りを食うのもフィーナである。
今日も冒険者ギルドに催促をし街まで出ている訳だが……人員を獲得するには募集条件を緩くするか高待遇で釣るかしかないだろう。
だが、アニタによるとジェシカ奥はこれ以上条件は変えたくないらしい。
こうして、希望者が居ないかとギルドに確認に出向くのは完全に無駄足な上に、ギルドの受付嬢を困らせるだけの徒労でしかない。
率直に申し上げて、これ以上は勘弁してもらいたいものである。
ただでさえ、フィーナのメイド服姿は街中では人目を引いてしまっている。
それも場違いな冒険者ギルドの中であっては好奇の目を向けられてしまうのも当然と言える。
実際、これまでにも何度もからかわれた事があった。
馴染みの者なら流石に慣れたものだが、人の出入りの激しい冒険者ギルドでは全員が慣れるという事には決してならず、フィーナにとっては毎回羞恥プレイをさせられている様なものなのだ。
また、家庭教師の依頼の催促に関しても、フィーナが冒険者ギルドに入り受付嬢と目が合った時点で『あ……』みたいな顔をされてしまい、どうにも申し訳ない気になってしまう。
ギルドの受付に並びながらそんな事を考えていると、ようやく自分の番が回ってきた。
「いらっしゃいませ〜! 本日は……あ」
営業スマイルから一転、受付嬢の表情が曇っていくのが丸わかりである。
普段は明るい声のトーンも一段と暗いものへと下がっているので非常に分かりやすい。
「あ…はい。いつものなんです。……すみません」
聞く前から答えが分かっているのでどうにも気まずい。
本当に今日の用件はそれだけなのも、申し訳無さに拍車が掛かる。
家庭教師の仕事自体は悪い物では無い。命の危険無く一日銀貨一枚なら、普通の冒険者なら悪い話では無いだろう。
大卒という稀有な縛りさえ無ければ……だが。
一応大卒に近い学力を持つ者という項目もあるが、そういった者すら来ないという現実がある。
「それじゃ、私はこれで。失礼します」
フィーナは逃げる様に冒険者ギルドを出るしか無く、本日の釣果もゼロであった。
いつもの事なのでそれは仕方無いのだが、アニタに報告しなければならないのが気が重い。
アニタも無理難題な事は分かっているので仕方無いといった感じなのだが、アニタが大抵ジェシカ奥と一緒に居るのが大問題なのだ。
彼女に報告するとどうしてもジェシカ奥の耳にも入ってしまい『これだからエルフはグズ』だの『使えない淫乱娘』だの罵倒されるまでがワンセットになのだ。
これについての打開策は今のところ無い。今のフィーナにはジェシカ奥の理不尽な罵倒に甘んじて耐える以外には術はないのである。
(あ……!)
冒険者ギルドを出て、力無く街を歩いていたフィーナだったが、ふいに一軒の本屋が目に止まった。
他の建物と看板以外に外観に大きな差は無い、あまり目立たない出で立ちの店構えだ。
そういえばアルフレッドに読み聞かせしていた冒険譚の物語も最近ようやく終わってしまったところ。
どうせなら新しい本を買っていくのも良いだろう。
「ごめんくださ〜い」
ーガチャー
店内に入るといくつかの本棚が並んでいる。民家の一室に本棚を並べた様な簡素な雰囲気だ。
「おや、いらっしゃい」
フィーナに声を掛けてきたのは一人の老婆。黒のとんがり帽子に黒いローブ、手には木の杖と、どう見ても魔女にしか見えない格好をしている。
今しがた変な色の液体をかき混ぜてましたと言われてもおかしくない風貌の、痩せ細った老婆だった。
「あ、こんにちは。お邪魔してます」
本棚に目を奪われていたため、老婆の存在に気付いてなかったフィーナは咄嗟に少しズレた返答をしてしまった。
「見たところ冒険者ではないようじゃが、何用かな?」
「四歳くらいの男の子の知育に役立つ様な物があるかなと思いまして……」
老婆の問いにとりあえずの要望を述べるフィーナ。老婆は本棚の隅を指し示し
「この店にあるのは魔導書がほとんどじゃからのう。小さい子が読むような物は無いと思うが……。あの辺りに整理しとらん書物が纏まっとる。ぁ、見ていっとくれ」
そう言うと、老婆は店の奥にひっこんでいった。一人残されたフィーナは老婆が指し示した辺りの本棚を丹念に見ていく事にした。
(料理についての本、天文学の本、騎士の作法や心得の本……小さい子が読む様な本ではなさそうですね……。あ……!)
ふと見ると、見慣れた本が置いてある。アルフレッドに読み聞かせていた勇者の冒険譚の本だ。何の気無しにパラバラとめくってみる。
この世界には同一の本を大量生産する技術はまだ無い。同じ内容の本が複数あるという事はそれだけメジャーな作品という事の証でもある。
(予備として買っておいても良いかもしれませんね……)
この世界における本は貴重品だが、別段耐久性が高いという訳では無く、うっかり破損させてしまえば取り返しがつかない貴重品なのだ。
もっともフィーナの神力を使えば何とでもなる話ではあるのだが、力を節約出来るならその方が良いし予備がある事に越した事はない。
「おばちゃーん! このスクロールふりょーひーん! 交換してー!」
本を眺めていると、入り口の方から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
フィーナがふと声の主の方を見てみると、そこに居たのは耳の長い冒険者風の金色の長髪が特徴のエルフの女性だ。
確か、少し前に冒険者ギルドで話しかけてきたエルフィーネという冒険者だったか……。
「誰がおばちゃんじゃ。ワシみたいなプリチーなギャルつかまえて……お前さんの方がよっぽど婆さんじゃろがい」
ブツブツ言いながら店の奥から先程の老婆が面倒臭そうに出てきた。
エルフィーネは老婆に巻物を渡すと、フィーナの存在に気付いたのか近付いて来た。
「こんなところで奇遇ね。あなたもここに何か用事?」
「は、はい。小さい子が読む様な本があればと思いまして……」
フィーナの返事を聞いたエルフィーネの表情が見る間に暗いものへと変わっていく。そして
「ごめんなさい。お子さん居るとは思ってなくて、ちょっとビックリしちゃって……」
何がごめんなさいなのかさっぱりだが、どうも誤解されている様だ。
以前のやり取りでも感じたが、どうやら彼女は早とちりしやすい性格であるらしい。
変に勘違いされる前に、ここは早めに訂正しておいた方が良いだろう。
フィーナは結婚どころか……ましてや相手も居ないのに、一方的に子持ちと見られても遺憾でしかない。
そもそも神界に結婚という概念があるかどうか謎ではあるが。
「あの……違いますよ? 今の勤め先に小さい子が居るので……」
フィーナの返答を聞いたエルフィーネの顔がホッとした様に見える。
「あ、そうなんだ。私、てっきりお子さん居るのかと思っちゃって。……その本どうしたの?」
エルフィーネはフィーナが手にしていた本が気になりだした様だ。
フィーナが購入予定である事を彼女に伝えると、エルフィーネはその冒険譚について色々と語りだした。
まずはその本に出てくるエルフのスカウトが自分である事。本の内容は概ね正確だが、主人公の勇者に関しては読み手を不快にさせないために事実とは大きく異なっている事。
特に勇者の不遜な態度がバッサリカットされ読みやすさ重視へと配慮されているらしい。
「だって勇者のバカったら、私達のエルフの長老に対してもタメ口なんだもの。どこか皆を見下してる感じがして好きになれなかったわ〜」
という事らしい。本では世界を救った後、彼は新たな旅に出たとなっていたが、実際は皆から距離を置かれそれに耐えられず何処かへ行ってしまったらしい。
身から出た錆とは言え、現実は非情である。話だけ聞いていると、件の勇者は前世の記憶が戻った転生者の様だがフィーナには彼の心当たりが全く無い。
自分の知らない遠い前任者の仕事だろうか?
もっとも、勇者の存在が世界に悪影響を及ぼしている訳でも無いので、フィーナには真相を確かめるつもりも歴史に介入する気も無い。
それよりも目先の課題を解決する方が今はよほど重要である。
(他に良さそうな本は……)
他に適当な本がないか探していると、神々の神話を取り扱った本が出てきた。信仰心の向上に繋がるのなら、神界にとっても利益になり結果的にフィーナ自身の為にもなる。
冒険譚の本の予備と神話の本、数ヶ月はアルフレッドへの読み聞かせに困る事は無さそうだ。
「買う物決まった? 私としてはこっちの本もオススメなんだけど……」
と、エルフィーネが一冊の本を差し出してきた。フィーナが受け取ったその本には美少女エルフの冒険譚と書いてある。
本を渡してきたエルフィーネは得意げな顔である。
「これ、貴女の持ってる本の外伝なの。王国の偉い人にどうしても書籍化させてほしいって頼まれちゃって〜。ラブロマンス要素バッチリだし、どうかしら?」
どうかしら?と言われても……四歳そこそこのアルフレッドに読み聞かせるには適さない気がする。
今日フィーナが欲しかったのは絵本の様な物だった。
例えば青と赤のパンツを履いたニ匹のネズミがカステラ焼いたりするのほのぼ系の話だったりとか、白い猫の何気ない日常話だったりとか、口がバッテンの横歩きウサギの話だったりとか、そういった小さい子が楽しめる様な童話的な物語の本である。
それなのだから頭ピンクなエルフの色恋本では対象年齢が高すぎる。
別にレディースコミックを買いに来た訳でもないのだがエルフィーネの手前、門前払いと言う訳にもいかなそうだ。
フィーナは恐る恐る内容を確認してみる。
(…………)
ラブロマンスと言うからには、最悪成人向けのレディースコミック的な物を想像していたが、サラッと読んでみた限りは少女漫画とレディースコミックの中間くらいの内容であった。
過激な描写がある訳でもなく、ただただ恋愛的な物語が続いていく感じである。
しかしながら少なくとも四歳の男児であるアルフレッドに読み聞かせる内容では無い。
フィーナが本をそっ閉じし無言で元の本棚に戻そうとすると
「待って待って! その本買ってぇぇぇ! 今月私ピンチなのお!」
エルフィーネがフィーナの腰にしがみついてきた。
「だって、今は必要無さそうですし……」
「同じエルフのよしみでしょぉ! 買ってくれなきゃ私死んじゃうぅっ!」
完全に駄々っ子である。本で読んだ英雄像……出来る冷静沈着なエルフのスカウトとはまるでかけ離れていた。
「私、冒険者のパーティーから追放されたばかりだからお金無いのぉっ!お願い! フィーナ様! 神様! 女神様ぁ〜!」
腰にしがみついているエルフィーネは上目遣いの涙目で必死に訴えてくる。
唐突に女神様と言われるとちょっとビックリするが……しかし、このままでは埒があきそうにない。
本の価格を見てみると銀貨三枚、結構なお値段である。
他に買うつもりの冒険譚の予備が銀貨五枚、神話の本が銀貨四枚で合計銀貨十二枚の出費である。
これはフィーナの一月分の給金に相当する。
これまでの給金のほぼ全てを貯めているのでお金の問題は無いのだが……
「私がこの本を買ってどうしてエルフィーネさんが助かるんですか?」
フィーナは率直な疑問点を口にする。今、ここでお金を払ったとして払う相手は店主の老婆に対してでしかない。
エルフィーネの懐が暖まる理由がさっぱり分からない訳だが……
「だって、その本私のだもの。ここに置かせて貰ってるだけで」
さも当然の様に答えるエルフィーネ。早い話が彼女の私物を銀貨三枚で引き取るというだけの話である。
「買ってくれるの?」
目を潤ませながら聞いてくるエルフィーネを見てると、助けるしか無いような気がしてくる。
こんなでもかつては人の世を救った一員であり、徳を積んだ人物という事でもある。
そんな人物を無下にしたら、それは女神としてあるまじき行為である。
また、今回の件をきっかけに闇落ちやらされても困る。
「……わかりました。買います」
フィーナはため息混じりに答える。強引な押し売りにでも遭った気分だ。
「毎度ありがとーごさいまーす! おばちゃーん! 売れたー!」
先程までの必死な表情はどこへやら、エルフィーネは店の奥に居るであろう老婆に声をかける。
程なくして一枚の巻物を手に老婆がフィーナ達の居る本棚の隅へとやってきた。
「また、ホラふきよって……あんな色ボケ本売れるわけなかろうに」
老婆はエルフィーネの言葉をまるで信用してない。しかし、フィーナがお会計を頼むとさすがに驚いた表情を見せた。
「嫌だったら嫌だと言うんじゃぞ? お前さん、人の良さそうな顔しとるからの」
老婆の気遣いが有り難いがフィーナは苦笑いで返すしかない。本日は銀貨十二枚にて本三冊のお買い上げとなった。
一方、銀貨二枚に穴開き銀貨七枚を手にホクホク顔のエルフィーネなのであった。




