50:番外編4 あまあま新生活(レオン様の現在編)
今回のお話もレオン様視点です!
楽しんでもらえたら良いな♪
編み物というのは、冬限定のものかと思っていた。
けれど、愛妻フィロメーナに言わせると、編み物は年中楽しむものなのだそうだ。
「ほら、レオン様! 見てください、このコットン糸は春夏用なのですよ!」
ふわりと艶やかな茶色の髪を揺らしながら、フィロメーナが笑顔で振り返る。手にはパステルカラーの毛糸玉が握られていた。
ここは馴染みになった、王都の手芸店。フィロメーナはここで手芸用品を見るのが好きらしく、今日も瞳をきらめかせて、はしゃいでいる。
「冬の毛糸との違いがよく分からないが。……こっちの細い毛糸はなんだ?」
「あ、これはレース糸ですね! これもあみぐるみ作りで使えるのですー!」
レース糸というのは、一般的な毛糸よりも細い。これ、本来はその名の通りレース編みに使うのだけど。
フィロメーナは、ミニチュアスイーツに乗せるミントの葉などを編む時に使ったりするらしい。細部にこだわりたい時には、このレース糸がもってこいなのだそう。
「レース糸を編む時には、レース針を使います。普通のかぎ針と比べると細いですね。あ、かぎ針と違って、レース針は数字が大きくなればなるほど細くなるのですよ! 0号が一番太くて、14号が一番細いのです!」
相変わらず、フィロメーナの編み物知識はすごい。前世の知識と今いるこの世界の知識を上手く組み合わせて、更に進化しているようだ。
春夏用の毛糸やレース糸を購入し、店を出る。
ふと空を見上げると、濃い灰色の雲が広がっており、湿っぽい空気が肌を撫でてきた。
「雨が降りそうだな。急いで馬車に戻ろう」
レオンハルトはそう言って、フィロメーナの華奢な手を取った。すると、フィロメーナはへにゃりと嬉しそうに笑う。
「レオン様の手、温かいのです! ふふ、嬉しいのですー!」
「……そうか」
いや、こうやって手を繋ぐのは、彼女が迷子にならないようにするためなのだけれど。
結婚後も、彼女は呆れるくらいの方向音痴っぷりを発揮しているのだ。
油断していると、本気で姿を見失う。
どうしてあんなに一瞬で姿を消せるのか。本当に不思議でたまらない。
レオンハルトは繋いでいる手の指を絡め、恋人つなぎにする。それが嬉しかったのか、フィロメーナの顔がぱあっと明るくなった。
馬車に辿り着き、その中へと乗り込む。そして、屋敷へ向かってその馬車を走らせ始めた時、とうとうぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきた。
「雨、だな」
馬車の窓から空を見上げ、呟く。どんよりとした空は、さっきよりも更に暗く、重苦しくなっていた。
レオンハルトの隣に座っているフィロメーナも、同じように窓から空を見る。
「降ってきてしまいましたね。でも、西の空は少し明るいので、すぐに止むと思います!」
「だと良いが」
「大丈夫なのです! だから……」
フィロメーナがそっと、レオンハルトの眉間のあたりを指で優しく撫でてきた。
「こんなに眉間をぎゅっとしなくても良いのですよ」
眉間の皺を伸ばすように、フィロメーナの指が動く。レオンハルトの眉間に、温かくて、少しくすぐったい感触がほんのりと残った。
ああ、やっぱり。
フィロメーナといると、救われる。
「ありがとう、メーナ。心配かけて、すまない」
「ふふ。やっと笑ってくれたのです。良かった……」
フィロメーナは安心したように、柔らかく微笑んだ。その笑顔を見ていると、レオンハルトもなんだか安心する。
馬車の中で、レオンハルトのすぐ隣にぴったりとくっつくようにして座っているフィロメーナ。
彼女の優しい体温が、触れ合っている部分からじんわりと伝わってくる。
ガタゴトと軽快に走る馬車の音と、ざあざあという雨の音。
重なって、響き合って、耳を打つ。
「……あの、レオン様。私、ずっと気になっていることがあるのですけど」
フィロメーナが、雨にかき消されるのではないかというくらい小さな声で言う。その表情はやけに真剣だ。
「なんだ?」
「あの、レオン様は魔術でどこへでも行けるのに、どうして王都の街に行くのにわざわざ馬車を使うのですか? ……私が、魔術を上手く使えないから、ですか?」
どんな深刻なことを聞かれるのかと思ったら、そんなことか。
レオンハルトは笑いを堪えながら答える。
「いざという時のために魔力を温存しておくためだ。……それと」
ぐっとフィロメーナの体を抱き寄せて、その耳元で囁く。
「こうしてメーナと二人きりの時間を過ごすため」
ばふっとフィロメーナの顔が真っ赤になった。耳まで赤くなっている。
それが可愛くて可愛くてたまらなくなって、そっとその赤い耳にキスを落とした。
すると、フィロメーナが耳を押さえて、ばっとこちらを見上げてくる。その翠の瞳は潤み、口元は何か言おうとして小さく震えていた。
その顔を見た瞬間、体の奥が熱くなった。
フィロメーナの後頭部に手を添え、唇を重ねる。驚いたのか、びくりとフィロメーナの体が揺れた。
それでも、もう離したくなくて。更に力を入れて彼女の体を閉じ込める。
その勢いのまま、押し倒そうとすると――フィロメーナがじたばたと暴れ始めた。
「だ、駄目です! きゅ、急にこういうのは困るのですよ! まだ、夜ではないですし!」
「なるほど。夜なら良いと」
「あわわ、それは、あの! うう……恥ずかしいのです! もう、めっ! めっ! なのです!」
フィロメーナがぱたぱたと手を振りながら、「めっ!」「めっ!」と繰り返す。
――なんか、壊れた魔導具みたいだな。
レオンハルトは堪えきれなくなって、とうとう笑い声を弾けさせた。
馬車が屋敷に到着する頃には、雨はもう止みかけていた。
空も明るくなってきており、雲の隙間から太陽が顔を覗かせている。
地面には小さな水たまりがいくつもできていた。時折、雨粒がぽたりと落ちて、波紋を広げる。水面に映った灰色の雲が、震えるように小さく揺れた。その水たまりに気をつけながら、レオンハルトは馬車から降りる。
「あ、レオン様、あそこ! 虹が出ているのですー!」
フィロメーナが明るい声をあげ、空を指さした。その指先に導かれるように見上げた先には――。
空中に弧を描く、七色の光の帯。
くっきりとしたその虹の上には、うっすらとした虹まである。二重の虹だ。
「……綺麗だな」
レオンハルトはぽつりと呟いた。虹のかかった空の下にある屋敷は、いつもと違って少し眩しく見える。
そこで、レオンハルトは初めて気が付いた。
今までずっと呪いの屋敷のようだと思っていたこの場所が、温かな幸せに包まれて、すっかり変わっていたということに。
この屋敷に陰鬱な影は、もうどこにも見当たらない。
ここは明るくて居心地の良い、最高の場所になったんだ――。
「ありがとう、メーナ。全部、君のおかげだ」
「へ? 私は虹を見つけただけですよ?」
こてりと首を傾げるフィロメーナを、レオンハルトは抱き寄せた。そして、これからもずっと一緒にいるんだという思いを込めて、ぎゅっと強く抱き締める。
腕の中で、フィロメーナがくすくすと笑った。
――きっと、もう雨で嫌な気分になることはないだろう。
だって、雨の後にはこんなに綺麗な虹が出るんだと、フィロメーナが教えてくれたから。
次回はいよいよ最終回!
レオンハルトとフィロメーナが結婚してから、三年後のお話になります♪




