第十四話
天文19年(1550年)
秋の収穫が終わり、穂を刈った田に薄い霧がかかり始めたころだった。
山伏衆の頭・弁僧が、いつになく重い足取りで広間に姿を見せた。
額には汗、衣には山道の土がまだらに付き、錫杖の鈴も鈍い音しか立てていない。
「若様……今川が、兵を起こしております」
その一言で、座にいた家臣たちの背筋がわずかに伸びた。
「どのくらいだ」
私が問うと、弁僧は懐から数通の書付を取り出した。
「三河の市に出入りする商人に銀子の流れを尋ね、
駿河・遠江からの米と塩の動きを追わせました。
加え、今川領内の関所で“荷を増した”との話も……」
指で紙の端を押さえながら、弁僧は静かに言葉を継いだ。
「兵糧と物資の量から見て、一万……
少なめに見積もっても八千は固いかと」
一瞬、広間の空気が硬くなった。
「目標は?」
「尾張国境にございましょう。
西三河の一部はすでに今川の色が濃い。
そこからじわじわと尾張へ……」
弁僧の言葉が途切れたところで、父・秀政が口を開いた。
「……今の織田と我らだけで、一万を撃退するは骨が折れるな」
その声音は努めて平静だったが、指先が膝の上でゆっくりと握られていく。
私は頭の中で前世の記憶を掘り返していた。
天文十九年。
この頃の今川は、甲斐の武田と手を結び、北条とも和睦を保っている。
西へ向かう余力は十分ある。
三河を拠点に尾張へ圧力をかけてくるのは、むしろ当然だ。
(犬山あたりの動きも、怪しくなる……)
美濃との境目に位置する犬山の織田伊勢守家に調略も及んでいるだろう。
犬山方面への備えも必要だ。
「父上」
私が口を開いた。
「この戦、戦だけで防ぎ切ろうとすれば、尾張はもたぬかと存じます」
秀政は、じっとこちらを見た。
「申してみよ」
「朝廷から“和睦”の綸旨を頂戴できればと」
広間の片隅で、何人かが小さく息を呑んだ。
私は続けた。
「今川にとっても、三河を押さえたばかりのこの時期に、
尾張との戦で長く足を取られるのは望まぬはず。
水軍衆により駿河沿岸を荒らせば、駿河商人衆からの突き上げもありましょう。
“勅命”の形を取れば、己の面子を保ったまま兵を引く口実となりましょう」
「……なるほどな」
父は顎に手をやった。
「弾正忠家は、近年、京への献金も減らしがちであるが、我が家は少ないながらも季節の折り目に
献金は続けておる。帝の心象も悪くはない。
“内裏修繕”を名目にすれば、朝廷も悪い顔はすまい」
祖父の代から続けてきた内裏への献金。
帝の心象を慮って献金による官位や褒美は要求してこなかった。
「いずれにせよ、上洛後、朝廷とのやり取りを考えるとひと月はかかろう。
勅使が届くまでさらに幾ばくか。
どんなに急いだとしても、一月ほどは国境で食い止めねばなりませぬ」
「その間、信長殿が持ちこたえられるか、というわけだな」
「はい。
織田家中の士気は、今のところ高いとは言えませぬ。
信秀殿は病に伏して久しく、出陣を期待するのは酷にございましょう」
広間に沈黙が落ちた。
やがて、父は静かに立ち上がった。
「……よし。わしが上洛しよう」
そう言うと、周囲を見回す。
「山科家を通じて朝廷と話を付ける。
内裏修理の名目で、いくらか金子を用意する必要があろうが――
今のうちに骨を折っておけば、後が楽になる」
「父上、お供は」
「最小限でよい。
伊松が大挙して上洛しては、今川も好機と捉えよう。
それに、今川へ侵攻に気づかれたと悟られたくない。
駿河の公家衆を動かされてはかなわんからな。
蟹江から山科家筋を通して動けば、表向きは“旧恩への礼”に見せられよう」
話はすぐに決まった。
その夜、私は信長へ急ぎの書状をしたためた。
今川軍の規模、動員の気配、商人からの情報。
そして、こちらが朝廷を動かすつもりであること、一月は国境で耐える必要があること――
包み隠さず記した。
翌日には、那古野からの返書が届いた。
驚くべき速さである。
《こちらも、すでに今川の動きを察している。
犬山の伊勢守家の動きも承知しておる。
父上の出陣は望めぬが、わしが動く》
信長の筆致は荒いが、迷いはなかった。
《一月持てばよいのだな。
ならば、その一月を“長く”感じるほど、敵に血を流させてやろう》
その行の端が、ほんのわずかに滲んでいた。
力を込めすぎたのだろう。
(……やはり、信長も動きはつかんでいたか)
私は思わず口元を緩めた。
同時に、信長がどこまで無茶をするか、胸の内には別種の緊張も生まれた。
数日後。
父・秀政が上洛の途につく朝。
秋風が、帆の布をゆっくりと膨らませる。
乗り込む直前、父は私の前で立ち止まった。
「秀興」
「はい」
「わしのいない間、蟹江は任せる。
今川が三河から攻め込んでくれば、蟹江の兵もただちに前線へ出ることになろう。
だが、決して深入りするな。敵の“勢い”を削ぐことが肝要だ」
「承知しております」
「信長殿とは、密にやり取りを続けよ。無理もする男だ。
信長殿が倒れれば尾張は持たぬ。
時に引き、時に押す手綱を、誰かが握っておかねばならぬ」
父の手が、ぐっと私の肩に置かれた。
その掌は、昔と変わらず温かかった。
「……必ず、勅旨を持ち帰る」
「父上が戻られるまで、今川を食い止めましょう」
そう答えると、父は満足げに頷き、船へと乗り込んだ。
帆が上がり、ゆっくりと岸が離れていく。
私はその背を見送りながら、無意識に拳を握りしめていた。
(ここから一月……)
蟹江に戻ると、すぐさま軍議が開かれた。
老将の古市が進行を務める。
「今川軍は、まず三河国境から矢作川筋へ出てくるでしょう。
尾張へ雪崩れ込むには、いくつかの宿場と砦を押さえる必要がございます」
私は地図の上に小石を置きながら説明した。
「敵の目標は、熱田か、それとも東方面から那古野を狙うか。
いずれにせよ、境川および天白川に二重の防衛線を引き、大軍の足止めをせねばならぬ」
「では、我らは境川前線への援軍か」
叔父・右馬助秀隆が問う。
「はい。ただし、主力はあくまで織田の軍。
我らは、鉄砲および弓兵を中心に境川対岸から渡河する敵を食い止めます。
水軍衆は、知多半島を迂回し、駿河沿岸を荒らしていただければと
今川水軍衆と船戦になりますが、よろしくお願い申し上げます」
「一月、持たせるための“嫌がらせ”というわけだな」
秀隆は口の端を上げた。
「正面から一万を叩き潰す戦ではなく、
『これ以上進んでも割に合わぬ』と思わせる戦にござる」
私はそう言いながらも、心のどこかで割り切れぬものを抱えていた。
(ある程度の国境線の後退は、覚悟せねばならぬ)
尾張の東端、いくつかの村や砦が一時的に今川の手に落ちることは、おそらく避けられない。
しかし、領土は取り返せる。
信長のもとにも、山伏衆を通じて同じ趣旨の書状を手早く送った。
《正面からの決戦は避け、
境川・天白川の渡しを巡る小競り合いの連続に持ち込むべきと考えます。
一月の後、勅旨が届き次第、尾張側が“長期戦を望まぬ”態度を見せれば、
今川も面子を保ちつつ矛を収めましょう》
返書は短かった。
《分かった。
こちらも、両川に兵を散らし、決して一ヶ所にまとまり過ぎぬようにする。
兵を大きく減らさぬよう努めよう。
大きく勝たずともよい。負けぬように戦う
それから、美濃は動かないようだ。犬山へは叔父上に頼んだ》
信長の返書から美濃国境は警戒は必要だが、固まった。
犬山方面は伊勢守家が動こうとしている。
守山城の信光殿が食い止めるようだ。
やがて、冬の気配が微かに空気に混じり始めたころ、
山伏衆がまた一人、息を切らして広間に飛び込んできた。
「若様!」
「来たか」
「はい。三河口にて、今川の先陣らしき旗が見えたとのこと。
兵数はまだ定かではございませぬが、
各地の関所が慌ただしくなっております」
私は深く息を吸い込み、吐き出した。
(ここから、一月)
「諸隊に触れを回せ。叔父上にも知らせを、出陣だ」
「はっ!」
家臣たちが走り出していく。
窓の外には、赤く色づいた木々が揺れていた。
豊かに実った今年の穀物は、すでに蔵へ収められている。
今、これから戦に出る兵たちは、その実りを守るために槍を取るのだ。
(父上、お早く――)
上洛の途にある秀政の姿を思い浮かべながら、私は静かに立ち上がった。
蟹江の港から吹き込む風が、甲冑の紐をかすかに揺らしていた。
境川のほとりに陣を敷いたのは、今川先鋒が三河を越えたという報が入って三日後のことだった。
秋も深まりかけた空の下、川面には冷たい風が渡り、葦がざわめいている。
境川の西岸には、織田・伊松の旗が列をなし、川に向かって土塁と柵が築かれていた。
信長は土塁の上に立ち、ゆるく川上を見やる。
その隣には、私と織田古参の将たちが控えていた。
「ここ境川で一度、敵の鼻先を挫く。
だが、戦の本命は、その先の天白川だ」
信長はそう言って、川向こうを睨んだ。
「境川では渡らせぬことではなく、“渡らせてから叩く”と心得よ。
川中の足の取られるところを、弓と鉄砲で射抜く」
「承知」
私は頷き、自軍の足軽大将らに指示を飛ばす。
伊松勢の鉄砲組は、これまでの戦で鍛え上げてきた連射の手順を、静かに確認していた。
火縄の長さ、火薬の量、弾の袋。
一人ひとりが、己の役割をよく理解している。
やがて、東の地平に今川の旗が現れた。
白地に赤の紋が、秋風に揺れる。
「来たか」
信長が小さく呟く。
敵は川の東岸に布陣すると、しばらく動かずにいた。
矢倉を立て、弓兵と少数の鉄砲を並べ、こちらの様子をうかがっている。
初めて渡河を試みてきたのは、その翌朝だった。
小雨の降る薄曇り。
川面を叩く雨音に混じって、太鼓の低い響きが聞こえてくる。
「敵、渡河の構え!」
見張りの声が上がる。
今川軍は、丸太を組んだ簡易の橋と渡し舟を同時に繰り出し、
上流と下流で同時に川を渡ろうとしていた。
「慌てるな」
信長は、軽く手を上げた。
「弓は、敵が水を腰まで浴びたところで放て。
鉄砲は、さらに川の中ほど。
足軽大将の旗と、物頭の指揮の声を狙え」
私は、伊松勢の鉄砲頭へ同じ指示を伝えた。
敵兵が腰まで水に浸かり、足を取られながら進み始めた時だ。
信長が高らかに采配を振るう。
「弓、放て!」
雨に混じって、無数の矢が川面を斜めに走った。
水飛沫と悲鳴が同時に上がる。
「鉄砲、構え!」
私の声に応じて、伊松勢の鉄砲組が一斉に立ち上がる。
火蓋に火が移り、続いて乾いた轟音が立て続けに響いた。
轟、轟、轟――。
川中で身を低くしていた敵の中から、兜に飾りを付けた者たちが次々と水へ崩れ落ちる。
物頭の声が途切れ、陣太鼓が乱れ始めるのが、こちらからでもわかった。
「よし、続けて撃て! 装填の間は隣とずらせ!」
私は声を張り上げながら、心の中では冷静に、敵の動きを数えていた。
最初の渡河隊は半ばで止まり、後続が押し寄せて川岸に渋滞を起こす。
そこへ再び矢と弾丸が降りかかる。
「足軽大将の旗、三つ倒れました!」
背後から報告の声が飛ぶ。
「物頭、五人ほど討ち取りました!」
境川での防衛戦は、まずこちらの思惑通りに進んだ。
敵の渡河のたびに矢と鉄砲で削り、川に浮かぶ屍は日を追うごとに増えていく。
しかし、それは同時に、こちらの疲労も重ねていくことを意味していた。
十日が過ぎた頃には、足軽たちの顔はやつれ、敵の弓兵による被害も増えてきた。
火縄の匂いが常に鼻につくようになっていた。
川岸に積まれた樽には、使い終えた弾薬袋が山のように溜まっている。
その日の夕刻だった。
雨上がりの空が赤く染まり始めた頃、山伏衆の弁僧が血相を変えて駆け込んできた。
「若様!」
「どうした」
「奥三河の山道より、今川の別働が――」
息を整える間も惜しむように、弁僧は声を絞り出す。
同時に織田の偵察も陣に駆け込む。
「山中の小道を抜けて、境川上流の備えを破り、そのまま南へ下っております!」
周囲の空気が一気に変わった。
「兵はどれほどだ」
信長が訊ねる。
「はっきりとは掴めませぬが、少なく見積もっても千、あるいは二千……
境川で打ち減らされた先鋒とは別に、もとから山中を進んでいた様子にございます」
(やはり、奥三河から迂回してきたか)
私は内心で舌打ちした。
信長は短く息を吐いた。
「……境川から、天白川へ陣を下げる」
広間にいた者たちが一斉に彼を見た。
「境川でこれ以上粘れば、別動に背を刺される。
ここは天白川で改めて線を引き直すほかあるまい」
私も頷いた。
「天白川の西岸なら、那古野からの兵も合流しやすくなります。
蟹江からの援軍も、合力しやすくなる」
「そうだ」
信長は即座に決断した。
「今夜のうちに舟と荷を後方へ退かせ。
火を多く焚き、陣の形は残したまま、一段下げる。
敵が気づいた頃には、すでにこちらが天白にいるようにせよ」
境川からの撤退は、闇に紛れて行われた。
焚き火はそのまま、見張り台には少数の兵だけ残し、主だった隊は静かに川岸から離れていく。
夜風が、消えかけた火の粉を運び、秋の草の匂いが漂っていた。
(十日、持たせた。あとは天白川だ)
私は振り返り、暗闇に沈む境川を一度だけ見た。
幾つもの命が、あの水に消えていった。
同じころ――。
駿河の沿岸では、別の戦いが繰り広げられていた。
伊松水軍の旗を掲げた船団が、秋の海原に列をなして進んでいた。
その中央で、叔父・右馬助秀隆が、海風に髷をなびかせながら前を見据える。
「前方、今川の船影!」
見張りの声が上がる。
駿河の沖合に、黒々とした船影がいくつも浮かんでいた。
今川の水軍が、兵糧と兵を三河へ送り込むべく、
沿岸を西へ向かっていたところを、秀隆が狙い澄まして待ち構えたのだ。
「数は?」
「大船が十、小船が二十ほど!」
秀隆は口の端を吊り上げた。
「ちょうど良い。
わしらの新しい船の出来映えを、試してやろうではないか」
伊松水軍の船は、この数年で改良を重ねていた。
遠洋でも活動できるよう、大陸のジャンク船をベースに新たに造船していた。
その甲板には、鉄砲を担いだ兵が整然と並んでいた。
「風向きよし。
横腹を見せるな、斜めに切り込むぞ!」
秀隆の声が、海風に鋭く乗る。
伊松の船団は、一斉に帆の向きを変えた。
波を切る音が重なり、船体がうねりを駆け上がる。
やがて、矢の届く距離まで近づいたとき、
秀隆の旗が翻った。
「まずは弓だ!」
前列の船から、一斉に矢が放たれた。
今川方の船上で、悲鳴と怒号が交じり合う。
「鉄砲、構え!」
秀隆の合図に応じて、甲板の上に火縄の光が次々と灯る。
続いて、海上に轟音が轟いた。
轟、轟、轟――。
火花と煙が渦巻き、その隙間から、
今川の船の側板に穴が空いていく様が見えた。
「船腹が裂けました! 一隻、沈みます!」
水夫の叫びが上がる。
伊松勢は、決して一度に近づきすぎない。
速度を活かして距離を保ちながら斜めに走り、矢と弾を浴びせては、また角度を変えて撃ち込む。
今川の水軍も応戦しようとするが、船の造りも、鉄砲の備えも、伊松に劣っていた。
何より、秀隆の用いる“間”の感覚が、彼らのそれを上回っていた。
「焦るな、焦るな。敵の船が群れたところを狙え。
散らばった一隻に構うな!」
指示は簡潔で、迷いがない。
やがて、今川の船団は隊列を乱し、数隻が炎を上げながら岸へ逃げようとし始めた。
「退くか」
秀隆は、その様を見て鼻を鳴らした。
「よし、追うぞ。そのまま駿河沿岸を荒らしてやれば秀興の助けとなろう
一隻は伝令として駿河湾を抑えたと秀興に伝えよ」
伊松水軍は今川水軍の拠点へ船足を進める。
(これで、今川の兵糧は、しばらく海から送れぬ)
天白川への撤退を終えた頃には、伊松の陣に秀隆からの勝報が届き、
その知らせは、疲れ切った兵たちの心を、わずかに奮い立たせてくれた。
(あとは……父上の勅旨を待つだけだ)
天白川のほとりで、冷たい流れを見つめながら、今川軍の渡河を待っていた。




