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みんなで暮らすグリュッセン国の屋敷にて

「ソウルできた?」


 いつの間に入ってきたのか肩に顎を置かれて重い。後ろから何の作業をやっているのと手元を覗き込まれた。今は、汚れた台拭きを洗っていたところだ。


「ラウルの好きなエビグラタンは、あともうちょっとだよ」

 顎を退けさせ、かかっていた体重から解放される。ほらっと、オーブンを開けて綺麗につきそうな焦げ目を見せた。

「本当だね。でも、もう少しだけチーズを多く乗せて欲しいな」

「いいよ」

 これでもいっぱい乗せたんだけどな。足りなかったか。

「エルクももうちょっといるかもしれない」

「本当に?」

「本当、本当」


 くすくすと笑うラウルに、怒られても知らないぞと言いながら悪戯心が湧き、エルクのところとついでにカルムスのところにも足しておく。

 俺とダニエル、アイネはこんなものだろう。

 タラとエビに貝柱。海に面したグリュッセンならではの魚介がたっぷりと入ったグラタンだ。

 新鮮な海の恵みと俺が作る料理のおかげで、肉派から魚派に転向させていっている。

 焼き上がったグラタンが乗った天板を調理台に取り出すのだが、ミトンに手を伸ばすと先に取られた。


「僕がやるよ」

「ありがとう。まずはそこの台へ出して」


 背も伸びたラウルとは腕の長さが違う。壁にかかったミトンをひょいっと取られてしまった。

 オーブンから取り出して、タイル張りの調理台に置いてくれた。


「美味しそうだね。これが僕のだね」

「うん、ラウルはスペシャルだ。エビマシマシのチーズマシ」

 見るからに具が多い。分かり易いグラタン皿だった。

「ありがとう。これを食べないと秋だという感じがしないからね」


 グリュッセンに移ってからは鶏のグラタンが魚介のグラタンに変わった。それでもラウルの好物のままだった。肉好きだと思っていたが、ベシャメル好きでもあったらしい。


「どういたしまして。運んでくれてありがとう」

「どういたしまして。僕のリクエストを作ってくれてありがとう」


 アイネの分もありがとうと言うラウルに気にしないでいいと伝えた。まだ結婚はしていないため、メイド長の仕事を続けたいと言ったアイネの希望通り、そのまま続けてもらっている。


 もう結婚してもいいと思うのだが、二人からは然るべき時にと言われて、そのままだ。

 ただ、家族扱いと使用人扱いの狭間で揺れる時がこうしてあり、食事を作る時はいつもアイネの分も用意するようになった。いつもあとで使用人達と食べているようだ。


 お互いに礼を言い合うと吹き出して笑い、調理室を出た。調理台に一旦出して、そこからワゴンまで運んでくれたから給仕も楽だろう。

 給仕をする使用人達に火傷しないように運んでくれと声をかけて食事室に向かった。

 口直しの蕪のピクルスやワインは既に運んである。

 ずっと働いてくれているメイド達が綺麗な一礼をして、食事室の扉を開けてくれる。


「ん? グラタンはどうした?」

「運んでくれるって言うから任せたよ」

「そうか」

 カルムスも喜んで料理を食べてくれる一人で、作った時はこうして家族が集まる。

「ソウル、エプロンを着たままだぞ」

「忘れてた」


 エルクに指摘を受けた。使用人が誰も言ってくれないくらいに俺のエプロン姿はもう見慣れた姿になっていた。

 ずっと好きなことをさせてくれる屋敷の皆に感謝だな。


 エプロンを外しながら歩き席の前まで行けば、ミーナがすっと近づいて来て受け取ってくれた。


「ありがとう」

「お気になさらないでくださいませ」


 微笑んですぐに元の位置に下がる。

 ロクスが綺麗な所作で俺の椅子を引くので、ラウルと共にそのまま席に着いた。

 高等科の時にラウルの身長はぐんぐん伸びていき、今では190近くあるはずだ。

 俺も175センチまでは伸びたが、栄養のある物を食べられる貴族は体格が良い者が多いため、社交界に行ったら悪目立ちしそうだ。

 今のところその予定も誘いもないが……。


 ラウルは、顔が小さくて見栄えが良いこともあり、一緒に出歩くと物凄く見られる。

 プロポーションがいいと安い服でも良い服に見えるというモデル効果が現れると思うが、いい服を着るとどうなるかというと“浮く”。

 浮世離れした人が街を歩くのだ。

 当然目立つ。

 当初はリゾート地でもあるので、他国の貴族が旅行で来たと思われていたようだが、シーズンを過ぎても見かけるので、どこに住んでいるのか捜索が始まり山にある屋敷だとばれたようだ。


 この屋敷には、美男が多いと言われているらしく、カルムスとダニエル、エルクとラウルを見て頷く。


 メイドが入って来て、ことりことり、と熱々のグラタンを置いてくれるが、熱そうだ。表面の焦げたチーズを割れば、勢いを増す白い湯気を前に全員が待つかとスプーンを置き直す。


「これは火傷をするな」

「僕とエルクはチーズの増量を頼んでおいたよ」

「カルムス兄上も多目だよ。俺とダニーだけが普通」

「普通で十分です」

 ダニエルと二人でそうだよね、と笑う。

「お前たちと違って、それほどチーズが好きなわけでもないぞ」

「それは、私の台詞だ」


 カルムスが不満気に言うと、エルクも言う。動と静といった口調だが言っていることは同じだ。


「ラウル。やっぱり二人ともいらなかったんだよ」


 俺は、ピクルスを先にフォークに突き刺して食べる。香辛料が効いていて美味しい。

 カルムスとダニエルは定番の赤ワインで、エルクはシャンパン、俺とラウルは若い白ワインで楽しむ。


「そうだったの?  この前のチーズフォンデュを喜んでいたから好きなのかと思ったよ」

「「あれは、そういう料理だろう」」

「「「アハハハハ」」」


 はもった二人に笑い、俺達はグラタンに舌鼓を打った。

 デザートは果実の器をそのまま使ったジュレを食べる。

 甘い物が苦手なエルクも食べられるようにグレープフルーツにしだが、さわやかな酸味と苦味で口の中がさっぱりとした。

 エルクが嫌じゃないか心配になって顔を見ると微笑んで頷いてくれた。

「僕も好きだよ」

 すかさず言うラウルに『知ってる』と笑った。未だに甘い物を好きでいてくれるので作り甲斐がある。


「実は、父上から手紙が届いてな」

「「うん」」


 スプーンを咥えたままのラウルに、もう一つあるから惜しまないと注意を入れつつ、咳払いをするカルムスを見やると、とんでもないことを言い出した。


「アインテール国とセインデル国が開戦したらしい」

「「!?」」


 言い終わると、ジュレを美味しそうに食べているけど、いつもの甘藷を送ろうかというほのぼのとした手紙とは違う。

 俺もラウルも動きが止まった。


「カインズ国ではないのだな」

「てっきりそうだと思っていましたね」


 エルクもダニエルも上品に食べている場合ではないと思う。


「そ、そんなのんびりでいいの?  皆を迎えに行かないと!」

「屋敷には誰が残っていたかな。執事長達しか分からないよ。確かソウルは一覧を作っていたよね?」


 ラウルに言われて、そうだと思い出す。

 メイドが胸を揉みしだかれるというハラスメント行為を受ける事件が頻発していると、向こうの執事長ルキスとメイド長のキア兄妹から手紙が届いて慌てたのだ。


 メイド達全員に辞表を出していいからこっちに逃げて来て欲しいと手紙をすぐに送り返した。

 これは俺の独断だったが、若く見目の良い者から順次行かせます、と折り返しの連絡がきて、こっちで避難者リストを作った。

 まさかセクハラ被害で逃げる羽目になるとは誰も予想していなかったのだ。


「部屋にあるから取って来るよ! ラウル! 迎えに行こう!」

「そうだね! 僕も準備をするよ!」

 忙しくなりそうだと、ジュレを食べる手を止め、慌てて席を立つ。

「待て。開戦したと言ってもすぐに国内に踏みこまれたりはしない」

「ソウルの作った魔道具もある。グルバーグ領は無事だから落ち着け」

「ええ、大丈夫ですよ。手紙がここに来るのに2週間ですから。戦況はそれほど動いていません」

 俺とラウルは頭を掻いて席に着く。

「「ごめんなさい」」


 三人とも好む好まざるにせよ戦場経験や従軍経験が豊富だ。俺達よりよほど落ち着いていた。


「気にする必要はないぞ」

「そうですよ」

「ああ、大丈夫だ」


 三人とも笑って頷いた。

 ジュレを食べながらダニエルの話を聞くと、カインズ国はずっとアインテール国の資源を狙っていたが、ワジェリフ国やバルセル国、モンパー国なども若い王子が王の椅子を巡る後継者争いに突入し、アインテール国を攻めようとする動きが活発になっていたそうだ。


 カインズ国は近くに平和を愛するディハール国があるものの、南にバルセル国、西に大国ワジェリフと北東に大国のアインテール国、北西にセインデル国と国々に囲まれた国だ。


 どこかの国と同盟を結び治安を維持するか。アインテール国を攻めるかの二択になりつつあったという。


 長年、いつか資源は欲しいと思っていたが、30年前にディハール国との軍事同盟も成功した。今の和平や友好状態を壊してまで本当に必要なのか、と近年は静観の構えだったが、各国の王子たちの活発な動きを見て動いたのだろうということだった。


 どこかに取られるくらいならってことだろうか。下火になっていたものが、王の交代の時期に差し掛かり、再燃したのかもしれない。


「どうしてセインデル国なのかよく分からないな。皆で何度も行ったけど、ワインの産地で穏やかな印象しかなかったよ」


 ワイン畑と長い川が続くのどかな光景が頭に思い浮かぶ。良い鉱石も採掘できた。資源は水も魔導石も国内に十分にある国だ。


「バルセル国が動くとカインズ国を必ず通りますからね。軍を国の中に入れたくないでしょう。まだワジェリフ国の方が良いと考えたのかもしれません」

「かと言ってだ。ワジェリフ国に大規模に動かれても困る。そこで、セインデル国を動かして戦力の分析をすることにしたのだろう」

「武器供与と情報提供で国の安全を図る。ワジェリフ国からはセインデル国かグリュッセン国を通るしかない」


 王子達のせめぎ合いや思惑もあるため、誰が指揮をとっているかで繋がりも見えてくるらしい。

 ダニエルもカルムスもエルクも広い世界地図で見ているのだな。

 俺も、落ち着いて見まわさないといけない。歴史や地図は頭に入っていても経験がないから各国の軍事戦略にまで考えが及ばないのだ。


「ここは僕達がいるから避けたのかも」

「それでセインデル経由か? セインデル国がカインズ国の言いなりになる理由ってあるのかな」


 そう言うと、全員に力関係で言えばディハール国と同盟を結んでいるカインズ国の方が上だと言われた。それは分かっているけれど、断っても攻めたりしないだろうと言い返した。


「カインズ国の王子は7人いますからね。席の奪い合いは苛烈でしょうね」

「セインデルは落としやすいだろう」

「決定打にはならないが、王座には近くなる。少なくとも軍門派閥や騎士家はその王子につく。情勢を見極める目と実力を示したことになるからな。無能が上に立てば真っ先に死ぬのは軍人だ。実力が物を言う」


 あ。無いと思っていたけど、攻められるのか。エルクの言葉も丁寧に説明してくれたカルムスの言葉にも悲しいものがあった。


 なんだか巻き込まれて可哀想だ。

 地理的要因は大事なんだな。

 きっとここに国が無ければ、アインテール国を落とす足掛かりになんて使われなかったはずだ。


「カインズ国からすれば、セインデル国が負ければそれはそれだ。アインテール国にも傷を負わせられるから良い。セインデルが勝つようなら後ろから援護をしてアインテール国の領有権を主張する算段だ。ワジェリフ国には噛ませない」


 ワジェリフ国からは遠いからその間に話を纏めるつもりだろうという。なんだか各国の静かな戦いが複雑に絡んでいるんだな。


「……友達が、一度だけでも助けに来て欲しいって言っていたな。その間に全力で逃げるからって」


 アレクの顔が浮かんだ。ノエル達と共にアインテール国を出る時に見送りに来てくれた。引き止められたが、ごめんなと断って抱き合った。


 地理的に言うと、グリュッセンに逃げるしかないよな。抜けてモンパー国に行くにしても。まずはグリュッセンになる。


「この国は、いつまで正門を開けていてくれるものなの?」


 気になる問いを投げかけると、カルムスから『分からん』と、どうでもよさそうに返された。

 困って眉を下げると、ラウルが、連絡したい子もいるから教えてよと再度言い、エルクが答えてくれた。


「カルムスに悪気があるわけではない。国によるから判断が難しいのだ。ここはリゾート地だろう? アインテール国とも交易をしているし、カインズ国とも盛んに交易を行っている。しかし、ワジェリフ国ともセインデル国ともモンパー国とも広く地図を見れば隣国だ。この先いくらでも情勢は変わる。日和見な対応を求められている」


 そうなのか。

 繋がりを切ってしまうと次代で完全に縁が切れて、油断できない隣国が誕生することになる。

 そのため、アインテール国にもある程度の便宜を図る必要があるので、外交一門の貴族は逃げられるだろうということだった。


「逃がしたいやつには今の内に連絡をいれておけ」

 エルクの言葉に頷く。

「国内に侵入されていない時点で逃げると、家が取り潰されますから。グルバーグ領に家を用意して移るように言えばいいですよ」

「「うん、分かった」」


 さすがダニエルだ。

 俺とラウルの気持ちを汲んで最善の助言を与えてくれた。


「今は、急いで連絡を取る前段階だぞ。ここにいる屋敷の使用人達も慌てていないだろう」

 そう言われてみればそうだ。

 とはいえ、カルムスのように落ち着いてはいられないのが本音のような気がする。

「カルムス。戻りたいという気持ちがあるなら一緒に行きますが?」

「全くない。変わりなく、ここで幸せに暮らす予定だ」

「そうですか」

「ああ。自分でも不思議なのだがな、ここがもう家だ。戻らなければならない、という気持ちも沸いてこないな。弟の領はソルレイの魔道具で守られているからかもしれん。ラインツ様も俺も王命を出される度に功績は増えていったが、そのことに魅力は感じなかったからな。アインテール籍の貴族として、責務は十分に果たした。もはや自由に生きても良いだろう」

「分かりました」


 ダニエルも安心して頷いていた。

 ラルド国は亡くなったが、故郷は増えたと言っていた。ここで暮らせるならいいかという思いのようだ。


「ソウルとラウルはどうしたい?」


 エルクが優しい声色で聞いてくれる。

 友人もいるだろうと本音を言うようにと言われ、自分の心と向き合うために目を閉じる。

 うん、大丈夫だ。あの時にできることはやった。ラウルが、こちらを見て待ってくれている様子だったから先に口を開いた。


「ここで平和に生きていくよ。領民が無事なら焦って動く必要はないかな。仲の良い友人達は心配だから手紙を送っておくよ」

「僕もそれで十分だよ。どう生きていくかは、あの時に決めたからね」

「そうか。それならいい」


 食事が終わり、カルムスがダニエルに話をしようと部屋に連れだって戻り、家のことで相談かなと思う。俺達も席を立つ。手紙を書くなら早い方が良いだろう。


 アインテール国を出たあの日から7年か。

 そうか。もうそんなに経ったんだな。

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[気になる点] 「気の置けない」が誤用です。 「気を使わなくて良いくらい親密な仲」というのが本来の意味で、「油断できない相手」「気を許せない人」といった意味ではありません。 まぁ、昔から誤用する人の方…
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