異母姉が倒れた
皇子との交流は彼の話を聞くのが常だった。最初は互いの身上や趣味、アシェルや帝国の話が続いたけれど、最近では皇子がこれまでに行った場所や戦場の話が中心になっていた。
その日はいつの間にかアシェルとの戦争の話になっていた。両国の戦いは帝国の圧勝で、皇子は我が国が戦いに備えていなかったことを問題視していた。無策での宣戦布告は犠牲を増やしただけで、父王は控えめに言っても無能で無責任だった。その証拠に、帝国軍が投降すれば命の保証をすること、軍門に下れば民や街、農地には手を出さないと告げるとあっさり投降した。そのせいであっという間に王都は陥落し、民の被害は少なくて済んだ。皮肉なものだ。
「父は王として失格でしたわ。最後まで我が身のことしか考えていませんでしたから」
「仰る通りだな。それにしても……アンジェリカ嬢は手厳しいな」
「え?」
どういうことだろう。そんなに厳しかっただろうか。
「あなたは王女として贅沢に育っただろう? なのに父親に批判的なのが意外だなと思って。ソフィ嬢がそう言うのであればわからなくもないが」
「そ、それは……」
「ソフィ嬢からは王や王妃に対しての不満を聞いたことがない。彼女は王妃の侍女をさせられていたのだろう?」
「え、ええ……」
「あなたは王妃の子、ソフィ嬢は側妃の子。なのにあなたたちの言動は私の想像の逆をいく。民に寄り添うのはいつもあなただ。ソフィ嬢の口からは民の話を聞いたことがない」
足を、手を、冷たく見えない手が引き摺り込もうとする感覚に襲われた。私たちの入れ替わりに気付いたのだろうか。言動には気を付けていたけれど、異母姉はどうだったろうか。そう考えてやめた。彼女が自分以外を気にするとは思えなかったからだ。
「ソフィは……妹は、きっと浮かれているのですわ」
「浮かれている?」
「ええ。あの子は、ずっと王女として扱われていませんでした。ですが、ここでは王女として私と同じように扱って頂いています。それで、浮ついているのでしょう」
言い訳としては苦しいものだけど、そうとしか答えられなかった。皇子が信じてくれるとは思えない。これで納得させるのは無理だろう。それでも……他の理由が思い浮かばなかった。
「……そうか」
皇子から返ってきたのはその一言だった。意外過ぎて何か裏があるのかと疑ったけれど、皇子の表情は変わったようには見えなかった。それが逆に不安を掻き立ててくる。
その後、皇子が話題を変えた。そのことに安堵しながらも、気付かれたのではないかという不安は一層深まった。
(もしかして、泳がされているのかしら?)
帝国が調べた報告を王妃の証言一つでひっくり返したのは帝国だ。それは帝国らしくなく、帝国に来てからはその思いが強まるばかりだ。でも、そうする理由がわからない。そんなことをしても混乱をより深めるばかりで、帝国には何の利もないように見えた。だからこそ余計不安になった。
それら十日ほどが経っただろうか。朝から廊下に慌ただしく靴音が響いた。何事かと不審に思っていると、ティアが様子を見てくると言って出て行った。私は部屋から出られないから彼女の報告を待った。ここには私と異母姉しかいないから、異母姉に何かあったのだろうか。
「ええっ? ソフィが熱を?」
戻ってきたティアがもたらしたのは、異母姉が熱を出して寝込んだという話だった。昨日はどうだっただろうかと思い返して、そういえばいつもより嫌味や愚痴が少なかったような気がした。
「昨夜も怠いから早めに休むと仰って、課題を残してベッドに入られたそうです。ですが、今朝侍女が起こしに行ったところ、高い熱を出されていたそうです」
「そう」
ここにきて四月近く経つけれど、ここでの暮らしは決して楽とは言えなかった。衣食住は十分に整っていたけれど、とにかく身体を休める時間がないのだ。
朝食後に始まった授業は、昼食と授業の合間のわずかな休憩時間を挟んで夕食前まで続く。夕食後は自由時間だけど課題が必ずあり、予習と復習も必要だ。内容が多いので復習しないと頭に入りきらないし、出来なければその後の授業に障る。予習前提で授業が進むので予習も欠かせない。お陰で睡眠時間を削るしかないのだ。
週に一度休みがあるけれど、それに合わせて大量の課題が出る。休みの日もいつもより長めに睡眠時間が取れるくらいで、全く休まる時がなかった。
「それでは、今日の授業は私だけに?」
「いえ、感染性の可能性もあるので、それがはっきりするまで授業は中止だそうです」
「中止に……」
「はい。指示があるまでは自室にて待機下さる様にとのことでした」
急に今日の予定がなくなってしまったので、私はこれまでの復習をすることにした。授業の進みが早いので、おぼつかないところが多いからだ。
異母姉の熱は中々下がらないらしく、それから四日経っても授業が再開する気配はなかった。一度見舞いに行こうと思ったけれど、ティアに止められた。感染性のある病気の可能性があったからだ。異母姉に仕える侍女の一人も昨日熱を出したらしく、それもあって異母姉の部屋への出入りは厳しく制限されているのだと言われた。
その日の午後だった。複数の靴音が近づいてきて、私の部屋の前で止まった。何事かとティアと顔を見合わせると皇子が入ってきた。
「アンジェリカ嬢、ソフィ嬢の件で話を聞きたい。あなたが彼女に課題を押し付けているというのは本当だろうか?」
「……わ、私が、ソフィに課題を?」
いきなりそんなことを言われて面食らった。告げられた内容は全く思いもしないものだったからだ。聞けば熱を出したソフィを皇子が見舞ったところ、倒れたのは私から課題を押し付けられていたからだという。無理が重なって限界を超えたと周りに泣きついたのだとか。
「課題を押し付けって……」
そんなこと、どう考えても無理だろう。私たちは会話する隙がない。常に侍女と護衛が控えているし、話をするなら授業と授業の間の僅かな時間だ。それでも侍女と護衛が側にいる。
「そんなことしていません。そもそも教室での私語は禁じられていますから」
「そうか? ソフィは昼食時や授業の合間に、メモで指示をしてきたと言っている。それがそのメモだ」
皇子がテーブルに出したのは、紙の切れ端だった。
『ソフィへ。今日の分の課題をやっておきなさい。アンジェリカ』
たったそれだけが走り書きされていた。




