後悔のない平和な暮らし
一年後の秋、セインデル国を退け、展開していた軍もアインテール国に無事に帰国していることをアレクから手紙で教えてもらいほっとした。
高等科でも同じクラスだったアレクとは、卒業後もずっと手紙でのやり取りが続いている数人の内の一人だった。
アインテール国で用事を済ませて帰国した後も魔法陣を描いた手前、ずっと気になっていたのだ。
セインデル国からは和睦の申し入れがあり、内政派閥、内務派閥、軍門派閥、外交派閥で激しい意見交換があるらしい。
アレクの家は内務派閥で、クライン先生は内政派閥だ。それぞれから現状の派閥の動きが書かれた手紙が来ていた。
同じ様なものかと思ったら全く違っていて、内務派閥は外交派閥と同じ意見で和睦を受け入れ、融和政策を行い、経済侵略を狙おうという動きらしい。
一方の内政派閥と軍門派閥は、今回はカインズ国の傀儡だったが、次はワジェリフ国の傀儡になるかもしれないので、カインズ国から供与されている兵器や武器を渡して制裁をした後、融和に転換すべきとの意見だ。
時間をかければセインデル国はアインテール国を注視している間に背後をワジェリフ国に襲われ、国を獲られる。
そうなると何の旨味もなく、遠征費だけがかかる上、アインテール国付近まで容易く来られるようになり、危険が増すと財務派閥からも反発が出ているそうだ。
まあ、そうだろうな。
せめて和睦の申し入れは受け入れるが、条件を呑めくらいは先に言っておかないと。
一方のカインズ国は沈黙を守っており、このまま戦争継続との見方が大半らしい。直接的な武力衝突はせずに冷戦に入ったということなのだろうか。
魔力を充填していたのがどういう部隊かにも寄るか。軍は軍だろうけど、主力かどうかでも対応が変わってくるだろう。
向こうがどう動くかの様子を見ていたら後手に回る。
セインデル国はアインテール国に和睦を申し入れているので、セインデル国側からディハール国方面へ向かおうとすると物凄く面倒らしい。
カインズ国とディハール国は軍事同盟中で、行路を安全に通れるように軍が展開されている。セインデル国からグリュッセンに向かう前に先にカインズ国の軍と会うことになる。
和睦を申し入れていることからアインテールについたと見做されれば攻撃対象になる。カインズ国も進むか、ここで止めるか悩みどころか。
地図上、アインテール国の西にあるのがセインデル国だからな。
アインテール国の工作員が、セインデル国経由でカインズ国に入国して来るのではないかと恐れているなと言ったのは、エルクだった。
セインデル国とカインズ国間で行われていた交易が止まったことで、カインズ国より北に位置する国々との交易も事実上、止まってしまった。
このことにより、カインズ国より以南のディハール国とバルセル国は交易特需があるようだ。
バルセル国は、カインズ国の南東に位置しており交易相手としてはお得意様だ。一方、ディハール国は南西に位置しているため、カインズ国を経由しない交易路をセインデル国との間に結ぶかが検討されているとノエルからの手紙にはあった。
今のところディハール国の商人達は、軍事同盟があったことから困らずに行き来きできているから、あくまでも検討段階のようだ。
そして、我関せずの観光国グリュッセンは今日も平和だ。
スニプル車で2日半、馬車で7日の南の渓谷でセインデル国とアインテール国がやり合っていても、これっぽっちも気にしていなかった。
他国が戦争で観光客が来ないのなら今の内に静かな海に行きましょうかという具合に。海辺は自国民で賑わっていた。
それを山側から見ている俺達も庭でバーベキューをして楽しんでいた。
平和は、かけがえのない自由を謳歌できるものだ。
カインズ国の動きは気になるけれど、先生達も身軽な友人も辺境に住まいを移したりしているようなので心配事も随分と減った。
「この封筒は、フォルマだな。これで最後だ」
重なっていた封筒の一番下にあった。
辺境に何かあった時や緊急の時は、俺の渡した魔道具のどれかを壊してくれと頼んである。
そうしてくれれば、俺にすぐに伝わるようになっている。手紙を出す余裕のある時は、目立つように赤色でと頼んであった。
到着しているこれは茶色の一番安い封筒だ。辺境領で使う連絡便は、お互いに見栄を張らずに白ではなく、茶色を使うという決まりだ。
辺境領のみの独自の決まりなので、他の領に送る時は、ちゃんと白だったが、飾らない関係は気楽だ。
開くと、やはり一行目に“辺境領は変わりなく安寧に過ごしています”と書いてある。
そのことに無意識に頷きを一つ返す。
いつもありがとう、フォルマ。
グルバーグ領は、ボンズとモレビスに代わり、第一王子の派閥のマーズが来ているらしい。
すぐには思い出せず、『マーズ? 誰だ?』となったが、声に出ていたらしく、開封した手紙を差出人別の箱に保管してくれていたロクスに『ソルレイ様が高等科に通われていた時に、授業中にやって来た伝令ですね』と言われてようやく思い出した。
「ああ。あの時の……」
教室に入って来た時に、これ見よがしに肩にかかった髪をばさっと跳ね除けたので、髪を束ねればいいのにと思った人だ。
「戦争で領地に帰る場合は引き止められません」
それでモレビスに代わり、マーズが来たのだろうと言うので、だったらマーズは3男以下だなと話した。長兄に何かあった場合のスペアや本人がそうであった場合の帰領のはずだ。
「そこは第一王子も良識的なんだな」
残れって言わないのか。
「そう言われれば……そうでございますね」
二人で顔を見合わせて少し笑った。
フォルマの話では、ボンズは何故か王都に行っており、モレビスは領地に戻っていたが、軍がアインテール国に戻っても、そのまま辺境領に戻らず、新たに派遣されたのがマーズということらしい。
屋敷には入らず、ボンズとモレビス、アーチェリーの建てた別館で執務をしているとか? 疑問形で書かれていた。
執事長からの手紙は、カルムス宛だったことを思い出した。ミーナに聞いて来て欲しいと頼むと、すぐに戻って来た。隣には、メイドのルーチェがいた。
「ミーナ?」
「ルーチェが内容を知っているそうですわ」
「そうなのか?」
「はい」
カルムス宛だったが、読み上げるように言われてメイドが読むと、ダニエルに封筒ごと持っていくように言われたらしい。そのメイドがルーチェで内容を覚えているという。
「カルムス様についております。ルキス殿からの手紙にはーーー」
『ソルレイ様とラウルツ様から連絡はないのか?』と聞かれたので、
『あなた様がお聞きになるのですか?』と返しましたと記載があったそうだ。
「よく分かったよ。ありがとう」
どうやら、ルキスはマーズの名前を覚えていたようだ。
高等科の時のことを悪いとでも思っているのか、屋敷ではなく別館にいるようだが、俺達からしたら別館でも別荘の屋敷でも好きな方に泊まればいいだろうと思う。
お爺様や皆と過ごした大事な屋敷はここにある。
忙しい中、書いてくれた友人達や先生達に礼の手紙を認めていく。何人目かの時に部屋の扉が叩かれた。叩き方で誰か分かり、ここまでだなと筆を置く。
「どうぞ」
返事をすると、思った通りラウルが顔を覗かせた。子供のように頭だけを入れるので、そんなところにいないで、おいでと声をかけると中に入って来た。
「ソウル。なにしてるの?」
「手紙を読んでいたよ。皆がマメマメしく書いてくれるんだ」
手紙を書くのに使う便利な小さな机の前にいたため仕事中だと思わって遠慮したようだ。手紙だと聞いて笑顔になる。
「そうなの? それが終わったら釣りに行かない?」
「いいな。行くよ。用意をするから待っていて」
「はーい」
ロクスに目配せをすれば手紙を片付けてくれる。控えていたミーナが釣りに行くのでしたら海風で風邪を引かないようにと言って羽織を一枚持ってくる。
「ミーナありがとう……ああ、そうだ、ラウル」
「なに?」
ベリオールのお兄さん店のようなコンセプトで、男性でも入りやすい木を基調にしたお洒落なカフェをアイオスさんの領にある湖の傍に作りたいのですが、いかがでしょうかと手紙を出したら、領に人が来るようになってお金を落としていくので助かります、との返事が来ていた。
「ラウル。アイオスさんから了承を貰ったから“ルベリオ”の1号店をグレイシー領の湖畔に作ろうと思うんだけど、いいかな?」
カルムスが一年前、父親に会いに行くと言ったのに初日に行かなかったのは、帰国の折には、儲け話の一つでも持って帰って来て下さいと弟さんのアイオスさんから言われていたかららしいのだ。
苦肉の策で何も知らないダニエルを巻き込むあたりが、カルムスの駄目なところだ。
すんでのところで何かおかしいとダニエルに気づかれたらしく、誤魔化すために領に帰らずに、偶々会った友人を巻き込み、遊びに行こうと誘うとか。本当に仕方のない人だ。
結局、翌日グレイシー領に行き、真相を知ったダニエルから帰国後に話を聞き、二人で考えたのが金のなる木をグレイシー領に作ることだった。
その返事が返ってきたのだ。
「ソウルの作るお菓子は、僕だけが食べたいって今でも思うよ」
「うん、ありがとう。でもアイネはいいんだろう?」
笑って言うと、にっこり笑って頷く。
「うん、そうだね。家族も許してあげるし、ノエルも友達だから特別に許してあげるよ。今まで通りパティシエが作ったものを売るようにしてくれれば、多くの人が食べるのも許してあげる。でも、新作を食べるのは、全部僕を一番にしてね」
笑顔で言うので頷く。
今もお菓子への憧れや独占欲があるらしい。好きに食べられるだけの稼ぎはあるんだけどな。
いつまで経っても抜けない平民根性だ。
俺もラウルもお菓子を選んで買う時は、未だに高揚する。
「ハハハ。分かった、分かった。ラウルが美味しいって言わないと、新作が店舗に並ばないってばれちゃったからな。久しぶりに会ったベリオールのパティシエ達、全員、似たようなのを作っていただろう」
ラウルの好きな柑橘を使ったケーキの多いこと。
誰か作っていたら、自分はやめようとならなかったのだろうか。
「アハハ。そうだね。でも、『これで小金貨を貰う気か!』ってソウルに久々に怒られて、全部没になったよね」
「うん。……だって見た目だけだったよ。行ったのは、秋だったのに。夏に収穫した柑橘をコンポートにしていたものとか、氷結させたとか駄目だよ。フレッシュさもない」
クリームに混ぜるくらいならいいけど……。それがメインを飾る果実だなんて客を馬鹿にしている。季節によってラインナップを変える意味をもっと考えて欲しかった。
「ふふ、うん、そうだね。美味しかったけれど、ベリオールのケーキが並んでいる中だとハズレだよね」
見劣りするとラウルもばっさりだ。
「そうだろ。だから、こっちの新店のことは内緒にしておこうと思うんだ。その方が刺激になる。お酒を練り込んだケーキを主に、赤ワインと無花果のケーキに、ブランデーを染みこませたドライフルーツのケーキ、シャンパンはジュレにしてチョコレートで包もうかなって。でも、気に入ったら家でだけでもいい。チョコはラウルにだけ作るよ」
「味見しだいではいいよ」
「その言葉が一番の重圧だぞ」
座っているラウルの金髪をかき混ぜると、楽しそうな声を出す。
「ふふ、楽しみにしているんだよ」
用意を終えて、釣り道具を持っているロクスにありがとうと礼を言い、受け取ろうとすると、玄関までお持ちしますと言い、ミーナが部屋の扉を開ける。
「「ありがとう」」
釣果には期待しないでと、笑って屋敷を後にした。




