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エルネア番外編シリーズ

【エルネア番外編】初めての酒は◯◯の味がした

作者: 遠野さつき

※別作『歳の差100歳ですが、諦めません!(https://book1.adouzi.eu.org/n5540ji/)』の番外編です。異種族親子の、温かな夜のお話。時系列は87場の後。お気軽にお読みください。


※登場人物まとめ↓

ゲオルグ・グレイグ・リヒトシュタイン(18)アルティの息子。紺色の全身鎧を着たデュラハン。顔がなく、首の上には闇が漂っている。魔法学校を卒業して、大学院に進学が決まった。


アルティ・ジャーノ・リヒトシュタイン(41)グレイグの父親。赤茶色の髪に、煉瓦色の瞳のヒト種。デュラハンの防具職人。平民出身。息子が立派に成長して嬉しい。


レイ・アグニス(143)アルティの親友。金髪緑目のハーフエルフで、腕利きの魔法紋師。異種族親子のあれこれは知り尽くしている。

 ここか。


 魔石灯の煌めく夜。『ドランク・ヘッド(酔いどれ頭)』と書かれた看板の下をくぐる。古びた木の扉を開いた途端に喧騒が押し寄せ、思わず一歩後ずさりした。


「おーい、グレイグ! こっちこっち!」


 本日のおすすめメニューがベタベタと貼られた壁際で、ヒト種の男が大きく手を振った。隅でも目立つ赤茶色の髪。父親のアルティだ。その隣には金髪緑目のエルフ――父親の親友のレイが座っている。


 今日は七月の下旬。無事に魔法学校を卒業して、首都に帰省したばかりだ。先月ようやく成人したので、初めて酒を飲みに来たわけである。


 紺色の全身鎧に包まれた体を丸めるようにして、二人の対面の椅子に座る。すかさず、レイがメニューを差し出してきた。


「最初って何飲むの?」

「昔はビール一択だったけど、最近は何でもアリだね。どれを飲んでみたい?」

「うーん。初めてだからよくわかんないなぁ。パパはいつも何飲んでるの?」

「ビールかなぁ。夏は特に美味いんだよね。仕事終わりに、キンキンに冷えたやつを、こう、クーッとね」


 飲兵衛らしい答えが返ってきた。近づいてきた店員に、「とりあえず生三つ」と告げ、食べたいものを片っ端から注文していく。何しろ、今日は二人の奢りだ。躊躇する理由はない。


「ここが、パパたちの行きつけの酒場かぁ……」


 注文を済ますと、周りを見渡す余裕が生まれてきた。まだ宵の口だが、酒場は結構賑わっている。玄関に吊るされた赤い魔石灯に誘われるように、客が次から次へと入ってくる。


「らっしゃーい!」


 それを捌くのは、愛想のいい竜人店員だ。竜人とは半年前に路地裏でやり合ったばかりだが、あれはあくまで悪い奴だったからで、大抵の竜人は話好きで気前がいい。その上、綺麗好きで、とても素早いので、飲食店では重宝される。


 この店も、古いが綺麗に掃除されていて居心地がよかった。治安の悪い職人街の店にしては、客層も落ち着いているし、何よりみんな楽しそうだ。木の椅子に敷かれた座布団も、見慣れてくると妙に懐かしい気分になる。初めて来たばかりなのに。


「どれくらい、ここに通ってるんだっけ」


 几帳面におしぼりを畳んでいたレイが応える。


「二十年以上前からの常連だね。もうメニューがなくても注文できるよ」

「二十年……って、お姉ちゃんが生まれる前からかぁ。さすが親友。付き合い長いねぇ」

「エルフのレイにとっては、あっという間だよ」


 アルティが優しく笑い、「若い頃、ママやハンスさんとも何度か来たよ」と続ける。


「仕事終わりに、よくみんなで飲んだねぇ。今はそうそう集まれなくなっちゃったけど」


 懐かしそうにレイが目を細める。アルティの言う、ママ、はグレイグの母リリアナ。ハンスはリリアナの部下だ。二人ともグレイグと同じデュラハンで、国の要職についている。集まりたくとも時間の都合がつかないのだろう。


 グレイグの脳裏に、魔法学校の同期のニールとエレンの姿が浮かんだ。自分たちもいずれ、こうして飲んだりするのだろうか。


「あ、そういえば、今日はお姉ちゃんとママはいいの? 後で怒られない?」

「大丈夫だよ。エスメラルダちゃんを誘って女子会するってさ。今頃、飲んでんじゃない? 三人ともうわばみだから」

「俺としては、ママにはそろそろ自重してほしいんだけどね……」


 アルティが苦笑する。エスメラルダは両親の歳の離れた友人で、姉のメルディとも仲がいい。うわばみとは知らなかったが、あの二人と付き合っていると、自然とそうなるのかもしれない。アルティも酒は強いし。


「ねぇ、レイさん。ドワーフは酒豪揃いって聞くけど、デュラハンもお酒に強いのかな?」

「どうだろうね。遺伝じゃないかな。エスメラルダちゃんのご両親も強かったはずだよ」

「じゃあ、きっと僕もお酒強いよね。パパとママの息子だもん」


 声を弾ませるグレイグに、アルティとレイが顔を見合わせる。その目に不穏なものを感じ取り、理由を尋ねようとしたが――。


「お待たせしましたぁー! 生中三つです! お料理もすぐお持ちしますねぇー!」


 威勢のいい店員が、ジョッキを威勢よく机の上に置いたので、タイミングを逃してしまった。


 霜のついたジョッキには琥珀色の液体がなみなみと注がれ、飲み口付近には綿菓子みたいな白い泡が乗っている。大人たちが飲んでいるのを何度か見たが、こうして眼前にすると感慨深い。しげしげと眺めている間に、机の上は運ばれてきた料理でいっぱいになった。


 いよいよ乾杯だ。ジョッキを持つ二人に倣い、グレイグもジョッキを持つ。底から垂れた水滴が、グレイグの足鎧を濡らした。


「では、僭越ながら俺が乾杯の音頭を」


 頬を赤らめ、こほんと咳払いをしたアルティが、すっと背筋を伸ばした。いつも優しい煉瓦色の瞳が、グレイグをまっすぐに見つめる。


「成人おめでとう、グレイグ。大学院への進学も決まって、パパは嬉しいよ。成人するってことは、責任が伴うってことだけど……グレイグは賢い子だから、きっと大丈夫。これからも体に気をつけて頑張ってね」


 組合の挨拶みたいだね、と揶揄うレイに、「これが俺の精一杯なんだよ」と憮然としつつ、職人仕事で傷だらけの手でジョッキを掲げる。


「乾杯!」


 アルティの声に合わせ、揃ってジョッキを打ち鳴らす。一気に煽る二人にはついていけそうもないので、少しだけジョッキを傾ける。


 デュラハンのグレイグには顔がなく、首の上には魔力の闇が漂っているばかりだが、闇が消化器官と感覚器官の役割を果たしているので、味や食感もわかる。食道をシュワシュワした感覚が通り過ぎた途端に、強烈な苦味が一気に広がった。


「にっが……! 何これ! 何でこんなに苦いの?」

「ホップの苦味だね。無理そうなら、別のにする? 甘いお酒もあるよ」


 レイが再び差し出したメニューには、『カルーアミルク』や『ピーチリキュール』など、見るからに甘そうな名前が並んでいる。飲めばこの苦味は消せるのかもしれない――が。


「……ううん。やめとく。今はパパたちと同じのが飲みたい。甘いのは次にするよ」


 意地を張るグレイグを、二人は優しい目で見つめている。


 挑むように、ビールを何度か煽る。最初は苦いばかりだと思ったが、フライドポテトや唐揚げを食べながら飲むと、少しずつ慣れてきた。これが酒の力なのか、いつもより話も弾む。


「ふふ、何だか楽しくなってきた」

「それはよかった。これから何度だって飲めるよ。君の人生はまだまだ長いんだから」

「エルフに言われても説得力ないなぁ。ねぇ、パパ」


 ひとしきり笑い合った後、アルティがぽつりと呟く。


「ついこの間、産まれた気がするのに、時間が過ぎるのはあっという間だなぁ。こうして息子と酒を飲めるようになるなんて……」


 そこで言葉を切ると、アルティは「ちょっと、トイレ」と席を立った。床を歩く音に混じって、小さく鼻を啜る音が聞こえる。

 

 使い込んだ作業着を着た、グレイグよりも小さな体。少し白髪が混じり始めた赤茶色の髪。徐々に遠ざかっていく背中を見つめながら、ジョッキを机の上に置く。


「どうしたの? 気持ち悪い?」

「ううん。ちょっと胸がいっぱいになっちゃって……」


 言い淀んだグレイグを、レイが黙って促す。


「……僕、パパはお姉ちゃんの方が可愛いんだと思ってたんだよね。僕は男だし、ママに似てでっかいし、ヒト種でも、同じ職人でもないしさ」

 

 くすん、と無い鼻を啜る。


「だから今日、来てくれて嬉しい。僕もちゃんとパパの子供なんだって思えて」

「……バカだなぁ。そんなの確認しなくったって、君はアルティの子供だよ」


 黙り込んだグレイグの頭を、レイが優しく撫でる。何度も潰れたマメで硬くなったアルティの手とは違う、インクが染み込んだ筋張った指。頑丈な兜越しでも、その温かさは十分に感じられた。


「リリアナさんが主にグレイグの面倒を見ていたのは、単に役割分担のためだよ」

「……役割分担?」


 無い首を傾げる。レイは困ったように微笑むと、籠手に覆われたグレイグの指をさした。硬い鋼板越しに、トントンと叩く振動が伝わってくる。

 

「そう。君ね、赤ん坊の頃、アルティの指を折っちゃったんだよ。それはもう、見事に。ボキッと」

「えっ!?」


 そんなこと、初めて聞いた。思わず前のめりになるグレイグを制して、レイが言葉を続ける。過去を思い返すように遠い目をしながら。


「赤ん坊って、指を出したら握るじゃん。でも、君はデュラハンで、アルティはヒト種。どうなるかわかるよね?」


 たとえ赤ん坊でも、デュラハンの力は強い。レイにもリリアナにも忠告されていたのに、息子が生まれた喜びのあまり、失念してしまったらしい。利き手ではなかったとはいえ、繊細な仕事をする職人の指だ。騒ぎになったのは想像に難くない。


「それでも、アルティは君を抱く手を離さなかった。リリアナさんが駆けつけて指を引き剥がすまで、ずっと『大丈夫だからね』って、あやしてたんだよ」


 幸いにも、折れた指は治療魔法で後遺症もなく治ったものの、その事件以降、グレイグの世話をするのは主にリリアナの担当になったらしい。


 リリアナはリリアナで、ヒト種のメルディへの力加減に悩んでいたので、自然と「父と娘」「母と息子」の役割分担が出来上がったのだと言う。


 そういえば、まだグレイグが力をうまく制御できなかった頃――アルティに抱っこをねだったときも、メルディと遊んでいるときも、そばには常にリリアナか祖父がいた。


 もし、またグレイグが怪力を発揮しても、すぐに引き剥がせるようにだろう。デュラハンの怪力に対抗するには、同じデュラハンが一番だから。


「そ、そんなの知らなかった。何で、誰も教えてくれなかったの?」

「アルティが黙っててくれって。まあ、息子に指折られたとか言いたくないでしょ。君が気に病んでも困るし」


 すっかりぬるくなったジョッキを手に絶句していると、レイがやれやれといった様子で肩をすくめた。

 

「君と違って、メルディは聞かん坊だったから、目をかけているように見えるだけで、アルティは君たちを平等に可愛がっているし、ちゃんと愛してるよ」


 たとえ自分よりデカくなったとしてもね、と優しく諭され、ジョッキを握りしめる。


 デュラハンにとっての目――首の上の闇に浮かぶ一対の青白い光から、ぽたりと雫が垂れた。黙って微笑みを浮かべたレイが、備え付けの紙ナフキンで目元を拭ってくれる。

 

「レイさん、僕、パパとママの息子でよかった」

「それは本人たちに言ってやんな。きっと泣いて喜ぶよ」


 鼻を啜りながら、そうだね、と返したとき、アルティが長いトイレから戻ってきた。真っ赤になった目で、トイレが混んでいたと下手な嘘をつき、何かに気づいたように立ち止まる。


「どうしたの、グレイグ。どこか痛い? それとも、飲みすぎた?」

 

 心底心配そうな口調に、ふ、と笑みが漏れる。同じデュラハンならともかく、ヒト種には顔色なんてわからないのに、どうして気づいてくれるのだろう。

 

「……僕は幸せものだなぁ」

「え?」


 顔を覗き込むアルティに、満面の笑みを向ける。はたからだと、闇が微かに揺らめいたようにしか見えないだろうが、きっとアルティなら読み取ってくれるはずだ。

 

「パパの息子でよかったなぁ、って言ったの。僕をここまで育ててくれてありがとう」


 その言葉はまっすぐにアルティの心を射抜いたらしい。煉瓦色の瞳が、眼窩からこぼれ落ちそうなほど大きくなり――今にも泣きそうに歪んだ。


「こちらこそ。俺の息子に生まれてくれてありがとう」


 席についたアルティと、どちらともなくジョッキを打ち鳴らす。初めての酒は、ほろ苦くて甘い、愛情の味がした。



 ***


 

「見事に潰れちゃったね」

「お義父さんの血を引いちゃったなぁ」


 昼間の熱もまだ冷めやらぬ中、魔石灯が照らす夜道を連れ立って歩く。薄暗い闇の中でも鮮やかに浮かぶ赤茶色の髪の横には、安らかな寝息を立てるグレイグが、ふわふわと浮かんでいる。


 ジョッキを空けた後、二杯目に注文した甘い酒で、すっかり酔ってしまったのだ。アルティが言うように、酒に弱い祖父の血を引いたらしい。


 馬車を呼ぶ距離でもないし、アルティが酔い覚ましに歩きたいと言ったので、レイが書いた魔法紋――文字に魔力を流すだけで魔法が使える技術で、こうして運んでいるわけだ。

 

「よかったね、一緒に飲めて。楽しかった?」


 囁くように問う。少し間を置いて、アルティは「うん」と頷いた。


「……実は俺、グレイグは来てくれないんじゃないかと思ってた。リリアナさんと違って、俺はヒト種で弱いからね。父親として頼りにならないんじゃないかって」


 しみじみと言うアルティに、思わず笑みが漏れる。この二人は、やっぱり親子だ。たとえ種族が違っても、間違いなく。


「自信がないところは昔と変わってないねぇ。君はきちんと父親をやれてるよ。今日で十分わかったでしょ」

「光栄だね。……でも、息子をおぶえないのは悔しいかな」


 隣で眠るグレイグを優しく見つめる。その眼差しは初めて出会った時と変わらず、熱く燃えていた。まるで、絶え間なく灯る炉の炎みたいに。

 

「おっ、君も魔法紋師になる? 身体強化の魔法紋を書けば、おぶえるようになるよ。明日から、教えてあげよっか?」

「いいよ。必要なときはレイに頼る。これからも、ずっとそばにいてくれるでしょ?」


 迷いのない、まっすぐな瞳。メルディとも重なる笑顔。この笑顔がどれほどレイの希望になっているか、アルティは知る由もないだろう。


 小さくため息をつき、空を見上げる。くすんだ星空が、レイたちを見下ろしている。月が雲に隠れているのが残念だ。さぞや、いい気分になれただろうに。


「……本当に君はエルフたらしだねぇ」

「それ、二十年前も言ってたよね。どういう意味?」


 顔を覗き込むアルティに、「教えない」とすげなく返す。長命種の苦しみなど知らなくていい。アルティには、これからもずっと笑っていてほしいから。


 ――たとえ、エルフにとっては、ほんの少しの間でも。


「言われなくても、そばにいるよ。君、僕のお義父さんだしね」

「やめろって言っただろ、それ!」


 顔を赤らめて拳を振り上げるアルティを背に、レイは笑った。グレイグの眠りを妨げないように、密やかに、優しく。

たとえ種族が違っても、二人は親子。この後、レイの家にグレイグを寝かせて、親友同士で飲み直しました。


↓おまけ


「父親がついていて、なんで息子が酔い潰れるんだ。納得のいく理由を聞かせてもらおうか」

「いや、二杯しか飲んでな……」

「あ?」

「ごめんなさい!」

「僕もごめんね、リリアナさん。だから、アルティの顔から手を離してやって……」

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