やっぱりコピペの通りでした。
朝の気怠い空気が漂う部屋で、潤んだ瞳で熱い視線を男へ送る美女、彼女はまるでキスをせがむような素振りで男のタイを引き、その強引さに怯んだ男へ拗ねるような視線を絡めてくる。
今、二人の間にあるのは沈黙だけ、この貴族の邸宅で二人を邪魔できるのは、レースのカーテンに弱められた朝の日差しだけかもしれない。
今の状況をこんな風に説明すればね、昔のロマンス映画のワンシーンみたいな感じなんだけどさ、実際は絶対強者が哀れな獲物の首輪を引きずってるシーンなんだよねー。
「もぅ……、緊張してるの?でも、動いては駄目よ?」
彼女に言われ気がついたが、俺の身体は極度の緊張と混乱で微かに震え、異常な接近に危機感を覚えた腰が引き始めていた。
それをこの眼の前の真紅のご婦人は感じ取ったのだろう、不満気な言葉と視線を武器に、大げさな仕草で嘆いてくる。
「男なのだから少しくらい我慢できないの?それとも貴方、女を虐めて楽しむ酷い殿方……、なのかしら?」
男女差別反ー対ー、現状をどう見たっていじめてるアンタだよ!いやー、この人の事実誤認が酷いわ―、熱い風評被害の嵐だわ―。
「あの、これは生理的な現象で……」
「ふぅん、ならこうしましょうか」
悪戯に微笑む美女は、煮え切らない態度の俺に痺れを切らしたのか、タイを引っ張る代わりに両手を首に回してくる。
「あと、もう少しだけ息を静かにしなさい、少しくすぐったいわ……」
今度は息を我慢しろって?いやーキツいっす、ちゅうか息を止めたらそのまま昇天しそうっす。
だってこの人の目ってさ、なんか俺の隠したいことを全部見透かす様な恐ろしさが有るんだよ?今も落ち着いてるんじゃなくて、むしろ恐怖で諦観じみた状態、俗にもうどーにでもな~れ~って感じです。
怒って御免なもう一人の俺、さっきの発言は正しかったよ。こんな化け物は童貞の俺にどうにか出来る案件じゃなかったわ、お前が正しいってこうなってわかったよ。
「あぁ……、やっとちゃんと貴方が見えるわ……」
意味深な言葉と共に、地中海の海を思わせる瞳が、唇が触れ合いそうな距離へと、ゆっくりと近づいてくる。
凪いだターコイズブルーの瞳に、ブルックリンの陰気な準イケメン顔が映り込むと、鼻孔には彼女の持つ暴力的な色気が襲いかかる。
「奥様……、少しばかり、その……、近すぎませんか?」
「静かにしなさい、それくらいはできるでしょう?」
基本的人権の大本になる表現の自由、それすらも否定された俺は薔薇の香りと女の色気に溺れて窒息しそうだ。
危機感を感じた心臓が壊れそうなほどに唸りを上げるが、その過剰な酸素供給を受けた俺の頭は、目の前の圧倒的な妖艶さに溺れるように混乱の度を増していく。
らめぇ~、もうらめなのぉ、もうやめてぇ~頭と胸がこわれりゅ~。
彼女が持つ暴力的なまでの魅力に、俺は蹂躙されるがままに沈黙をこらえるが、そろそろ茹で上がって死にそうな気がしている俺に、女帝は予想外の質問を投げかける。
「貴方の部屋にね、変な手紙がなかったかしら?それも遺書めいた内容のものよ」
人間としての終わりを諦めて、一匹のゆでダコとして生涯を終えるのを覚悟し始めた頃、彼女が問うてきた質問に驚く、どうしてそれがわかったのだろうか、何だか理解できない展開になってきた。
「どうして……、貴方がそれを?」
質問に質問で返したのが悪かったのか、彼女はとたんに不機嫌になり、俺の背中に爪を爪を立ててくるんだが、つけ爪までしている女の爪って、はっきりと凶器って分かんだね、めっちゃ痛いです。
「んもう、私が知っていることなんてどうでもいいの、貴方はそれを見てどう思ったの?」
その痛みで少しだけ意識が冷静さを取り戻したのはありがたいが、過剰供給されている女の色気をどうにかしないと根本解決には程遠いんだよなぁ……。
「あっ、ああ……、お、俺は……」
だからって、今度はくすぐるみたいに背中を撫でるは止めてぇ~!でちゃう、変な声が出ちゃうのぉ~。
「な、何とかしたい、んっ、できれば皆が幸せになれる方法を目指したいっ、うぅんっ、俺っはぁ、誰かを犠牲にして終わるのはっ、んあっ、それに誰かに引きづらて不幸になるんてまっぴら御免だ、そう思いましたっ!」
このドSさん、俺に質問しといて喋らせる気無いんすか?それともまさか乙女ゲーのサービスシーンあるあるの一つ、男が喘ぐシーンの演出なんですかね?男が自分の喘ぎ声を自分で聞くのってさ、結構心にクる物があるんだぞ、分かってんのかおらァン!
こんな恥ずかしい目にあったらね、アタシもう、お婿にいけないって気分ですぞ、まじで……。
「それは、周りの人間を助ける、そういう意味で言っているのかしら……?」
女帝が話す質問の核心が一つの疑念を抱かせる、あの手紙は彼女の仕業なのか?もしそうだとしたら彼女は俺をこのゲームに引き込んだ側の手先、そうなるのだろうか?
ここで、嘘を言ってはまずいのか?それとも正直に話すべきなのか?
混乱する頭ではどちらが正しいのかもわからない、だが、真紅のルージュを引いた唇が告げる次の言葉が俺に疑問を考える資格が無いことを知らせてくる。
「ここでね、貴方がもしも嘘なんてついたらね、私は確実に貴方を……、殺すわ」
やべぇよやべぇよ、このドSってばさ、「殺る」って言ったら本気でやる奴の目だ。
少なくともこんなぶっ飛んだ狂気的な眼をして、背筋に液体窒素でも打ち込む様な笑顔で「殺る」って言ってる奴に俺は出会ったことがねぇっ!
「嘘をついて逃げても無駄よ?私の持っている力、その全てを掛けて絶対に、ぜったいに貴方を殺してあげるから……。それが嫌だったら、お願いだから正直に答えてちょうだい……」
狂気と懇願、そんな言葉が胸に落ちる、この目に映る思いを、俺はつい最近見た、そうメリッサだ。
己の全てを投げ捨てでも駄犬を助けたい、そう思っているメイドの目に、この傲慢な女主人の目が似ていると、その時の俺はなぜか理解できた。
「ああ、俺は助けたいと思っている、俺はあんな事は納得出来ないし納得したくもない、そうなる理由をぶっ壊して、腐った未来を変える気だ」
メリッサに語った思いを言葉にして、目の前の紅い薔薇を思わせる女性に話すと、彼女は下を向き、肩を震わせる。
あ、やめてください、たわわが揺れてちょっと気持ちいいんです。
なんて言葉は今の空気では言えるはずもなく、仕方なく奥様が落ち着くのを待っていたが、収まるどころかその震えはどんどん大きくなっていく。
「フフ……、ウフフ……、アハハハハハハハハハッ!」
その震えが頂点に達したと思うと顔を上げ、俺を抱きしめながらドSは急に狂った様に笑い始める。
「貴方最高よぉ!最高の答えよ!貴方こそ私が求めて焦れた運命の王子様なのねっ!」
運命の王子様とか、何が最高なのか彼女が言っている事が理解出来ない俺を他所に、赤いドレスの女性は青い瞳に狂気を滲ませて笑い続ける。
俺王子様役なんてしたこと無いし、むしろ木の役すらさせてもらえない位に演技は駄目ですよ?ずっと裏方の道具係でしたけど、王子様ってなに?
「アハハハハハハハハハハハハハッ!やっとよっ!やっと運命を覆す可能性が巡ってきたのねっ!」
ヤダ~、やっぱりこの人怖い、いきなり目を見開いて壊れたみたいに笑いだされても、此方は何が何だかわからないし、いくら美人でも狂気に満ちた瞳で大口開けて嗤ってるとね、背中のあたりがキュッってなってね、何だか震えが出てくるんですよ。
「ちょっ……、とにかく落ち着いてっ、と言うか満足したなら離してくださいっ」
この人怖すぎるから離れたい、そう思って俺が引き離そうと彼女の肩に手を伸ばそうとするより先に、背中に腕を回され捕らえらてしまう。
「嫌よ、私は貴方を狂いそうな程に恋い焦がれて待っていたのよ……?」
その言葉と共に、背中に回された腕の力はどんどん強くなり、痩せ気味の固い身体に柔らかな女の身体を押し付けられる。
「絶対、絶対に貴方を離したりしないわぁ……、貴方は私を救う王子様なのよ?」
まるで恋する乙女のような熱っぽい言葉を、狂気に満ちた表情で嬉しそうに語る一児の母親。
今の状況はそういう性癖の人には、ある意味ご褒美なんだろうが俺は怖くてたまらない、このまま彼女の中に引きずり込まれ、飲み込まれていくような錯覚さえ覚えている。
この可怪しい状況を打破したいが、どうして彼女は急に豹変したのか解らない以上、良い方法が思い浮かばない。
「逃げない!俺は逃げないから落ち着け!アンタが何言ってんのか、俺にはわからないんだよ!」
もはや取り繕う余裕すらかなぐり捨てて、全力で彼女に叫ぶが、それでも緋色のドレスは、身体に着いてしまった炎の様に離れやしない。
「いいわぁ、貴方やっぱりそうなのねぇ……」
「だから何が、どうしたのか教えてくれ!」
あ、これネットで有名な男女コピペ状態じゃね?車とかパソコンが壊れたって言う女と、その原因を調べようとする男の話で有名なアレだ。
原因を追求しようと何度も車のバッテリーは生きてるか聞く男に対し、女は昨日は動いたとか、出かける用事があるって聞いてもいない事を言いまくって話が全く噛み合わないやつだよ。
んで、女は自分は大事な用事があると何度も話したのに、一向に車を直してくれず、希望を叶えられない男に失望して、男は原因を調べるのに協力しない女の心理が理解できずに終わるやつ、うん、まさしくそんな状態だね。
丁度自分がその状態だって思い出しはいいけど、あのコピペは「あるある~」って納得する話だから、そのギャップの解決法は書いてないし、今思い出しても全く無駄なんだけどね~!
「いいわ、分からないなら教えてあげる、貴方はね、私が何回も繰り返して来た、絶望を覆してくれる存在なの、だから貴方は私の王子様なのよ……、ふふっ」
だから何か言うたびにね、いちいち眼を見開かないで欲しい。それと胸板をサワサワするのもやめて!恐怖とくすぐったさが混ざって、スゲー変な声が出そうなんです。
それにね、美人がそういう顔するとめっちゃ怖いんだぞ?さっきから俺の股間のダムが決壊しそうでヤバイのよ、この歳で尊厳開放しちゃうとね、大事な何かがバキバキに折れる大惨事になるから、そろそろ止めて欲しいんですが、駄目ですか?
「一体なんのことだ?俺にはアンタを助ける力なんて無いぞ?というか、公爵夫人のアンタならこの国で出来ないことなんて、国王陛下の上に立つくらいだろう?」
「あらあら、貴方って意外とお馬鹿さんなのね。私だって出来ないことはあるのよ……? そう、例えばね、ある娘の幸せの為、その娘と相手を変えて何度も繰り返す我が子が死ぬ運命を変えることかしらね……」
「なっ……!?」
この世界が何度も繰り返しているのを知っている人間は己だけ、そう思っていた俺に公爵夫人というキャラが発した言葉、その意味を理解して俺は文字通り絶句した。
目の前の女性はこれか来る未来を、アルテミジアの避けられない死の収束を知っていると、言っているのだと理解したからだ。
だが、同時に新たに疑問が脳裏に浮かんでくる。
何故キャラクターである彼女が繰り返す世界を理解できたのか、そして、どうして彼女は、俺がアルテミジアが辿るであろう運命を、変えられると思ったのかが解らない。
俺は益々混乱の渦へ落ちていくが、混乱を与えた紅い唇には堪えられない喜色が満ちており、その間を長い舌が滑らかで妖艶な動きでもって右から左へと泳いだのが、まるで獲物を前にした獣の様で、俺の目にやたらと印象的に焼き付いていくのだった。




