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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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8 寝顔

 それから三刻ほど歩き続け、ようやく門までたどり着いたカホカだったが、


「間に合わなかった……」


 すでに陽は落ち、外門は閉じ切られている。


『策をくれてやろうか』


 イスラが嬉々として提案してくるのを、「アタシは女の涙を武器になんてしないの」とカホカは相手にしない。


『どこかの吸血鬼に聞かせてやりたいものよの』


 あてつけがましくイスラが言うのを、カホカは苦笑して、


「急ぎでもないのにお金を払うのはもったいないし、今夜は外の宿に泊まろう」


 外門付近には民家や商店が立ち並んでいる。


「やっぱ王都ってのはすげーね。門に入れなかった人を相手に商売ができちゃうんだもん」


 馬を()きながら手頃な宿を探す。旅の資金は潤沢にあるため、わざわざ野宿する必要はない。


 ただ、さすがに治安は良くなさそうだった。


 身寄りのない老人や、年端もいかない子供が道の脇に座り込んで物乞いをしている。夜が近づくにつれ、肩と足を露出させた女たちが店の前で呼び込みをはじめていた。リュニオスハートのカホカの店のほうがよほど上等と思えるくらい店構えは汚れ、入っていく客の身なりも悪い。


 雰囲気としては貧民街に近い。


「ま、どこも一緒っちゃ、一緒よね」


 大して気にもせず、カホカは一軒の宿の前で手綱を短くさせた。


『イスラ?』

『なんじゃ』

『交渉してくるから、見張ってて』

『私に頼むなどと──』

『じゃ、行ってくるねー』


 イスラの返事を待たず、カホカはさっさと宿のなかへ入っていく。


『……あの娘、やりおる』


 やはりティアとはちがう、イスラはそう思った。


 ◇


 空き部屋はあるとのことで、カホカはその宿に泊まることに決めた。


 交渉は可もなく不可もなく、という結果だった。


 ある程度の覚悟はしていたが、やはり王都は物価が高い。


「ぼったくってんじゃないの?」


 カウンターから、ずい、とカホカが首を伸ばすと、


「お客さん、勘弁してくださいよ。これでも相場より安いんですから」


 宿屋の番頭は困った様子で肩をすくめた。


「女ふたりなんだよ? 部屋だって汚さないんだから、もっと負けてよ」


 もうひとりは後から来る、と伝えてある。


「ですが、死体を入れるんですよ? 嫌がるお客さんもいるでしょうし」

「ちがうちがう、あれ、空っぽなんだって。ここの貴族サマの注文品なの。あとで中身見せてあげるからさ」


 もちろん、見せるのはティアが起きてからである。


「ていうか──いいの? あの棺桶、大貴族サマの特注品だよ? この宿が泊めてくれないから汚れたって伝えちゃうよ?」

「勘弁してくださいよぉ」


 番頭の泣きが入ってきたところで、わかった、わかった、とカホカは言って、


「負けるのはいいから、棺は中に入れさせて。後で確認していいって言ってんだから、それぐらい大目に見てよ」


 番頭はやれやれ、といった様子で、


「……わかりました。ですがお代はそのままですからね」

「んじゃ、部屋に運んでちょうだいね」

「え?」

「あと馬の飼葉も」

「ええ?」

「おっさん、こまかいこと気にしてるとハゲるよ?」


 という感じで、使用人を総動員させて棺を部屋に運びこませ、カホカは寝台の上に転がった。寝台は布製で柔らかく、カホカの身体を沈ませていく。悪くない部屋だと思った。たしかに王都の物価を考えれば妥当といったところだろう。


﨟長(ろうた)けておるのう」


 イスラが部屋に現れ、床に伏せをする。


「こんなの、下町に一カ月住んでりゃ覚えるって」


 よっ、とカホカは寝台から飛び起きた。両開きの窓を開け放つ。


 空はすでに(くら)い。西の方の雲に、かすかな残照をのぞむ程度である。


 くるりと振り返ったカホカの表情は明るい。


「もういいよね!」

「……好きにせよ」


 イスラはもう、どうでもよさそうだ。


 ひひ、とカホカは笑いながら、ティアが眠っている棺の前に膝をついた。


「ごかいちょー……つって」


 そろそろと棺の(ふた)を持ち上げ──


「……」


 そろそろと蓋を下ろし、元に戻す。


「ちょっと! イスラ!」


 カホカは大慌てでイスラを呼んだ。なぜか小声である。


「なんじゃ?」


 カホカは口に指を当て、「しー!」と、イスラに黙るよう伝えた。その顔が真っ赤になっている。


「ヤバい! ……こいつ、ヤバい!」

「……死んでおったか?」

「ちがうわよ馬鹿狼! ちょっと見てみれって!」


 カホカは再び蓋を持ち上げ、イスラに棺の中を見せてやった。


「うむ、寝ておる」


 イスラが淡々と事実を述べてくる。


「アンタ、これ見てなんにも思わないの?」


 上擦った声でカホカが訊くと、イスラは「思わぬ」と前脚の爪を噛みはじめた。


「……これだから犬畜生は」

「狼じゃ」


 すかさず訂正を入れてくるイスラを無視し、カホカは、たまらん、と顔をにやにやさせた。


 ティアが、寝ていた。


 横になり、くの字に身体を丸めている。


 びっしりと生えそろった睫毛(まつげ)が、まぶたにうすく影を落としている。癖のない、黒く艶めくような髪の一房が、耳の下から顎先へかかっている。襟から伸びた首筋や、かるく丸めた手や、裾から伸びた足も、透き通るほどに白い。


 美神(グラーツィア)もかくやといった寝姿に、カホカは目を離せない。


「イスラ……」


 カホカは思わず呼びかける。


「だから、なんじゃというに」

「なんか、ティアって日増しにキレイになってない?」

「さもありなん」


 イスラはうなずく。


「吸血鬼は無意識に魅了(ファシネーション)の魔法を発動させる種族だからの。此奴(ティア)が成長するほどに美しくも見えよう」

「なにそれ、ずるい、そんなの魔法の手柄じゃん!」


 アタシももっとキレイになりたい、いやむしろキレイにしろ、とカホカがイスラに要求すると、


「お前はなにか勘違いをしておる。魅了の魔法は姿形を変えるものではないぞ。あくまで内面を育てねば効果を発揮するものではないし、つきつめるところ、内面が育てば魔法など必要でさえない」

「むぅ……」


 それでもカホカは釈然としない。


 ()さ晴らしにティアの鼻でもつまんでやろうかしらん、と寝ているティアに手を伸ばしかけた時だった。


 ぴくり、とティアの睫毛が揺れた。


「あ、起きたかな」


 自分が覗いているのに気がついたら、ティアはどんな表情をするだろう。


 きっと驚くにちがいない。


 ひひ、とほくそ笑んだカホカの表情が、けれども次の瞬間、どきりと固まった。


「……ぅ……」


 吐息のような声を漏らしたティアの睫毛が、ぴくり、ぴくりと震えはじめた。


「……ぅ……うぅ……」


 苦しげにティアが呻いたかと思うと、閉じられた瞳から、音もなく涙がこぼれ落ちていく。


「……みんな……」


 丸めた身体をさらに丸め、ティアの手がかすかに動き、何かを掴もうと求める仕草になった。


 ──これって……。


 カホカは絶句した。悪戯でもしてやろうと思っていた気分は跡形もなく消え去っていた。


 ティアは、夢を見ているのだ。


 タオの時の夢を。


 タオがなぜティアになったのか。その時のことを、カホカは話でしか知らない。


 聞いたところ、悲惨だと思った。ひどい話だと。


 ティアは自分の不幸を大っぴらに話したり、不幸を売って他人の同情を買うような性格ではない。


 その性格ゆえ、過去の出来事がどれだけ凄惨だったのかを包み隠してしまう。


 でも──その話はタオであるティアが経験した、まぎれもない事実なのだ。


 今もまだ、悪夢となってティアを苦しめ続けるほどの。


 涙はこめかみの下を伝い、棺の底へと、一粒一粒、ゆっくりと落ちていく。


「……父上」


 ぎゅっと、ティアが拳を作った。


「逃げて……」


 もう、見ていられなかった。


 カホカは静かに棺の蓋を閉じた。起こそうか迷ったものの、自分が泣いていたことを知られたくはないだろうと思った。


 蓋を閉じた後も、カホカはその場に座り込んでいた。額を棺に当て、動かず、ただじっと。そうして今でも悪夢を見ているであろうティアを想う。


「そりゃ、苦しいよね……」


 (すみれ)色に染まりはじめた部屋の中で、カホカはぽつりとつぶやいた。


 当然だ。ティアは年上とはいえ、二歳しか離れていない。


 カホカが知っているタオは、善良すぎるほど善良だった。優しく、お人好しで、でもどこかぼうっとしたところがあって、頼りない兄貴という感じで、見ていて苛立つこともしばしばだった。


 ……間違ってもこんな酷い目に遭っていい人間ではないのだ。


 しばらくそのままの姿勢でいると、ふと、隣のイスラが立ち上がる気配がした。


 カホカが視線を上げると、


「いつも、というわけではないがの」


 そう言って、イスラは部屋の隅まで歩くと、すとんと体躯(からだ)を落とした。寝転がって毛づくろいをはじめる。


「本人が気づいておらぬ時もある」

「うん……」


 カホカはぼんやりと毛づくろいをする黒狼を眺めた。


 そうであってほしい、と思った。


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