夏休みの予定は平穏を装う
先生達が渡してくれた茶器は、価値の高い物が多かったようだ。
商業ギルドが毎週末主催する平民参加のオークションではいい値がついたため、そのまま教務課へ行き寄付の手続きをすることにした。
教務課の職員には、硝子の器だけではなくレモネード用のグラスも提供してもらったこともあり、礼代わりにシフォンケーキと日持ちする涼やかな水羊羹を手土産に用意をする。
中には協力してもらったお礼状も入っている。教務課の職員に渡すと、とても喜んでくれた。
手続きも終わったため、そのまま、王都郊外にある財務処理出張所までスニプル車を手繰ってもらい未成年の収入申告を行う。25人分の収入申告書を貰うのだ。
代理申告書は、学校の印と担任印があるものを預かっている。これで問題はない。
何時間もかけて到着した出張所は、白いレンガが長短交互に並べられている独特な造りの立派な建物だった。
「なんだか凄い建物だね」
「王都の城下は白い建物が多いです。地方の貴族は王都に邸宅を持ちますが、白と決められております。グルバーグ家の屋敷もございます」
「そうなんだ」
お爺様は使いたがらないと聞き、そうだろうなと思う。王への忠誠の証と言えば聞こえはいいが、踏み絵のようにも感じる。
家の色くらい好きにさせてあげればいいのに。外聞もあるので建てておき、ホテル利用なのだろうなと推測する。
維持するのに、メイドや執事を雇うのも馬鹿らしい。グルバーグ家の場合、王都で行われる社交界や夜会にも誰一人顔を出していない。別荘は他国にもある。王都に屋敷など必要としていないのだ。
貴族は16歳で一人前とされる。デビュー年は、来賓を招いて盛大にパーティーを行って祝うことが多いらしい。
その準備や手配は一年前からする必要がある。もうすぐ14歳になるため、執事長にもメイド長にも社交界に出たくないからやらなくていいよと言ってある。
『『なりません』』と口を揃えて言われたため、パーティー自体はさすがに行わないといけないのかもしれない。
気後れするような真っ白な建物を前に、鼻息を大きく吐き出して、中へ入った。
中は、役場というより銀行そのものだ。案内係がいて個室に入ると、そこで話や相談を個別に聞くといった具合だ。商業ギルドに少し似ていた。
跡取り以外の貴族の雇用先のようで、話を聞く人に最初に名乗りを受けた。
「ごきげんよう。わたくしは、スターク・ミルドと申します。本日はどのようなご用件でしょうか」
商売をやっている平民の収入申告は、手数料を支払い商業ギルドで収入申告を行うか、領主が年に数回、申告期間を設けるからその時に帳簿を見せるかだ。
グルバーグ領は後者で、一年に一度まとめ役が言いに来て町ごとに申告するという方式だ。
ここに来る平民を威圧するような貴族然とした挨拶の仕方に片眉を上げないように気をつけた。
さっさと貴族ですと名乗ることにした。ロクスもいるので気づいているだろうが、お互いの為だ。
「ごきげんよう。グルバーグ家のソルレイです。貴族25人分の収入申告に参りました。納税を致しますので、25人分の申告書を作成して頂きたい」
「かしこまりました。代理申告書はお持ちでしょうか」
「はい」
テーブルに申請書を置くと、目を通して頷くとベルを鳴らした。男性がやって来ると書類を作成するように申し付ける。
これは何なのだろうか。
この人は平民の男性のようだが、最初からこの人でよくないか。
口に出せないので、話しかけられることに適当に答えて大人しく待つ。
30分後、恙なく25人分の収入申告書が作られた。名前入りの封筒を全員分、作っておいたので明細と金額を一緒に同封した。封蝋をできる一画に向かい、鞄に入れておく。
「ロクス、ありがとう。これで終わったよ。もう昼だから何か食べて帰ろう」
足早に建物から出た。すぐに解すように伸びをした。相手が貴族だと所作に気を遣う。
「お疲れではございませんか?」
「それは何時間も御者台にいたロクスだよ。美味しいものでも食べよう。せっかくここまで来たんだ」
「王都の夏の名物ですと冷やしズッパでございますね」
「へえ! 冬じゃなくて夏なんだ」
「贅沢に魚介を入れたものや肉をふんだんに入れたものを夏に食べるのが贅沢だと王都では好まれているようです」
冬に暖房を効かせてアイスを食べる感覚なのかな。スープって野菜が主役だから甘みが増す冬野菜で作る方が美味しそうだけどな。
「じゃあ、ロクスは肉で俺は魚介かな。卵を落としたのがグルバーグ家では定番になったけど、楽しみだな」
ロクスが昔、父親に連れられて行ったことがあるというレストランに向かった。格式の高いレストランだったので、お祝いか何かだったのだろう。
ズッパにはパンが添えられるが、メニューにあった有頭エビのエビフライに魅かれて注文をすると大きすぎて、給仕に取り分けてもらいシェアをして二人で食べた。
まさか有頭エビでロブスターが出てくるとは思わない。あってもシータイガーくらいだと思う。
「ごめん、ロクス」
「いえ、よろしいのですよ」
ロクスが楽しそうに笑っていたので、まあいいか。
デザートのジェラートは学校でよく食べるので、ムースに変えてもらったが、何度も本当にいいのかを確認された。学校で毎週食べていると言うとようやく引いてくれた。
デザートを食べる段になると、紅茶を置いて給仕が下がった。いい機会なので、ロクスに尋ねる。
「レディスク家との確執って何か出た?」
ロクスは首を横に振り、謝った。
「力及ばず、申し訳ありません」
「謝らないで。本当に何もないのかもしれないし。家で聞き辛かったから聞いてみただけだよ」
何もないなら尚のこと気持ち悪い事件だ。
「その後、教員から事件についての説明はございましたか?」
「全然。黙秘だって。お爺様宛に届いた手紙も見せてもらったけど、本人達が黙秘につき、調べは難航中だって書いてあったよ。レリエルクラスは、ノエル様も侯爵家だけれど、伯爵家が二人いる。同じ回答文が来るのか。教えてくれるように頼んでみるよ」
グルバーグ家に何か思うところがあって、軍部が動いているのなら他家への回答はまともかもしれないからな。
「かしこまりました。私がグルバーグ家に引き連れて帰ってしまった騎士達ですが、第一騎士団でございました」
「第一騎士団?」
「王族専用の騎士団です」
「王族……」
それって、もう詰んだんじゃないのか。
喉まで出かかった言葉を堪え、これからのために根回しでもしておこうと幾つかの手を考える。
「ロクス。悪いんだけど、帰りは北回りで頼むよ。エリドルドさんの屋敷に寄って欲しいんだ。会いたい旨の手紙を車内で書くよ」
「かしこまりました。返事の手紙はラインツ様の目には入らないように致します」
「うん、今日渡したら夏休み中には会えるはずだ」
「2週間は修行だとラインツ様は仰っておいででした。予定は都合の良い日を幾つかお書きください」
「ありがとう、そうするよ」
カルムスがあの時言った“防衛線を引き直せ”の真意を今更ながらに知って慄く。
お爺様は相手が王族だと知っても尚、喧嘩を売るなら協力しないと言ったのか。
カルムスも協力しないと便乗するように言っていたな。
「ロクス、カルムお兄ちゃんって英雄なのか? 何か知ってる?」
クライン先生が何か言っていたなと思い出した。
「カルムス様は多すぎる魔力の扱い方に難儀されていたとかで、子供の頃からラインツ様に教えを請われていたようです。そのこともあり、軍が出る時に従軍されるラインツ様と行動を共にされることが多く、功績を上げられています」
“英雄カルムス”というのは、褒賞の授与式で王がそう呼んだことに起因するらしい。
知らなかったな。
カルムスのことだから褒賞は、興味なさそう。お爺様のことが好きなのは、本当だろうけど。あの言い草だと従軍はしたかったわけではなさそうだ。
“無能な軍”
ずっとそう思っていないと中々出ない言葉だ。
「それってお爺様もちゃんと貰ってる?」
「勿論でございます。飾られてはいませんが、大切に保管されています」
王がちゃんと渡しているのかという意味ではなかったのだが……。
お爺様が、受取拒否という名の辞退をせず、受け取っていたなら王との関係はそこまで悪くないとみていいか。
あの事件は、軍部に釘を刺したことで解決しているかもしれないな。あえて王族に直接言わずに、耳に入るように軍部に言ったのだろうし。威厳を損なわない最低限の気遣いはしているといえるのか。微妙なところだ。
給仕が扉を開けたのを合図に、紅茶に手を伸ばして席を立つ。紅茶は、とっくに冷えていた。
温かい紅茶を淹れ直すためにワゴンを押して持ってきてくれたらしい給仕が、会話の邪魔をしたことを謝るので、礼を言ってチップを多く渡して部屋を出た。
グルバーグ領内のレストランだと、
『ごめんね、ソルレイ様』
『うん、いいよ。もう帰るところだった』という会話で終わるのに、王都だとあんなに頭を下げないといけないのか。
ロクスには悪いが、今度はもう少し下町で食べようと言おう。
帰りにエリドルドさんの屋敷に寄り、門で手紙を預けると、門番が屋敷まで走ってくれた。
すぐに従者に伝えてくれたらしく、従者もエリドルドにすぐに伝えたようだ。
『来られているのならお会いましょう』と招いてくれた。
無作法を詫びたが、
『招くとこちらが言った場合は良いのですよ』と大らかに言ってもらえた。
そこで、俺は無作法ついでに人払いをお願いした。
ロクスにも下がってもらい、エリドルドの大きな目を真っ直ぐに見て頼みを口にした。
「私になにかあった時は、弟のラウルツに力を貸してやってください」
座ったまま頭を下げた。具体的に欲しいのは、助言だ。
驚くエリドルドに理由を話すと、あっさりと引き受けてくれた。
「しかし、何があってもラインツ様がお守りになられるはずです。何かあった時は、いつでも訪ねてください。私が匿いましょう。先触れを出すことができない時もそのままいらっしゃると良いですよ」
これは破格の待遇だ。執事長にエリドルドが屋敷にいたことがあると聞いた時に、頼むならエリドルドだと決めてはいたが、ここまで良くしてくれるとは思わなかった。
「ありがとうございます」
「王は、ラインツ様と旧知の仲ですから杞憂でしょうが、立派になられましたね」
にこにこと笑われて、少々恥ずかしい。
今日は郊外とはいえ、王都に行くので服もばっちり決めていたこともある。
貴族らしくなったという褒め言葉はむず痒い。
「お爺様と王様は仲が宜しいのですか?」
「ええ、親友だと王が主催するパーティーで、王ご自身が口にされたことがございます」
安堵の息を吐く。
「そうですか。それなら安心です」
「社交界で話を聞いた時は、軍の暴発かと思っていたのですよ。第1騎士団は、確かに王族のみが動かせる騎士で構成されています。平民の兵士はいないのが団の特徴ですね。疑念がよぎるのも分かります」
全員が騎士で、大半が王族派閥で構成されているという。
「目的がよく分からないのです。念のためにここに来ました。お忙しい中、お会い頂きありがとうございます」
「かまいませんとも。縁とは不思議なものですね」
今度は弟も連れていらっしゃいという言葉に、少し考えてから伸び伸びと育っていることを伝えると、声を立てて笑った。
無作法があってもかまわないという言葉をもらい、会う日を決めてからベイリン家の屋敷を後にした。
「ソルレイ様、いかがでしたか」
「上々すぎるくらいだよ。もう一度会う約束をした。今夏もカルムお兄ちゃんと財務派閥の会合に出るよ。杞憂のようだけれど、根回しだけはしておく」
「かしこまりました。必要なものは、お申し付け下さい」
杞憂でなかった場合に備えてこその貴族だ。根回しだけはやっておく。
ただ、王族が敵なら根回しなんて何の意味もない。
最高権力者に睨まれたら、きっと。生を繋ぐので精一杯だ。
車窓に映る憂鬱な顔を屋敷に着くまでに戻そうと、視線を切った。辺境領に入ってからは、御者台に座らせてと頼み、スニプルの手綱を手繰ることで気を紛らわせるのだった。




