第十九話
天文22年(1553年)
裁定取引による鋳銭事業の滑り出しは、こちらの想定以上に順調だった。
蟹江の勘定方が月ごとに帳簿をまとめて持ってくる。
年の半ばを過ぎた頃、私は広間に帳面を並べ、父・秀政と向き合っていた。
「……ここまでで、織田・伊松、それぞれ三千貫ずつ」
勘定奉行の声は、かすかに震えていた。良い意味で、である。
「年明けからの積み上げで、今年は九千貫には届きましょう」
父は帳面に目を落としたまま、ゆっくりと息を吐いた。
「九千貫、か」
墨で書かれた数字の列をじっと眺めながら、その意味を噛み締めるように呟く。
「兵糧に振れば、三千の兵を二年は養える。
船に振れば、伊勢湾一帯の海の主にもなれる」
父はふと顔を上げ、私を見る。
「秀興。よくやった」
その一言だけで、十分だった。
「……まだ“始まり”にすぎません。
堺との連携もようやく形になってきたところ。
これから、東国筋の窓口をさらに増やす必要があります」
「うむ。そのための“余力”が、ようやく見えてきたということよ」
父は筆を取り、脇に置かれた別の帳面を開いた。
山科家との往復書状の控えである。
「このうち千貫を、山科家を通じて朝廷へ献上する。
内裏の修繕は、いまだ道半ばだからな
それに、先の大寧寺の変により朝廷を支えていた義隆公が亡くなり、
献金が途絶えたと聞く」
「山科家には、鋳銭についてどのように伝えますか」
私の問いに、父はかすかに笑った。
「“私鋳銭”と、匂わせる程度でよい。
朝廷も、銭の出どころをあまり強く問う余裕はない。
陶某により二条准三宮様や持明院権中納言様が討ち取られ、
武家へ深く関与することには及び腰だろう。
山科家被官といはいえ我が家も武家のようなもの、
大事なのは、“京へ金が上がった”という事実よ」
すでに山科権中納言への文は整えられており、
そこには婉曲な言い回しで、
――蟹江・津島において、新たな鋳造の試みを行っていること
――その利益の一部を以て、内裏修理の一助としたいこと
がしたためられていた。
「山科は、それが“私鋳銭”であることに気づいていような」
父の声色には、わずかな愉悦が混じっていた。
「しかし、表立って咎めることはあるまい。
内裏の壁一枚でも直るなら、目をつむるさ。
公家とて、生きねばならぬ」
私は頷いた。
「では、この千貫は“権門との縁を太くするための銭”というわけですね」
「そうだ。
これから先何かと朝廷との縁が必要になってくるだろう」
こうして、鋳銭事業の利益は、
単なる富の蓄積だけでなく、京との関係強化にも使われていくことになった。
一方で、家中の議論は別の方向にも向かっていた。
「予算に余裕ができた今こそ、一向一揆対策に本腰を入れるべきかと」
そう提案したのは、軍奉行の一人である古市又兵衛だった。
「木曽川の尾張側の川岸沿いに、砦や櫓を連ねます。
長島へ向かう陸路も川筋も、すべて“見える”ようにしておくのです」
広間に簡易な地図が広げられ、
木曽川と長良川、その間の中州や渡し場に印がつけられていく。
「将来的に“長島そのもの”を封鎖することにもなりましょう。
伊松水軍の船着き場も合わせて整備すれば、
川を行き交う船の腹も、すべて“改め”できます」
父はじっと地図を眺めてから、私を見る。
「秀興、どう思う」
「悪くありません。
我らがこの地を治め続ける限り、長島は常に“危険の種”です。
今のうちから川筋を押さえておけば、
いざという時には、災いをその場で止められる」
私は指で川筋をなぞった。
「砦は一定間隔で小規模なものを。
要所となる渡し場には、やや大きめの櫓と兵を置く。
普段は通行税の徴収と見回り、
有事には“川そのもの”を遮断する拠点となるようにしましょう」
「……費用はかさむぞ」
「しかし、今なら可能です」
私は先ほどの帳簿を広げた。
「鋳銭事業によって生まれた“余剰”は、単に蓄えるだけでは意味がありません。
この尾張南部一帯――特に木曽三川筋を“城そのもの”と見なすなら、
ここへの投資は、いずれ何倍にもなって返ってくるでしょう」
父は、しばらく考え込んだ後で頷いた。
「よし。
木曽川沿いの砦と櫓の建設、進めよ。
ただし、あからさまな“対一向一揆”ではなく、“河川の治安維持”を名目とするのだ」
「承知」
寺社との関係を決定的にこじらせるわけにはいかない。
名目と実際を巧みに使い分けねばならないのが、この時代の政の難しさでもある。
同じ頃、那古野の信長からも書状が届いていた。
《鋳銭の益、今年は九千貫に届くと聞いた。
そなたの読み、またも当たったな。
こちらも、その銭を領内の開発と、幕府・朝廷への献金に充てておる。
“弾正忠家は尾張の一国衆にあらず”と知らしめるには、
京・近江への道を押さえるだけでは足りぬ。
“銭”をもって、名を刻まねばならぬのだ。》
信長らしい筆致だった。
(こちらが木曽川沿いに砦を並べている間に、
信長殿は“名と格式”を整えようとしているか)
領内の開発。
那古野・古渡の城下町の整備や、田畑の開削、
商人・職人の保護などにも、この鋳銭の銭は使われている。
(戦のない年など、そう多くはない。
だが、“戦がないうちにどこまで形を整えられるか”で、
いざという時の強さが決まる)
私は信長からの書状を読み終え、そっと巻物を閉じた。
蟹江の港では、相変わらず水軍の船が行き交い、
鍛冶場では、鋳型に流し込まれた銅が永楽通宝へと姿を変えていく。
その銭が、尾張を巡り、やがて京へ、東国へと流れていく。
夏を迎え、蟹江の港は白い陽光に焼かれていた。
水面はぎらぎらと鈍い光を返し、ぬるい潮風が屋敷の障子の隙間から流れ込んでくる。
畳の上を撫でる風はほとんど涼を運ばぬが、それでも、汗ばむ衣をわずかに揺らした。
「……今年は、ことのほか暑いな」
父・秀政が扇で首筋をあおぎながら呟いた。
私は文机の上に置かれた二通の書状を見比べていた。
ひとつは美濃・稲葉山城下の木材問屋から、もうひとつは那古野の信長からのものだ。
「信長殿、正徳寺で道三と会うとのこと。
和睦の再確認に加え、交易の筋も改めて定める由にございます」
父は頷き、木材問屋からの帳簿に目を落とした。
「美濃の材木は質がよい。鋳銭にも欠かせない。
木曽川の砦や櫓を組むにも、欠かせぬな。
そのことを、信長殿に“口添え”していただくのは悪くない」
「既に親書は託しました。
美濃の材木を蟹江へ優先的に流すこと、
その代わり、こちらは塩と鉄、それに一部の工芸品を割安で供給すること――
この辺りを、会談の折に道三殿へ伝えていただくようにと」
父は軽く笑った。
「桃厳殿の代では戦ばかりだったが、さすがは元油売りといったところか。
道三殿は商いにも精通しておるな」
その数日後、信長からの返書が届いた。
《正徳寺にて、義父道三と会した。
父の代からの和睦は改めて確認され、
美濃と尾張の境も、互いに手を出さぬことで一致した。
そなたの申し出た材木と塩・鉄の取り決めも、道三は快く承諾した。
美濃の材は、これからも流させる。
尾張の港と商人を、うまく使えとな》
文面の端には、
《あの老獪な蝮も、“そなたのことは気に入ったようだ”》
という一文が記されていた。
(はてさてどのように私の事をはなしたのやら、
斎藤道三と信長殿の仲は、今のところ良好――か)
それは、これからの尾張の動きを考えるうえで、大きな安心材料であった。
しかし、その安心は長くは続かなかった。
六月に入るとすぐ、山伏衆の弁増が汗だくで蟹江に舞い戻ってきた。
「殿――! 今川勢……和睦を破棄致しました!」
「落ち着いて話せ。何があった」
弁増は深呼吸し、報告を続けた。
「鳴海城主、山口教継が、今川へ寝返りました。
天白川を越え、駿河勢を尾張へ引き入れております。
兵、二千ほどと見受けました」
「……和睦を破ってか」
父が低く唸った。
鳴海は、尾張南東を抑える要衝。そこが今川方へ翻ったとなれば、
尾張の南の防衛線に大きな穴が開いたも同然だ。
「信長殿は?」
「すでに那古野で兵を集めておられます。
常備兵を中心に、千五百ほどを率いて天白川へ向かったとのこと」
「動きが速いな」
私は即座に判断した。
「我らは……今回は、水軍衆を動かすべきでしょうか」
父は首を振る。
「我らは出ない方が良い。
此度の裏切りは、織田家中の問題。
ここで伊松が軍を動かし、山口を討ち取ってしまえば織田家中も面白くはないだろう」
「では、兵糧と弾薬、薬を――」
「それで十分よ。
信長殿単独でも今川と渡り合えると示さねば、
お主の考える織田家の下の尾張統一はならぬぞ」
結果、その判断は正しかった。
天白川の渡河戦は、信長が常備兵を巧みに動かし、
鳴海方の今川勢を打ち破って追い返した。
山口教継・教吉親子は戦死し、鳴海は再び織田の手に戻る。
程なくして届いた信長からの一筆には、
《此度の鳴海の一件、
“裏切ればこうなる”と国中に知らしめることができた。
兵糧と薬、確かに受け取った。
そなたが動く前に片付けられて、少しは鼻を明かせたな》
と、わざとらしい自慢と、それを上回る安堵が滲んでいた。
(……強くなったな、信長殿)
そう思うと同時に、
“今川との次の衝突は、もっと大きなものになる”という予感もあった。
そして八月。
尾張の命運を左右する一手――
清州城乗っ取りの報が届いたのは、やはり山伏衆からの密書だった。
「殿、清州にて動きがありました。
信長様と、守山の信光殿が……」
「……やったか」
私は、密書を開く前にすでに察していた。
清州は、もともと守護・斯波氏と守護代・清州織田家の拠点。
弾正忠家が頭を一つ抜けた今もなお、「形式上の中心」は清州の筋にあった。
そこを押さえることは――
“尾張の名実を握る”ことと同義である。
信長の文には、余計な飾りはなかった。
《清州の城は押さえた。
清州織田家の坂井大善によって斯波武衛様は討ち取られたが、
義統様の子は保護することが出来た。
これよりは尾張の守護代格として、対外へ示すことができる。
今後、尾張の政は清州と那古野をもって行う。
そなたには、従来どおり南の海と木曽川筋を頼みたい》
簡素な言い回しの裏に、血と謀と、ぎりぎりの綱渡りが隠されていることは、
想像に難くない。
父とともに、その文を読み終えたあと、しばし沈黙が流れた。
やがて、父・秀政がぽつりと言う。
「……これで、残すは犬山の織田伊勢守家となったな」
「はい。
尾張統一まであと少しとなりました。
犬山を落とした折には、先を考え、我が家も弾正忠家の下へ着くべきと考えますが」
父はうなずいた。
「そうだな。家中の意思を統一せねばならぬが、先を考えればそうすべきだろう。
我が家だけでは、今川や美濃を相手に戦は出来ぬしな。
伊勢も長島の一向門徒に桑名は禁裏御料と、軽々に支配することは叶わぬ」
私は障子の向こうに広がる空を見上げた。
夏の強い日差しはまだ衰えず、港の方角からは、
舟板を叩く音と、荷を運ぶ掛け声が微かに届いていた。
(尾張が、ようやく“一つの形”になりつつある)




