24:気付いては駄目(3)
日曜日がやって来た。
青い空には薄い雲が浮かび、小さな鳥の影がすっと横切っていくのが見える。時折吹く風はまだ冷たく、髪がなびくたびに、思わず寒さに身を震わせた。
今、フィロメーナはレオンハルトと共に、王都の街を歩いている。
フィロメーナの隣を歩くレオンハルトは、人間の姿をしていた。なぜ人間の姿なのかというと、お出掛け前にソフィアが暴走してしまったからだ。「デートなら、人間の姿でないと!」と鼻息荒く、フィロメーナの顔にレオンハルトを押しつけてきたのだ。
デートではない、と思うのだけど。目を輝かせたソフィアには勝てなかった。
「さて、メーナ。欲しいものとか、したいこととか、何かあるか?」
「へっ? いえ、そんな……」
すぐ傍にいるレオンハルトに見惚れていたフィロメーナは、慌てて下を向いた。こんな美青年の隣にいられるだけで、既にごほうびをもらっている気がする。
綺麗に掃除された石畳の大通り。お気に入りのお出かけ用の靴の先が、きらりと光を反射する。火照った頬を、冷たい風が優しく撫でていった。
「外は少し寒いな。温かな飲み物でも飲むか」
「は、はい」
四回目の儀式の後、レオンハルトが人間でいられる時間は六時間ほどになっていた。随分と長い時間、人の姿を保てるようになり、トビアスもソフィアも本当に嬉しそうな顔で喜んでいた。
そういえば、レオンハルトがフィロメーナをお出掛けに誘ったと、使用人の二人が知った時。
二人とも異常なくらい興奮していた。トビアスは踊り、ソフィアは祝宴の準備を始めそうになっていた。
――まあ、全力で止めたけれども。
「ここのカフェに入ろう」
レオンハルトがフィロメーナをごく自然にエスコートしてくれる。そのカフェは赤茶色の煉瓦造りの建物で、屋根が丸っこくて可愛らしかった。縦に長い長方形の窓が並び、淡いピンクのカーテンが覗いている。窓枠は白で、いかにも女性が好みそうな店だった。
中に入ると、やはり女性客が多く目につく。その女性客たちが一斉にレオンハルトに注目するものだから、フィロメーナはおろおろと目を泳がせた。
(レオン様はイケメンさんですから、注目されるのも当然ですね……。私なんかが隣にいるのが申し訳ないです……)
つい自分の服装を見下ろして、確認してしまう。ライラック色のワンピースの裾を引っ張って、少し地味過ぎたかなとしょんぼりする。
「ほら、座って」
レオンハルトが優しく微笑み、フィロメーナのために椅子を引いてくれた。
つるりとした丸い木のテーブルに、透明なガラスの小物が飾られている。店内の細い照明の光に照らされて、なんだか空間全体がキラキラしているように見えた。
レオンハルトが向かいに座ると、女性店員が注文を取りにくる。二十代くらいの若い店員は、レオンハルトを見ると頬を染めた。
周りの女性客もレオンハルトを気にして、ちらちらと視線を寄越している。
フィロメーナは周囲の視線に戸惑い続けていた。小さな田舎町に、兄二人に挟まれて遊びに行くのとは全然違う。すごく落ち着かないし、不安な気持ちになってくる。
「そんなに不安そうな顔をしなくても良い。食べたいもの、飲みたいもの、なんでも遠慮せず頼んで大丈夫だ。少しくらい高くても、気にすることはない」
お金の心配をしていると勘違いされてしまった。そういうわけではないんだけど、と情けない顔でレオンハルトを見ると、レオンハルトはふっと笑みを零す。
その笑顔が、やけにきらめいて見えて。
鼓動が、おかしくなってくる。
若い男性の甘い笑顔なんて、兄二人から飽きるほど見せられていたというのに。
レオンハルトの笑顔は、何かが違う。
なんだか、すごくどきどきして、熱くなってしまう。
「あ……」
ふと、今まで起きた小さな出来事たちを思い出す。
照れてバタバタ暴れる、あみぐるみ姿のレオンハルト。
オレンジ色の丸っこい手で、ぽふぽふと頭を優しく撫でてくれるレオンハルト。
儀式が無事に終わるたび、温かな声で感謝の言葉を贈ってくれるレオンハルト。
彼の人間の姿を初めて見た時には、好みのど真ん中で心臓が跳ねて。
フィロメーナを守るために、彼が道具の下敷きになってしまった時には、本当にひやひやして。
大嫌いだった「芽衣菜」という名前が、彼の声で紡がれた瞬間、温かくて大切なものへと変化して――。
(私、レオン様のこと……?)
「どうした、メーナ? 顔、赤くないか?」
「いえ、そんなことは!」
そう言いながら、両手で顔を覆う。
どうしよう、すごく、熱い!
嘘だ、こんなの認めたくない。だって、呪いはもうすぐ解ける。
呪いが解けたら――レオンハルトとの婚約は、解消されてしまうのに。
気付いては、駄目。
レオンハルトだって呪いが解けることを望んでいる。
フィロメーナとの婚約が、白紙に戻ることを心待ちにしている。
お互い自由になって、それぞれの人生を歩む。そういう約束だ。
フィロメーナは目を閉じて、胸に手を当てる。それから呼吸を整え、頭の中から余計な考えを一掃する。
(大丈夫、今なら引き返せます。レオン様みたいに素晴らしい男性の隣には、もっとふさわしい女性がお似合いなのです。だから……)
そっと、花開きそうになった感情に蓋をする。
平気。諦めることに関しては、前世から大得意なのだから。
「レオン様、私、このケーキを食べてみたいです!」
ぱっと思考を切り換えて、フィロメーナはメニューのひとつを指さした。レオンハルトがその指先を見つめ、嬉しそうにこくりと頷く。
「分かった。他に食べたいものは?」
「ひとつで充分なのです! レオン様とこうして一緒にお茶できるだけで、私は幸せなのですから!」
フィロメーナの言葉に、レオンハルトはぽかんと口を開けた。と、次の瞬間、片手で口元を覆って俯いてしまう。
レオンハルトの頬が赤い。耳も真っ赤になっている。テーブルの下で、足をじたばたさせているような音まで聞こえてきた。
「え、レオン様? 大丈夫ですか?」
「……メーナは本当に、急に可愛いことを言うよな。今日は俺がメーナを喜ばせようと思っているのに……参った」
困ったように微笑んで、レオンハルトが顔を上げる。少し情けなくもあるその姿に、フィロメーナは小さく噴き出した。
今はただ、この幸せな時間を大事にしていたい。
ひとかけらの切ない気持ちは、心の奥に鍵をかけて、しまっておこう――。
紅茶と甘いケーキに満足してカフェを出た後、レオンハルトは手芸店に連れてきてくれた。
呪いを解くための材料を探すためにいつも利用している、馴染みのある店だ。
「あ、新色の毛糸です! 春らしい色が増えてますねー!」
季節によって、並ぶ毛糸の種類も少し変わったようで、見ているとなんだか楽しくなってくる。
フィロメーナはうきうきしながら、次に作る予定のあみぐるみ用の毛糸を探す。
「確か、五番目のあみぐるみさんは、うすいオレンジとローズピンクの毛糸が必要でしたよね。太さは中細くらいで……」
「メーナ。その……呪いを解く材料だけではなくて、他に欲しいものはないか? 今日はメーナが欲しいものを買って良いから。というか、俺が、買ってあげたいんだが……」
きょとんとして振り返ると、照れくさそうなレオンハルトと目が合った。
最後のあみぐるみは、うすいオレンジとローズピンクの毛糸で作ります!
さて、何の動物さんでしょう?
答えは、29話で!




