とある商人の嘆き
視点チェーンジ!
※この世界特有の通貨単位があります。円=エクだと思ってね。
というわけで、よろしくねっ☆
「すまない……! すまないっ……イリアーナッ……!」
宿屋のベッドの上。
顔を歪めながら苦しそうに息を吐く娘の姿に、隣国トトリスの商人であるダナは涙を零さずにはいられなかった。
ダナにとって、娘のイリアーナは亡き妻アリアンの忘れ形見だ。
茶髪に深緑色の瞳を持つ自分と違い、金髪碧眼のイリアーナは本当に妻と瓜二つだった。
だからこそ、ダナは大切に娘を育てた。悲しませないように、寂しくないように。愛していた妻が生きていた証を、大切に大切に慈しんだ。イリアーナまた、そんな優しい父が大好きだった。
しかし……そんな日々は唐突に終わりを迎える。
妻が亡くなった病気ーー《魔力閉塞症》を、イリアーナも同じように発症してしまったのだ……。
魔力は未知の部分がまだまだ多いが……血液のように体内を循環しており、生命活動に必要不可欠のモノであることが分かっている。
魔力閉塞症とはその名の通り、魔力の流れに〝詰まり〟が起こる病気だ。そのため、詰まった魔力によって激痛が生じ、魔力の暴走が起き……数年に及ぶ苦しみの果てに、最後には死に至ってしまう不治の病である。この病気に罹ってしまえば、救いはない。
けれど、ダナはそれを受け入れられなかった。
アリアンの時だって助かる手立てを探し続けた。それでも、結局は手遅れとなってしまったが……娘すら同じ病で失うなど耐えられない。
様々な文献を調べ、効果があるかもしれない薬があると聞けばなんの惜しみもなく試し、優秀な名医がいると聞けばどんなに遠くてもその下を訪れ、愛しい娘を助けるために……ダナは魔力閉塞症の治療法を探し続けた。
しかし、どんな治療薬を治療法を試してもイリアーナの病は治らない。このまま何も出来ずに娘を失うかと思った頃ーーダナは一筋の希望を得る。
それは、隣国であるレスション王国に現れた〝聖女〟の存在だった。
聖女はその名の通り、聖なる力を有する乙女。凡ゆる病、凡ゆる傷を癒すことが出来るとされている。
それを知ったダナは娘を救うため、ベッドの上の住人となってしまったイリアーナを連れて、なんとか隣国まで足を運んだ。
そして、イリアーナに病を治す《癒しの儀》を受けさせようとした。
…………だが、結果はどうだろうか?
聖女が属する神殿から言われるまま、多額の寄付をした。決して安い金額ではない。けれど、寄付をすればするほど聖女に診てもらう順番が早まるのだと言われたら、言う通りにするしかなかった。
なのに、それなのに……。
『今直ぐに《癒しの儀》を行うことは出来ません』
『そんな……そんな! 寄付さえすれば、誰でも直ぐに儀式を受けられると!』
『いいえ。そのような事実はございません。聖女様の予定は一年先まで埋まっておりますので』
『そんな!』
『お引き取りを』
寄付をすれば聖女の治療を直ぐに受けられるーーそんなのは真っ赤な嘘であった。
彼はただただ、時間と金を無駄にしただけだと悟り……絶望した。
イリアーナに残されている時間は、もう僅かしかない。
それなのに、ダナは娘を救う手立てを今度こそ失ってしまったのだ。絶望せずには、いられなかった。
「イリアーナ……!」
宿屋のベッドの上で、苦しそうに息を吐く娘の頬を撫でる。
ダナは後悔していた。
娘を助けるためにここまで連れて来たのに、意味を成さなかった。ただ、娘を無駄に苦しめただけだった。ただ、娘の身体に負担をかけただけだった。
こんなことになるならば、無理に連れ出すんじゃなかった。
そんな後悔がぐるぐると頭の中に渦巻いて、ぱたりぽたりと涙が零れ落ちていく。
「お父、さん……?」
「っ!」
ふと開かれた瞳。宙を彷徨っていた視線が、ベッドの側にいた父の姿へと合わさり、イリアーナは弱々しく手を伸ばす。
ダナはその手を強く握り返した。
「イリアーナ……起きたんだね。おはよう」
「……うん……おは、よ……ねぇ……ど、したの……? なんで、泣いてる、の……?」
「…………っ……! あぁ……どうもしないよ。ただ、目にゴミが入っただけさ」
「だいじょ、ぶ……?」
「大丈夫だよ。心配させて、ごめんね」
「…………うん……」
これ以上、イリアーナに負担はかけられない。ダナは慌てて目尻を拭い、にっこりと笑顔を浮かべた。
しかし、そんな父の姿に、娘はほんの少し心配そうな顔をする。
けれど、彼女はそれ以上何も言わずに……小さな声で、呟いた。
「ねぇ、お父さん……いつ、帰るの……?」
「……イリアーナ?」
「お母、さんに……お父さん、と……一緒に、出かけたの……楽しかったよって……伝え、たいの……」
「…………! あぁ……そうか……そう、だね。それを聞いたら、アリアンも喜ぶ」
「でしょ……? ふふ、お母さん……笑って、くれるかな……早く、帰りたい、な…………」
ーーすぅ……。
瞼を下ろし、再度眠りにつくイリアーナ。やはり苦しそうな……けれど、先ほどよりも少し落ち着いた様子の娘を見て、ダナは大きく息を零す。
そして、目尻に滲んだ涙の名残を親指で拭い、部屋を後にした。
鍵を閉め、木造の階段を降り、一階の食堂へと向かう。まだ朝の早い時間だからか、利用客は少ない。
しかし、目的の人物達は既に目覚めていたらしく……テーブル席に座っている一行に、ダナはゆっくりと近づいていた。
「おはようございます、皆さん」
「お、ダナさん。おはよう」
「………お、おはようございます」
「早いな。おはよう」
「おはようございます。本日もよろしくお願い致します」
茶髪の屈強な男性、エイジンが片手を持ち上げながら軽やかな挨拶をし……その隣に座った薄青色の長髪の女性ルルは、オドオドしながら頭を下げた。
エイジンの向かいの席に座った緑の髪を一つ結びにした青年リーフは少し胡散臭く笑い、その隣の桃色の髪の少女アリステラは丁寧な挨拶をする。
彼らはBランク冒険者パーティー《獅子の牙》。ダナが隣国で出した護衛依頼を引き受けてくれている冒険者達であった。
「イリアーナちゃんの様子はどうだい?」
エイジンが心配そうな顔をしながら、そう問う。
彼は頬に深い傷があったりと中々に厳つい見た目をしているが、とても穏やかで気配りの出来る性格をしていた。
そのため、依頼主の娘であるイリアーナのこともかなり気にしており……こうして事あるごとに様子を聞いてきていた。
「…………あまり……」
「……あー……そうか。アリステラ」
「はい。後で様子を診に行かせていただきますね」
アリステラはまだ若いが優秀な治癒師だ。ここまでの旅路でも、イリアーナの体調を診てきた。
はっきり言って、依頼主の娘の体調管理は護衛依頼の枠外の仕事になる。
けれど、彼らは進んで、イリアーナの体調が酷くなり過ぎないようにと色々と気を配ってくれていた。
ダナは彼らの好意に、「ありがとうございます」と深く彼らに頭を下げた。
「………で。お疲れ気味なところ悪いんだけど、追加戦力の話をしてもいい?」
スッと挙手をしながら告げられたリーフの言葉に、ダナは頭を上げて頷く。
《獅子の牙》に行き帰りの護衛を頼んでいる。
だが、イリアーナの体調がこの国に来るまでの間に悪化したため……帰りはより慎重に、行きよりも時間をかけて帰ることになった。
しかし、そうなると《獅子の牙》の負担が更に増える。そのため、帰りの道行では追加戦力ーー新たに護衛依頼を出し、もう一組、冒険者パーティーを増やすことになっていた。
「言っちゃ悪いんだけど……やっぱり、距離の割に安いってのがネックみたいなんだよねー……。王都よりは可能性あるかと思ったけど、それでもこの街もそれなりに大きいからか。ダナさんの護衛依頼は、受けてもらえなさそうな感じだよ」
「………そう、ですか……」
依頼には最低金額というものが決められている。討伐依頼ならば最低でも五〇〇エク、護衛依頼ならば三〇〇〇エクを払わなければならないと決められていた。そこに討伐対象の脅威度や護衛距離、拘束時間、依頼難易度などが考慮され依頼金額が決まる。また、魔物の素材の買取金額も上乗せされる。
だが、それでも依頼金額を最終的に決めるのは依頼主だ。依頼内容に見合わぬ安さであれば、どの冒険者にも受けてもらえない。高く払えばそれだけ依頼主が割を喰うことになる。ついでに言うと、冒険者の野心やプライドという問題もある。以上のことから、冒険者をやる気にさせる内容と金額の上手い折り合いをつけることが、冒険者ギルドに依頼を出す上で一番大事なことであった。
しかし、ダナの場合は事情が違う。依頼主が得をするために依頼金額をケチっているのではなく……神殿への寄付額が想定以上になってしまったのが影響して、依頼金をあまり出せなくなってしまった。そのため、ダナの出した新たな護衛依頼は隣国まで拘束される割には得られる報酬が安くなってしまっている。
そんな理由から、依頼を出して一週間ほど経っても、未だに依頼を受けてくれる冒険者が現れていなかった。
申し訳なさそうな顔をするダナに、エイジンはにっかりと笑う。
そして、気負った様子もなく……軽い調子で、パーティーメンバー達に声をかけた。
「まぁ、無理そうなら無理でオレらが頑張ればいいだけの話だ。やれるだろ? お前ら」
「は、はい……が、頑張ります……」
「そうだね〜。適度に頑張るよ」
「えぇ、勿論です。ですので、ご安心くださいね」
「皆さん……」
ダナはそんな彼らの言葉に、言葉を詰まらせる。
彼らが依頼を受けてくれたのは本当に偶然だ。
けれど、こんなにも素晴らしい冒険者パーティーに出会えたことを、神に感謝せずにはいられなかった。
「皆さん、本当にありがとうござーー」
「ーーこちらにダナさんという人はいるか? 依頼を受けた冒険者なんだが」
『!!』
ダナの言葉を遮られて放たれた言葉。
彼らは驚いた顔をしながら、外に繋がる扉の方へと振り返る。
この時のダナは知らなかった。
新たに現れた二人組の冒険者ーー彼女らとの出会いによって、運命が大きく変わったことを。
それを知るのは……ほんの数日後の話。




