第118話
ルーレットの大きな針が緑の枠を指し示した。
「スピードか。ふむ、おあつらえ向きだな」
パテルの背中にある大きな腕が伸びる。
狙いは私。回避すべく地面を蹴る。
「あれ」
足が重い。鉄になったみたいだ。鬼面を出しているのに通常時よりも足が前に進まない。
走ってかわすのはあきらめて身を投げ出す。
背後で地面を打つ音が鳴った。
「ヒナタ大丈夫?」
「うん、でも足が重くてうまく走れない」
「あの人スピードがどうこう言ってたし、たぶんあのルーレットのせいだと思う」
「デバフか。おかしな格好してるだけあっていやらしいね」
長所の足が封じられたとなってはダガーを使えない。私はスリングショットを主体にして立ち回る。
ペットたちは鬼の幻影とやり合っている。あの変身で実体を得たのか、周囲で戦うプレイヤーが斧の一撃を受けてポリゴンと化す。
私も他人事じゃない。スピード特化の私が鈍足になったら格好の的だ。
こういう時ニオが背中に乗せてくれたらいいのに。
「サムライ、前を張れる? ヒナタを守ってあげて」
「了解デス。いよいよ私の仮面を披露する時が来たデスね」
サムライさんが額に手を当てた。指でくの字を描いたかと思うとそのままスライドさせる。
ヌッと長い鼻が伸びた。妖の雰囲気を漂わせるそれはまさしく天狗だ。
「行きマスよ三つ腕の鬼!」
サムライさんが走る。
大きな腕が突き出された。華奢な体が悠々と飛び越す。
「もう見飽きたよそれは」
残り二本の腕が左右に広がった。サムライさんをはさむように空気を唸らせて迫る。
「とうッ!」
ぺしゃんこになるはずだった体がぴょんと浮いた。
その下で大きな手の平が打ち鳴らされる。
「は?」
仰ぐパテルをよそに、サムライさんの体がぐるっと回転する。
その動きに連動した薙刀の刃が、大腕に斬撃のエフェクトを刻んだ。
パテルが小さくうめいて腕を引っ込める。
「空中でのジャンプは一回きりじゃなかったかな」
「仮面をつけると回数が増えるんデス」
「ほう、それはいいことを聞いた」
再び大きな腕が伸びる。
連撃が始まった。サムライさんがぴょんと跳躍してかわす。
二回、三回、四回と続く攻撃を何度も飛び越す。
「……あと何回?」
「嵐舞!」
天狗の様相が高速回転して宙を駆ける。
「痛ったッ⁉」
一本の腕がドンッと音を立てて地面の上を転がった。すぐきらめきと化してガラス細工のごとく砕け散る。
瞬時にパテルの大腕が再生した。わずらわしげに振られた腕がまた空振りする。
追い打ちをかけるようにミザリの矢が降りかかる。
それを牽制代わりにしてサムライさんが宙を舞う。
サムライさんのぴょんぴょんは途切れない一方で、一定以上の高度には上がろうとしない。制限は回数じゃなくそっちの方にあるのかもしれない。
「さすがにくノ一の一味、うっとうしいことこの上ないな」
パテルの後ろに例のルーレットが現れた。後光のように現れたそれが大腕によって回される。
針が黄色の枠を指し示した。
「きゃあっ⁉」
サムライさんが墜落した。ミザリの矢も重みを増したように落下して土の地面を削る。
「重力?」
「ご名答。あらゆるものは増した重力空間に縛られる。あらゆるものがだ」
私は横目を振る。
あらゆるものと言うわりには、ニオたちは普段通り走り回って鬼を攻撃している。
試しに地面を蹴って疾走する。
足が嘘のように軽い。
「宙に浮いてる物しか落とせないみたいだね」
「気づくのが早いな。さすがだまし討ちで入賞しただけはある」
そんな挑発聞いてあげない。鬼面で減ったHPバーをポーションで元に戻す。
反撃開始。私はダガーの柄を握って地面を蹴った。頭を下げて腕の薙ぎ払いをやり過ごし、サイクロンエッジで一気に距離を詰める。
パテルが体の向きを変える。
ぐっ⁉ としたうめき声に遅れて二度目の腕切断が成った。
「やった!」
戦果を喜んだのもつかの間。パテルの動きに疑問を覚える。
今の、もしかしてわざと腕を斬らせた?
そうじゃなきゃ先程の動きに説明がつかない。でも腕を落とさせることに何の得があるの。
考える私の前でまたまたルーレットが現出した。
「あれ」
緑と黄色の枠がない。それらはドス黒い色で塗り潰されている。
針が黒で止まった。大腕の一本が真っ黒に染め上げられる。
禍々しい以上に嫌な予感がする。
「隙あり!」
声を張り上げて駆け寄るのは私たちの班長。シルヴァリーさんにここでの指揮を任されたんだろうか。
「今時の子は鬼ごっこを知ってるかな」
黒い大腕が伸びた。開かれた手が指揮官に張り手する。
それだけで銀色の鎧をまとう男性が消え去った。
「え」
すっとんきょうな声が口を突いた。
あり得ない。あの指揮官は一応銀の薔薇の幹部だ。鬼化パテルのステータスが高いといっても触れただけで即死するなんて。
「まさか、あの黒い枠って」
触れた対象を即死させるの?
その言葉を言い終える前にパテルが地面を蹴った。
向かう先にはサムライさん。薙刀を構えるフレンドの顔は天狗面に覆われていない。先程の墜落で装備状態が解除されたのかな。
「サムライさん、黒い手に触れちゃ駄目!」
「へ?」
青い瞳がまぶたで見え隠れする。
迎撃する気満々だったフレンドが戸惑う隙に黒い手が迫る。
「シキ!」
モンシロが声を張り上げた。サムライさんの体が大きな手に突き飛ばされる。
その手が引っ込んだ先には、パテルそっくりな人型があった。




