そなたの想い、無下にはせぬ
忙しい日々が続いている。
夕方になれば壷井名物の露天水風呂で汗を流す。幸い気温も多少上がってきて、さほど冷たさを感じなくなった。
風呂から上がれば夕飯。照明が無いため、暗くなればさっさと寝る。
ちなみに当世、布団はまだ存在しない。敷布団などという気の利いた物は無く、ムシロに横たわる。勿論掛け布団も存在せず、それっぽい、紙や綿を詰めたペラペラの掛け物を掛けるだけである。
今は春(新暦ならば五月上旬か)だから大丈夫だが、冬場は猛烈に寒かった。ペラペラ一枚では足りず、着物や綿入れを重ねて、どうにか凌いだ。
(そのうち布団も生産して売ろう)
今後の開発販売プランに追加する。
いや、そんな事はどうでもいい。今は敵襲に備えなければならない。当館も、毎夜のように敵が襲撃してくるのである。
ガサガサっ――
(ほら来た)
廊下側の戸をゆっくりと開き、ゴザの上を静かに歩く足音がする。
要するに、館の女人衆が毎夜、順繰りにオレの寝床へと忍んで来るのだ。実に困ったものである。あくまでタテマエとしては。……
(……?)
普段なら下女達が、いきなり無遠慮にオレの横へと寝転んでくる。だが今夜は少々、様子が異なった。
女はオレの傍らに、そっと膝を揃えて座る。
「冠者。もう寝入っておられますか?」
小声で囁く。
「ああ。もう寝ている」
「起きておられるじゃありませんか」
くすくすと笑う、女。
澄んだ、可愛らしい声である。
(誰だろう……)
あ、いや、名前を聞いたところで、どうせ誰が誰だか判らないのだが。
雨戸を閉めまわしているから月明かりも入らず、室内は完全に真っ暗である。顔も全く見えない。
「あの……。つやでございます」
「すまん。誰だか分からん」
「まあ、つれないお方ですこと」
そない言われても……と思いつつ、やっと思い出した。
(げげっ。叔父さんの、末の娘さんやんけ)
つまり、八郎君のいとこに当たる。とはいえ父・為義と叔父さんは義理の兄弟だから、オレと彼女も義理のいとこなのだが。
いやいや、父と叔父さんも血族ではあるから、八郎君と彼女も血の繋がりはある。本来のいとこよりはちょっと血が遠い程度、と言うべきか。
「おつやさんか……。思い出した」
「ああ、よかった。つれないお返事に、泣きそうになりましたわ」
「すまん。まだ壷井に来て日が浅いから、女人衆の名も顔も、ほとんど知らぬ」
師匠の養女・お鶴と似たような世代、つまり十代半ばといった年頃の、楚々とした娘の顔を思い浮かべる。お鶴ほどではないが、なかなかイイ感じのコである。
当世、武家の男はゴツい髭面が多いが、奥さんは色白小柄な可愛らしい女性ばかり娶っているように見える。多分、叔父さんもそうなのだろう。で、おつやさんも母親似、といったところか。
「あの……」
「ん?」
「今宵は少々、肌寒うございます」
おつやさんはそう言いながら、軽く両の二の腕をさする。褥に誘え、という意思表示だろう。
「そうかな?」
「もう! やはり、つれないお方」
「そうだな」
暗いため全く見えないが、頬を膨らませつつ口を尖らせ……ているような気配がする。
程なく、彼女は掛け物越しに、オレの胸を撫でてきた。
彼女の指先が、何故かオレの右のポッチを的確に捉え、そこを中心に往復運動を繰り返す。
そのうち時折、円運動が加わるようになる。
(あかんっ!)
危うくヘンな声が出そうになったが、堪えた。だが股間の相棒は早くも、
――ん!? 出番か?
と勘違いし、アップを始めている。
(ヤバい……)
でも、オレは心に決めている。今はお鶴一筋、と。当面は純愛路線を貫くのだ。
(おい、ちょっと待て! チェリー野郎とか言うな!!)
心の中の、ヴァーチャルオーディエンスにツッコみつつ、やせ我慢に徹する。
お鶴と、今後結ばれる事があるのか、まだ判らない。オレが京を離れなければならない可能性も大いにある。
もし、ふたりの想いが成就したとしても、その先の事は判らない。いや、武家の将としていずれ独り立ちする以上、そもそも嫁さん一人というわけにはいかないだろう。二人目三人目を娶るのは、いわば既定路線である。
とはいえ、これまでそっち方面に縁がなかったオレとしては、純愛路線しか進む道が見えない。
時折えろえろハプニング……程度であれば大いにウェルカムなのだが、今のようにテキトーにあしらえないケースは対応に困る。
「冠者」
「ん?」
「どうして、いつまでも黙っておられるのですか?」
「……」
「何も仰って下さらないのですか?」
彼女の手が、止まった。
「私のお相手は、おイヤなのでしょうか」
項垂れている。声も、途中から泣きそうになっている。
そりゃまあ、そうだろう。意を決して男の寝所に忍び、拒絶されては、泣きたくもなろうものである。
さて、どうフォローするか。……
「別に、そなたが嫌いなわけでも、拒絶しているわけでもない」
「では、なにゆえ……」
「京に、惚れたおなごが居る。オレの師匠の娘さんだ」
「まあ!」
押し黙ってしまった。
だが、さすがは叔父さんの娘である。控えめな性格に見えて、意外にも簡単には引かないようだ。
「父も皆も、冠者は八幡太郎義家様の生まれ変わりだ、と申しております。いずれ源氏を支える立派な武将に成られる、と」
「それはまだ、わからんぞ」
「いえいえ間違いございませぬ。これはおなごの勘です」
彼女の声が、少し震えている。
「わたくしめを、冠者のオンナにして下さいませ。……いえいえ、一夜のお情けで結構です。お情けを、頂戴しとうございます」
最後は畳み掛けるように言い切り、そして押し黙った。声を押し殺し、泣いているような気配がした。
(こらあかん。最後まで言わせてしもた)
それなりに躾けられた女性からすれば、抱いてくれとハッキリ口にするのは“慎みが無い”ということなのだろう。
こちらからすれば、オレの都合に構わず一方的に押し掛けられたわけで、拒絶したところで文句を言われる筋合いではない。
だが勇気を出してコクったのに袖にされた……では、彼女としてはいたたまれないだろう。
オレだって本音としては、満更でもない。お鶴という存在が無ければ、喜んで抱いただろう。六条堀川の館で培ったゴールデンフィンガーテクを駆使し、おつやさんにユートピアを垣間見させたことだろう。
そうでなくとも、彼女は叔父さんの娘さんである。泣かせたまま帰らせるわけにはいかない。
オレは、やにわに起き上がった。
彼女の手を取り、軽く引き寄せる。
「あっ」
そっと、口づけした。
彼女は、呆然としている。
「そなたの想い、無下にはせぬ。だが、少し落ち着いて考える時間が欲しい」
「……」
「面倒事が全て片付いたら、またこちらに出て来る。その時に……」
おつやさんは大粒の涙を流し、不意に抱きついてきた。オレはふと、昭和の某大作家のワンシーンを思い出し、着物の片袖を力任せにビリビリと破ると彼女に手渡した。
「?」
彼女は目を丸くし、オレの顔を眺めている。
「そなたを無下に扱わぬ、という約束の証だと思ってくれ」
彼女の涙が止まらなくなった。
(おいおいおい。どないしたらええねん)
オレは頭を抱え込んだ。




