炎の中
「ど、どうして火を……ここにはソフィ様がいらっしゃるのに……」
ティアの呟きは私たち全員の思いだった。どうして火を? 下手をすれば私まで巻き込まれてしまうのに……きな臭さが増す中で私たちは直ぐには言葉を発せなかった。
王党派なら私を手に入れるのが最優先ではないか。アシェルの王族は帝国にいる弟を除けば、父の弟とその息子が一人いると聞いた。二人は王宮の貴族牢で厳重に監視されていると聞く。彼らは父のせいで不遇な立場に追いやられ、不正をする力もなかったため幽閉で済んでいると皇子が言っていた。それでも彼らは断種されていて王統を残せない。
「ソフィ様、とにかく外へ出ましょう!」
「で、でも、外に出たら……」
「このままでは焼け死んでしまいます。外に出れば捕まるかもしれませんが、生きていればきっと殿下が助けに来て下さるでしょう」
「そうです。何事も命あっての物種です」
確かにその通りだけど、本当に大丈夫なのだろうか……何かがひっかかる……それを突き止めたいのにそんな余裕がないのがもどかしい。
「とにかく、ソフィ様だけでも逃げて下さい!」
「そんなわけにいかないわ!」
「王党派を名乗る彼らがソフィ様を害することはないはずです!」
「そうです。私たちのことはお気になさらず。必ず生き延びますから」
「でも……だったら、ここに火を放たないわ。彼らは本当に王党派なの?」
王党派なら王統を残せる最後の一人になった私を害したりしないだろう。そもそもあの襲撃もだ。私を連れ出すだけならもっと静かに動くことも出来はず筈。そんな機会は他にもあっただろう。
「その通りですよ」
急に飛び込んできた声に振り返ると、入り口に人の姿が見えた。動揺と小屋が燃える音のせいでドアが開いたことも気付かなかった。エドとグレンが私を守るように立ち、ティアが後ろで私を支えてくれた。
「あ、あなたは……」
そこにいたのは昔のまま口の端を上げた彼だった。眼鏡のせいで表情がよくわからないせいか不安が募った。
「聡い方だったのですね。意外でしたよ」
「な、何を……」
褒めているようで決してそうではない声色に感じた。何を言っているのか……
「私たちは王党派などではありません」
「じゃ、一体……」
「私たちは、アンジェリカ王女殿下を慕う者です」
「アン、ジェリカを……」
その名を聞くとは思わなかった。彼の口からは特に。それじゃ……
「……下賤な女が産んだお前ごときが!! アンジェリカ様の名を軽々しく呼ぶなっ!!」
「っ!」
唸るような怒号と憤怒の表情は別人のようだった。穏やかな顔立ちは別人のように荒々しく歪み、眼鏡越しに憎しみを感じた。ドアの向こうから見えた炎が一層そう見せたのかもしれない。
「どうして……どうしてアンジェリカ様が死なねばならなかったのか……!! お前ごときが生き延びて、どうして……!!」
「何を言って……」
「なぜお前ごときが生きている!? 何故だ!! アンジェリカ様ではなくお前が死ぬべきだったんだ!! なのに、何故お前などが……!!」
そこには懐かしい優しさは砂粒程も残っておらず、あるのは怒りと憎しみの成分だけだった。大切だった思い出が砂のように崩れていく。
「こんなことならさっさと殺しておけばよかった……! そうだ、あの王宮でなら誰がやったかなんてわからなかったのに……!」
彼は……アンジェリカのために私の様子を探りに来ていたのか。もしくは命じられて……それじゃ……
「お前ら、最初からソフィ様を殺すつもりだったのか?」
「そうだ。アンジェリカ様の無念を晴らすためだ。こんな女をアシェルの王妃に据えるなど、許せるわけがないだろう。アンジェリカ様が女王になるならまだしも!」
吐き捨てるようにそう言うと剣先をこちらに向け、エドとグレンに緊張が走った。壁にも炎が移ったのか、小屋の中が赤く染まり煙が一層濃くなった。足元が軟らかくなったかのように感じ、今にも崩れそうになるのを何とか踏み留まった。
「切り捨ててやろうかとも思ったが、そこで火だるまになってのたうち回りながら死ぬががいい。下賤な血など燃えて消え去ってしまえ!!」
「な……!?」
どういう意味かと問うグレンの声に答えず、彼は身を翻すと外に出た。その直後にドアに何かを打ち付ける音がした。
「あいつら……まさか!!」
エドが走ってドアに手をかけたが、ドアはびくともしなかった。
「くそっ! ソフィ様、閉じ込められました! あいつら、ドアを外から木で……」
「逃げ出せないように打ち付けたか……!」
出入り出来るのはここしかない。窓も人が通れるほどの大きさはなかった。しかもその窓も今は火の中だ。四方から熱が降って来る。
「エド! け破るぞ!」
「待て! 下手すると小屋ごと崩れるぞ」
「だが、このままじゃ焼け死ぬだけだ!!」
エドとグレンがドアに向かって体当たりを始めるのを眺めながら、じわじわとあの騎士の言葉の現実味が増していくのを感じていた。心の支えだった思い出が幻想だったことが悲しかったけれど、それらを振り払うように頭を振った。今はそれよりも生き延びる方が先だ。そうしている間もドアを開けようと体当たりする音が小屋に響いた。
周囲をもう一度見渡すと、窓のある辺りが焼け落ちているのが見えた。あちらが火元だったのだろうか。燃えるのが早い。
「エド、グレン! 窓の近くの壁が崩れそうよ。あっちを何とかできないかしら?」
燃えているから体当たりは無理だけど、崩れかけている壁を壊す方法がないだろうか。
「あの壁……」
「何か……エド!! あれをぶつけよう!!」
グレンが指さしたのはジャンが使っていただろうベッドだった。まだ燃えていないし木製でしっかりした造りに見える。
「よし! いくぞ!」
「ああ!!」
二人がベッドの上に載っている物を乱雑に放ると、二人で持ち上げて窓にぶつけた。鈍い音がして窓のガラスが散乱した。
「もう一回!」
その後、二度三度とベッドをぶつける度に窓があった壁に穴が開いていった。
「よし! この大きさなら外に出られる!!」
「ソフィ様、外へ出ますよ!!」
二人の騎士の声を受けて窓に近付いた。煙が目に染みて息苦しい。ティアがくれたハンカチを口に当てて壁に向かった。顔も手もひりひりする程に熱いし、息もままならない……それでもエドが先に出て周囲を見渡すと、応戦しているのか金属音が響いた。
「エド!」
「大丈夫だ!! それより早く外へ!」
応戦しながらエドが叫ぶとグレンが出て直ぐに剣を抜くのが見え、ティアが彼の後ろに続いた。
「さぁ、ソフィ様!」
ティアが伸ばした手を取り、外へ出ようとした瞬間だった。
「ソフィ様、危ないっ!!」
轟音と共に熱風が押し寄せるのを感じた。




