乾杯っ!!
皆が風呂から上がると、宴である。
なにしろ河内源氏の本拠地たる当館に、棟梁たる六条判官為義の息子が訪れたのだ。昨年、六条堀川の館に兄・上総御曹司が戻られた時以上の歓待ぶりである。
「スゲぇ……」
座敷の襖が全て開け放たれ、郎党達がズラリと並ぶ。一番奥まで何十メートルあるだろうか。上座にドカンと構える徳川将軍もかくや、という状況。壮観である。
下女達が郎党達の間を歩き回りつつ、次々と膳が並べられる。
(下女の数まで、多いな)
そりゃ当然だ。当然ではあるが、やはり驚かざるを得ない。郎党の数が、ざっと数えて百を超えている。下女の数も、ざっと三〇程か。裏で調理に携わっている者まで含めたら、一体何人居るのだろう。
配膳が終わったところで、座敷の真ん中に幾つか巨大な酒樽が置かれた。
――せぇのっ!
という掛け声と共に、木槌で樽の蓋が一斉に割られる。
「さて。皆も承知の通り、京は六条堀川の館より、六条判官為義殿が八男・為朝冠者がお越しなさった」
さて冠者、挨拶と盃の音頭を……と促される。
そういう段取りは事前に教えておいてくれよ、と言いたいところだが、八郎君一二歳の中身は幸か不幸か優秀(注:異論は認めない)な一八歳である。特に最近は、諸々大きな環境の変化を潜り抜けて、度胸もついた。
すっくと上座に立つ。
「皆、元気そうで何よりである。京の六条堀川も六条判官為義以下、皆、元気にやっている。すこぶる慶ばしいことではないか。されば一同、今宵は潰れるまで飲むぞ~~っ! 乾杯っ!!」
「おーーーーっ!!」
オレが盃を掲げると、皆も同じように盃を掲げた。そしてオレを真似、一気に飲み干す。
「ところで八郎様。今の、“かんぱーい”とはどういう意味で?」
向かいに座っていた中年の郎党が、首を傾げる。
(あちゃぁ……)
乾杯という言葉はまだ存在しないらしい。マジかよ!
まあ、でもノリと勢いで何とか通用した。叔父さんも傍らでうんうん頷いているので、こんな感じで良いのだろう。
座は、たちまち乱れた。
「冠者」
傍らの叔父さんから声をかけられる。
「お父上より書状が届いておりまする」
叔父は、父・為義の義弟ということになるらしい。父が河内源氏の嫡流であるため、ちょっと上下関係がややこしい。
嫡流の息子ということで、立場としてはオレの方が上になる。が、なにしろ叔父さんの方が圧倒的に歳上で、日頃大勢の郎党達をまとめ留守を任されている人だ。ここは前世のノウハウを活かし、毅然としつつも礼儀として相手を立てる……という絶妙な匙加減で接すべきだろう。
「はて? 書状には何と書かれておりましたか」
「来たるべき戦乱に備え、八郎為朝に馬探しを命じた、便宜を図ってやって欲しい、と」
「ほう」
戦乱の到来を匂わせるあたり、一歩踏み込んだ物言い、と言えるだろう。
「こうして冠者を眺むるに、なるほど並の馬では小さ過ぎましょうな。よう分かります」
「いかにも」
「ゆえに、我らの方で既に」
えっ!?
「既に一頭、屈強なる馬を手に入れてござる」
「ほう。それはありがたい」
早速見てみたい、と腰を浮かしかけるオレを、叔父さんが制する。
「まあ、明朝でもよろしかろう。馬は逃げませぬ」
「あ、そうか……」
なんにせよ、二頭目が確保出来たのだ。ちょっと、この旅がラクになった。
翌朝。叔父さんに連れられ、厩に赴く。
真っ黒な馬だった。
馬格は、先日手に入れここまで乗ってきたマイバッハと大差ない。ただ、こちらは筋肉が凄い。見るからにガッシリとしている。なにより叔父さんや郎党達が見立てた馬だから、間違いなどあろう筈がない。
「牡馬ですな」
「左様。見ての通り立派なものですが、ただ少々、気性が荒うてのう……」
叔父さんの言う通り、そいつはいきなり、前足でオレに蹴りを入れてきた。
「おっと……」
すかさず、オレはそいつをひっ掴む。ヒヒンッ、と軽くたたらを踏み、ブフッ、と鼻息を荒くする、黒馬。
オレは掴んだ前足を放してやると同時に、間髪を容れず馬のたてがみを掴むと、鞍に飛び乗った。
……と言っても、サラブレッド程大きくはないので、バイクに跨ったような感覚に近いのだが。
馬は、突然のオレの行動についていけず、一瞬だけ四つの足をジタバタさせたが、すぐ観念して大人しくなった。
数ヶ月、馬を乗り回し、接し方はある程度飲み込んでいる。馬は臆病な生き物だ。のんべんだらりと接していると、怯えて暴れ、手がつけられなくなる。このように思考の間を与えずスパッと対処すれば、馬は己の主が誰なのか、これからどうすれば良いのかをあっさり察する。
「ほれ。手綱を、渡せ」
郎党に、柱に巻きつけられた手綱を外させ、それを受け取ると軽く引く。
それだけで馬は、大人しくオレに従うようになった。
「ほうっ!」
館の郎党達が皆、小さな声を上げる。
大した事をしたつもりはないが、これだけでも見事な所作に見えるらしい。
厩を出て、門を出ると外へ駆け出す。坂を下ると川沿いを何往復か軽く駆け回った。
(なるほど。こりゃええやんか)
マイバッハも悪くないが、こちらの方がやはり、走りは力強い。
(戦場向きかも)
気性が荒いと聞いたが、ただ走らせているだけなら何の問題もなさそうだ。
鞭を当て、しばらく全力で走らせてみた。これまで乗ってきたマイバッハより速いか。馬も気持ち良さそうに疾走している。前世で車に乗っているような速度感である。
「よしよし。良い子だ」
首筋を軽く叩き、それから手綱を軽く引いてブレーキを掛けた。
坂道を上り、館に戻る。
「さすがは冠者。見事でござる」
皆が口々にオレを褒め称えた。何でも館の者達は、一人を除き、この馬を乗りこなせなかったらしい。
(難易度の高い馬、か)
オレはこの馬を、
――アヴェンタドール
と名付けることに決めた。
馬を繋ぐと、連中に請われて弓術を披露する。これまた毎度の如く、拍手喝采を浴びた。当世の武士は、意外と大した事ない。オレの運動神経と頭脳に敵うヤツを、未だ見たことがない。図らずも、イージーモードで無双状態である。
逆に考えると、郎党達にはまだまだ訓練の余地がある。
少し先の未来に、戦乱という懸念がある。まずはそれを無事、乗り切るためにも、今こそ郎党達に発破をかけておいた方が良いだろう。オレの付け焼き刃の馬術や弓術に驚嘆している程度では、乱世を乗り切れまい。
「勘に過ぎないが、今後、京では大きな戦乱が起こる。それに備え、武芸の修行を怠らぬように」
圧倒的な馬術と弓術を見せつけた、棟梁の息子の言葉に、誰もが神妙に頷いた。




