憧れが壊れた日
「…………」
目が覚めた。ぼ~っとする頭のまま周囲を見渡すと、部屋は明るかった。部屋に入り込む日差しの長さから寝過ごしたのかと思ったけれど、カーテンは閉まっている。怠さもあって直ぐに起き上がる気になれなかった。もし寝坊してもティアが起こしに来てくれるからと、もう一度掛布の中に潜り込んだ。
「……リカ様、アンジェリカ様」
聞き慣れた声に意識が浮上した。今度こそ起きなきゃいけないらしい。そう思いながら目を開けてビックリした。ティアの横に皇子がいたからだ。
「な……!」
女性の寝室に入って来るってどういうこと? そう思ったけれど相手は皇子。頭の片隅で逆らってはいけないと本能が告げていた。いやでも、こっちは寝起きで髪はぼさぼさだし、人前に出られる格好じゃないんですけど? 思わず掛布を頭から被って顔だけ出した。
「で、殿下……」
顔が引き攣っている自覚はあるけれど、これくらいの不快感を表してもいいだろう。怖いけど、いざとなればティアが助けてくれるはず。ティアは皇子にも物申せるから。
「ああ、寝室に押しかけてすまない。だが、体調を確かめておきたかった」
「……」
「気分はどうだ? 身体で異常を感じることはないか?」
まさか心配されるとは。意外に思いながら見上げていると、重ねて気分が悪いのかと尋ねてきた。気分は……よくない。寝起きに部屋に突撃されて気分がいい令嬢はいないだろう。一応私も花も恥じらう乙女なんですが……
「……特には。ちょっと怠くて、頭がぼ~っとしていますが……」
改めて自分の身体を意識した。痛みは……ない。ちょっと怠いけど、それ以外では違和感はないし、気分も悪くない。お腹は……空いたけど。喉も乾いたけれど痛くはない。ぼ~っとしている頭から一番新しい記憶を引っ張り出す。何だか夢のようで現実感が薄いけれど、何があったのかは大体思い出した。足の付け根に違和感はない。うん、大丈夫。
「そうか」
皇子が思案顔で顎に手を添えた。考え込む姿も絵になる。今は魔王オーラが出ていないしティアがいてくれるからそれほど怖くはない。昨日のエヴェリーナ様と言い合っている姿は怖かったけど……って……
「あの、エヴェリーナ様は……」
いきなり媚薬ってどういうことだと尋ねるのもどうかと思い、エヴェリーナ様のことを尋ねた。あれからどうなったのだろう。
「エヴェリーナは当分謹慎。中庭の散策も禁止だ」
「あの、何か、罰的なものは……」
気になるのはそこだった。亡国とはいえ私も一応王族。薬を盛ったら国では処刑だけど、大丈夫なのだろうか。
「与えた仕事をやって貰う。休みなしで一月ほど」
「や、休みなしで?」
さすがにそれはどうかと思ったけれど、それですませたのだから相当な温情だと言われた。確かに処刑とか鞭打ちとか鉱山労働よりはマシなんだろうけど……
体調には問題なかったので、それからは簡単にあらましを教えて貰った。まずエヴェリーナ様だけど、彼女は薬師だった。マイエル王国は薬関係に明るく、王族にしか伝わらない希少な薬があるらしい。彼女はその薬を帝国の指示に従って作っているのだとか。作った薬は厳重に管理されているが、彼女は中庭にある草花を利用して媚薬を作っていた。手に入る材料が限られているので効果が薄いものしか作れなかったが、私が呑んだ丸薬がそれだった。
効果が薄かったため、解毒剤と睡眠薬で収まったという。強い薬だと解毒剤も利かず、放置すると気が狂ってしまうものもあるのだとか。そんな物騒なものでなくてよかった。作れるらしいけど材料がないから無理らしい。これからは気を付けようと自分に念を押した。
「それにしても……どうしてあんな薬を飲んだ?」
やっぱりそう来たか。来るとは思っていたけれど。
「誠意を見せろと言われたもので」
「誠意だと?」
異母姉の無礼のお詫びに飲んだのだと、ああなった経緯を説明したら、思いっきり睨まれた。
「エヴェリーナが俺を慕っていた!?」
一番怖い顔をしたのはそこだった。物凄く嫌そう。エヴェリーナ様に失礼過ぎやしないか。そう思っていたのだけど……
「エヴェリーナが好きなのは叔父上だ」
「は?」
「あいつは叔父上を一目見た時から、ずっと叔父上しか見ていない」
皇子がはっきりと言い切った。皇子の言う叔父上は皇弟殿下、今アシェルにいるルードヴィグ様だという。九年前に皇弟殿下がマイエルを滅ぼした際、謁見の間で対面して一目惚れし、それから一途に想っているのだという。何歳差なんだろう。そして皇弟殿下、独身だったのか。それも驚きだけど……
「えええ? じゃ、殿下との婚約は……」
「あんなものは政略以外の何物でもない。俺は笑いながら毒を盛るような女はごめんだ」
物凄く嫌な、嫌悪感満載の顔をされた。どうやらこれまでも色々とあったらしい。気になるけれど、とっても気になるけど、そこに触れてはいけない気がした。実験台という単語が頭をよぎった。
「そんな……エヴェリーナ様は理想の王女じゃ……」
「あの女が理想? ああ、まぁ、被っている猫は一級品だがな」
私の理想は呆気なく崩れた。色々あったけれど、これは一番ショックだった。憧れていたのに……
「とにかく、完全に薬の影響が抜けるまで休め」
そう言うと皇子が頭を撫でて出て行った。思いがけない行動に頭が真っ白になる。
(い、いいいい今のは何? 頭撫でられた? 何で? どうして? )
今までで一番の謎だ。ちらとティアを見ると、こちらも珍しく驚きの表情を露わにしていた。
「……ティア、今の……見た?」
「ええ」
「何が、起きたの?」
「殿下がアンジェリカ様の頭を、撫でられました、わね。意外ですわねぇ、そんなことする方じゃありませんのに」
ティアは頬に手を当てて困惑していたけれど、私よりは冷静だった。何だったんだ、今のは……
「アンジェリカ様、気にしても仕方ありませんわ。まずは解毒剤をどうぞ」
「……ありがとう」
困惑しながらも解毒剤を飲んだ。記憶に残っていた通り、あまり飲みたくない味だった。こうしていただけでも疲れたし、身体が怠い。まだ薬の影響が残っているから数日は大人しくしている様に言われた。
ベッドに横になったまま、あの時の事を思い返す。あの時エヴェリーナ様は私が王妃に選ばれると言っていた。皇子が私を推しているとも。あれは媚薬のせいで意識が朦朧としていた。それで見た白昼夢だったのだろうか。異母姉を王妃にしたくない思いに変わりはない。それでも、二人が私を推しているとは信じ難かった。




