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異聞・戦国奮闘記  作者: 峰ジスト


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第十八話

天文21年(1552年)

末森での一件から、そう日を置かぬうちに、

那古野城では重臣をすべて呼び集めた沙汰の場が設けられた。

広間には、林秀貞・平手政秀・佐久間盛重・内藤勝介ら弾正忠家中枢の面々が並び、

その上座には、すでに“家の長”として信長が座していた。

床几の前には、縄で縛られた津々木蔵人、林通具をはじめとする末森衆が跪かされている。

顔色は土のようにくすみ、うつむいたまま、時折肩だけが震えていた。


平手政秀が証拠の書状を改めて読み上げる。


「……これらの文言、まぎれもなく“弾正忠家の家督を勘十郎信勝へ移し、

 那古野三郎信長を排除すべし”とありまする。

 津々木蔵人、林通具、これに相違はござらぬか」


問われても、二人は唇を噛み締めるばかりで、言い訳ひとつ口にできない。


しばしの沈黙の後、信長が低く言った。


「もはや聞くまでもない。

 父の葬儀を利用し、家中を割る謀、弁明の余地はないと見なす」


その言い方は静かだったが、広間の空気を一気に冷やすだけの鋭さを帯びていた。

佐久間盛重が進み出て、裁定を告げる。


「津々木蔵人、林通具以下、末森にて謀反に加担した者ども――

 所領はことごとく没収、家名断絶。

 そのうえで、全員、斬首と致す」


広間のあちこちで、小さな呼吸の乱れが起こる。


私は黙ってその様子を見守っていた。

伊松家から直接口を挟むことはない。

だが、この決断が今後の家中を大きく左右することだけは明らかだった。


「また――」


佐久間は続けた。


「熱田にて、密かに武具や銭をもって末森衆を支援していた西加藤。

 こちらは財産没収のうえ、信勝殿が安堵していた利権の一部を、東加藤へと譲渡と相成り候」


熱田の名が出たとき、信長の表情がわずかに動いた。


東加藤は、これまで信長側と深く結びついていた問丸筋。

西加藤が没落すれば、自ずと熱田は“東加藤中心”の勢力図に変わる。


「これにより、熱田は東加藤を頭目とし、

 殿をお支えすること、疑いござらぬでしょう」


平手政秀が言い添える。


熱田の商圏は、今後、信長の経済基盤の重要な一角となる。

西加藤の処断は、単なる懲罰ではなく、“金と人の流れ”そのものの組み替えだった。

そして最後に、問題の中心にいた末森の若殿――

勘十郎信勝への沙汰が下された。


信長は、まっすぐに彼を見据えた。


「勘十郎」


呼びかけられた信勝は、青ざめた顔で顔を上げる。


「……は」


「そなたの周りに集った者どもは、たしかにそなたを利用しようとした。

 だが、そなた自身もまた、それを拒めなかった」


信長の言葉は、責めるよりも、切り捨てるような静けさがあった。


「尾張弾正忠家の家督は、父・信秀の遺志どおり、この三郎信長が継ぐ」


広間の空気がぴんと張りつめる。


「勘十郎信勝――“織田”の姓を剥奪し、今より“津田”を名乗れ。

 末森城主の座も没収とする」


そこまで告げると、信長は一拍置いて続けた。


「ただし、そなたの命までは取らぬ。伊松家預かりの下、出家せよ。

 武家の道から外れ、仏門に入るがよい」


信勝は、膝の上で握りしめた手を震わせながら、

かろうじて声を絞り出した。


「……御意」


それが、彼の武士としての最後の言葉となった。


こうして――

末森をめぐる謀反の芽は、根元から断ち切られた。


末森衆の主立った者たちは斬首。

西加藤家は没落し、熱田の利権は東加藤へと移り、

東加藤は“信長支持”を明確にする形となる。


信勝は“織田”を奪われ“津田”となり伊松家の預かりとして出家の身へ。


その知らせが尾張一円へ広まるにつれ、「誰が次の弾正忠家の主か」という問いに、

もはや異論を挟む者はいなくなった。


織田三郎信長――

この名が、“弾正忠家のすべて”を継いだ新たな当主として、

尾張中に染み渡っていく。


沙汰がすべて終わった後、

広間に残されたのは、信長と、ごく少数の重臣たちだけだった。


私は、少し距離を保ちながら、その横顔を見つめる。


(……これで、名実ともに“織田の主”か)


父・秀政が静かに私の側へ寄り、低い声で囁いた。


「これで、弾正忠家の中の“不安の種”は、ひとまず取り除かれた。

 あとは、この家をどこまで“外”へ向けて動かせるかだ」


信長は、ふとこちらを振り向き、ほんのわずかに笑みを見せた。

その笑みには、悲壮な決意と、それでも前へ進まねばならぬという、

若き当主の覚悟が宿っていた。


数日後、

末森の沙汰も落ち着き、那古野の空気がようやく澱みを抜き始めたある夕刻、

私は信長に「二人きりで話したい」と申し出た。


場所は那古野城内の一室。

障子越しには陽が傾き、赤く射し込んでいた。


信長は朱鞘の大刀を脇に置き、どこか機嫌の良さそうな顔で言う。


「秀興、今日は妙にかしこまっておるな。

 何かまた“面白いもの”を持ってきたのであろう?」


私は軽く礼をし、文箱から数枚の帳簿と見取り図を取り出した。


「――はい。

 織田家と伊松家、それぞれの財政基盤を強固にするための“共同事業”です」


信長の目がわずかに細くなる。


「ほう……金の話か。

 それなら、なおさら興味が湧いてくるわ」


私は帳簿を広げ、手短に説明を始める。


「まず、西国と東国では、流通銭の価値に大きな差があります。

 畿内では渡来銭や私鋳銭など多くの銭が流通しておりますが、

 その分悪銭・鐚銭も多く流通しており、精銭との交換比率は地域差が大きい。

 一方、東国では明銭の永楽通宝が好まれ、他の銭は割引が甚だしい」


信長は顎に手を当て、黙って聞いている。


「西は博多や坊津、畿内の堺、東国の品川湊、江戸港から我が水軍を用いれば、

 “鐚銭・悪銭を大量に安く仕入れ”を“精銭化”して領内や東西各地へ流すことができます」


言いながら、私は用意していた銭の試作品を信長の前へ置いた。

悪銭を溶かし、不純物を抜き、新たに鋳造した永楽通宝である。


信長がそれを手に取り、光にかざした。


「……見事なものだな。

 これが鐚銭から生まれたとは思えん

 商人どもの反応はいかほどか」


「はい。

 試しに堺での商いに使用したところ問題なく支払うことができました。

 試算ですが、鐚銭百貫につき精銭七十貫ほどが作れます。

 運搬には、伊松水軍の“遠洋航行船”を用いるため、大量輸送も安全に行えます」


信長の口元がわずかに吊り上がった。


「つまり秀興――

 “価値の低い銭を高値に化けさせる”わけだな?」


「ええ。

 もちろん、朝廷の許可を得た“鋳銭”という形にできれば幸いですが、

 流通してしまえばこちらのもの。

 そして……うまく運用すれば、年一万貫ほどの収益が見込めます」


信長の目が鋭く光った。


「一万貫……!」


信長はしばらく無言で考え、やがて深く息を吐いた。


「金とは、ただ兵を養うだけではない。

 家中をまとめ、人を動かし、時に国を左右する……

 秀興、そなたはそれをよう知っておるな」


私は軽く頭を下げる。


「商いは伊松家の家業のようなものです。

 尾張の統一を急ぐならば、戦と同じだけ金も必要です。

 その基盤を――織田と伊松で共に作りたい」


信長はゆっくり立ち上がり、外を眺めた。

那古野の町並みが橙色の光に染まっている。


「……秀興。

 そなたとなら、尾張を“新しい形”にできるかもしれん」


振り返った信長の目は、炎のように揺れていた。


「この事業――乗るぞ。

 織田と伊松の名で、銭の流れを握る。

 いずれは尾張だけでなく、美濃も三河も……

 金の流れで押さえ込めるやもしれん」


思わず私も微笑んでいた。


「では、まず堺と東国の窓口を固めます。

 蟹江と那古野の両替所を拡張し――」


信長は力強く頷いた。


「良い。やれ。

 秀興、そなたの企みはいつも痛快だ。

 戦も、銭も、世の仕組みそのものも……

 ひっくり返してしまおうぞ」


炎のような夕陽の中で、

新たな“尾張二頭体制”が静かに始動した瞬間だった。

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