表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
146/239

0 苦艾の公女Ⅰ

「退屈すぎて死にそう」


 ぽつりと背後から聞こえた女性の声を、軍服に身を包んだ侍女、プラム=リーが聞き逃すはずもなかった。


 けれど、プラムは何も言わずに前方を見つめ続けている。眼鏡に映り込む景色に、わずかな変化さえも見逃すまいと気を配りながら。


 東ムラビア王国北部。


 西に山脈を挟んで聖ムラビア領邦国家と、北に沼沢地(しょうたくち)を挟んでノールスヴェリアと国境を接したスワニ平野。


 この平野にいま、西向きに陣を構える兵団があった。総数は五千。精強な兵士たちが(かか)げる旗には家紋を表す(たて)紋様(もんよう)と、その内側に苦艾(くがい)──ニガヨモギが描かれている。


 プラムが乗る馬車は後陣に鎮座していた。


 十頭立ての、場違いなほどに豪華な装飾が施された荷台は、むしろ寝台と呼ぶほうが近い。一面に絹のシーツが敷かれ、屋根は神殿のように白塗りの柱によって支えられている。


「いっそ死んでみようかしら」


 続けて聞こえてきた声に、たまらずプラムは振り返った。


「やめてください、アル様。戦の最中に不謹慎(ふきんしん)です」


 荷台にきつい視線を投げると、


「なによぉ」


 (いさ)められたのが気に入らないのか、間延びた口調に不服の色が混じっている。


 シーツの下には最高級の羽毛が詰められ、声の主の身体を深く沈ませていた。仰向けに寝転がり、こちら側に置いたクッションに頭を乗せ、奥側に足を向けているため、プラムからは彼女の後頭部しか見えない。


「冗談に決まってるじゃないのぉ」


 それでも聞こえてくる声に対し、


「アル様が言うと冗談に聞こえません」


 プラムが律儀(りちぎ)に返すと、そうよねぇ、と女はうなずいたようだった。


「笑えるのが冗談よねぇ」


「……何を言ってるんです」


 半眼になって後頭部をにらむと、ようやく女が頭をそらした。上下逆さまにプラムを見やり、


「あら」


 と、何かに気づいたらしい表情を作る。


「プラム、あなた、どうして逆さまになってるの?」

「……アル様が顔を逆さになさっているからです」

「ふぅん」


 と、女はどうでもよさそうに鼻を鳴らした。ハシバミ色の瞳は物憂(ものう)げで、半分ほどしか開いていない。年齢は二十代前半といったところで、毛先まで手入れされた黒金髪(ブリュネット)が、滝のようにシーツの上に落ちかかり、波打っている。


 昨夜からの酒がまだ抜けきっていないのか、女はとろりとした瞳のまま、「よっこいせ」と、億劫そうに上半身を起こした。その背中をしばらくプラムが見守っていると、荷台内に甘い匂いが漂いはじめた。


 お気に入りの、東方から取り寄せた煙管(キセル)を吸っているようだ。


 よかった、とプラムはひそかに胸の(うち)で思う。


 どうやら本当に冗談のつもりで言ったらしい。


 何しろこの女、前科持ちなのだ。


 犯罪ではなく、自殺未遂の、である。


 ◆


 半年前──


『ちょっと旅行に行ってきます』


 その書き置きを残し、彼女は常飲している睡眠薬を大量に摂取(せっしゅ)して自死を図った。本気で死のうとしたかどうかは不明だが(本人はいまでも冗談だったと言い張っている)、発見されるのがあとすこし遅ければ間違いなく死んでいただろう。


 医者の必死の介抱によってなんとか一命を取り止めた彼女に対し、なぜそんな馬鹿げたことをしたのかと問い詰めたところ、


「冥界を見てみたかったのよ」


 という、それこそ本気とも冗談ともつかない言葉が返ってきた。


 あきれて物も言えないプラムだったが、(あるじ)は主である。正直に白状すれば、見捨ててやろうと思ったことは数え切れないが、いまだにこうして仕えている。


 そのプラムが仕える主の名をアルテンシアという。正式名はアルテンシア・アブシューム=ヘルツェーネ=ペシミシュターク。略名はアルテンシア三世。


 大陸の習いとして、高貴な者ほど名が長くなる傾向があるが、アルテンシアはまさにこれが当てはまる。


 ペシミシュタークより上位の家格は、王家しか残されていない。


 コードウェル。


 アービシュラル。


 そして、ペシミシュターク。


 東ムラビア王国を代表する三公爵家の一家であり、アルテンシアは現当主クドゥンのひとり娘である。


 ◇


 馬車内に煙が漂い、プラムは眼鏡の奥の瞳をしばたかせた。


 ──なんてもったいない。


 そう思ったことは、辞めてやろうと思った数の比ではない。毎日、毎時間、下手をすると毎分、プラムは思わずにはいられない。


 プラムが仕える以前、少女の頃のアルテンシアは、可憐(かれん)という言葉が誰よりも似合う、公女に相応(ふさわ)しい品格を備えていたらしい。


 それが、どういうわけかこじらせた。


 可憐という言葉はこの車内に漂う煙のように霧散し、かわりに頽廃(たいはい)という言葉が誰よりも似合う女性になってしまった。


 この盛大にこじらせた理由を父親であるクドゥンに訊いてみたところ、


「祖父が他界した頃からおかしくなった」


 ということらしかった。


 クドゥンにとっての祖父であるから、アルテンシアにとっては曾祖父(そうそふ)に当たる人物になるわけだが、これが東ムラビア、もしくはそれ以前の統一ムラビアの歴史に名を残すほどの大人物だったらしい。政界を引退した後は多くの弟子を()り、キアスレディ=オム、マーク=レイコウ、ゼラニィ=ルイス、トゥーダス=トナーなどの名士、隠士を問わず優れた知の系譜(けいふ)をつないでいる。


 アルテンシアもこの曾祖父に師事(しじ)したひとりである。


 薫陶(くんとう)を受ける、という言葉は「良い影響を受ける」という意味だから、師事はしても薫陶は受けなかった、ということになる。


 しかしながら、彼女には聡明叡智(そうめいえいち)があった。


 こと軍学において、高弟(こうてい)と呼ばれ得るほどに。

 

 ◇


 春空に、戦鼓(せんこ)の打ち鳴らされる音が響き渡った。西向きに陣を構えた自軍五千に対して、向かい合うかたちで布陣した敵軍は半数ほど。その彼らが掲げる旗には、聖ムラビア領邦国家に属する貴族の家紋が描かれている。


 敵陣中央の騎兵がこちらめがけて突進をかけてくる。数でこそ劣っているものの、聖ムラビア軍の士気は高い。それもそのはず、これまでの小競り合いで、アルテンシアは戦っては引く、という戦術を繰り返していた。


 あえて鈍重(どんじゅう)な巨獣を演じてみせたのである。


 敵方にとっては、戦線が伸びすぎるのを避けるためにも、ここらあたりで一気に決着をつけようと気が(はや)っているところだろう。


「──アル様、はじまりました」


 プラムが主に声をかけると、アルテンシアはこちらに背を向けたまま、つまむように持った煙管を上下に振った。


「最前の歩兵に、死んでも槍を離さないでねって伝えてちょうだい。例えるなら、そうね」


 アルテンシアはすこし考えるふうに、


「はじめて一人遊びを覚えた男の子が、大事なアレを握りしめた時みたいに──」

「槍を構えよ!」


 プラムはアルテンシアの言葉を遮り、馬車の脇に控える伝達係に言葉を伝えた。


 やがて、互いの軍隊がぶつかり合い、怒号が飛び交う。


「アル様、次は」


 プラムが訊くと、アルテンシアは煙管をぶらつかせたまま、


「恐れないで、と伝えてちょうだい。例えるなら、そうね」


 しばらく考えた後、


「少年が股間を床にこすりつけたあの戸惑い……それは戸惑いなんかじゃない、勇気よ。少女が股間に人形を挟み込んだあの恥じらい……それは恥じらいなんかじゃない、次のステップへ上るための──」

「踏ん張れ!」


 プラムは主の声をかき消すほどの大音声で命令を告げた。


 戦況は一進一退のように見えた。こちらは歩兵が一丸となって槍衾(やりぶすま)を作り、騎兵の突進を押し留めつつ、後方からは矢と投げ槍で援護をしている。


 その時──


「……勝ったわね」


 あまりにも早い勝利宣言にプラムが振り返ると、アルテンシアは再び仰向けになり、逆さまに戦場を見渡していた。


「これだから早漏(そうろう)の相手は楽でいいわ」


 アルテンシアは口に当てた煙管を離し、ふぅ、と薄い唇をすぼめると、


「中央と右翼を退かせなさい。じきに向こうの第二陣が来るから、それに合わせて左翼をゆっくり押し上げて。つまり……こう、シーツの皺をぎゅっと握ってね、はじめての痛みの後に訪れる快楽を待つ──」

「いい加減にしてください!」


 我慢できず、プラムは声を荒げた。


「なぜ、いちいち卑猥(ひわい)な物言いをなさるんです?」

「なによぉ」


 アルテンシアは不満そうな表情を作る。


「ちょっとした臨場感を演出してるだけじゃない、って……あら?」


 ごろりと転がってうつ伏せになると、


「ひょっとしてプラム、あなた、興奮しちゃったの?」


 興味深そうなハシバミ色の瞳がこちらに向く。


「してません!」

「だわよね」


 ふぅ、と(つや)っぽい溜息とともに、アルテンシアは紫煙(しえん)を吐き出す。


「私もカラカラのからっきし、まるで干物(ひもの)だわ」


 さらに転がって仰向けになると、


「──というわけで、スタン。いと勇敢(ゆうかん)なるスタン=ブルームは近くにいて?」

「は」


 呼ばれ、一頭の灰馬が馬車の脇につけてくる。全身鎧に身を包み、山羊のような角をはやした兜をかぶっている。顔面は面頬(めんほお)で覆われ、瞳をうかがうことさえできない。


 その重騎士にアルテンシアは指示を与える。


「いまから左翼が(ふた)をするわよ。相手の兵たちが逃げやすいように隙間を作ってやるから、それを追撃してちょうだい。あふれそうになる液体をすくうみたいにね」

「は」


 アルテンシアが伝えた通り、前進した左翼が方向を変え、徐々に敵軍を右へ──北へと押しはじめた。プラムの目に、敵軍の動揺が伝わってくるようだった。そろそろ敵将たちも気づきはじめた頃だろう。


 左翼によって押し出された先には、高い草花に隠された沼がある。通常はないはずの沼が。ここ数日の長雨と雪解け水によって、北の沼沢地が広がるように南下してきたのだ。


「でも、森までは追わなくていい。茂みの奥までは見ないのが男女のマナーではなくって?」

「は」


 応え、戦場を駆けはじめたスタン率いる騎馬隊を見送ることもなく、アルテンシアは逆さの姿勢のまま、次々と沼にはまっていく敵の騎馬隊を見つめている。


「……アル様」


 やや声を落とし、プラムが主人に声をかけると、「なぁに?」と気だるそうに瞳を向けてくる。


「僭越ながら。さきほどのご指示ですが、なぜ兵を逃がしてやるのですか?」


 純粋な疑問だった。わざわざ逃がした後に仕留めるくらいなら、封じ込めたままのほうが効率的ではないか、と。


「逃がしたくて逃がしてやるわけじゃないわよ」


 あっさりと、アルテンシアは言った。


「でも、これは全滅させるのが目的の戦ではないもの。大将をひっ捕まえて身代金が取れればそれで充分よ」


 そして「手が疲れたわ」と、アルテンシアは火種を乗せたままの煙管を無造作のシーツの上に放った。あわててプラムが身を乗り出して煙管を拾い上げると、今度は「お酒をちょうだい」と、手でグラスを掴む素振りを見せたので「戦場ですよ」と、プラムがたしなめると、


「祝杯じゃない」

「まだ、戦は続いております」

「あなたの中ではね。でも、私の中では終わっているの。まぁ、これでもつれるとしたら向こうに魔法使いが混じってたときくらい……」


 そうアルテンシアが言いかけた時、戦場に光が走った。プラムが見ると、自軍が包み、沼地へと押し込もうとする力に反発するように、局所的な小爆発が起こっている。


 プラムが主を振り返ると、


「ああいうことよ」


 表情を変えず、アルテンシアは戦場を見つめながら、


「逃げ道を完全に(ふさ)いだとき、人が見せる姿は……大半は絶望して放心状態になるけれど、なかには踏みとどまって信じられない力を発揮する者もいる。火事場のクソ力とも言えるし、一種の覚醒とも言えるわね」

「……恐れながら」


 プラムはさらに尋ねてみる。


「それは、追い詰められた者は魔法を使えるようになる、という意味でしょうか?」

「なにそれ、そうなの? 初耳なんだけど」


 逆にアルテンシアから訊き返され、「いえ、アル様がそうおっしゃったのでは?」と、プラムもまた困惑(こんわく)ぎみに返すと、


「私はただ、敵のなかに魔法使いがいると困るなーって言っただけよ、逃げ道うんぬんは別の話よ」

「では、アル様はいま困っていらっしゃるのですか?」

「ぜーんぜん」


 アルテンシアは、けろりとしている。


「あの程度は驚くに値しないわ。戦に計算違いはつきものでしょう? 私だって、誤差を含めたうえで策を練るわよ」

「はぁ……」


 プラムはだんだん主人の言ってることがわからなくなってきた。わからないところへ、「いいから早くお酒をちょうだい」とアルテンシアから急かされ、プラムはつい返事をして座っていた腰かけの天板を開き、中からワインのボトルと杯を取り出した。


「つまり、こういうことよ」


 仰向けのまま杯を受け取り、アルテンシアは幸せそうに匂いを嗅ぐと、


「私はお酒が飲みたかったの。人って、新しい話題でたやすく記憶を上書きされてしまうものよね」


 そう言って、一息にワインを飲み干した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ