第十七話
天文21年(1552年)
春の陽が、まだ冷たさを残す風の上から、そっと地上を撫で始めた頃――
尾張の虎と呼ばれた男は、静かにその生涯を閉じた。
織田備前守信秀、死す。
その報は、那古野から尾張一円へ、驚くほど早く、しかし淡々と広がっていった。
人々は「ついに来たか」と囁きつつも、どこか現実味を持てていないような空気を纏っていた。
葬儀は那古野城下、信秀自らが建立を進めていた万松寺にて行われた。
万松寺東堂の桃厳と法名を名付けられ、銭施行をひかせ盛大な御弔いとなる。
新しい木の香がまだ色濃く残る伽藍に、僧衣の波が押し寄せる。
尾張の国衆、在地の土豪たちはもちろん、関東との往来を生業とする会下僧たちを指導する、
尾張の名のある僧衆が集結していた。
僧衆や会下僧を支援する信秀は「道中を保障し、布施を惜しまぬ武家の棟梁」であったのだろう。
万松寺の境内は、黄や墨色や濃紫の法衣で埋め尽くされていた。
読経の声が幾重にも折り重なり、耳の奥を震わせる。
禅宗の文句が、途切れることなく続く。
私は、志乃と並んで焼香の列に加わりながら、そっと本堂の奥を見やった。
信長がいた。
見慣れた奇抜な装束ではない。
黒無地の裃に、控えめな紋。
髪もきちんと結い上げ、目元にはふだんの奔放な光を抑え込んだ、沈んだ輝きが宿っていた。
(……立派なものだ)
喪主としての所作に、乱れはない。
招いた飛鳥井家・山科家の使者らとも、京風の礼を崩さず、落ち着いた声で言葉を交わしていた。
やがて、山科家の使者の姿を認めたのか、信長は深く一礼し、
「亡き父は、京との縁を何よりの誉れとしておりました」と
静かに言葉を添えていた。
その様子を見て、志乃が小声で囁く。
「……信長殿が“うつけ”などと呼ばれているのが、不思議なくらいですわね」
「呼ぶ者の目が曇っているだけのことだ」
そう返しつつも、胸の内では別の疑念が頭をもたげていた。
(この場を、どう見ている――末森衆は)
視線を少しずらし、末森の一団が控える一角を探った。
信秀の次男・信勝は、まだ若い面差しに緊張を滲ませつつ、
それでも父の葬儀に相応しい装束で座していた。
表向きは何の問題もない。
だが、その周囲を固める末森衆の家臣たちの視線には、
どこか「測るような」光が宿っているように見えた。
喪主を務める信長の一挙手一投足を窺う、その目。
(やはり、“次”をどう見るかで揺れているか)
さらに意外だったのは、別の場所に座る二人の姿であった。
土田御前――信秀の正室にして、信長・信勝の母。
前世の記憶では、信勝を偏愛し、
やがて信長と対立したときにも信勝の助命を嘆願した女として名を見ていた。
だが、今、万松寺の本堂にいる土田御前は、
信長のすぐ近くに位置し、まるでその“影”のように葬儀の進行を支えていた。
香の順番、僧衆への礼、列席する国衆の案内。
必要なことを素早く控えの侍女へ指示し、ときおり信長の袖口を軽く引いて小声で告げる。
その横顔には、「信勝を立てよ」という色は見えない。
むしろ、「三郎こそがこの家の柱」という揺るぎが、自然とにじみ出ているようにすら見えた。
(……前世の“土田御前”とは違うか)
葬儀の場で、信長と視線が合ったとき。
土田御前は、ごくわずかに頷き、
その頷きに、信長もまたごく小さく頷き返した。
そこには、母と長子の間に通う、何かしらの信頼の糸が確かにあった。
そしてもう一人、意外な姿を見せていた男がいた。
柴田勝家。
前世の知識では、末森方の家老格として信勝を担ぎ、
後に信長と激しく対立する印象の強い武将である。
この場でも、たしかに信勝の側に座っている。
だが、その席次は、末森家老としては考えられぬほど低い。
他の重臣たちから、わずかに距離を置かれているようにさえ見える位置だった。
(左遷……とまでは言わぬが、“端”に寄せられているな)
彼の顔には不満の色もあったが、
それよりも、「まだ判断を保留している者」の顔つきに見えた。
(信勝を、心の底から“次の主君”と認めているわけではない――ということか)
葬儀が終盤に差し掛かる頃。
僧衆の読経が一段と高まり、香煙が堂内を白く覆った。
信長は、深々と頭を垂れ、
わずかに震える肩で、最後の別れの礼をとった。
私と父・秀政、母・琴子、志乃もそれに倣い、合掌する。
(尾張の虎、ここに眠るか)
前世では、「苛烈な戦と巧みな経済運営」で名を残した武将。
この世界でも、その本質は変わらず、弾正忠家を大きくした。
読経が止み、僧の声が落ち着き、
やがて式の終わりを告げる鐘が、低く三度鳴らされた。
信秀の葬儀から数日が経ったころ、私は父・秀政とともに末森衆の動向について話していた。
あの万松寺での、どこか不穏な空気――末森衆の視線、信勝の落ち着かぬ様子。
何より、土田御前と柴田勝家の“妙な距離感”が胸に引っかかっていた。
その最中、那古野の信長から文が届く。
《末森より使者が来たならば、承諾せよ。
そのうえで、そなたは必ず我と同行せよ》
一読して私は息を飲んだ。
何を意図しているのかは書かれていない。だが、
(……信長は、既に“掴んでいる”)
その一点だけは明瞭だった。
さらに追い打ちをかけるように、山伏衆からの急報が届く。
「若様、末森城下にも桃厳様の菩提寺が建立されました。
名も、那古野と同じ“万松寺”にて……」
末森での別葬――そしてその喪主は、信勝。
勝家・信盛をはじめ、末森系の家臣団が勢揃いするだろう。
(……まさか、本当に“二つ目の葬儀”を挙げるつもりか)
その“意味”を考えるまでもない。
信秀の後継は信勝である、とする政治宣言にも等しかった。
数日後、末森からの使者が蟹江へ到来。
予想通り、末森万松寺での「葬儀への参列」を要請してきた。
父と相談のうえ、承諾する。
使者が帰るや、すぐさま那古野の信長へ文を飛ばした。
そして、また数日。
那古野城下で信長と合流し、末森へ向かう行軍が始まった。
信長の供は、林秀貞・平手政秀・内藤勝介ら老臣に加え、
武装した兵が数十。
こちらも十名ばかり、腕の立つ者を厳選して従えた。
――その空気は、葬儀ではなく“戦”そのものであった。
信長は馬上で異様な装いだった。
長柄の大刀と脇差を三五縄で巻きつけ、
髪は茶筅に立て、袴もはかず、全身からただならぬ気配を発している。
林秀貞が苦々しく目を伏せ、平手も苦笑しながらも仕方がないといった雰囲気。
(これは……“怒り”を、隠していない)
信長は道中、ただの一言も口を開かなかった。
やがて、末森城下へ到着。
万松寺の門前には末森衆が整列し、信勝の家臣たちが恭しく頭を垂れている。
だが、信長は彼らをまるで空気のように無視し、馬を降りると一直線に本堂へと向かった。
供回りが慌てて追う。
本堂ではちょうど読経が響いていた。
香煙の立ちこめる空気の中、信勝が中央に座し、家中の者がその周りを固めている。
信長はその列を乱暴に押し分け、仏前へと進み出るや、
抹香を――拳いっぱいに掴み取った。
そして、
「勘十郎!!!」
本堂が揺れるほどの大音声が響いた。
「父の葬儀を利用して家中を割り、当主の座を狙うつもりか!!!」
信勝の顔から一気に血の気が引く。
末森衆も動揺でざわつき、本堂は一瞬にして修羅場となった。
「末森衆に謀反の疑いがある!
勘十郎以下――ひっ捕らえろ!!!」
信長の号令と同時に、内藤勝介が兵を率いて突入。
末森の家臣たちが制圧され、本堂の内外が騒然となる。
すると、柴田勝家が腰の太刀を抜き放ち、
「御意ッ!」
と叫んで近くの家臣たちを次々と押さえ込んだ。
(……勝家殿。信長側についたか)
その瞬間、末森衆の抵抗はほぼ霧散した。
ほどなくして、佐久間盛重が末森城から駆け戻り、
縛り上げた男を引きずり出す。
「津々木蔵人、ひっ捕らえてまいった!」
信勝の顔が蒼白になり、末森家臣の多くが震え出した。
林秀貞が表に出て、静かに書状の束を差し出す。
「……身内の恥ではございますが。しかし、確と証拠がございます」
平手政秀が林通具から押収した書状を読み上げるたび、
末森衆の顔色は土のように濁っていく。
“信勝を後継に担ぎ、信長を排除する計画”
その明確な文言の数々は、言い逃れの余地を完全に奪った。
その場で処断は下されず、捕らえられた者らは那古野へ送られ、
平手政秀が末森城代として事態の収拾に当たることとなった。
信勝は言葉も出せず、ただ震える手を膝の上で固く握りしめていた。
帰路、夕陽が差し込む街道で、私は信長に問うた。
「末森の動きを、ここまで掴んでおられたとは……恐れ入りました」
信長は大刀の柄を指で軽く叩きながら答えた。
「伊松家を見てな……我も“目”を増やすことにした。
伊賀に縁ある者を幾人か召し抱えたのだ」
続けて、信長は少しだけ声を低めた。
「それに――林の爺、母上、柴田からも、末森衆の企てを聞かされていた。
ここまでうまくいくとは思わなんだがな」
私は苦笑しつつ言った。
「戦になるより、家中の動揺も周辺勢力の介入も避けられる。
見事な手です。
……ただ、事前に少しは教えてほしかったですが」
信長はふっと鼻で笑い、
「そなたなら分かり切っていたと思っていたがな」
そして、少しだけ表情を和らげた。
「それとな……お主と平手に諭されて以来、母上や林の爺とよく話すようにしたのだ。
此度のことも、そのおかげで事前に潰せた。勘十郎を斬ることには……なるまい。
母上を悲しませずに済む」
武将というより、母を心配する青年の声音だった。
私は静かに頷いた。
(信長殿は“孤立”を、少しずつ和らげている)
夕陽に照らされ、茶筅髷の影が長く伸びる。
私はそばで支えねばならない。
伊松藤左衛門秀興として。
かつてよりも強く、深く、そう思った。




