戦場のハインツ家
「父上、兄上。少し宜しいですか」
家で聞く声がして、思わず振り返る。
昼間、リックファイ渓谷からクリヒーの丘に着いた時、指揮を取る3男のクレバは、確かに第3騎士団長のミルバ殿、副騎士団長のエイレバ殿と呼んでいたはずだ。
「ん? どうしたんだい?」
「こら、戦場だぞ」
我が家の兄弟は、貴族家では珍しく仲がいい。
怒る気のない兄のエイレバを咎めても仕方あるまいが、何も言わぬわけにもいかぬ。
「個人的な用でございます。少しお耳を」
耳を貸せとはまた仰々しいことだ。
「私用で重要案件とはなにごとだ」
「想い人のことでございます」
「!?」
クレバが笑いながら言ったことに、エイレバが驚きの顔をして周囲を探る。
それは軍人の時の所作で、張りつめた顔をしていた。
想い人がいたのかと父親の顔に戻りかけていたが、その表情に躊躇う。
笑っているクレバとの温度差が酷いものだ。
よく分からんが、辺りを警戒しているようなので一緒に見てやる。
「気配はないが、場所を移すか」
「はい。私の幕間まで御足労下さい。最初に個人的な話を。次に軍事戦略についてです。第3騎士団に話しておかねばならぬ案件です」
「「分かった」」
第2騎士団の騎士団長の幕間まで行くと、周りは顔馴染みの騎士家の者ばかりで警戒をさせている。
これは、よほどの案件か。
中に入り席に着く。
副騎士団長もおらず、我々3人だけだった。
「合流してすぐにお渡ししたかったのですが、これを肌身離さず身につけておいてください」
テーブルの上に守護鉱石を使った魔道具ですと言いながら置いた。
「ふむ。良い物のようだが、どうした?」
我が家はそれほど裕福ではなく、苦労を掛けている。有事に備え、給金でも貯めていたか。
「先日、ソルレイ様に頂きました」
「なんだと!?」
「父上。しっ。声が大きいです」
咎めるエイレバは冷静だ。
「エイレバ。貴様はなぜ落ち着いている。知っていたのか」
「まさか。先ほど、クレバの想い人だと聞いたからですよ。ソルレイ様のことをずっと好きだったのを知っております」
「なに!?」
驚いて穴の開くほど顔を見る私に頭を掻く。
「ここに来る前に振られました。弟達には黙っていて下さい」
「「…………」」
笑っているので、そう傷ついてはいないらしい。ならば慰める必要も無かろう。
「当たり前だ。身の程を知れ」
「絶対に無理だから告白はしないと言っていただろうに。うちは貧乏男爵家で、向こうは今や侯爵家だよ?」
「ハハハハハ」
それもそうでしたねと声を上げて笑う。
「貧乏などと自らを蔑む言葉を使うな。して、何故に魔道具を戴いたのだ?」
恐れ多くも初等科の時に揉めていて、相当に嫌われていると我が家では認識している。
「話すと長くなるのですが、お忍びでアインテール国に3日程滞在されていました。懐かしさからバイキングを食べに初等科に行ったそうです。しかし、学生しか食べられませんから、注文をしていた生徒に声をかけたそうです。それが、偶々フィルバだったようです。私の弟だと知り、奢ってもらったので、礼をしようと父上と兄上達の分も作って下さったのです」
なんだ、そのあり得ないような話は。
そもそもソルレイ様が帰ってきたなどと聞いておらぬぞ。
「正門の者達から入国したとの報は受けておらぬ。世迷言ではないのか」
「父上。事実です」
ずいっと魔道具を押され、首にかけて服の中に仕舞う。
「有り難く身につけておくが、奇想天外すぎる」
「証拠があります」
「ほう」
「なんだい?」
クレバが服を脱いでいくのをエイレバと呆然と見ていたが、上半身を脱いで同じ魔道具と、立派な魔道具を首から下げていた。
これは……1級鉱石か? いや、有名な特級の守護鉱石もあるではないか。
思わず顔を見る。
「これは父上にも渡せませぬ。私の血を垂らすようにとおっしゃって下さいました。所有の印です」
何を言うかと思えば……。
息子が想っていた相手から貰った物を取るわけがなかろうに。
「先の話、信じよう」
「そうだね。これは、ソルレイ様にしか作れないだろうからね」
二人で頷く。
「いえ、見せたかったのはこれではございません」
クレバが後ろを向くき、目に飛び込んできたものに息を呑む。
そこには、背中にびっしりと描かれた魔法陣があった。これでもかと組んである。ここまでのものは、専門書でも見たことがない。
「凄い……。これほど細かいのに肌が少しも焼けていない」
エイレバが背に触れ感嘆の息を洩らす。
その言葉に我に返る。
「……これぞグルバーグ家の神髄だ。魔法陣を正確に発動させ、人体にも損傷を与えることなく、描くことができる」
戦場で危険な任務に赴く騎士達に、ラインツ様が描いて下さったものを見たことがある。あの時も何人にも描いていく集中力と速さに驚いた。
それにしても読み解くのも難解なほどの魔法陣の集合体だ。どこが起点になっているのかも分からぬ。
「……クレバ。自分でも見たかい? 無事な帰りを待つ婚約者のような情熱を感じるよ。本当に振られたのかい?」
確かに。
これほどのことを一騎士にするだろうか。
男でも貰ってもらえるのであれば、喜んで引き渡すが……。クレバが脱いだ服を着ながら笑う。
「はい。それはもうきっぱりと振られました。告白したのが、出発前の正門前の木陰でして『なんだか死にそうだな。そんなに分が悪いのか。死なれると目覚めが悪い』とおっしゃっていました」
「「なるほど」」
自分が振った影響で死んだのではないか、と気に病みたくないということのようだ。
騎士に限らず、軍属ではよくあることだ。
とはいえ、ここまでの魔法陣は骨が折れただろうと息子のために労を惜しまずに描いてくれたソルレイ様に感謝の念が湧く。
「弟達とヴェイリバ兄上には渡してあります。それから……分が悪くなった時にとグルバーグ家オリジナルの魔法陣を二つ教えて頂きました。一つは難しい魔法陣で、予め描いていただいた物を。もう一つは攻撃用でして、描けるように教わってきました。ここからは、騎士団長としての話です」
騎士服を着て、しっかりとした顔を見せる。
空気が変わるのを肌で感じた。
「一つは守護魔法陣です。初め、ソルレイ様にはこちらだけを教えて頂いたのですが、戦争には守るだけでは勝てませんから。無理を言って、二つ目のこちらの魔法陣も教えて頂きました」
魔力を吸う魔木から作られた特別な紙に描かれた二つの魔法陣をテーブルに置く。
「多くの騎士が魔力を出し合うことで魔法陣は強くなるそうです。守護魔法陣は、特にそうするようにと言われました。こちらの魔法陣は、難解でソルレイ様に描いていただいたものを手本に写しました。間違っていないかも確認をいただいております」
グルバーグ家のオリジナル魔法陣は、機密扱いになるため、多くの者の目に触れるわけにはいかぬ。
また、この場にいない第一騎士団に知られると取り上げられる可能性もある。
いつ使うのか。難しい判断になるな。
「他国の侯爵家になられた方です。ご面倒をおかけするわけには参りません。使うタイミングは、私に一任して頂く。今回は、守護魔法陣は使いません。このクリヒーの丘にある巨岩石は、良い鉱石が採れるそうでグルバーグ家が密かに魔道具を用いて守っている一帯です」
なんと。
ラインツ様はそのようなことまでされていたのか。
「では、安全はある程度確約されていると?」
「その通りです。ここでは、攻撃に重きをおきます。此度は、カインズ国からの充填式の魔道具の兵器や武器が流れています。セインデル国ではなくカインズ国を攻撃します」
「どうやって行うつもりですか?」
「部隊を分けるおつもりか?」
これは、なんとか攻撃できないものかと第3騎士団でも話しあっていた部分だ。
そうでないとキリがない。
2ヵ国を相手取っているため、同じ消耗戦でもこちらがじり貧になる。
第2二騎士団がここで足止めができるのであれば、第3騎士団と第5騎士団で陽動をかけつつ、カインズ国を狙いに行くのも悪くない。
「別動隊で急襲をかけようと?」
「いえ。部隊を分けるのは危険です。この魔法陣ですが、攻撃を受けた際に反射をしますが、攻撃されればされた分の力をこちらの補助魔法陣にて溜めます。そして、一定量になると一気に跳ね返すというものです」
魔法陣の発動場所をじっと見るが複雑なものだ。
分岐されていて補助魔法陣の方にも繋がれてある。仕組みは、今の説明で分かったが、果たしてどれだけの魔力量に耐えられるのか。魔法陣がもたずに弾ければ、我々が全滅となる。
「跳ね返すのは、どこになっていますか? この魔法陣は、複雑で読み解くのが難解ですね。グルバーグ家オリジナルというだけはありますが……」
「ここで分岐しておる。しかし、魔道具の兵器を使った者に跳ね返す仕様ではない。と、いうことしか分かりかねる」
「跳ね返す場所は、カインズ国の兵器の製造場所になります」
「……そうか」
静かに返され、頷く。やはりグルバーグ家の力は凄まじいものだ。
「グルバーグ家の力とはこれほどなのですか」
「ラインツ様がいらっしゃれば、戦況は変わる。私が若い頃はそうだった」
最初からいてくださる時もあれば後から駆けつけてくださることもあった。
魔法陣がいくつも展開したと思えば、単体仕様ではなく、放つ魔法に合わさる魔法陣もあり、魔法と魔法陣の複合は、ラインツ様の緻密な計算があればこそだと称賛されていた。
「無理を言いまして、魔法陣を此度の戦争用に書き変えて下さったのです。元の物から補助魔法陣が二つ増えています。正確には、カインズ国の兵器の魔力を感知して、魔力を充填した相手に向かいます」
「「なるほど」」
魔力を感知するので、補助魔法陣に探知魔法が組み込まれているのか。
吸収した魔力を補助魔法陣に留め置き、エネルギーを貯める貯蔵と、エネルギーの出どころを探る補助魔法陣を経て、最後に跳ね返す。
充填する者を失えば、セインデル国を切るか、自らが動くか。
いずれにせよカインズ国は腹を決めねばならん。
戦場に引きずり出さねばこちらがやられるのを待つだけだ。
「第3騎士団は、騎士団長ミルバの名のもとに第2騎士団長クレバ殿に一任する。元より総指揮の任を拝命されているのは存じております。我が軍を預けます」
「ありがとうございます。他の騎士団長に話を通し、明日より反撃に移ります」
翌日、戦場にいる全ての騎士団長から一任されたクレバの指揮のもと配置が組み直され、魔法陣に書かれた補助魔法陣に常に魔力を流し入れる作業が続けられた。
多くの補填作業者を葬る為に期間を長くとり、翌年の秋に中央にある反射の魔法陣に魔力を全員で込めて発動させた。
膨大な魔力は暴走をすることなく、白い柱が天に昇って消えていく。
そのことに皆がざわつき始めた。
「成功か? 失敗したのか?」
「成功であろうとは思うがな。なにせグルバーグ家の魔法陣ぞ」
「我もそう思うぞ。あの偽者とは違う」
騎士団長の呟きを聞く中、大きな声で指揮を取るクレバが皆を一喝した。
「揺らぐな! 失敗などあり得ぬ!」
成功の可否が分からず、どれくらい眺めていただろうか。
カインズ国の方へ空から天誅のように幾つもの白い光が降り注ぐのが見えた。
流れ星の群星のような壮大さに周りはざわめきの声を上げ、グルバーグ家の魔法陣だと知っている団長と副団長達10名は、成功を確信してこれぞ正にと安堵の息を零していた。
「父上やりましたね」
そっとエイレバが耳元で言うので頷く。
『それ、見たか』と誇らしそうにしている第2騎士団長の息子の横顔を見る。
仲が良いとは決して言えなかったソルレイ様からよく気を引いたものだ、と感心する。
私もラインツ様の怒りが収まるまで何度も通うべきであった。
亡くなられては、もう直接謝罪することもできぬ。
若い頃より何度も助けて頂いたのに、第1騎士団を止められずに申し訳なかったと謝りたかった。
息子はソルレイ様と、7年の時を経て友誼を結び直した。まだまだ青く、それ故に柔軟な若葉たちを羨ましいと初めて感じた。
今の王が崩御をするまではと考えていたが、帰ったら辞意を示すとしよう。
第二の人生は戦場ではない場所で生きていくと決意をした。
大往生を過ぎた52歳の秋のことだった。




