ユーアンという人物
父らとの面会など不要だと思っていた。彼らが私に謝るなんてあり得ないと思っていたし、謝られたところで許せる筈もない。そうするには十日はあまりにも短かったから。
そんな中で強くなったのが母の存在だった。私のことを気に掛けることがなかった母は、手を伸ばせば届く距離にいたのに凄く遠い存在だった。その母がいつも謝っていた相手がユーアンという名前だった。
「……ユーアンは、私の弟よ」
「弟? そんな方のお名がどうして母から?」
「……あの二人は……」
「許さん! 許さんぞ!! あれは……ニーナはわしのものだ!!」
王妃の言葉を遮ったのは父だった。別人なほどに言葉を荒げるのに驚いたが、その姿を見てもっと驚いた。今までに見たこともないほどの怒りを全身から立ち上らせていたからだ。
「くそっ!! どうしてあの男が……あんな男に……!! あれだけ遠ざけたと言うのに!!」
髪を掻き毟るように頭を抱えて怨嗟の声を上げる父に、王妃や異母姉までもが驚いていた。こんな姿を見るのは初めてなのだろう。
「あ、あなた、どういうことですの!?」
父の態度に何か思うところがあったのか、王妃が父に詰め寄った。
「うるさいうるさい!! わしのニーナを……せっかくあの男を消してやったと言うのに!! どうしていつまでもあの男は邪魔をする!!」
「何ですって……」
呆然と王妃が父を見上げた。その言い方では王妃の弟を父が手に掛けたことになるけれど……
「どういうことですの!? あの女はユーアンを裏切ったのではなかったのですか!? それに消したとは……まさか!?」
「くそっ! あの男さえいなければ!! そうすればニーナは……ニーナは……」
王妃は何かに気付いたらしい。一方で父は独り言を繰り返していた。彼が見ているものも話しかけているものも、ここにはない誰かに向けられているように見えた。
「ああ、ニーナ! どうしてあんな奴を忘れなかった! わしが! このわしがあんなにも愛してやったのに! あの邪魔者を片付けたのに! どうしてわしを見ない!! 」
激高した父に気付いた騎士が駆けつけると、父は激しく抵抗を始めた。騎士はそんな父を拘束していた。
「そんな……」
「お母様?」
残された王妃は力なくその場に座り込み、異母姉が慌てて支えた。
「どうなさったの? お母様? お父様も?」
「アンジェリカ……」
「ねぇ、お母様どうしたの? ニーナってソフィの母親でしょう? そこでどうしてユーアン叔父様の名前が出てくるの?」
異母姉の疑問は私のそれだった。ユーアンが王妃の弟だとして、どうして母と関係があるのか。
「ユーアンは……あの子はニーナの婚約者だったのよ……」
王妃の声はか細く、消え入るようだった。
「話して下さいますか、王妃様」
王妃は拒まず、生気を失ったまま話し始めた。
ユーアン様は次男だったために騎士を目指し、王妃が王太子妃として王家に嫁いだ際に姉の護衛に命じられた。それから二年後、母が王妃付きの侍女として出仕し、何時からか二人は恋仲になっていたという。公爵家と言え次男では継ぐ爵位もなく、またユーアン様の方が積極的だったのもあって二人は婚約した。
だが、その母を父が見初めたことでこの関係は崩れた。父と母がユーアン様と王妃様を裏切り、関係を持ったからだ。しかも敢えて人目に付くような形で。これは社交界でも大騒ぎになった。結婚して三年経っても王妃に子が生まれなかったのも影響したらしい。
一方のユーアン様は、母がそんなことをするわけがない、何かの間違いだと主張し、父に母を返すように迫ったという。だが父はそれに応じず、最後にはしつこく詰め寄るユーアン様を不敬罪に問い前線に送ったという。そうしている間に母は私と弟を身籠った。ユーアン様が戻ったのは弟が生まれた直後だったが、彼は大怪我を負っていて、一年後に亡くなった。
王妃が母に殊更きつく当たったのはそういう経緯があったからか。ずっと不思議だったけれど、そうだと聞けば納得だ。弟の婚約者が夫の愛人になるなど、二重の裏切りだ。許せないのも当然だろう。
「ニーナが……ニーナが陛下を誘惑した。そうですわよね、陛下!?」
縋るように、乞うように王妃が父に問いかけた。
「ふぁはははは!! まだそんなことを言っているのか、哀れな女だな!」
「何を……」
「もしそうであったらどんなによかっただろうな!!」
「それでは……」
「ああ、お前の弟はとことん忌々しい奴だったわ。ニーナもそうだ!! いつまでもユーアンユーアンと!! わしがこんなにも愛してやったと言うのに!!」
やはり思っていた通り、母は父を恨んでいたのか。
「そ、んな……じゃ、ニーナは……そ、そうだったのなら、どうして一言私に……」
「それは無理だったろうよ」
「何を?」
「お前の父親もグルだったからな」
「お、お父様が!? そんな……」
王妃の顔が絶望に染まっていった。ああ、彼女もまた父親の駒だったのか……
「ああ。でも悪いのはお前もだぞ? お前が何時まで経っても孕まないから。公爵としても都合がよかったんだろうよ。没落した家の娘、しかもお前の侍女となればな」
「そんな……」
「あの頃は他家から側妃の話が上がっていた。公爵としては政敵の娘を側妃になど到底受け入れられるものではなかったんだろう。だからニーナをわしに融通してくれたのだ。息子は何人もいたから一人減ったところで替えはいる。公爵にとっては自分の息がかかった者が王子を産むことの方が大事だっただけだ。何ともまぁ、忠義なことよな。そう思わぬか、王妃よ」
別人のように饒舌になった父が恐ろしく見えた。




