第94話
私は日が高い内に木陰に隠れた。
水色の空がオレンジを経て藍色に変わる。
息をひそめているとザッと地面をする音が聞こえた。夜闇の中で目を凝らすと女性が歩み寄ってくる。
私は枝の上から跳んだ。
小夜さんがダガーを引き抜いて構える。
「私です小夜さん」
凛とした顔立ちがきょとんとした。
「ヒナタ? どうしてここに」
「近日中にまた来ると思ったので待ち伏せてました。小夜さん言ってましたよね、時間がないって」
「確かに言ったな。それで、私の邪魔をしに来たのか?」
「いえ、そんなことはしません」
「だったら同行願いか? 悪いが今回は一人で行かせてもらう」
「構いません。また信用してもらえるとは思ってませんから。なので私は私で鬼の頭領を討ちます。たぶん化粧してもばれるので、見つかった後は好きに使ってください」
「私の囮になると言うのか。冒険者は復活すると聞くが不利益もあるのだろう? どうしてそこまでする」
「小夜さんが心配だから。それじゃだめですか?」
小夜さんが口をつぐむ。
沈黙の中、私は小夜さんと視線を合わせ続ける。目を離すとまたどこかに消える気がしてまばたきするのもためらわれる。
静謐とした表情がやわらいだ。
「お人好しだなヒナタは。負けたよ、降参だ」
「信じてくれるんですか?」
「本当に妖怪や鬼の手先と思っていたわけじゃない。邪魔されるのが嫌だから意地悪を言って遠ざけただけだ」
「私ショックだったんですよ。本当に鬼の間者だと思われていたらどうしようって、本当に不安だったんですから」
「不安にさせてすまなかった。だが本当に時間がないんだ。この体は、もう少しで鬼に変わってしまうから」
「え」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
小夜さんが鬼になる? あれだけ妖怪や鬼を嫌っていた小夜さんが?
「どういうことですか。鬼は妖怪の誘いを受けた人がなるはずでは」
「それは順序立てて話すよ。私には妹がいた。ヒナタのように優しく仲間想いな忍だったが、ある日鬼に襲われて命を落とした。私は悲しみに暮れる日々を送ったが、そんな時アーケンという男が現れた。ヒナタは一度会っているな」
「はい。天守閣にいた人間ですね」
「やはり知っていたか。なら奴の性悪ぶりも知っているな。アーケンは私に、妹の無念を晴らすための力が欲しくはないかと誘ってきた。今考えれば怪しさ満載だが、当時の私は復讐できるなら何でもよかった。そして奴の人体実験につき合った結果、この体に鬼の力が宿った」
「まさかあの仮面って」
「そうだ、あれはこの身に宿る鬼の力を凝集させた物。使えば人を越えた力を発揮できるが、代償としてこの体は鬼に近づく」
小夜さんが自身の手に視線を落とす。
「最近声が聞こえるんだ。私の声でひどく物騒なことをささやかれる。木の上で床についたと思ったら、丘の上で短剣を握っていたこともあった。私が私じゃなくなっていくみたいで、怖い」
細い両腕が小夜さん自身の体を抱きしめる。
微かな腕の振るえは、気丈だった小夜さんが初めて見せた弱さ。安易になぐさめの言葉をかけるのはためらわれた。
「事情は分かりました。でも仮面を使わなければ鬼化は進行しないんですよね?」
「もうその段階は過ぎている。後は安静にしていても時間の問題だ。私が私でいられるのは今宵が最後になる。そんな気がするんだ」
胸の奥をきゅっと締めつけられるような感覚があった。
小夜さんも今まで治療方法は探したはず。それでも体の不調をおしてここにいる。きっと助かる方法が見つからなかったんだ。
アーケンは何かを知っているかもしれないけど、あの性悪男が治す方法まで用意しているとは思えない。ゼルニーオが自爆した時のように傍観者を気取るだろう。
私はぎゅっと拳を握りしめる。
弱さにつけ込んだアーケンへの怒りとくやしさを発散して、顔に微笑みを貼りつけた。
「じゃあ今日こそは暗殺を成功させないとですね。さっきも言った通り私も協力します。一緒に妹さんの仇を討ちましょう」
「ああ。頼りにさせてもらうよ」
鬼の隠れ家がある方角を見すえる。
頭領暗殺の課題は山積みだ。この前交戦したプレイヤーを倒す方法も見つかっていない。
でも時間がないならやるしかない。今の私にできることなんてフレンドに助けを求めることくらいだ。
まだ起きていてくれますように。そう願ってコンソールを開く。
「それは困るなぁ。あんなのでも我らが鬼の頭なのだから」
誰かいる!
すぐに得物を構えて腰を落とした。
靴音が迫って夜闇から人型が現れる。
和の景観に似つかわしくないシルクハットに燕尾服。ジャケットは血をかぶったように鮮やかな赤を帯びている。
人型の顔はニヤついた表情の仮面におおわれていた。




