彼の地に源氏の旗を立てよ
オレこと八郎為朝様御一行は、いよいよ九州に向け出発した。
ちなみに昨晩は、馬肉パーティだった。
オレがゼニを出し、当世においては貴重な胡椒を買い集めた。そして庭に幾つか篝火を焚き、盛大にバーベキューをやった。
いわば出陣前の景気づけといったところである。下男下女も混じり、皆と酒を酌み交わしつつ大いに騒いだ。
馬肉は新鮮で、柔らかかった。
「これは美味うござる」
塩胡椒を振ったバーベキューが、大好評である。オレに射たれた哀れな馬も無事、極楽浄土へと旅立ってくれたことだろう。唯一の不満は、初夏の晩ゆえ羽虫が集り、閉口した事か。いや、慣れないのはオレだけで、皆は平然としていたのだが。……
出立直前、父・六条判官為義はオレ達を呼び集め、
「此度の件は、都落ちではないぞ。皆、無事に九州を目指せ。彼の地に源氏の旗を立てよ」
と激励してくれた。オレは父から、尾張権守家遠宛の書状を受け取り、別れの挨拶を交わすと館を後にした。
一行は、郎党三〇人。それに下男一〇人である。
メンバーは多少、変更した。先日の馬探しの旅は短期間の予定だったため、妻子持ちの郎党も混じっていた。今回は彼らを除き、全て独身メンバーとしている。
壷井党、石川党も一〇人混じっているが、やはり妻子持ちが多少混じっている。それらも河内壷井に到着した後、再編成することになるだろう。
館の郎党達は笑顔でオレ達一行を見送ってくれたが、下女達の半数ほどは涙を流していた。ただし父とのやりとりを知らされていない兄達は、
「八郎め、とうとう勘当されおった。良い気味だ」
ヘラヘラ笑いながら高みの見物……といった様子である。
――名高い源氏ヶ御館の八郎為朝様は、勘当されたそうじゃ。
という噂は既にあちこちに伝わっているようで、路の両脇には見物の人集りが出来ていた。一行四一人はその中を悠然と往く。
オレはマイバッハに騎乗。今回は郎党三〇人が皆、騎乗である。一行の中程を下男一〇人が歩き、うち二人がオレのアヴェンタドール、シルビアの手綱を握る。
マイバッハはいつもの如く、嬉しそうな表情である。アヴェンタドールは鼻息荒く、時折沿道の野次馬を威嚇している。手綱を握る下男も持て余し気味である。どういう状況であれ動じないのが、シルビアだ。こいつは大物になりそうな予感がする。
「冠者、眠そうでございますな」
隣を歩く郎党の一人から言われた。
「昨晩は遅くまで、おなごと戯れておったそうでございますな。旅中はおなご遊びも程々になさいませ」
どっ、と笑いが興った。皆、表情は明るく、おおよそ勘当され都落ちする一行には見えない。
郎党三〇人のうち数人が、“南無八幡大菩薩”の旗指し物を背に挿している。
これが、オレにはよく解らない。
源氏の一族郎党は、これがあるとボルテージが上がるらしい。まあ、なんにせよ、プラスの効果があるならば大いに利用するまでのこと。
沿道の人々を眺めつつ歩き、心残りがひとつ、あった。一行四一人全員が、オレ考案の試作品であるナップサックを背負っている。こいつを近々、大々的に売り出すつもりでいたのである。
案の定、
「あれは何ぞ!?」
という声が沿道から漏れ聞こえた。大いに売れただろうに、実に悔しい。
ちなみにオレの担ぐナップサックには、油紙で幾重にも巻いた上文箱に収められた、お鶴の筆写した大切な書物が入っている。お鶴の想いと、オレのお鶴への想い、未練を、肩にずしりと感じた。
沿道に妙齢の女性を見かけると、つい、そこにお鶴の面影を追ってしまう。
(重症やなあ)
一人、馬上で苦笑する。
夜は、前回の旅同様、伏見の光基さんの館に泊めて貰った。
「よう来たな」
温かく迎え入れてくれた、光基さんである。そして次の瞬間、郎党達の顔色を眺め、怪訝そうな顔をする。
「噂は聞いておる。心配しておったのじゃが……」
「あははは」
オレは光基さんに、昨日の顛末を話した。少納言信西の使者――平忠正――を退け、信西に軽くやり返したこと。勘当という体裁をとり京から離れること……などを伝えると、
「なるほど事情は解った」
光基さんはしきりに頷く。
「やはり、そなたは聡いのう。上手い手じゃ」
その晩もまた、ささやかな歓待を受けた。
「京には依然、戦乱の兆しが燻っております。ゆめゆめ警戒を怠らないよう」
と勧め、翌朝丁寧に礼を述べて伏見殿を辞した。
天気は良い。
移動には荷馬車を使うべき、と考えていたが、なにしろ梅雨を挟んだため開発が間に合わなかった。
そのせいで皆、鎧兜を着込んで馬に乗っている。オレも“八龍レプリカ”を着込んでいる。これが猛烈に重いし、なにより暑い。
さりとて全て脱ぎ、下男に担がせるわけにもいかない。そうすれば多数の下男をゾロゾロ引き連れて歩くことになる。すこぶる効率が悪い。
鎧兜の重量の分、馬への負担も大きい。オレは替え馬があるものの、郎党達には無い。その辺を考慮し、ゆるゆると旅路を征く。
その日の宿は、摂津源氏の者達の屋敷に分宿した。
京から離れたこの地にも、オレの名が通っている。そのせいで、オレは驚くべき当世の風習を目の当たりにすることとなった。
オレは一番大きな屋敷を宿としたのだが、翌朝、
「八郎冠者の湯浴み水を、下され」
周辺の住人達が、オレの入浴した残り水を貰いに当屋敷へ押しかけて来たのである。
つまり当世には、貴人や豪傑の入浴後の残り水を貰って飲むと、健康に良いという迷信があるらしい。
(うげっ。気持ち悪ぃ)
と思い拒否したが、屋敷の使用人達が、彼らに勝手にあげてしまったようである。腹を壊しても知らんぞホンマに。……




