皇子がやって来る
皇子が言っていた通り、エヴェリーナ様とのお茶会は中止になった。期限は不明だけど、異母姉に会う機会がなくなったのはホッとした。叩いたことに悔いはないけれど、人に手を上げた罪悪感はある。謝るのも腹立たしいので、顔を合わせないですむのは有難かった。
でも……
(だからって、どうして皇子がやってくるのよ?)
あの一件以来、皇子が頻繁に顔を出すようになった。特に用事があるわけではない。次の予定まで時間があるからとか、予定がキャンセルになったからとかそういう理由だ。だからってどうしてここに来るのか……
今日も面会がキャンセルになって時間が空いたからと言ってやってきた。当然のようにやって来て、当然のように侍女たちが皇子を通し、当然のように目の前でお茶を飲んでいる。
(もしかして、あの時言っていたことが、関係している……?)
『どうせ選ばれるのはこの子なんだから』
『皇后様に聞いたんだから! アルはこの子を推しているって!』
エヴェリーナ様が言っていた言葉が甦る。王妃選考はまだ折り返し地点、決めるのは早いだろう。でも困った……異母姉には任せられないから王妃にならなければと思うけれど、この皇子と夫婦をやる自信がない。殺伐とした主従のような夫婦になりそうで不安しかないのだけど……
「あの……」
「何だ?」
視線を向けられただけで身構えてしまう。これはあれだ、肉食動物と草食動物の関係に近いかもしれない。どうしても皇子の纏う威厳に委縮してしまう。ずっと人の顔色を窺って生きてきて癖になっているのだろう。私は異母姉だ、傍若無人なアンジェリカだと心の中で唱えてもそう簡単には変われない。
「ソ、ソフィは、どうしていますか?」
「さぁな。最近会っていないから知らぬ」
知らぬって……欠片も興味がなさそうだ。異母姉に慕われてまんざらでもなかったように見えたのに。
「週に一度交流していらっしゃるのでは……」
交流会は続いている。私は異母姉との面会を禁じられているから、私よりも顔を合わせているはず。
「最近は会っていない。今は教育をやり直している」
「ええ?」
どういうこと? 聞いていない。いや、帝国が一々私に報告する義務も義理もないのだろうけど。
「エヴェリーナへの振る舞いや俺への過度な接触を含め、淑女として疑問に思う行動が多い。あれでは王子妃など無理だ。帝国は品のない王妃を求めていない。今は交流会の時間も淑女教育の時間に当てている」
「そ、そうですか……」
納得だけど、そんなことになっていたとは。確かにあのままではこの先アシェルの恥になりそうで心配だったけれど。
「それに、帝国の思想を理解出来ていない。未だにアシェルで贅沢に暮らしていた頃を忘れられないようだ」
「え?」
確かに贅沢三昧だったし、我儘放題だった。あれ? でも……
「あれでは一生幽閉になるかもしれないな」
「幽閉!?」
いきなりの物騒な言葉に頭の隅に引っかかっていた何かが消えてしまった。気になるけど、こっちも聞き捨てならない。幽閉? しかも一生?
聞けば帝国の思想に馴染めない者は、一生僻地で幽閉になるのだという。帝国に絶対の忠誠を誓い尽くす者は帝都に留まれる。エヴェリーナ様のように。ただし、一生監視はつくらしいけど。
「……じゃ、私も……」
私こそ淑女教育を終えていない。受けたけれど終わる前に王妃の侍女になったから。
「その必要はない。そのまま励めばいい」
どうやら私には必要がないらしい。
「あ、あの、弟は……弟はどうしていますか? 手紙のやり取りはさせて頂いていますが、ずっと会っていないので……」
心配になったのは弟の方だ。どんな育て方をされたのか知らないだけに不安が募った。異母姉のように育ったのか、それとも……謁見の間で会った時の表情は無に近く、待遇がいいようには見えなかった。王太子として感情を出さないように教育されていたせいかもしれないけれど……
「弟なら恙なく過ごしているそうだ。帝国の教育にも素直に応じている。アシェルからついてきた侍女がよく仕えてくれて、最近は笑うようになったと聞いている」
「そうですか」
ほっと胸を撫で下ろした。侍女が付いてきたのは知らなかったけれど、未成年だから許してくれたのかもしれない。笑顔が増えたのはよかったと思う。あの時は怯えていたから無表情だったのかもしれない。若いから今から別の生き方を目指しても大丈夫だろう。先が長いのだから帝国で幸せを見つけて生きて欲しいと思う。
こうなると、異母姉の再教育はあの驕慢さが問題になったのだろう。贅沢と我儘に慣れ、それが当然だと考えている。自分以外の女性への対抗意識も強いままだし、あれでは今から矯正しても難しいんじゃないだろうか……
(って、あれ?)
さっき見失った違和感が記憶の底からすっと上って来るのを感じた。考えを止めそれに集中する。皇子は『贅沢に暮らしていた頃を忘れられない』と言った。確かに言った。間違いなく言ったけれど、それって……
「どうかしたか?」
急に考え込んだせいか、皇子が怪訝な表情で問いかけてきた。紅玉のような瞳が真っすぐにこちらを見ていた。この人の瞳はいつも真っすぐだなと思う。その色のせいでそう感じるだけかもしれないけれど。
「……殿下は、私たちが入れ替わっていると、ご存じだったのですね」
そう、前から時々感じていた違和感の正体はこれだった。時々会話がしっくりくると感じることがあったけれど、それは皇子が相手にしているのが「アンジェリカ」ではなく「ソフィ」だったと思えば納得だ。
「どうして、入れ替わっていたのを知りながら、王妃の言葉を鵜呑みにしたのですか?」




