33:迷子の涙(4)
舞踏会の日がやって来た。
フィロメーナは兄二人と一緒に馬車に乗り、城へと向かう。ガタゴトと揺れる馬車の中、緊張で指先が冷えてくる。
「もう春だけど、舞踏会が行われる夜は少し肌寒いだろうね。なるべく肩は出さないようにしておくんだよ? 僕の可憐な妖精フィー」
城に到着すると、ベルヴィードがそう言って心配そうに見つめてきた。
今日のフィロメーナのドレスは、オフショルダーの清楚なデザインのもの。スカートの部分にはシフォンの生地が使ってあり、ふんわりとしている。
ドレスの色は明るい黄色。あみぐるみだった時のレオンハルトと同じ色だ。
上に羽織るショールはオレンジ色にした。これは、レオンハルトのたてがみと同じ色。
そう、今のフィロメーナは、レオンハルト色に包まれている。
「……フィー、手を」
馬車から降りようとすると、すかさずオルドレードが手を差し伸べてくる。兄の温かな手に支えてもらい、フィロメーナは地面に降り立った。
薄暗い闇に浮かび上がるきらびやかな城の姿が目に入る。魔術で作り出された虹色の光が、舞踏会を華やかに演出していた。
「さあ、行こう」
兄二人にエスコートされて、フィロメーナは会場へと歩きだした。
歩きながら、そっと胸のあたりに手を添える。そこには、レオンハルトに見てもらうために持ってきたストロベリータルトのあみぐるみが入っていた。
(もうすぐ、レオン様に会えるのです……!)
高揚する気分。フィロメーナは頬を染め、翠の瞳をきらめかせた。
城の大広間には、たくさんの貴族たちの姿があった。今回の舞踏会は国王ではなく、王子様が主役として行われるようで、比較的若い人が多い。
まだ婚約者すら決まっていない王子様に見初めてもらおうと、気合いの入った令嬢が王子様の入場を今か今かと待っている。どの令嬢も華やかに着飾っているため、少し目が疲れた。
フィロメーナは広い会場の中をきょろきょろと見回して、レオンハルトを探す。
けれど、どこにも見当たらない。
急に不安になってきて、へにゃりと眉を下げる。すると、隣に立っていたベルヴィードが目ざとく気付き、ぽんぽんと頭を撫でてきた。
「公爵令息なら、王子と一緒に入場すると思うよ。王子のお気に入りだし」
「そうなのですか……」
じっと王子様が来るであろう入り口を見つめていると、令嬢たちのドレスの群れを器用に避けながら、オルドレードが飲み物を持ってきてくれた。
「……フィー、これを飲むと良い」
「ありがとうございます、オル兄様」
華やかに飾り付けられた会場に、優雅な音楽が流れ始める。前方の大きな窓の近くに座っている楽団の奏でる曲だ。魔術でもかけられているのか、音に合わせてシャンデリアの光が淡く色を変える。
さすが、お城の舞踏会。思わず見とれる。
「フィー、見て。王子が来たよ」
ベルヴィードの声に導かれるように入り口に目を向けると、ちょうど王子様が入場してくるところだった。アイスブルーの髪がさらりと揺れ、きらめいている。この会場にいる誰よりも華やかで、きらびやかな衣装をまとっているので、その姿は一際輝いて見えた。
けれど、フィロメーナの目線は輝く王子様ではなく、その隣に吸い寄せられる。
(レオン様です!)
さらさらの赤髪を持つ、背の高い青年。かなり遠いところにいるのでよく見えないけれど、黒っぽい正装姿をしているようだ。
時折、王子様と親しそうに言葉を交わす様子が見えた。
(……早く、ご挨拶がしたいです)
王子様やレオンハルトの傍には、身分の高い令嬢が集まり始めていた。あっという間にドレスの波に飲まれて、レオンハルトが見えなくなってしまう。
フィロメーナはごくりと喉を鳴らし、レオンハルトのいる方へと一歩を踏みだした。
――はず、だったのだけど。
「どこなのでしょう、ここは……」
ずっと傍にいてくれたはずのベルヴィードとオルドレードの姿も見えない。
というか、舞踏会の会場ですらない。
なぜか、暗い廊下にフィロメーナはひとりで立っていた。
「大変です、迷子になってしまいました……!」
会場内にいるレオンハルトを目指して、まっすぐに歩いたつもりなのに、どうして。
時空が歪んだとしか思えないレベルの、天性の方向音痴であることが憎い。
新年の宴でこの城に来た時は、レオンハルトが手を繋いで導いてくれたなと思い出す。フィロメーナはじっと手のひらを見つめた。
もうこの手は、レオンハルトには届かないのだろうか。
綺麗に磨かれた窓から差し込む月の光に、白い指先が照らされる。淡い光に照らされたその指先は、ひんやりと温度を失っていった。
どこか遠くで、優雅な演奏の音がしている。フィロメーナはとにかく音を頼りにすれば会場に辿り着けるはずと信じて、のろのろと足を進めた。
「……どこまで行っても、音が近くならないのです……」
歩けども歩けども、会場に近付く気配がない。ずっと薄暗い廊下をぐるぐると回っている。そもそも城というものは、外敵から攻められにくくするために迷いやすい構造になっていると聞く。
迷いやすい構造と天性の方向音痴が出会って、ただですむわけがなかった。
「……ベル兄様とオル兄様が探しに来てくれるのを待つ方が、良さそうですね」
フィロメーナは諦めた。こうしている間にも舞踏会の時間は過ぎていってしまうのだけど、どうしようもない。レオンハルトに会うのは、また今度にするしかなさそうだ。
滑らかな赤絨毯の上を遠慮がちに進み、廊下の窓から外を見る。下の方に、月明かりに照らされた庭園が見えた。柔らかに水が流れる噴水もある。白い彫像を囲むように、雫が弾けてきらめいていた。
そんな庭園には、数人の人影があった。仲睦ましげに寄り添っているのは、貴族の恋人たちだろう。知らない人たちだけど、服装が華やかなのでそう思う。
寄り添う男女は、とても親密そうな雰囲気を醸し出していた。
もし、あの男の人がレオンハルトだったら――?
視界がじわりと滲んできた。
いつか、きっとレオンハルトは誰かと結婚してしまうのだろうけど。
その誰かは、きっとフィロメーナよりも高貴で素敵なご令嬢なんだろうけど。
胸の奥が、痛い。
なんで、こんなに痛いのだろう。
「……レオン様」
せっかく会いに来たというのに。会えると思っていたのに。
フィロメーナは薄暗い廊下に佇み、目を伏せた。




