ラウルツ・フェルレイの高等学校入学 11
鞄を手に持った僕に、まだ時間はあるからちゃんと食べてから行くようにと言って手を引かれた。
「今年で卒業できるって先生から言われているんだろう? よく頑張っているな。成績優秀者にも選ばれるだろうから。卒業しても一年はエルクと3人、アインテール国で暮らすのはどう?」
その提案に僕は驚いた。
「すぐにグリュッセンに行くと思っていたよ?」
「別に一年くらいいてもいいと思うよ」
新しく来た当主の子は、初等科に4年までいるのだから気にする必要はないと言う。
エルクが迎えに来てくれたら、一度グリュッセンまで使用人を連れて行き、アインテール国で本当に3人だけの小さな家を借りて住もうかというのだ。凄く嬉しい。
「本当? いいの?」
「いいよ。アイネには了承をもらってくれよ。それから、成績優秀者は必須だぞ。じゃないと、出ていけって王子が言いに来るかもしれない」
だから頑張れと笑顔を向ける。話してくれていたのかモルもエルクシス様が来るのであれば任せられると笑った。
「うん! 任せて!」
「さあ、ご飯を食べよう。ラウルの好きなソーセージを手作りしておいたんだよ。初挑戦だ。アリスとアイネの実家のレシピだよ。手紙で聞いてくれたみたいだ」
「わぁ! ありがとう」
少し辛い香辛料が入ったものだった。
卒業したらお祝いに作ろうと試作していたところをソウルに目撃されて、手伝ってもらったと言うアリスにお礼を言うと、できる気がしなかったので助かりましたと言われた。
ちなみにソウルにも難しかったらしく、失敗作を連発し、皆で焼いて食べたらしい。皮が弾けたものも多くてボイルにはできなかったんだって。
なんだか楽しそう。いつの間にやっていたんだろう。僕も失敗作を食べたかったよ。
楽しい朝食にすっかり気持ちは上向き、教室の扉を「おはよう」と声をかけて入ると皆はもう席についていた。
誰も欠けていないね。
ソウルから席が減っていたら下層に下りて退学者が出たということだと言われていた。勇者がいるかもしれないって思っていたんだけどね。
「おはよう、珍しいね。ラウルはいつも早いのに」
「ラウル君はいつも2番目には来ていますね。何かありましたか?」
「うん、まだ夏休みがいいのにって思っていたら支度が遅れちゃったんだよ」
正直に言ったのに、子供のようだと二人とも笑う。
「ミューもラッピーも実家に戻ったでしょ? 毎回、アインテールに行くの嫌だなとか思わないの?」
席に着いて少し遠いカレラとスイレンにも手を挙げ、おはようと挨拶をした。
「さすがにこの年では思わないな。むしろ、帰る方が面倒だとは思う。ラウルとソルレイ様が一緒だったから心配もせずに帰れたが、本当に盗賊が多いんだよ」
確かに、アインテール国を出て最初の国であるセインデル国に行くまでは、街道も整備されていて平和そのものだったけど、そこから北上して観光国であるグリュッセンまでは、森が近くにあるため魔獣が出た。といっても小型で、スニプルの脚であれば問題なく引き離すことができて、すんなり通り過ぎることができる程度だった。
問題は、グリュッセンから西に抜けてワジェリフ国を目指す場合だ。こちらには、長い荒野があり、そこを通った時に何度も盗賊に遭遇した。
どうしてもグリュッセンに寄りたかったためにこういうルートの選択になったが、アインテールからセインデルに向かい、北西に進路を取り、ワジェリフへ行けば遠回りではあるが安全で商人が使うのはこちらだ。
ミュリスが使っていたのも安全なこのルートだったけど、僕達がグリュッセンに行きたいから変更してもらった。
絶対に守るという約束をして欲しいとミュリスのメイドには何度も念押しされて、ソウルが契約書まで書いていたよ。
実際どうなったのかと言えば、ソウルが怖いからと出くわす度に魔法で壁を作り、閉じ込めていた。
次の日から俺たちが壁に囲われればいいんだと言って、土の壁で四方を囲み、矢が危ないか、と天井も作られ、さながら家のようなものが建つのを呆気にとられて皆で見上げていた。
ソウル自身は、『これで安心だ。俺が皆を守らないとな!』と可愛いことを言っていたので、僕もミュリスも武術系は授業でとっているから大丈夫だよ、魔法でも戦えるよとは言えなくなった。
『ソルレイ様は、“戦うのではなく、守る”を選択するんだ。手を出さずにいよう』と言った真顔のミュリスに同意をしたのだ。
「私もグリュッセンや行きたいところに行きましたので満足しました。アインテール国には早く戻りたかったです。ちゃんとハニハニに行って買い込んできましたよ」
ラウル君に聞いた通り、夏限定の“マーブルハート”というバニラオレンジの香りと“プッチーレモンソルベ”という爽やかな香りも手に入れたと上機嫌だ。
「そっか。お土産だね」
「まだもらっていなかったな」
僕とミュリスは揃って手を出す。
するとクワっと牙を剥き、
「これは女の子達に差し上げるものです! ラウル君とミュリスには渡しません!」
冗談のつもりだったので、すぐに笑って手を引っ込める。
「カレラ嬢もスイレン嬢も受け取るか悩ましいところだな」
「本当だね。受け取ったらご飯に行こうって言われそう」
話が聞こえているだろう二人は眉根を寄せ、本当に悩んでいた。
ハニハニの商品は欲しいが、ラピスから受け取っても大丈夫かが問題だ。どう転ぶかも分からないし、腹を括って、好きな香りかどうかで決めても良い気がする。
「そういえば、今年は、15日に商業ギルドでも夏限定のラベンダーの予約を受け付けるって聞いたね」
「アインテール国でも売られるのか?」
「うん、アインテールは近いから入ってくるけど、ラベンダーは、毎年夏の時期に販売されるんだ。ソウルが好きで僕も好きな香りだから買っているんだよ」
「あの香りか……落ち着く香りだったな。僕も買おうかな」
ミュリスはダンジョンでハンカチを渡した香りが気に入ったようなので、それはラベンダーだよと教えてあげたんだよね。
僕たちの会話になぜか目を丸くしているラッピーがいたので、ラッピーが買ってきた方がレアだと言っておこうかな。
わざわざグリュッセンまで行ったみたいだから後が怖いもんね。
「グリュッセンは、本店だから夏の香りが豊富なんだろうね。オレンジとレモンは入ってきていないよ」
グリュッセンに行ったのに、お店には一切行かなかった。もらおうと思えば、連絡すればいいだけでいつでももらえるけど、ラッピーに恨まれるのは嫌だからね。
「ラウル君!? ラベンダーは本店にはありませんでしたよ!?」
「あれ? そうなの?」
ここの限定だったのかな? ソウルほど詳しくないから分かんないや。ダニーに聞けば詳しく分かるかな。
「15日の予約ですね?」
目を光らせるラピスに曖昧に頷く。
「たぶん? そう聞いたと思うよ。ソウルがいつも買ってくれるんだよ。僕は買いに行ったことないからね。15日に商業ギルドで予約を受け付けるから頼んでおくって言ってた気がする。先着順だったかな? 貴族とか階級とかは関係ないから案外、大店の商人が買い占めるかもね」
どこまで正しい情報なのか不明なまま話をしているので、商業ギルドに確認をしてよと言って終わらせた。
クラス中の女の子がこの会話を聞き逃さないように耳を傾けていたなんて気づいていなくて、ルベルト先生が教室に入ってきたことで僕はすっぱりとこの話題のことを忘れた。
「よし。全員そろっているな。今日から後期の授業が始まる。この特別クラスで、2年で卒業できるものは例年数名だ。このクラスでは、ラウルツとミュリスが2年での卒業だな。ラピス、おまえは選択授業次第だ。努力すれば2年で卒業となるだろう。それから、この夏のダンジョンについてだが、合格は3グループだった。後の2グループは夏休みが潰れたが、ダンジョンに潜り続けた。己を誇っていいだろう」
わぁ、悲惨だね。10人は本当に夏休みが丸々潰れたんだね。クラスメイト達もびっくりしていた。ソウルの言うとおり、チームメイトって大事だったよ。それにしても先生が3位のグループからクリア日数を言っていくのに驚いた。
3位で40日ってもう夏休みが潰れてるよ。2位も30日か。
どちらも一旦、ダンジョンを出て再び潜ったらしい。僕なら一度目に出た時点で諦めて帰っているよ。
「最速は、最後にグループを作ったラウルツ達の班だ。15日での合格だ。しかし、3階層のダンジョンでうろうろしていたな。何をやっていたんだ?」
腕輪で位置がわかるもんね。
「ふふ、罠の解除の練習! スイレンとカレラが上手だから教えてもらっていたよ」
「10日で出ることもかないませんでしたので、3階にいる美味しい魔獣を全種倒して帰ろうと決めました」
あれってラッピーが食べたいって言い出しただけだよね。ソウルが持って来た食材で足りるか何度も確認していたよ。
「技術をもう一段階上げ、ダンジョンの罠の知識と魔獣への攻撃の仕方を得ました。スイレン嬢とカレラ嬢は一年前のルベルト先生の言葉を受け、とても勉強してくれていたのです。各国の技術の共有を致しました」
「ほう、そうか」
ルベルト先生は、何度も頷き、『なにごとも勉強だ。有意義につかったようだな。学生時代の時間は友と過ごすうえでこの上なく有限だ』と言っていた。
「ダンジョンも試験なのでな。不合格の10人は世界各国のダンジョンのレポートを一万字だ。提出期限は、10日以内だな。それから魔法の実技試験も受けてもらう。魔法教師のコーラル先生が担当だ。教員棟のポストに試験日を申し込んで了承を受けろ。二つの合格をもらってからエンディ先生の出す魔法陣の問題に挑戦しろ。今度は、個人で合格をつかむことになる」
けっこう厳しいね。夏休みが潰れた上に試験か。後期試験は難しいみたいだし、大変だね。
ちなみにエンディ先生の魔法陣の問題は、既にエンディ先生じゃなくて、ソウルの問題に代わっているから難問だよ。
ルベルト先生は知らないのかな。教室を出て行ったから知らないんだろうね。
エンディ先生は、そろそろ出された問題は解けたかな。
僕とソウルが揃って教員棟のエンディ先生を翌日に訪ねて問題を出すように言った。あっさり合格できたんだ。
その時に、ソウルがエンディ先生に尋ねた。
「公爵家の実家とは縁を切っている、魔法陣を極めたいからという話をしていましたけど、本当に家に遊びに行って大丈夫なのですか」
「大丈夫、大丈夫」と笑顔で返され、
「嘘くさいなあ」と言いつつ、広い庭園の公爵家に遊びに行った。
ソウルの読み通り、戻るのが3年ぶりだったらしく、エンディ先生のお父さんもお母さんも、お兄さんも弟さんも妹さんも切れていたね。
「なにしに帰ってきた。このろくでなし兄貴が!」
先生は何をしたんだろう。
帰り辛いから僕たちを利用したのか、お昼ご飯の時に聞いたら、
「ハハハ! そんなつもりじゃなかったよ」って言っていたけど、ソウルは作り笑いで苦言を呈していた。
「家に遊びに来るように言われたのは、3年前からで、時期的には合いますよね」
その席で先生は、家族がいる中、分が悪いと判断したみたいで笑みを浮かべて強引に話を変えた。
「魔法陣を見せる代わりに、生徒への問題を作ってくれないかい? 見たことのないものがいいね」
そう無茶ぶりをして、ソウルに愛情の欠片もない微笑みを浮かべられていた。
「弟が魔法陣の勉強に熱心だから来ただけですよ。私は来たいとも見たいとも一度も言っていません。先生がしつこいので来ただけです」
そう言い放ち、それでも試験のおまけにしてもあの魔法陣は簡単すぎて生徒を馬鹿にしているので作ると引き受け、ソウルの魔道具理論を元にした魔法陣を描いていた。
あれは生徒への問題なんかじゃない。
先生への報復を兼ねた宿題だよ。
「まずは先生が解読してみてください」
そう笑顔で言っていた。
先生の家で見た魔法陣とソウルの魔法理論が組み合わさった高難易度の問題が、そのままダンジョンをクリアできなかった生徒への問題になっている。
少し時間が欲しいねってエンディ先生はあの時、何の魔法陣かどういう効力があるのか読み解けなかったんだよね。
魔法を魔道具で再現する時に使う魔法理論と魔法陣の特性を活かしたものになっていた。
依頼通りの見たことのない魔法陣に先生が唸っている間に、僕たちは書斎で沢山の魔法陣に触れた。
キャグリーシュ公爵家は、遡ると魔法士の家系だった。当主のマフロフさんに話を聞かせてもらった。
得意だったのが、癒し系の魔法だったそうだ。
ところが、ある時ぴたりと途絶えたらしい。聖職者の使う魔法の研究も随分としていて魔法陣に起こしたこともあるらしいが、家ではずっと禁じられていたそうだ。
それがおかしいとエンディ先生は、失われた家のオリジナルの魔法陣を復活させるべく、研究をしているらしい。
グルバーグ家よりもずっと優れた魔法陣があったのならそれは、是非見たいと僕もソウルも思った。
マフロフさんが、僕達にそれにしてもよく来る気になったものだと言った。
「今は、王族が降嫁し、王族派閥で内務大臣だよ」
それは先生からちゃんと聞いていた。
「知っています。そもそも大臣職は皆さん王族派閥なのでは?」
とソウルが返すと、穏やかに笑みを返された。
「そうだとも」
王都に近い領なので関係は昔から深いと分かる、とソウルは考察していた。
だからこそ、貴重な魔法陣もあるはずで。
「第一王子のこともエンディ先生のことも、この際です。脇において言うのですが、ここで朽ちる魔法陣があるのなら魔道士として自分の頭の中に落とし込み、未来につなげたいと考えます」
「僕も魔法陣は大好きだから何でも歓迎だよ。癒し系魔法陣の失敗作でもいいくらい。沢山見させてもらうね」
「そうかね。それではこれを渡そう」
どこか満足そうに頷くと、僕達の手に鍵を握らせた。
エンディ先生も知らない書斎の鍵だった。
ただ、その時に一つ頼みごとをされた。
医療系魔法陣の最高峰のものが、もし完成することがあるならば自分に一番に見せて欲しいと。本当は研究をしたかったそうだ。
公爵家の一人息子となると、自分の生きたいように生きるのは難しい。しがらみが多すぎたと零していた。
だから先生の兄弟は、4人いるのかな?
いつかできたらねと約束をして、僕たちはエンディ先生の知らない隠し部屋で本を読みふけったのだ。
夏休みは短く、ぎりぎりになったけど、魔法陣を眺めて過ごす楽しい日になった。
嫌がりつつも、僕のために先生に行っても大丈夫か、もう一度聞いてくれたソウルと、こちらから断ったのに、快くおいでと言ってくれたエンディ先生に感謝しないといけないね。




