ディハール国へ行こう
当日は、乾いた空気に雲一つない晴天だった。山の紅葉に茶色が混じり、庭の落葉樹は、強い風が吹いたら葉を落としてしまいそうだ。
辺境領は、どこも美しい紅葉で溢れているが、気まぐれな風が吹けば楽しめなくなってしまう。
例年なら寒いねと言いながら、枯葉を集めてカルムスの父、カイロスから届くようになった芋で焼き芋をするのだが、今年は帰ってくるまでお預けになりそうだ。
玄関に回ったスニプルの曳く車は、大きいものだった。ロクスとハベルが荷を積み込んでくれていた。
「ソルレイ様、お忘れ物はございませんか」
ロクスが付き添うため留守番になったミーナが、料理長の作ったお重を持ちながら問いかけた。
道中に食べるので、それは座席の下に入れることにして、受け取った。ラウルも自分の座席の下に買ったお菓子を詰めた缶を入れていた。その隣に入れる。
「大丈夫。アヴェリアフ家にも行くから土産も積み終ってる」
「わたくしもご一緒してはいけませんか?」
やはり一緒に行きたいと言われた。
「ごめん、同性同士の方が、旅は気楽だ」
ノエルには、目尻に皺のある温和な年配のメイドがついており、同行する。女性がいないわけではないので、行きたい気持ちは分かるが、盗賊も出る。
危険に変わりはないから、今回は遠慮をしてもらった。
「ミーナ、我儘を言うべきではありません。観劇をしたいだけなのでしょう」
「何を仰いますの。わたくしは、ソルレイ様のお世話を致したいだけですわ。ロクスは同行できますものね、ですからそのような物言いができるのですわ」
その隣で、ハベルとアリスが声を上げた。
「ラウルツ様、ロクスはお供をするようです。私が――」
「わたくしが参りましょう」
車に乗り込むラウルに訴えるが、却下されていた。
「ロクス、僕のお世話もお願い。ある程度はできるから気にしないでいいけどね。モル!ベン!乗ってー!」
「「了解です」」
モルシエナとベンツ、ロクスは、後ろの車に座る。御者は、スニプルの世話をしている専任者が、手繰ってくれることになっているのだ。
ノエルとは正門前で待ち合わせだ。そろそろ出発かと言う頃、お爺様やカルムス、ダニエルが執事長やメイド長を伴って見送りに来てくれた。
「気をつけていくのじゃぞ」
「盗賊が出たらやられる前にやれ」
「情けは無用ですよ」
やっぱり出るのかな。スニプルなら走っている時なら逃げ切れる。止まった時が危ないのだと何度も言われた。
魔道具は、沢山身に着けているから大丈夫なはずだよな。
「お爺様に描いてもらった魔法陣もあるからあんまり心配していないんだ。でも、気をつけるよ」
ラウルも閉まっていない扉から顔を出して、皆にお礼を言った。
「ありがとう! 行ってくるねー!」
御土産を買って来ると言って、手を振るラウルに、笑って俺も『行ってきます』と、車のステップに足をかけて乗り込んだ。
ロクスがお爺様に深々と頭を下げて、道中の安全と無事に戻って来られるよう最善を尽くします、と重めの挨拶をすると乗り込む。
辺境からアインテール国の正門までは、結構な距離があるため、早朝の出発となった。
国内の移動は安全だ。正門前でノエルと合流することができたため、ここからは2台のスニプル車で並走をして、まずはカインズ国を目指した。
左手に見える巨石群を通り抜けると岩石地帯になる。もう少し南に行けば、お爺様やラウルと崖から宙づりになって鉱石を採取したところだ。隠れるところが多い分、小型から中魔獣の生息域でもあるため迂回をして、街道に沿って進んだ。
セインデル国とカインズ国へ行く道は、商人たちが通った轍の後が残っている。比較的、人の目がある時間帯だ。
特に問題も起こらず、洗練されたカインズ国の近代都市で1泊をしてからディハール国へ向かった。
こちらも道中は安全に進むことができ、何事もなく入国することができた。
入国審査を抜けたところで、ノエルの車が止まった。隣につけてもらうと、車の窓を執事が手動で開けるのを見て、こちらもロクスが開ける。
窓からノエルの横顔が見えた。
「ソルレイ、ラウルツ。このまま屋敷に滞在すればいい」
「ありがとう。でも、今日はホテルに泊まるよ」
アインテール国では、グルバーグ家に何度も泊まっていると手紙で伝えてあるので、このまま屋敷に泊まればいいと言ってくれたが、急に頼んだため手紙を送る時間もなかった。
招かれた申し出を断ることは、非礼になるので、丁重に断った。
それに、まずはエルクに会わないと落ち着かないのだ。しばらくホテルに泊まることを伝え、落ち着いたら屋敷の方へ伺うと伝えた。
「私用が終ったら家に泊まれ」
と、強めに言われた。
「家にいたくないんだね」
「うーん。ノエルは、夏に帰らなかったからな。色々立て込んでいそうだな」
ラウルと二人で、少し大きめの声で、ちゃんと行くから。それまで頑張るんだと慰めた。
帰る度に大変なのは、ノエルが王子様より王子だからだ。
狙っている御令嬢が多いのだろう。
ここでノエルと分かれた俺達は、安全な貴族街にある高級ホテルに皆で泊まることにして、ノエルの執事から教えてもらったホテルに向かうことにした。
「明日会えるように言っておいてくれるってノエルが言ってたから、無事に会えそうだな」
「僕も早く会いたいよ」
エルクは今、ディハール国軍に所属しているそうで、軍のトップである父親に会えるように話をしておくと請け負ってくれたのだ。
「氷のエルクシス様にまさか子供か!?と騎士達が騒いで、女性騎士達も悲鳴を上げていたのを思い出します」
懐かしい顔には、苦い思い出も浮かんでいるようにも見えた。家族だけでなく友人や同僚を想うと、胸が苦しくなることも多いよな。
「よもや、あのエルクシス様のことだとは思いませんでしたからね。隠し子騒動の真相は、ダニエル様に聞きましたよ。明日は楽しみですね」
「うん!」
「俺たちのことを忘れていないかな」
エルクも生きるのに必死だったはずだ。
「お兄ちゃん! きっと大丈夫だよ!」
「……うん、そうだな」
ホテルは、この時期、閑散期のため、ロイヤルスイートを借りて皆で泊まる方が別々に借りるより安かった。
いけませんと、一人で反対するロクスを説得して、皆同じ部屋に泊まる。
ダイニングで分かれ一番奥の部屋に入ると、ラウルにじっと見られていた。
「ん?どうしたの?」
「ううん。ここは、しばらく泊まるよね?」
「そうだなあ。さっき、連泊割引があるって聞いたんだ。5日泊まると1泊分が無料でついてくるんだって。6泊はするな」
ここは広すぎて中々泊まる人がいないのだろう。
「うん! そっか! 分かった!」
食事は部屋に運んでもらい、夜は、部屋にあった天井だけ開いている露天風呂を楽しんだ。
水がそこまで豊富とは言えないディハール国では、これがとても贅沢なのだそうだ。
「お兄ちゃん! 僕も入っていいー?」
「いいよー! モルとベンも、ロクスも入れるくらい広いよー」
叫んで伝えたが、さすがに、不敬になると言う伝言を持ってラウルが入ってきた。
ちょっと寂しい気持ちになった。
この部屋に決める時は、部屋の中にまた部屋があって仕切られているなら護衛がしやすいから同じでいいですよと乗ってくれたのに。
並んで湯船に浸かりながら、贅沢だと言い合った。湯気が天井から逃げていくのだが、冬に変わりつつあるため、湯の熱さと空気のひんやり感が、とても気持ち良かった。
「洗ってー」
久しぶりだなと思いつつ、洗い、俺も頭を洗ってもらった。
「今日は一緒に寝ようよ」
「そうだな。寝坊したら起こしてくれるか?」
今夜は、あれこれ考えて寝つきが悪そうだ。
「僕も自信ないからロクスに頼んどこうよ。あと御者台に乗って繰ってたボルグにも」
「ハハハ、分かった」
ソルレイ・グルバーグとラウルツ・グルバーグが6年ぶりに会いたいと言っている旨を言づけてもらったところ、夕飯後に一兵がホテルまで伝令に来て、“是非、明日の昼、食事を御馳走したい”とエルクの言葉を伝えた。
ラウルと“あの時の約束”だと笑みを綻ばせたのだ。
護衛のモルシエナとベンツには、積もる話があるのだと言い、明日は、扉の外での護衛を頼んだ。
護衛として部屋の中にいると言ったが、お爺様の指輪を嵌めているので大丈夫だと説得し、レストランで会う間だけならと、了承をしてもらった。
二人とも護衛として心配をしているようだが、エルクは上官だったはずだ。
その辺りを尋ねると、平民の兵士と貴族の騎士では、全く関わることがなく、雲の上の存在だと言っていた。
「エルクはね、優しいよ。表情が人より動かないだけなの」
「うん、ノエル様と同じだよ。そうは言っても最近は、表情が明るいか。エルクもそう変わらないよ」
明日は不安だけど楽しみでもある。
俺とラウルは変わったかな。
エルクは変わっただろうか。
あの時のことをどう思っているのだろうか。
三人でこれまでのことと、これからのことを話したかった。




