目が覚めると…
「……ティア?」
目覚めた時、側にいたのはティアだった。
「ソフィ様、お目覚めになりました? ご気分はいかがですか?」
いつものにこやかな笑顔でそう問われた。その様子は丸で何もなかったかのようにすら感じる。でも……
「ティア、今日は休んでって言ったのに……」
いくらなんでも無理をし過ぎじゃないだろうか。怪我はなかったけれど殆ど寝ていなかったし、殺されかけたのだから。
「大丈夫ですよ。あれからしっかり寝て一日お休みを頂きましたわ」
「……え? 休んだ? じゃ、今は……」
「翌日ですわ。今はお昼を過ぎた頃です。よく眠っていらっしゃいましたわね」
「翌日の、昼!?」
何時の間に眠っていたのかわからないけれど、ベッドに入ったのはまだ真夜中を過ぎた頃だった筈。じゃ、一日以上も眠っていたなんて……窓の外を見ると空は鉛色の雲に覆われていたけれど外は明るかった。
「起こしてくれればよかったのに……」
「何度かお声をかけさせて頂きましたわ。でも全くお目覚めにならなくて。よほどお疲れだったのですね」
「そ、そう……」
起こされても起きなかったなんて……そんなに疲れていたのか。でもしっかり寝たせいか頭も気分もすっきりしていた。
「殿下がお目覚めになるのをお待ちでしたが……」
「湯あみの後にして。さすがにこの状態で会いたくないわ」
昨日湯あみもせず寝ていたのだ。それにお腹も空いた。会うならその後にして欲しい。そう言うとティアは直ぐに軽食を用意してくれ、その間に湯を用意してくれた。湯あみをするために服を脱ぐと腕の包帯が目に入った。何だか夢を見ている気分だったけれど、これで現実なのだと改めて思い知らされた。
(マテウス様、か……)
名前を知りたい、お礼を言いたいとずっと思っていた。それは叶ったけれど、決して望んでいた形ではなかった。私が勝手にいい人だと思い込んでいただけと言われればそれまでだけど、優しい思い出は苦々しいそれになってしまった。心に穴が開いてそこに吹雪が通り抜けていくようだ。寒くないのに身体の真ん中がスース―する。
「目が覚めたか。体調はどうだ? 気分は悪くないか?」
人心地着いたところで皇子がやって来た。また余計な一言が降って来るかと身構えたけれど、意外にも良識的な言葉をかけられた。心配してくれたのかとちょっと感動する。
「どうした? 何を呆けている?」
返事をしない私に怪訝そうに眉を顰めた。その一言さえなければ素直に感謝出来たのに……そう思っていると手が伸びてきて額を覆った。急に触れられて固まってしまった。
「熱は……なさそうだな。何だ、寝すぎてボケてるのか?」
やっぱりいつもの皇子だった。なんて奴だ、腹立たしい!
「呆けてなんかいません! ただ、殿下から真っ当な言葉が出たので驚いただけです!」
「何だよ、それ」
それはこっちの台詞だ! そう思ったけれど言い返す気にはなれなかった。一応心配してくれているんだろうし、言い返してもどうせ体よくあしらわれるのは目に見えているから。
「それで、何の御用ですか?」
「夫が妻の様子を見に来るのは当然だろ?」
「はぁっ!? 妻って、まだ妻じゃありませんけど!」
「でも決まっているんだから変わらないだろ? 細かいことは気にするな」
「それは気にして下さい! そこ大事ですから!」
どういう神経回路をしているのか。頭いいと聞いているけれど、本当は悪いんじゃないのかと思ってしまう。そりゃあ、王妃になるのは決定事項なんだろうけど……
「相変わらず冷たい奴だなぁ。せっかく見舞いの品を持ってきたのに」
「見舞いの品?」
「ほら。お前、これ好きだろ?」
「え!? これって、王都で人気の……!」
皇子が差し出したのは王都で人気の店のフルーツタルトだった。王室御用達の店のもので、数量限定のお金を積んでも買えないと言われているものだ。朝から店頭に並ぶか、かなり前から予約が必要だと聞いているけれど……
「まさか武力チラつかせて強引に手に入れたんじゃないでしょうね?」
「そんなことするか! ちゃんと並んで買ったんだ!」
「買ったって……え? 殿下、並んだの?」
まさか帝国の皇子が自ら並んだりしないだろう。そう思ったのに返事がなかった。返事を求めるように見上げたら視線を外された。え? もしかして、本当に自分で?
「ソフィ様。殿下はちゃんと並んで購入されましたわ」
「テ、ティア!」
「殿下も隠さなくてもいいじゃありませんか。ソフィ様、殿下は昨日も並ばれたのですよ」
「おい、ティア!! 余計なこと言うな!!」
「もう、殿下ったら照れなくてもいいんですよ」
「だ、誰が照れてなんか……」
そう言いながら語尾が弱くなっていった。横顔しか見えないけれど……首と耳まで赤かった。えっと、この人は誰? 私の知っている皇子じゃないみたいなんですけど……
「また来る!」
王子の様子に驚いてじーっと見てしまった。視線に気付くと罰が悪そうに顔を顰め、そう言って出て行ってしまった。
「全く、殿下もまだまだですわね」
「ティア、思いっきり面白がっているでしょう?」
その問いには答えず、ティアがお茶と一緒にタルトを出してくれたけれど……
「美味しい……」
初めて食べる王都で大人気のタルトは偽りなく美味しかった。これを皇子が、あの皇子が並んで買った? あの髪色じゃ相当目立っただろうに。よくお付きの人が許したな、と思う……いや、護衛も付いて行ったんだろうからお店の人も相当驚いただろう。
「ソフィ様、少しは殿下を労ってあげて下さいね」
「ティア、でも、本当に殿下が?」
「ええ、本当ですよ。昨日、ソフィ様が好きなお菓子は何か、どこの店がいいかと尋ねて来られましたの。私はこちらのお店には詳しくないのでアシェルの侍女に色々伺ってお教えしたのです」
「まさか……」
とても信じ難かったけれど、ティアが嘘を言うとも思えない。頬が熱をもって背中がぞわぞわと泡立った。タルトがさっきよりも甘くなった気がした。




