第86話
入浴と夕食をすませて自室に戻った。
ログインしようか考えて携帯端末を手に取った。揚羽の文字をタップしてコールをかける。
通話はすぐにつながった。
「もしもしー。どしたの日向」
「こんな時間にごめんね。揚羽に聞きたいことがあるの。アイセのクエストを進める内に他のプレイヤーと戦ったんだけど、クエスト中に他のプレイヤーと敵対することってあるの?」
「何それ。詳しく」
私はアイセの中で鬼と対峙した時のことを話した。
端末からうーんと声がもれる。
「まだアプデ後にログインしてないから状況はよく分かんないけど、今回のアプデに関しちゃ事前リークがあったんだよね」
「リーク?」
「非公開の情報が外部にもれることだよ。仕事のミスだったり、SNSにアップしてヒーローになりたいとかでさ」
「前者はともかく後者は起こり得るの?」
「実例には事欠かないみたいだよ。おっそろしいことに」
本当に笑いごとじゃない。
企業は最大効果を狙って大事な情報を発表するはずだ。もてはやされたいを理由に漏洩されたらたまったものじゃないだろう。
「まあ顕示欲の化身はさておいて、リークによるとプレイヤーのクエスト進行具合でストーリーが変わるらしいんだよね」
「もし負けてたら小夜さんが鬼に食べられてたってこと?」
「かもしれないね」
鬼が握っていた刀の赤い汚れが脳裏をよぎる。
いくらNPCとはいえ、知り合いが食べられるなんて絶対嫌だ。
「プレイヤーの行動で結末が変わるなんて、シナリオ書く人大変じゃない?」
「それは大丈夫だと思うよ。アイセのプログラムやストーリーはAIが考えてるらしいから」
「そうなの? すごいねAI。そんなこともできちゃうんだ」
「私たちが生まれる前から漫画描いたり小説書いたりしてたからね。ガワだけ整えれば外歩いてもAIだって気づかないんじゃない?」
「それはそうかも」
あれだけ情緒があって言葉をしゃべれる。はたから見たらもう立派な生命体だ。
現に所詮AIと切り捨てられない自分がいる。これからのクエストは気合を入れて取りかからないと後悔することになりそうだ。
「話してくれてありがとう。また何かあったら相談に乗ってくれる?」
「もちろん。私は私で進めとくからさ、戦力が欲しくなったらいつでも声かけてよ」
「うん。その時は頼りにさせてもらうね」
通話を切って携帯端末を勉強机の上に置く。
晴れ晴れとした気持ちでゲームハードをかぶった。電源を入れてアイセの世界にログインする。
ハウジングスペースの走路は以前見た時と変わらない。モグちゃんたちには方針が決まるまでお休みしてもらっている。
ただ走路を伸ばすだけじゃ味気ないのは変わらない。
揚羽は制限をかけられるって言ってたけど、それじゃアイセで作る意味がない。今の時代、陸上のVRゲームを探した方が早い。
「いっそアスレチックとかどうかな」
あれなら技術に差が出る。小夜さんと踏み入った山みたいにトラップを仕掛けるのも面白そうだ。
現状これといった案はない。時間がもったいないし考えながらプレイしよう。
そう思ってハウジングスペースを後にした。
妖華のマップに来てからまだ間もない。まずはハウジングスペースに採取ポイントを設置しないと。
先日発見した採取ポイントを回ってアイテムを採集する。
日が落ちて青々しい景観が妖しい美をはらむ。
高台に行ってみたけど小夜さんの姿はなかった。
クエストを進めるトリガーがあるんだろうか。それとも私、何か失敗しちゃったのかな。
胸の奥で不安の念が渦を巻く。
心情が反映されたのか、視界内がほのかに薄紫を帯びる。
それは気のせいじゃなかった。ハッとしてすぐに周りを見渡す。
眼前に顔があった。
「ばあ~~っ!」
「きゃああああああああああっ⁉」
視界内が埋まるほどのドアップ。
反射的に飛びのいてマシンガンスリンガーの射出口を向ける。
それは太ったネコだった。モグちゃんみたいにかわいらしいデフォルメ調で攻撃するのは気が引ける。
とはいえ相手は妖怪。見逃したら将来このネコもどきが小夜さんを殺すかもしれない。
心を鬼にして人差し指を引いた。
「危なっ!?」
かわされた。
浮遊するネコが背中を向けて遠ざかる。
逃がさない!
「ま、待って! オラっちは悪い妖怪じゃないんだ!」
「悪い妖怪はみんなそう言うんだよ」
「言わないでしょォッ!?」
そうかな? そうかも。
左腕を下げて足を止める。
「悪い妖怪じゃないならどうして私を攻撃しようとしたの?」
「ひどい誤解だ。オラっちは驚かせようとしただけで、人間を襲うなんてことはしないよ」
「でも妖怪だよね」
「妖怪にだって流儀はあるんだい。それにオラっちは過激派じゃない。人間を驚かせるのが生きがいなのに、どうして攻撃しなきゃいけないんだ」
ネコがぷんぷんする。
どうして私が怒られているんだろう。びっくりさせられたのは私なのに。
「さっき過激派って言ってたよね。妖怪って人類の敵じゃないの?」
「違うよ。そりゃ過激派は人間を敵視してるけど、穏便派は共存できたらいいと思ってるんだ。オラっちたちは人間の負の感情が大好きだからな」
そこは人間が大好きとは言わないんだね。
「私ヒナタ。あなたは?」
「にゃん丸だい」
ちょっと侍っぽいかも。性質は似ても似つかないけど。
「ところでそこのポーチからただならぬ気配を感じるんだけど、一体何を入れてるんだ?」
「ああ、それは」
告げようとして口をつぐむ。
ゼルニーオのことを妖怪に言っていいのかな。
にゃん丸は驚かせるのが趣味と言っていた。下手に封印を解かれるとどうなるか分からないし、ここは黙っておこう。
「最近妖怪や鬼と戦ったからその影響かな。入手した素材に霊力とかついてたのかも」
「なぬ、鬼を倒したって? ヒナタ強いのか」
「うん。多少はね」
にゃん丸がうなって腕を組む。
何かを決意したように顔を上げた。
「ヒナタ、君に頼みたいことがあるんだ。オラっちと一緒に異界まで来てくれない?」
視界の中央にウィンドウが浮かび上がる。
【『異界へ導く招き猫』を受注しますか?】
『はい』『いいえ』
クエストだ。
妖怪の住まう世界に踏み入る。そんなクエスト、小夜さんの弟子の身で受けちゃっていいのかな。
でもにゃん丸はそこまで悪い妖怪じゃない。話くらいは聞いてあげてもいいか。
私は人差し指で『はい』をタップした。




