謝罪と誠意
右手がジンジンと熱を持ち、私の心臓がこれまでにないほどに脈打っていた。エヴェリーナ様への暴言が許せない。これまでの恨み辛みも加わって、生まれて初めて人に手をあげてしまった。でも、後悔はない。
「あ、あんた……わ、私に……」
異母姉は頬に手を当て、目を見開いて私を見上げていた。これまで私が反抗したことがなかったから、まさか叩かれるとは思わなかったのだろう。
「よ……っ、よくも……よくもこの私に手を挙げたわね!!! ソフィのくせに! 生意気な! こ、こんなことして、ただで済むと思っているの!?」
これまで父や王妃からも手を挙げられたことはなかったのだろう。繕うことを忘れて本性が露わになっていた。私をソフィと呼ぶなんて。それだけショックが大きかったのか。
「あなたには、人の心がないの?」
「な、なによ……」
すっと目を細め真顔で一歩踏み出すと、怯えたのか異母姉が一歩下がった。叩かれたことがかなり効いているらしい。
「エヴェリーナ様への無礼を謝りなさい」
表情を込めず、静かにそう命じた。
「な、何で私が! ほ、本当のことでしょう!」
声を荒げているけれど、声は震えていた。意外だ。思った以上に気が小さかったのかもしれない。
「仮に本当のことだとしても、その年で言っていいことと悪いことの区別もつかないのかしら? あなたは皇后様にも同じことを言うの?」
「なっ……!」
「ねぇ、どうなの? 言えないのなら今の発言は言うべきではないものと理解しているって事よね。言えるのならそれはそれで大問題だわ。子どもでも弁えていることを理解出来ないのだから」
今まで許されたとしても、これからはそうもいかない。アシェルの王妃になったとしてもだ。アシェルは帝国の属国となり、帝国の者が常に見張り続けるだろう。他国からの目も厳しくなる。国王は皇族として敬われても、王妃は敗戦国の末裔として見下されるのは間違いない。そんな中で今の態度を続ければどうなるか……そんなこともわからないのだろうか。
「な、何よ、生意気な! あんたなんかにつべこべ言われる謂れはないわ。しかもこの私を殴るなんて……! く、国に帰ったら覚えてなさい! お母様に言い付けてやるんだから! ア、アルヴィド様にだって言いつけてやるわ!」
目をつり上げて叫ぶ姿にさっきまでの可憐な面影はどこにもなかった。アシェルでは散々見てきた姿だから怯むことはない。それに、未だに王妃に力があると思っているのだろうか。命すらも危ういだろうに。
「どうぞ。だったら私はあなたのエヴェリーナ様への無礼を報告します。ああ、嘘なんて書かないから心配しないで。今のやり取りは侍女や護衛が見ているから、誇張してもばれてしまうからね」
そう言って笑みを向けた。きっと私も嫌な顔をしているだろう。赤い顔が一気に色を失った。私たちは監視されているのだということを、どうして忘れてしまえるのだろう。
「そ、そんなの……」
「ねぇ、前に言った言葉を忘れたの?」
「な、何を……」
「私たちは常に監視されているの。最近まで敵国だったアシェルと、ここに長くお暮しで殿下の婚約者候補にまでなったエヴェリーナ様。あなたならどちらを信じる?」
碧い目を大きく見開いて私を見上げたけれど、頬に赤みはなかった。強く叩いてしまったと思ったけれど、その程度なのか。だったら王妃はどれほどの力を込めていたのだろう。
「エヴェリーナ様、大変申し訳ございませんでした。改めて謝罪させて頂きたく存じますが、今日はこれで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」
さすがにこれ以上お茶会を続けるのは難しいだろう。謝罪もこの場で終わらせるよりも改めて場を作って貰った方がいいだろうし。それは帝国にお願いするしかないけれど、有耶無耶にするのはエヴェリーナ様に対して失礼だ。
「わかりました。ああでも、アンジェリカ様、この後よろしくて?」
「え? あ、はい」
まさか呼び止められるとは思わなかった。でも、エヴェリーナ様が望むのなら拒否出来る筈もない。改めて私だけでももう一度謝罪しよう。
異母姉はそのまま侍女と護衛騎士に囲まれて部屋へ戻っていった。俯いたままで最後まで謝罪の言葉はなかった。謝れば死ぬわけでもないだろうに。
「妹が大変失礼致しました」
いつの間にかテーブルは片付けられ、横では侍女が新しいお茶の準備をしていた。着席を求められたけれど、座る前に深く頭を下げて謝罪を口にした。私のせいではないにしても形式上は妹。身内としての謝罪は必須だ。なぜ姉の不始末を妹の私が……と思わなくもないけど。
「謝罪は結構ですわ」
「はい。それで済む話ではないことは承知しております」
謝罪が不要だということは、許す気がないということだ。強要することも出来ない。
「とにかくお座りになって。それでは話も出来ませんから」
「……失礼します」
そう言われてしまえば従うしかない。私は慎重に腰を下ろした。侍女がお茶の準備をする間も沈黙が続いた。気まずい事この上ない。どうして私がこんな役を……と思ってしまう。私は異母姉の保護者じゃない。
「さて、やっと静かになりましたわね。一度あなたと二人でお話したいと思っていましたの」
「そうですか」
「ええ、いつも妹君がお一人でさえずっていらっしゃるから」
「躾が行き届かず申し訳ございません」
謝罪は不要と言われたけれど、他に返す言葉が思い浮かばなかった。異母姉の教育は王妃の責任で私のせいじゃない。そうは思うのだけど、アンジェリカとしてソフィの不作法を謝るしかない。
「ねぇ、アンジェリカ様、私、怒っておりますのよ」
「それは……当然のことでございます。何とお詫び申し上げていいのか……」
秀麗な眉に不快の念が込められているのが見えた。それでもその気品が損なわれない。
「何度も申し上げましたが、謝罪は結構ですの。どうしても謝りたいと思われるのなら、誠意を見せて下さいませんこと?」
「誠意、でございますか?」
「ええ」
いきなり誠意を見せろと言われても、直ぐにはピンとこなかった。今の私に出来ることなどあっただろうか。
「私は今、何も持たない身です。それでも、私に出来ることでしたら」
そういうとエヴェリーナ様は、じっと私の目を見た。居心地が悪いけれど逸らすわけにもいかない。暫くすると、エヴェリーナ様が指輪を外して、宝石の部分を軽くひねった。
「その言葉に偽りがないと仰るのなら、これをお飲みください」
そう言って差し出されたのは、小さな一粒の黒い丸薬だった。




