逃げた先は・・・
「ソフィ様?」
小声だけど私を呼ぶ声がした。間違いない、ジャンだ。
「ソフィ様、どうなさったのです。こんな夜中に……」
「理由は後で。まずは匿ってくれない?」
「あ、ああ。ささ、どうぞ中へ」
私一人ではないと気付いて一瞬警戒の色が見えたけれど、それでも中に入れてくれた。身体が冷え切ってきたからありがたい。
「灯りは点けないでくれる?」
「はい、わかりました。さぁ、暖炉の側へ」
「暖炉? 付けたら怪しまれない?」
「ここは一晩中付けておりますよ。そうしないとわしが凍え死んでしまいますから」
「そうだったわね」
アシェルの冬は厳しい。暖炉無しでは寝ている間に凍死してしまうことも珍しくない。暖が取れるのはありがたかった。四人で暖炉の前に陣取って冷えた身体を温めた。
「こんなところじゃ白湯しかありませんが……」
「ううん、温かい物なら何でも大歓迎よ。ありがとう」
木のコップの中身は熱いくらいのお湯だった。冷え切った身体を温めるのに十分だ。
「それで、一体どうなさったのですか? この方々は?」
人心地着いた頃、ジャンが尋ねてきた。ティアたちは警戒しながらも黙って私たちの様子を伺っていた。
「ああ、彼女は私の専属侍女で、騎士二人は護衛よ。彼らは帝国人だけど、私の味方」
「帝国人……左様ですか……」
ジャンは途端に表情を曇らせた。やはり帝国人には禁忌感があるらしい。でも今はそれに付き合っている暇はない。
「それで、どう言った理由でこのようなところに?」
「それが、寝ている時に襲われたのよ」
「襲われた!? まさか帝国人にですか?」
その一言にティアたちの表情が険しくなった。今は何も言わないでとの思いを込めて視線を向けて小さく首を振った。
「正確には襲われそうになった、かな。部屋の外が騒がしくて寝室に誰かが押しかけて来たから隠し通路から逃げたのよ。相手を見ていないから誰かはわからないの」
「そうですか……しかしソフィ様を襲うなど……」
ジャンも驚きを隠せず、細い目をこれ以上ないくらいに見開いていた。最後に会ってから三年は経っているだろうか。皴も深くなって随分老けた。この年で小屋暮らしはきついだろうに。
「何が起きているのかわかるまで匿ってくれない? 何なら厩舎の片隅でもいいわ」
「そんな場所では凍え死んでしまいますよ。ここにいて下され。どうせここに来るものはおりませぬ。万が一の時も屋根裏なら身を隠せましょう」
「ありがとう。ジャンもいつも通りに動いてね。急に変わると怪しまれるだろうから」
今は匿って貰えれば十分だ。皇子が戻ってくるまで隠れていれば何とかなる筈。
「わかりましたよ。後で城の様子を見てきましょう」
「大丈夫なの?」
「ええ。今日は食料を受け取る日なんですよ。ちょうどよかったです」
それでは私は馬の世話があるので。そう言ってジャンは小屋を出て行った。馬番の朝は早い。外の雪は少し小ぶりになっていた。
「ソフィ様、ここは……」
ティアは不安そうに小屋の中を見渡した。貴族の生まれだからこんな粗末な小屋で過ごすなど初めてなのだろう。
「ごめんね、こんなところで。でも、他に頼れそうな人がいなかったから」
アシェルでも私の味方は少ない。と言うか殆どいない。親しい人や私に優しかった人は遠ざけられてしまった。残ったのは王妃の顔色を窺って私を遠巻きにするか、一緒に貶めていた者たちだけだったから。
「あの者は? 信用出来るのですか?」
「ジャンは大丈夫よ。子どものころから知っているの。誰も相手をしてくれなかった私に話しかけてくれて、お菓子をくれたり馬のことを教えてくれたのよ」
「そうですか」
納得していないのだろうけど、ティアも騎士たちもそれ以上は何も言わなかった。今は他に伝手がないから言えないのだろう。
「一体誰の仕業だと思う?」
白湯のお陰で随分身体が温まった。グレンの背負っていたかごから毛布を出して皆に配しながら尋ねてみた。
「……帝国人、ではないと思います」
「どうして?」
「帝国人なら姿を隠す必要はないかと。それなら堂々と皇弟殿下の命令だとでも言って連れ出せば済みます。わざわざ怪しい格好をして目立つようなことはしないでしょう」
「自分もそう思います。それに帝国人がそれをする理由がありません」
エドの考えにグレンも同意した。ティアは何も言わなかったけれど、否定しなかったから同じ考えなのだろう。
「私も同じ考えよ。となると、アシェル人になるわね」
帝国人がわざわざ黒装束を纏う必要もない。アシェル人がやったと見せかけて帝国が……と考えたけれどやめた。帝国がそうする理由がやっぱり見つからない。あの国がそんな無駄なことをするとは思えなかった。
「アシェル王家の復興のためにソフィ様を攫って女王に祀り上げる。もしくはソフィ様をどこかの王族に嫁がせて、その国の協力を借りて帝国を追い出す。その辺りが現実的でしょうか」
簡単ではないけれど、私を嫁がせて他国の協力を得るのはありそうだと思った。と言うか、その方法しかアシェル国が帝国の傘下から逃れる方法はないだろう。でも、協力してくれる国が問題だ。ネルダールは信用ならない。あの国とは対帝国で同盟を結んでいたけれど、野心家で同盟を結んでいるアシェルとノルデンを自分の傘下にしたがっているように見えた。アシェル国内でもネルダールとの同盟には否定的な声も多かったと聞くし。
「生きたままと言っていましたから。御身を害する意図はないのでしょう」
ティアの言う通りだろう。少なくとも殺すのが目的ではないのが救いだった。




