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紅い炎の過去

「あぁ……、漸くよ、十一回目の生でやっと、私は貴方に会えた……」


 喜色に塗れた女の声が発した十一という数字、この乙女ゲーの主人公アリス嬢には特別な意味のある数字、干物から散々聞いた酷く聞き覚えのある数字が、奇妙な感覚を持って俺の耳に飛び込んでくる。


「十一回目、それって確か……」


 そう、この数字はエンディングの数、彼女はエンディングの数だけ人生を繰り返してきた、そう言っているのだと理解した。


 彼女が話しているのであれば、恐らくはこの孤独な女性には俺が知っている事の一部を話しても問題はないのかもしれない、試しに少しだけ己が知る情報を混ぜて語ってみる。


「アンタはアリス嬢が迎える終わり、その一つ以外を全て見てきた、そう言っているんだな?」


 アリス嬢が、このゲームの主人公が攻略出来るのは、隠しキャラを合わせて計十人であり、最後の一つはチャートミスなどで誰とも結ばれずに終わる友情エンド、逆ハーレムエンドはない。


「ええ、あの娘、アリスが男と結ばれる、これが私達母娘の破滅の始まりですもの、その回数くらい壊れそうな頭でも覚えているわ……」


「頼む、凄く大事なことだからしっかり思い出してくれ、その中でアリス嬢は誰とも結ばれない時は有ったか?」


 もし、今の現状が誰かが操作しているゲームで、全キャラクター攻略をしているとしたら、次に来るのは友情エンドのはず、もしそうならば俺達の未来は少しだけ希望がある。


「確か、王子が初めだった……」


 祈るような気持ちで答えを待つ俺に、自らが見てきたエンドを語りだす彼女。


 恐らくそのような意図は無いのだろうが、答を焦らすような発言に先を急いてしまいそうになるのをぐっと堪える、なにか他にも情報が隠されているかもしれないと、焦りを噛み殺して耳を傾けて続きを待った。


「次はお付の二人、その後は宮廷騎士、その後は宮廷魔術師や学園の教師だった……、それから国一番の大店の息子と傭兵、次が極東の剣士で、前回は暗殺者の男、あの盆暗の子飼いと結ばれたわ……」


 極東の剣士というのは、商人の息子を攻略したエンディング、『新婚旅行は世界一周』を見ると港で出会えるようになる隠しキャラで、暗殺者は確か宮廷魔術師と王子が絡むイベントで特定の選択を選ぶと起こるイベント、『忍び寄る影』を見ると、次の周から公園で出会える隠しキャラ、つまりはメリッサの弟だ。


 もしもプレイヤーが居て、このゲームのスチルコンプを狙っており、ここまでのスチルの拾い忘れがないのであれば、次は友情エンドを狙いに来るのが順当な流れになるが、こんなものは推測に推測を重ねて導いた推論、それこそ正解なんぞ分からない。


 それでも、もし俺の建てた仮説が真であるなら、いくらか状況は恵まれいる状況といえる。


 なぜならアリス嬢が特定のエンドに突っ走しる場合、狙っている男のヘイトがアルテミジアに向かわぬよう相手を特定し、ストーリの進行に併せて工作する必要がある。


 だが友情エンドなら、あの『強制イベント』さえ何とかすれば、俺達の首が繋がる可能性の方が大きいし、場合によってはアリス嬢をこちらに引きこむ事も出来ると思う。


 そうであって欲しいという願望が混ざっているかもしれない、だが俺は目の前に現れたか細い可能性に縋るように、重要な質問だとターコイズブルーの瞳に問いかける。


「ちゃんと思い出してくれ、アンタの見たエンドは、全部で十個、そして全てのエンドでアリス嬢は誰かと結ばれたんだな?これは俺達にとって重要な事なんだ!」


 そう、仮に今までの推論の前提が違うのであれば、親愛度やイベント進行の状態を一から調べ直さないと非常にまずい、何故なら悪役令嬢イベントは呆れるほど用意されていて、その中でも非常に厄介なのは、アルテミジアの『暴走イベント』だ。


「えぇ、間違いはないわ、あの娘が誰かと結ばれる度にあの子が処刑されて、私は何度も娘時代に引き戻されたのだから、それだけはしっかりと覚えているわ……」


 帰ってきた言葉を聞いて、俺が干物に何度も語られた複雑怪奇な個別チャート、興味が無いと忘却の彼方に投げ捨てた脳みそゴミを引きずり出し、繋ぎ合わさなくても行けそうだと思った。


 今まで感じていた緊張が一気に弛緩して、このとんでも無いデスゲームを攻略できる気にすらなってくる。


「いける……、これなら行けるぞ!」


 あんなイカたチャートが必要ないならやり様はある。


 そんな微かな希望を導き出した俺は、己とは対照的に深く沈んで居る紅い貴婦人の表情はことに遅れて気付き、彼女に心境を尋ねる言葉を投げかけた。


「どうしたんだ?現状は少なくとも最悪じゃないんだ、少しだけだが、俺達に希望が見えて来たんだ、なのにどうしてそんな暗いんだ?」


 出会ってから一番気が楽になったであろう、喜色に溢れる俺の声に対し、美しい海色の瞳は怯えと恐れが入り混じった暗い影を映し、その口は不安に満ちた声音で語りかけてくる。


「私、何度も何度も未来を変えようとしたのよ? でも……、毎回あの愚鈍な成金男と結婚させられて、あの子を、アルテミジアを産んで死ぬ……。そういう人生を繰り返してきたわ……」


 重たく暗い声、まるで一気に年を取ったような投げやりな諦めの感情を宿した声が、俺の鼓膜を刺激する。


「私は未来を変えようと、何度も何度も違う事をしようとしたの。前回と違うことを選び、人を疑って、周りに奇異な目で見られているのだって知っているわっ、それでも私は……、私はっ、違う未来が欲しかった!」


 癇癪を起こした子供のような言葉の意味を、喜色に染まった頭の冷静な部分が計算する。


 十代から三十代までを十一回繰り返して、最初が三十年弱、娘時代からやり直しが一五才位って考えると、およそ二百年近く生きてる計算だ。


 仮に俺の世界に当て嵌めても人間の平均寿命の二回分を優に超えるし、この世界の平均はせいぜい七十年程度、だとすればこの世界の基準で、ゆうに寿命の三倍は生きていることになる。


 誰にも理解されず苦悩と悲哀で舗装された道を、ひたすら孤独を抱えて歩み、破滅を迎える為に人生を繰り返していた彼女にとって、それは気の遠くなる……、いや、気が狂いそうな時間だったはずだ。


「ねぇ……、お願いよ……、どうかあの子を、どうか私を、この牢獄から救い出して……、もう私には、貴方しか居ないのよ……」

 

 そんな人が独りで生きるには余りに長すぎる時間の中、幾度と無く我が子と己の精神を、避けられぬ破滅の炎で火炙りに掛けられる未来。


 その絶望は紅い炎の様な女を狂わせるには、文字通り十分だったのだろうと、容易に感じることが出来た。


「お願いよ……、もう限界なの……、このまま一人で生きるのも、独りで死ぬのも、もう嫌なのよ……」


 あんなに蠱惑的だと感じていた筈の紅い女性、心から恐ろしいと思ったはずの女帝の姿は、すでに何処にも存在しておらず、今の眼前に居るのは最早何処にも行く宛てのない迷子、絶望という行き止まりで助けを求め、ただ己の胸に縋る、か弱く儚い女性しかいなかった。


 今にも崩れそうな儚さを湛えた人は、どれだけの孤独を超えてきたのだろうと、悲しい人生を少しでも温めてやりたいと、俺は細い肩をきつく抱きしめてしまう。


「大丈夫だっ、俺は、このクソッタレなゲームから逃げたりしない、アンタを独りになんて絶対にしないっ、だから……、だから頼むから、もう泣かないでくれ……」


 その遣る瀬無い生き様に触れ、彼女に泣くなと告げた癖に、俺の目には生温い何かが溢れて視界を歪め、それは雫となって頬を伝い、彼女の頬の涙と合流してしまう。


「貴方の想いが詰まった涙……、とっても温かいわ……」


「煩いっ!俺はっ、俺は泣いてなんか、無いんだよ……、泣いてるのはアンタだ……」


 指摘されたのが恥ずかしくて、ついぶっきらぼうに返してしまうが、少し背の高い彼女は冬場の猫のように小さくなって、そのまま俺の胸の中に収まっていく。


「貴方に出会ってしまったわ、この温もりを知ってしまったの……。だからもう私は、昨日までの私に戻ることなんて、絶対に無理よ……」


 自分にある可能性を燃やし尽つくし、諦観と狂気の中で、僅かな正気に縋って生きる人生を否定したくて抱きしめる。


「戻る必要なんてないんだ……、これから未来を、俺がアンタに未来を見せてやる」


 彼女は傍観者だ、俺と同じ決して物語の表舞台に立てない人間だ、だからこの世界が彼女を否定するって言うんなら、俺がこの物語を否定する。絶対に新しい物語を見つけてやるんだ。


「うん……、私も貴方を信じたいの、だから、私に貴方を信じさせて……」


 言いながら、彼女はゆっくりと瞳を閉じ、少しだけ顎を上げて押し黙る。


 え?これってアレだよね?間違いなくアレだよね、ちゃうよ?そういう意味じゃ無いねん、ちゅうか奥様、アンタ一児の母で人妻でしょう?だったら不倫はいかんでしょ~~~~~~!!!


「お願い……、証が欲しいの……」


 だ~か~ら無理です~、そんなんアンタにしたら、俺は公爵家から追われる立場になって、メリッサの弟に、後ろからバックスタブされてアッーってなるんですけど!


 ねぇ脳内議員(もうひとりのぼく)、こう言う時って、どうすればいいかな?俺未だ死にたくないねん、なんかいいアイディア募集、クールでナイスな対処法を希望です。


『おK兄弟、こういう時は映画みたいに優しく涙を拭けばいいんじゃね?』


 なん……、だと?脳内議員(もうひとりのぼく)がまともな返答を返してきただとぉ!だけどやっぱそれしか無いよね!


 唯一のクールな答に俺は、彼女を抱きしめていた腕を解き、ハンカチを取り出すためにジャケットのポケットに手を伸ばして取り出そうとするが、その行動を制するように何かが俺の腕を掴んだ。


「やっぱり馬鹿な人……、女に恥をかかせないで……」


 頭の中に『しかしブルックリンはまわりこまれてしまった』と、脳内議員(だれか)の声が響いて消える。


 ちょ、魔王からは逃げられないってのは知ってるけど、女帝からも無理なの?ねぇ本当に無理なの?ねぇ~!こうなるならこうなるって教えろよ、早めに知らせるのが社畜としてのマナーを必死に詰めるが、ヤツの返事はいつも通りの『諦メロン』だった。


 のおおおおおおおおお!フザくんなバカァ~!


 全く頼りにならない脳内議員に見捨てられ、今にも崩れそうな心の中で急に昔見たあるロマンス映画のワンシーンがフラッシュバックする。


 泣き濡れる女性の瞼にそっと口付けをして、その涙を受け止める渋い主人公の姿……、そうだ、これだ!これなら奥様の気持ちを傷つけず、目の前の危機を回避できる、ナイスだ俺!


「今は、これで信じて欲しい……」


 自分を渋い主人公だと言い聞かせ、バックバクの心臓で精一杯の虚勢を張って、涙で濡れる彼女の瞼にそっとキスをする。


 薔薇と女の香りが脳内を駆け巡り、再び心臓はレッドゾーンまで回転数を上げだすが、自分は銀幕スターなのだと暗示を掛けて、クサい台詞を絞りだす。


「いつか本当に貴方を未来に連れて行く時まで、俺にはその唇に触れる権利は無い、今はこれで信じてくれないか?」


 『だから誰なんだよお前』という脳内のノイズを無視して必死に役に没入する、そうじゃないと恥ずか死確定だし、後悔するは今じゃない、後でするから後悔なんだから、今は後悔しなくていいんだよと、欺瞞に満ちた言葉で自分をごまして、更に歯の浮くような台詞を並べ立てる。


「もし、貴方が俺を信じられなくなったなら、その時はまたこうするから、涙を流した時は何度だってこうするって約束をする、だから俺を信じてくれないか?」


 うん、言いたいことは一緒だと思うから黙ってくれ、俺も『コイツ誰?』って思ってるからそっとしておいてくれ。


「ふふっ……」


 そんな俺の必死の演技が届いたのか、それとも逆に届かなかったのか、彼女は小さく笑い声を上げる。


「んもう……、本当に貴方って馬鹿な人なのね。信じられないって駄々をこねる女なんて、口を塞いで黙らせればいいのに瞼にキスだなんて……、貴方ってキザな人……」


 やめてぇ~~~~!そんな風に冷静なコメント言わないでぇえええ、はっきり言って今の後悔点で今から直ぐにベッドで高回転出来そうなくらいに限界なんです、だからこれ以上煽らないでぇえええええ!!!


「しかも瞼への口付けだなんて……、この歳になると唇より恥ずかしいわ……」


 そう言いながら乙女のように頬を染め微笑みを浮かべる推定さんじゅっさいだい、可愛い顔してんだろ?嘘みたいだろ、コイツ人妻で一児の母なんだぜ?


 こんな下らない事が思い浮かぶほど、彼女が見せた初めての心からの笑顔は、乙女の様に可憐で美しく、俺の視線の全てを奪い尽くしてしまうものだった。

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