43 エクリⅫ(後)
まぶたの裏に光が溜まっている。
全身が金色の風に包まれているような。
──太陽?
はじめ、そう思った。
温かい。冷えきった身体に、じわじわと体温が戻ってくる感覚がある。
黄金の光は意識のなかにも届き、その中心に、ひとりの影を浮かび上がらせた。
──少年だ。
やや癖のある髪。逆光になってはいるものの、その輪郭から茶の髪だとわかる。
──お前は……。
呼びかけようとしても、声を出すことはできない。かろうじて漏れ出たうめき声も、強い光のなかで掻き消されてしまう。
その少年がくるりと反転した。こちらに背を向けたのだ。
けれども、見えた。
その一瞬の光の強弱に、少年が誰なのかは明らかだった。真新しい、それ自体が輝くような白のチュニックを着ている。
少年が歩きはじめた。ゆっくりと遠ざかっていく。
──待て。
呼び止めることができず、少年は小さくなっていく。風に、少年の髪がそよいでいる。
──待ってくれ!
焦がれる気持ちで叫ぼうとしても、すべては光のなかに……。
そして。
少年が見えなくなると、光もまたその一点に吸い込まれて、消えた。
◇
目を醒ますや、ティアは飛び起きた。
まず視界に飛び込んできたのは、中腰になってこちらの様子をうかがっている囚人たちだった。
「ホゴイ……」
ティアは目を瞬かせ、自分の身体を見た。
傷が癒えていた。
「ほんとに治ったみてぇだな」
すでに見慣れた仏頂面でホゴイが言った。その視線がティアの背後へと移る。
振り返ると、ファン・ミリアが膝立ちになっていた。手に布袋を持っている。なかに金色の粉が入っているのが見えた。砂金かと思ったが、ファン・ミリアは「ちがう」と首を振った。
「エクリからティアにと渡された。ゲームに勝った褒美らしい」
「……エクリから?」
ティアは眉根を寄せた。そうだ、とすぐに思い至る。自分は決闘中に意識を失ったのだ。
「エクリはどうなった?」
なぜ自分は生きているのか。
「帰ったぜ。決闘はお預けだ」
声がした方を向くと、ルルゥが立っていた。ファン・ミリアが持っている布袋を指さして、
「妖精の粉だ。どんな怪我でも治しちまう超希少な回復道具だ。おれも目を疑ったけどな。こりゃ本物にまちがいなそうだっつーことで、ティアに使ってみるかって話になったんだ」
「妖精の粉……」
その布袋を、ファン・ミリアが渡してくる。
「半分ほど使ったところでティアが目を醒ました。残った半分で、あとひとり分の瀕死を救うことはできるだろう」
ティアが受け取ると、ファン・ミリアはうつむき、
「無事でよかった」
伏し目がちに続ける。
「あまり無茶をするな」
すくりと立ち上がり、人の輪の外へと出ていってしまう。
「……サティ?」
ティアがその後ろ姿を目で追っていると、
「ずいぶん怒らせたものだな」
ヘインズが立っていた。
「サティが怒っている?」
「後で謝っておけ」
「何について?」
ティアは本当にわからない。するとヘインズが片頬を上げた。「理屈ではないのだ」と、皮肉な笑みを浮かべる。
「とはいえ、聖女殿はよく耐えた。お前がどれだけエクリに打たれようと──まさに殺される寸前まで追い込まれようとも、手を出さなかった」
「ああ……」
「己の感情より、お前の名誉を尊重したのだ」
ティアがうなずくと、ヘインズがひょいと何かを投げてきた。
「謝礼だ。お前と聖女殿のふたり分のな」
手を広げてみると、ファーレン金貨だった。それも二枚。ヘインズはさらに自分の指輪をはずし、これもティアへと放る。
指輪に宝石はついておらず、平らな石座には紋様が彫り込まれている。
「印章の模造品だ。実際の書面には使えんが、ノールスヴェリアの関所はその指輪を見せれば通過できる。ただし、通過できるのは指輪の所持者だけだ。同行者には適用されぬ」
ティアがヘインズを見上げると、
「俺の住居はノールスヴェリアの王都にある」
「わかった」
ティアは受け取った指輪を親指にはめながら、
「エクリが去って、これからどうする?」
「一応、迎えの船は用意してあるが」
ヘインズはそう言って囚人たちを見まわした。
「ここにいる全員を収容はできまい。疲れているだろうが、この船を漕いで港まで戻ってもらいたい」
ヘインズの提案を聞く囚人たちが緊張している。萎縮、というべきだろうか。恐々とうなずく者もいれば、あからさまに目をそらす者もいた。
──港に戻れば拘束されるのを恐れている?
そう思ってティアがヘインズに訪ねると、「この者たちの処置はティアーナに任せる」という答えが返ってきた。
「私が?」
「お前の仲間なのだろう?」
訊き返され、ティアはうなずいた。うなずき、考える。それから二枚のファーレン金貨に目を落とし、またヘインズを見上げた。無言で見つめる。
「何だ」
ヘインズが苦笑する。
「それでは足りぬか?」
「足りなくはないが、すこし色をつけてほしい」
「いくらだ?」
「じゃあ、金貨二枚」
「倍になる」
「ちがう。ファーレン金貨じゃない。普通の金貨だ」
「タクト金貨か」
得心した様子で、ヘインズが懐を探り、二枚のタクト金貨を放ってくる。
それを受け取ると、ティアは持っていたファーレン金貨を二枚ともホゴイに投げてよこした。
「なんだ?」
ホゴイが怪訝顔を浮かべる。ティアが言った。
「お前たちは臭い」
「は?」
きょとんとするホゴイたちに、ティアはわざとらしく鼻をつまんだ。
「汗臭いし、排泄の臭いもする。鼻がもげそうだ」
「仕方ねえだろう。ずっと船のなかに閉じ込められていたんだ」
そうだな、とティアはちいさく笑って、
「だから、港に戻ったらまず身体を洗え。身なりを整えたら、腹いっぱいになるまで飯を食え。食ったら寝て、起きたら飯を食って、一日ゆっくり休め。女を買ってもいい。でも、商売女だけだ。そのための金だ。礼儀正しくしろよ」
囚人たちから歓喜の声が上がる。さすがティアだ! 話がわかるぜ! などの声が聞こえてくる。
「いいのか?」
ホゴイが驚いて訊いてくるのを、うん、とティアはうなずいて、
「ホゴイたち十人のまとめ役は彼らが羽目を外しすぎないように見張ってくれ。それでもし、一般人に迷惑をかける者がいれば──」
「いれば?」
「斬って海に捨てろ」
一瞬にして、囚人たちが黙り込んだ。ごくりと唾を飲む。
「自覚しろ。お前たちは生きているんじゃない、生かされているんだ」
ティアは苛烈な瞳で告げる。
「私と、仲間と、自分自身の行いによって」
「わかった」
それで? とホゴイが続けて訊いてくる。
「休んだらどうする」
「話し合うんだ。これからのことを。ひとりひとり、どうすれば罪を償えるか。自分はどうするべきか、全員が決めるまで話し続けろ」
「わかった。──ティアは港には戻らねえのか?」
「私はシフルまで旅をする」
ティアは立ち上がり、歩き出した。自然に左右に別れる人の壁を越えて、まっすぐ進むと、ファン・ミリアが立っている。何やら考え込んでいる様子で、汚れた髪を拭っている。
気づいたファン・ミリアが顔を上げた。
ティアは無造作に近づいていくと、ファン・ミリアを横抱きにした。
「……なんのつもりだ?」
抵抗こそしないが、ファン・ミリアの声は険を含んでいる。むしろ、抵抗しないことで抵抗しているらしい。
「行こう。ずいぶん足止めを食らった」
ティアは前を向く。ファン・ミリアの不満げな視線を感じるが、とりあえず気づかないふりをした。
甲板から、ひらりと柵の上に跳び乗った。
ファン・ミリアを抱いたまま、ためらいなく海に飛び込んだ。
空中でティアが何事かとつぶやくと、クラーケンの肢が海面にのぞいた。ティアを乗せると、そのまま泳ぎはじめる。
「このままクラーケンに乗って陸地に向かう」
クラーケンの肢をつたって胴体へと移動する間に、我慢できなくなったのか、ファン・ミリアが訊いてきた。
「私に、何か言うことはないのか?」
怒っているというより、どこか拗ねた口調に、「なんだろうな」とティアが空惚けると、
「ヘインズと話していた」
遠回しに、そんなことを言ってくる。
「サティのことについて?」
ようやくティアが顔を下に向けると、今度はファン・ミリアが顔をそらした。わかりやすい不機嫌顔を作っている。
「サティは不器用だ、という話はしたな」
からかうように言うと、横抱きにされたまま、ファン・ミリアがティアの脇腹をつねってくる。
「余計なお世話だ」
脇腹をつねられながら、ティアはあくびを嚙み殺した。暁闇の時刻だった。
東の空、たなびく雲の底が、夜明けの色を映しはじめている。
「サティ」
「私より、ティアのほうがよほど不器用だ」
「サティ」
「エクリとの決闘にしたって、あの旗の使い方はなんだ? あれでよく──」
「サティ」
「何だ?」
「ありがとう」
ファン・ミリアが口を噤んだ。
そっぽを向いていた顔が、そろりとこちらを見上げてくる。けれど、ティアが見つめていることに気づくと、また顔を戻してしまう。
クラーケンの胴体に移ると、その上にファン・ミリアを座らせた。呆気に取られるファン・ミリアの膝の上に、ティアは寝転がって頭を乗せた。大あくびをする。
「……ティアはこれが好きなのか?」
「サティが近くにいると安心するんだ」
クラーケンの肢の数本が伸びてきた。ふたりをすっぽりと覆う屋蓋を作る。太陽の光からティアを守ってくれるらしい。
「大丈夫だ」
眠そうな声で、ティアが言った。
「サティ以外にしてもらいたいとは思わない」
暗がりで、ファン・ミリアは溜息をついた。目を閉じたティアの前髪を払ってやるうちに、すぐに寝息が聞こえてきた。
「何が大丈夫なのか」
ファン・ミリアは苦笑するしかない。ティアの寝顔は、たしかに安心しきっているように見えた。この人が本当に吸血鬼なのか、とさえ思う。
「シフルまで……か」
ファン・ミリアは目を閉じた。
そうして、かつて自分が訪れたシフルの街を思い浮かべた。




