第十五話
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天文19年(1550年)
一夜明けた。
天白川の水面は、夜の冷気をまだ残しているのか、薄く白い霧をまとっていた。
川向こうに張られた今川陣を眺めると、その空気に微かなざわめきが混じっているのがわかった。
「……ざわついておりますな」
隣で古市又兵衛が呟く。
「昨夜までと、旗の揺れ方が違います」
私は頷いた。
陣幕の隙間を走る兵、慌ただしく動く物頭。
整然としていた昨日までと比べれば、明らかに動揺が見てとれる。
(駿河の海での戦、その報が届いたか)
伊松水軍が今川水軍を打ち破った知らせは、昨夜遅く、山伏衆の走りによってもたらされていた。
駿河湾に面した所領を持つ国人たちにとって、海の敗報は、そのまま「自分の領地が燃えているかもしれぬ」という意味を持つ。
「駿河の浜に領地を持つ衆にとっては、一刻も早く帰りたいことだろう」
そう言うと、古市は小さく笑った。
「どこの国でも、家が焼ければ戦どころではございませぬ」
やがて、川向こうの本陣の方から、ひときわ大きな旗が現れた。
白地に紋を染め、その脇には僧形の者と思しき影が立っている。
「……太原崇孚か」
私は低く呟いた。
今川家を支える軍師。
駿河にあっては寺僧でありながら、戦では大将のごとく振る舞うと聞く。
その男が、動揺する国人衆を押さえ込み、なおも対陣を続けようとしているのだろう。
川を挟んで、遠くからでも、その手振りに迷いがないのがわかる。
「さすが、といったところですな」
古市が感嘆まじりに言う。
「そうだな。駿河に兵を戻さねば心情的に持たぬ。
しかしここで尾張から手を引けば、“今川の威信”も揺らぐ。
どちらも立てようとしているのだろう」
実際、その日のうちに、今川陣の後方から東へ引き返す小勢の動きが見えた。
おそらく、駿河方面への派兵だろう。
だが、本隊はなおも天白川の対岸に留まり、やがて再び渡河を試み始めた。
(こちらとしては、そう簡単にはいかぬな)
私は呟き、すぐさま配下に指示を飛ばした。
「渡河を許せば、そのぶんだけこちらも疲弊する。
弓と鉄砲は、足軽大将と物頭を狙え。
川を渡り切った敵は、騎馬で叩き落とす。
決して追い込みすぎて、川を背にするな」
「ははっ!」
再び始まった渡河戦は、境川の頃とは違う、
「長引けばこちらも死ぬ」という消耗戦の色を濃くしていった。
太原崇孚は、無理な一斉渡河は仕掛けてこない。
あくまで局地局地で兵を押し出し、小手調べのような攻めを繰り返す。
こちらも矢と弾を節約しながら、じわじわと敵の指揮系統だけを削っていった。
それから三日が過ぎた。
渡河を試みる敵の数は、少しずつだが確実に減り始めている。
代わりに、川向こうの陣地は、じりじりと後ろへ下がり、密度を増していた。
しかし、こちらの弾薬も、そろそろ底が見え始めていた。
火薬袋の山は目に見えて小さくなり、矢束の残り本数も数えられるほどになっている。
「……このまま“どこからでも渡らせればよい”というわけにはいかぬな」
私は天白川の流れを見つめながら言った。
「若様?」
「渡河可能な場所を、こちらから絞るとしよう。
浅瀬を埋め、人為的に“渡れる口”を限るのだ。
そこを殺し間にする」
「なるほど」
古市が頷く。
「敵から見れば“渡りやすい場所”が、実は一番の地獄というわけですな」
同じ頃、信長の陣から伝令が到着し、同じような内容をこちらに伝える。
(ふっ、考えることは同じか)
その夜から翌朝にかけて、伊松・織田の連合軍は、
天白川沿いの地形を生かして渡河点を限定する作業に入った。
浅瀬には杭を打ち、流木を流して邪魔をし、
あえて一ヶ所、二ヶ所だけ「比較的渡りやすい」と見える場所を残す。
そこには柵を薄く見せかけ、その実、後方に騎馬隊と鉄砲組を潜ませた。
翌日から、そこは文字通りの「殺し間」と化した。
敵が腰まで水に浸かって渡り始めると、
前方からは矢と弾、側面からは騎馬隊が走り込み、
川を渡り切る前に、あるいは渡り切った直後に、矛の勢いを折られていく。
「押し返せ! これ以上、足場を取らせるな!」
私も前線に立ち、馬を駆って渡河した敵を追い返していった。
槍を振るうたびに、鉄と鉄がぶつかる鈍い音が腕に響く。
何人目を斬り伏せたころか、もはや数える余裕はなかった。
甲冑の隙間から汗が冷え、手綱を握る指がつりそうになる。
「若様、左!」
古市の声に反応し、私は思わず馬の頭を引いた。
刹那、左側から振り下ろされた敵の刃が、兜の鍬形をかすめる。
古市がその男を真横から斬りつけた。
血飛沫が馬の首にまでかかる。
「お気を確かに、若様!」
「承知しておる!助かった、爺!」
声を返しながらも、自分の息が荒くなっているのを自覚した。
体はまだ持つ。
だが、兵たちの顔には、明らかな疲労と、それでも退けぬ意地が滲んでいる。
こちらの損耗も、決して軽くはなかった。
討ち死にの報は日に日に増え、
鉄砲組の中には、腕を痛めて弾を込める手つきが鈍くなっている者もいた。
(……父上。そろそろ、何かしらの動きがあってほしいものだが)
そう思った、その日の午後である。
天白川を挟んで睨み合う陣の中、
織田の本陣の方角から、突然どっと歓声が上がった。
「おおおおお――っ!」
「何だ?」
私は馬首をそちらに向けた。
「若様!」
伊松の使番が駆けてくる。
「織田弾正忠家中より報せ!
信光様の援軍、天白川北岸へ到着との由!」
「信光殿が……!」
思わず声が出た。
織田信光。
信秀の庶兄にして、守山の城を預かる武辺の人。
犬山の伊勢守の軍勢を守山近辺で撃退し、そのまま守備兵を残してこちらへ駆けつけたという。
遠く、天白川北岸の丘の上に、新たな織田の旗が立ち上るのが見えた。
その下には、整然と並んだ槍と、騎馬の列。
「これで、背を衝かれる心配は薄れましたな」
古市が、わずかに安堵の息を吐いた。
川向こうの今川陣にも、その動きはすぐに伝わったのだろう。
陣幕の列がざわめき、あちこちで旗が動く。
「太原崇孚とて、援軍の到着までは読んでおらぬか」
私は天白川の流れに視線を落とした。
こちらは、駿河沖で今川水軍を叩き、陸では境川・天白川で時間を稼ぎ、
いま、新手が加わった。
(十分だ。これで、“一月”は、ほぼ満たしたはず)
あとは父が朝廷から勅旨を持ち帰り、今川に“良き口実”を与えるだけでいい。
「全軍に伝えよ」
私は馬上から声を張った。
「織田信光殿、援軍到着!
これよりは、無理に打って出ずともよい。
渡河を許さぬこと。
敵が疲れて退くのを待つこと。
――生きて、この川を守り抜け!」
兵たちの顔に、わずかながら光が戻ったように見えた。
天白川の水は、相変わらず冷たく流れている。
だが、その流れの向こうにある今川陣のざわめきは、
もはや「攻め込む勢い」よりも、「退きどころを探る迷い」のほうを強く匂わせていた。
秋の風が強まり、空の雲が西へ走る。
(ここで、折れるわけにはいかぬ)
私は槍の石突きを地に押し当て、その感触を確かめるように握り直した。
信光の旗が、風にはためいていた。
天白川にて信光合流から、日が三つ、四つと過ぎていった。
川を挟んで対峙する両軍は、もはや大きくは動かない。
今川軍は駿河への兵の帰還と、こちらの増援により兵力差を失っており、
渡河の試みも日に一度あるかないか、散発的な小競り合いへと変わっていた。
弓と鉄砲の音は減り、かわって陣中には、
傷の手当てをする薬草の匂いと、疲れた兵たちの低い笑い声が満ちていく。
「……だいぶ、静かになりましたな」
夜営の焚き火のそばで、古市又兵衛がぼそりと漏らした。
「静けさが、いちばん怖い」
私は小石をつまみ上げ、焚き火の外へ放る。
「渡ってくるなら分かりやすい。だが、退くのか、図っているのか――
その見極めを誤れば、一気に押し込まれる」
「若様がそう身構えておられるうちは、大丈夫でございましょう」
古市の声は淡々としているが、目の下の隈は深い。
兵も将も疲れ切っているのは、こちらも今川も変わらない。
そんな中で、それは唐突に訪れた。
その日も、昼過ぎから天白川の流れを監視していた時のことだ。
川下の方角から、一団の騎馬がこちらへ向かって駆けてくるのが見えた。
「織田の援軍ではない……旗が違いますな」
「伊松の旗も見える」
私は思わず立ち上がった。
先頭の騎馬から飛び降りたのは、山伏姿の弁僧だった。
額に汗をにじませながら、こちらへ駆け寄ってくる。
「若様!」
「弁僧、どうした」
「大殿……左衛門佐様が、天白川の後陣まで戻られました!
都よりの勅使も、ご同行にございます!」
その言葉に、胸の奥が一気に熱くなった。
「父上が……」
続けざまに、後ろから別の使番が駆け込んでくる。
「若様! 織田方の本陣にも、勅使ご到着との触れが回っております!
今川方にも、まもなく勅旨が伝えられるとの由!」
私は思わず、天白川の対岸へ目を向けた。
今川の本陣の上に、新たに白い幔幕の張られるのが見える。
その前には、僧形の人影――おそらく太原崇孚――と、
今川方の重臣らしい一団が整列し始めていた。
「……間に合ったか」
小さく漏らした声を、古市は聞き逃さなかった。
「ひと月とかからず、なんとか持ちこたえましたな」
「そうだな」
私は深く息を吐いた。
夕刻、織田本陣にて勅旨の伝達が行われた。
天白川を境とし、両軍はこれ以上の戦を控えること。
尾張国内に今川勢が入り込んだ分については、追って国境の線引きを協議すること。
直接的な勝ち負けではなく、「両者ともに朝廷の取りなしに従い矛をおさめる」という形を取る文言であった。
後に父から聞いた話では、京では山科家を通じて内裏修繕費用として500貫を改めて申し入れ、
同時に足利将軍家筋にも顔を通したという。
「幕府の力は弱っておるが、名目はまだ生きておる。
“将軍家の意を汲んだ朝廷の勅”という形にしておけば、
今川も面子を保ったまま退きやすい」
そう言って、父・秀政は微かに笑った。
「それに……織田もな」
実際、今川方の陣では、勅使の到着後、太原崇孚が長く何事かを諸将に説いていたらしい。
駿河の浜が荒らされ、尾張での戦も長引いたこの状況で、「これ以上は得るより失うほうが多い」と、彼自身よく理解していたのだろう。
翌日、天白川の両岸で、互いに遠くから礼を取り交わす形で和睦が確認された。
こちらからも、川岸に信長と並んで進み出る。
対岸では、今川方の旗が風に揺れている。
太原崇孚と思しき僧が、僧衣の袖を整えて一礼した。
信長も、采配を握らぬ右手を軽く上げて礼を返す。
「これにて、天白川を境として、しばしの間、刃を交えぬ」
声は届かぬ距離だが、その所作だけで十分伝わった。
やがて、今川方の陣幕がひとつ、またひとつ畳まれていく。
天白川の対岸に立ち並んでいた旗も、少しずつ数を減らし、
次第に空が広くなっていった。
その光景を、兵たちは誰もが黙って見つめていた。
歓声を上げるでもなく、ただ、自分たちが耐え抜いた日々の重みを噛みしめているようだった。
(終わった……)
私もまた、静かに拳を握った。
尾張国内に、今川の旗が立った城や砦は、いくつか残るだろう。
完全に押し返したわけではない。
しかし、一万を超える軍勢の本格侵攻をひと月も食い止め、
なお尾張の中枢を守り抜いたことは紛れもない事実だった。
そして何より、そのひと月は、弾正忠家中における信長の地盤を、確実に固めた。
境川、天白川での采配。
犬山筋の揺れを押さえ込んだ信光との連携。
蟹江・伊松勢との協調。
兵たちは皆、「大殿に代わって、三郎様が戦を指図した」と口々に語っていた。
信秀は病に伏し、末森へ退いて久しい。
それでも、その子である信長が、実戦の場で十分に「当主足り得る」ことを示した今、
家中は否応なく彼を中心にまとまりつつあった。
天白川からの引き上げの途上。
父・秀政が蟹江へ戻る途上で、私は改めて礼を述べた。
「父上、よくぞ間に合わせてくださいました」
「何の」
父は苦笑を浮かべた。
「わしは道筋を作っただけだ。
境川と天白川で耐え抜いたのは、お前と信長殿、それから兵たちよ、
勅も山科権中納言様が積極的に動いてくださった」
「いえ、都での折衝は、誰にでもできる仕事ではございませぬ」
「そう見せておいたほうが、山科家の顔も立つというものだ。
お主もそのうち上洛せねばならぬだろう」
父はいたずらっぽく目を細めた。
「……それよりも、秀興」
「はい」
「戦は、これで一段落だが、尾張の内側では、これからが本番だぞ」
その言葉に、私は自然と背筋を伸ばした。
(そうだ……ここから先は、“史書にある信長”との競争だ)
前世の記憶が、頭の片隅でざわめいた。
本来の歴史では、
信長による尾張統一が成るのは、桶狭間ののち、永禄八年(1565年)あたりとされる。
それまで、十年以上も内乱と調略を繰り返し続けていたはずだ。
(だが、この世界では――
今の信長は、すでに那古野で政務をさばき、
尾張国内の経済も前世よりはるかに太くなっている)
境川・天白川の防衛戦で、尾張中の目は否応なく「三郎信長」に向いた。
蟹江の改革と那古野の賑わいは、互いに影響を及ぼし合っている。
(ならば、桶狭間を待たずとも、本来より早く――
せめて桶狭間までの間に、尾張をまとめ上げることも、不可能ではない)
もちろん、そう簡単に行くとは限らない。
清洲、犬山、末森の同母弟……
まだまだ織田一門も国人も、互いの様子を窺っている。
だが、少なくとも「時間を前倒しにするための土台」は、
前世よりはるかに整っていると感じていた。




