墓穴を掘らずんば墓地を得ず
扉を開けた先には部屋中に真っ赤な薔薇が咲いていた、辺り一面に薔薇の濃厚な香りが漂い、その中心には自分がもっとも美しい華だと言わんがばかりの女性が居て、全く目が笑ってなど居ない、それなのに優雅だと言わざるを得ない、そんな不思議な微笑みを浮かべながら、俺に問いかける。
「あら?さっきまでの勢いはどうしたのかしら、そんな所で立ち止まるなんて……。まさか今更怖気づいた、なんて男らしくない事、言わないでしょうね?ウフフ……」
異様な気配を感じた俺を馬鹿にする様に、紅い唇は微かに白い歯を見せる、それはまるで男を惑わす扇情的なダンスのようで、俺はその踊りに視線を奪われそうになる。
「いえ、相変わらずお美しいと見惚れただけです。ではお言葉に甘えて失礼しましょう」
嘘でーす、そんなん怖気づくに決まってんだろオラァン!なんだよおかしいでしょ、お嬢様を産んだ後なのにさ、なんでそんなスタイルいいんだよ?産後は崩れたって良いんだよ?それは仕方ないことなんだよ?
「あら?本当に随分とお口の方はお上手になったのね、じゃあ早く此方に来て私を楽しませてくださるかしら?」
俺の完璧な擬態にまんざらでもないのか、彼女は嬉しそうに俺に指を上に向けて少しずつ指を折るような手招きをする、こうした如何にもな手招きってあまり品のいいもんじゃないと思うが、このドSがすると、酷く様になるのが恐ろしい。
もうね如何にも危険な女の魅力振りまくから、女性関係若葉マークどころかペーパードライバーでも『なんとか運転出来る』って思って、ドヤ顔でキリッってしてた数十秒前の俺に後悔してたんだよ!入る前からもう胃がキリキリしてきたわ~い。
だからさ、少しは大きな子供を持つお母さんぽくしませんか?って言いたい、言いたいけどさ、この人ってさ、設定考えると多分、俺より少しだけ年上なだけなんだよなぁ……。
このゲーム婚期早すぎぃ!って言いたい位に婚期早いから、十五の娘を持つ三十代の女盛りの母親とかがデフォなんだよねぇ……、お嬢様だってさ、なんの問題もなければ学園卒業と同時に結婚、そしてあのバカ王子とお嬢様両方問題なけりゃ、二十歳位には出産だろうさ。
なんつうか、製作者って実は昭和脳?って突っ込みたくなるんだけど、まぁ晩婚化の波の煽りだけではなく、恋愛弱者で結婚できるかも怪しい俺は、ちょっとだけ羨ましいと感じる様な設定だよ、クソぅ。
でもね、だからってねぇ……、今この時にわざわざ俺に牙を剥かなくても良いんじゃないかなぁって、やっぱり思ちゃうんですよ。
このまますぐに回れ右どころか、バックステップで廊下まで戻って扉をそっ閉じしたい気持ちをグッと堪えつつ、彼女の座る椅子のまん前、ブルックリンの歩幅二つ分、百五十センチ位の所に歩を進める。
一歩づつ近づくにつれ、彼女が纏う薔薇の香りは益々濃厚になって、己の身体に蜘蛛の巣が纏わりつくような錯覚を覚え、お前はもう戻れないと教えてくる。
「で、貴方は今から何を話してくださるの?私楽しみで仕方ないわ」
うん、なんというか獰猛な動物の前の生肉の気持ちが凄く分かるよ、俺きっと今この瞬間一番生肉の気持ちが分かるやつだと思うね、俺より分かるって奴は代わりにここに来て欲しい、その間に俺は扉をそっ閉じするからさ。
「ふむ……、では質問に質問を返すのは無粋ですが、逆にお聞きしましょう、貴方の瞳には私が何者に映っていますか?」
そう、よくこういうデスゲームってさ、自分からバラした死ぬとか、知られたら終了とか色々あるやん?まだ一日くらいしか経ってないのに、いきなりのデスペナは遠慮したいんだよ。
だからここはこうやってカマかけながら上手く誤魔化して、上手に騙して行けないかなーって思ってんの。この人だって確信なんて持ってないけど、多分なんか変だなー位に思っているだろうから、中身違いじゃなくて、記憶喪失位に持っていければなってのが、今の俺の目標だ。
「呆れた男……、質問に質問で返すなんて男らしくは無いわね、でもいいわ、答えてあげる」
言いながら足を組み替えたのだろう衣擦れの音がする、うん、そのたわわ、それぐらいで揺れるんスね、なんつうかね別にやらしい気持ちはなくても、むしろ命の危険を感じてても、そっちに目が行くのは男の性なんですかね?
いやむしろ命の危険があるから、子孫を残そうとする本能が目覚めたのか?今俺は野生の狼になった……、うん、それはないな、せいぜい発情したトイプードルくらいの本能だろうなぁ……。
「そうねぇ、はっきり言えば別人に見えるわ、だって今の貴方は私に対して劣等感に塗れた侮蔑の視線を送ってこないもの……」
うん、もう目も当てられないっていうか『お、おう……』みたいな気持ちになるわ、そいつがあの遺書の主なのか、それとも本当のブルックリンなのか解かんないけどさ、やっぱ隠すべきモノって有ると思うよ?
「以前の貴方って、嵐の後の濁った昏い夜の海のように暗く淀んだ……、そんな視線をしていたわ」
そんな這い寄る混沌みたいな、中二病患者も真っ青な視線を雇い主に送るブルックリンって一体……。混沌に引きずり込まれたの?それとも引きずり込んだの?奥様の発言も少し厨二っぽい表現なのはお前達のせいなの?
「なるほど、そうですか……。以前の私は、そのような人間だったのですね」
そらバレるわな、俺この人は怖いけどさ、逆にあんまり良く知らないから別に劣等感も侮蔑も沸かないし、むしろ遠くから見る分には美人だから目の保養になるとは思うよ?ちょっと毒々しいけどね。
「そうね、そんな人間よ、で、今の貴方はどんな人間なのかしら?」
微笑みを浮かべた流し目が、こちらの心を鷲掴みするような、腹の底が冷えるような感覚をもって俺に突き刺さる。ここが正念場だろうね、こんなんミスったら絶対死ぬわって感覚が背中に嫌な汗を流せと命令してるもん。
命の危険を感じて緊張で喉が張り付くが、無理やり唾を飲み込みなんとか仕事をさせる、俺の命が架かってんだよ、職務放棄なんて許さねーよ。
「過去の記憶がない……、そう私が言ったら貴方は信じてくれますか?」
実際、俺には俺としての記憶はあるが、ブルックリンとしての記憶は全くない。だから嘘は言ってないし、こんな突拍子の無いこと以上に訳の分からん今の状況を伝えたら、この人どんな反応するんだろうね。
怖くもあるけど実は少しだけ見てみたい、このお澄まし顔がどんな風にぶっ壊れるのか見てみたいと思うから。でも絶対しないけどな!やったら多分、死んじゃいますからな!
「やっぱり無いのね……、以前のあなたとは別人だもの、その濁った視線が気に入らないから眼鏡を掛けなさいと言ったけど外していいわ、そして私の目を見なさい」
あ~、普段かけてる俺はかけてる方が落ち着くんであんま気にしてなかったけどさ、近眼じゃないコイツがメガネを掛けてたのって、この人の命令だったのね。
今朝起きた時、どうしてコイツは近眼じゃないのに眼鏡かけてんだろうって心の片隅で思ってたんだけど、そういう理由だったらなんか納得したわ。臭いものに蓋じゃないが、そんな視線なら少しでも隠したいって気持ちは分からんでもないもんな。
つうかやっぱりさ、こいつ可怪し過ぎ、危険を冒し過ぎだよオアァラン!危険を冒すモノ、冒険者ってかぁ?そういうのは雇い主の前じゃなくて、ゲームらしくダンジョンとかでやってくれませんかねぇ?
心の中で、ブルックリンに文句を言いながら眼鏡を外す、伊達眼鏡なのでフレームが視界から無くなる程度で、見えるモノに大きな変化はない……、いやあった。
さっきまで椅子に座っていた目の前の女主人が、俺の側に寄ってきて顔を指でなぞるように触れてくる。
うん、きっとね絵的には美女と準イケメンのブルックリンだから、ちょっと色っぽいシーンなんだろうけどさ、中身が俺だからどう考えても色気より恐怖を感じます、タスケテ、タスケテ。
誰かに助けを求めた俺に対して、『あきらメロン』って脳内議員が言ってくる。かぁー、使えねっ、コイツ本当に役に立たねーの、たまには仕事してもいいんですぞ?
「もう貴方って背が高くてよく見えないわ、相変わらず気が利かないのね、こういう時はもう少し側に寄りなさいな……」
そう言いながら左手でタイを引っ張られる、目の前の女体から発生する薔薇の香りは益々濃くなって俺の頭がくらくらする、うん、もう無理。
目の前に美人が居てさ、相手の息が掛かりそうなくらいの位置で話してんですよ?恋愛ペーパードライバーの俺には無~理~、この状況運転できる気がしないって、危険予知とか無理だって。
そんな俺の心の声を無視するように近づいてくる彼女の視線に、俺は何も出来ずにただ引かれるままに好奇心と危険が詰まった二つの瞳へと距離を縮めていくのだった。




