決着
一五四五年 尼子民部少輔詮久
舐め切っていたのが良く分かる。だが構わなかった。私の槍を受け止めるために構えられた孫四郎(尼子誠久)の槍に力の限り思い切り叩きつけた。
「ぐおっ!?」
孫四郎自身も予想以上だったのだろう。押し留めきれずに衝撃を逃がす様に身体を逸らした。だがそこは馬上だ。勢いを逃がしきれずに孫四郎はそのまま馬上から吹き飛んだ。
そのまま地面に叩き付けられてしまえ。そう思った。
だが上手く着地されてしまったようだ。見れば特に怪我らしい怪我はしていないらしい。何処か負傷してしまえば良かったものを。さすがに戦慣れしているという訳か。
だがこちらは未だに馬上で、あちらは地面に落ちた。
高さのある分、私が有利だ。そのまま吹き飛んだ相手に追い討ちをかけるように馬を駆けさせる。このまま一気に決める。
まだ体勢を整え切れていない今が好機。このまま馬上から、立ち上がったばかりの孫四郎に槍を刺突した。だが孫四郎もすぐに応戦してこちらが突き出した槍を弾く様に捌いていった。そしてすぐに孫四郎の槍も突き返される。同じように捌いて躱す。何合も打ち合うが決着はすぐには付かない。
どれほど打ち合っただろうか。孫四郎の振りが大きくなった。それを身体を逸らして躱し上から叩きつけるように槍を振り下ろした。
「ふんっ!」
生意気にも孫四郎はすぐに槍を引き戻して叩きつけた槍を受け止める。そのまま上から体重を掛けるように押し込む。孫四郎は必死に足を踏ん張って押し返そうとしてきた。じりじりと押し合いが続く。
「この尼子の面汚しが!早く死ね!」
「面汚しだァ!?親父を騙し討ちにしてぶっ殺した奴が言える事かってんだ!アァ!?お前が死ね!」
「謀反を企ていた人間など討たれて当然だ!!私がお前を紀伊守(尼子国久)の元に送ってやるわ!!親子仲良くあの世に行け!」
「親父の事を何も知らねェテメェが親父を決めつけンじゃねェ!!少なくとも親父は謀反なんてする気はなかった!!お前が親父を目障りに思って謀反だと騒いだだけだろうが!!親父は馬鹿みてェに尼子の行く先を案じていただけだ!!」
「当主の言うことを聞かずに何が尼子の行く先だ!!分家の分際で偉そうに語るな!!謀反を騒いだだと?疑いがあったから国人衆も騒がなかったであろうが!それが答えだ!」
「言わせておけば!そう仕向けたのはテメェだろうが!テメェのせいで余計なモンを俺が背負う羽目になったんだ!その首で責任取らしてやるよ!!」
「フンッ!好き放題してたんだ!少しくらい背負ったところでっ!!」
「お前は昔っから…ッ!!チッ…!」
私が馬上の時点で、いくら孫四郎が力自慢だろうが限界がある。押し切れないと判断したのだろう。悔し気に舌打ちをするとそのまま押し付けていた槍から逃げるように受け身を取って私の槍から逃げた。
「逃がすか!!」
確実に仕留めるため一度距離を空ける。そして再び馬を駆けさせ、その勢いを利用して立ち上がったばかりの孫四郎の身体目掛けて槍を振るう。
「喰らえッ!!」
「くっ!!」
だがそれも上手く相手に槍を逸らされ躱される。走っている最中に攻撃したため馬の足が止まらない。だが何度も繰り返していけば先に力尽きるのは孫四郎だ。再び相手から離れるように駆け去りすぐに孫四郎の元へ駆け戻った。
だが孫四郎は私から離れるように私とは逆側へと走り出した。
「孫四郎!逃げるな!さっさと大人しく私に殺されろ!!」
馬上から叫んだ。だがそんな私の言葉に聞く耳を持たずとばかりに孫四郎は逃げようとしていた。
憐れな。生き汚く逃げ回りおって。そのあまりにも情けない姿に髪が逆立ちそうなほど怒りが沸く。
だが所詮は徒歩と馬足だ。早さが違う。
もうすぐに追い付く。
あと少しだ。
ふと孫四郎の先が視線に入った。そこには最初に投げつけられていた槍が刺さったままだった。そしてそれを孫四郎が引き抜く。
何をするつもりだ。
そんなことは決まっていた。最初にあいつがしてきたことをもう一度するだけだ。
そしてその予想通りに孫四郎はその二本になった槍の一本を勢い良く私の方へ投げ付けてきた。全速で走らせている。孫四郎との距離は最初の投擲よりも近い。既に止まれるような状況ではなかった。飛び降りなければ…!
「くっ!」
一直線に飛んできた槍は避けること叶わず馬の胴体へ吸い込まれるように突き刺さる。そしてそのまま馬は走っていた勢いそのままに転倒した。何とか身体を投げ出しはしたが。ただでさえ全力で馬を走らせていたのだ。受け身を取る暇もなく地面に投げ出される。感じたことがない衝撃が全身を貫いた。だが少しでも勢いを殺そうと地面に打ち付けた体を懸命に転がした。
「ぐ、ううっ…!?」
漸く止まったが全身を叩きつけられた。
息が上手く吸えない。
全身に痛みが走り何処が痛いのかも分からず、ただただ激痛が走った。
だが生きている。
ならまだ戦える。
槍はどこだ?
投げ出された時にいつの間にか手放してしまったのか。
目を開けた。
そこでやっと息が吸えた。
だが息を吸うだけで痛みが走った。
それを無視して息を吸った。自分の呼吸とは思えない程ゼーゼーと荒い呼吸だ。
だが動ける。
身体は痛いが動ける。
息は苦しく痛いが吸える。
ならまだ戦える。
すぐ近くに槍は転がっていた。
これさえ、あれば。
必死に手を伸ばす。
だがその槍が何者かに蹴飛ばされて手の届かない場所まで転がって行ってしまった。
何者かなんて誰か決まっている。憎しみを込めてその足の持ち主を見上げた。孫四郎が立っていた。あの、人を見下すような、退屈そうな目だ。偉そうに頭上から声がする。
「諦めろ三郎」
「その目で、私を、見るなァァァl!」
自分の声ではないような掠れた声で叫んだ。痛みを無視して立ち上がる。腰に差していた刀を抜き孫四郎に斬りかかった。だが簡単に打ち払われる。握っていた刀も払われた時に手を離してしまった。既に刀を握っていられる力もないらしい。そのまま勢い余って躓く様にまた地面を舐めた。
「おい、いい加減にしろ三郎。テメェの負けだ。降伏しろ」
「うる、さい…」
また頭上から孫四郎の声がした。何が降伏だ。悔しかった。自然と拳を握っていた。だがその拳すら力が入らない。
何故だ。何故私だけがこんな惨めな思いをしなければならないんだ。私の何がいけないんだ…っ!
「お前に、何が分かる…。皆には常に御祖父様(尼子経久)に比べられ、お前に、お前の父親に比べられる。愛する父は馬鹿にされ、ただ尼子の当主となるべく期待だけは押し付けてくる」
気付けば言葉が溢れ出していた。私は孫四郎に何を話しているんだろう。言葉を口に出すのも苦しい。何かが体の中で破けたような感覚があった。だがそんなことはもうどうでも良かった。もう、ただ溜まっていた想いを吐き出したかった。
「そもそも私は当主になんてなりたくはなかった…!父上が死に、母上が後を追って亡くなっても悲しむ時間も許されなかった。それでもあの父上の跡を、立派に継ごうと努力を重ねてきたのだ…っ。それでも下野守(尼子久幸)を筆頭に老臣たちは私のすることにいちいち偉そうに口を出す。そしてお決まりの『御祖父様の頃は良かった。早く三郎様も御立派に御祖父様の跡を継げるように努力せよ』だ。偉そうに説教を重ねてくる。私がなりたかったのは御祖父様ではない!父上のようになりたかったのだっ!」
ゆっくりと頭を上げた。孫四郎と目が合う。じっと私を見つめていた。立ち上がった。どうせ私は死ぬのだ。もう孫四郎の命もどうでもいい。ただ吐き出せればいい。せめて言いたいことを言いきって死のう。
我ながら女々しい。だがもう抑えられなかった。動かすのも億劫になりそうな自分の足を必死に動かしにじり寄って相手の肩を掴んだ。掴みたかったわけじゃない。掴まなければ立っていられそうになかった。孫四郎の顔が近くにある。久しぶりにこの男の顔しっかりと見たような気がした。
「分かるか孫四郎。お前はいいさ。お前たち新宮党は尼子でも特別だった。好きに生きられただろう。そして私に代替わりし御祖父様が亡くなられてからは好き放題し始めた。尼子の行く先を案じていた?僭越にも程があろう!私を差し置いて何が尼子の行く先だ!巫山戯るな!!どうせお前達も私に期待を押し付けながら期待などしていなかったくせに!!」
力の限り叫んだ。怒鳴った。これではまるで千歳や長童子が癇癪を起したようだ。
そういえば私はこうやって不満を不満だと叫んだことなんてなかったな。だが言ってやった。自分の感情を相手にぶつけるのは気持ちが良かった。
だが言いたいことを言いきった途端、身体の力が入らなくなった。孫四郎の足元に糸の切れた木端人形のように座り込んでしまった。
どうやら受け身を取り損ねてしまったようだ。もう身体は動かないしさっきまで痛かった身体が今や自分の物ではないような感覚だ。死ぬのかもしれない。でももうそれで良かった。
もう十分叫んだ。振り返れば呆気ない人生だった。私は望まれるだけ望まれ、その望みに辿り着けなかっただけの男だ。
私の人生で幸せだったのは千代や子等と一緒にいる時間だけであったな。それで十分か。千代に、子等に会えただけで幸せだった。
今の家臣達には悪いことをした。所詮、私は出来の悪い主だっただろう。今更か。あの世とやらがあるのならそこで謝ろう。
父上のように等と私には高望みだったな。そうか、下野守が私に御祖父様のようにと願っていたように私は私に父上のようにと期待していたのだな。同じ穴の狢だな。
ぼうっと考えていると頭上から孫四郎の言葉が聞こえた。
「…知るかよ。お前のことなんて。一度でもその不満を口にしたことあンのかよ」
その言葉に頓悟する思いだった。
そういえば私は不満や思っていること、考えていることを誰かに伝えたことが殆ど無かったのではないか。ああ、誰にも理解されなくて当然か。私が口にしないのだ。誰にも分る筈がない。当たり前じゃないか。
そんな当たり前のことに今更気付くとはな。なんと私は愚かなのだろう。自分が情けなくて笑ってしまった。その笑い声も既にか細くなっていた。
「…ははっ、そうだな。お前の言う通りだ。孫四郎。お前に教わる日が来るとは」
「阿呆が。お前は背負い込み過ぎで、溜め込み過ぎだ」
本当にその通りだ。もっと早くに気付けていたらもっと変わっていたのだろうか。そんな事を考えても詮無いことか。
辺りが騒がしくなってきた。どうやら後を追ってきていた毛利軍が追い付いたようだ。だがもう顔を上げる力もない。孫四郎が何か上で動いた気がした。毛利を止めてくれたのかもしれない。だがそれを確認するほどの元気がもうないらしい。意識が遠のいてきた。
「なあ、孫四郎。千代と私の子等を頼めるか?」
最期の気がかりは千代と子等だ。千代は一応でも孫四郎の妹だ。毛利に預けるよりは千代たちを守ってくれるような気がした。虫のいい話か。
「あァ、任せろ」
だが孫四郎はあっさりと引き受けてくれた。こいつが口に出して任せろと言ったのだ。なら信用出来る。
ふふ、さっきまで殺し合って、殺したいほど嫌いだったのに信用出来る、なんてな。
「そうか。ありがとう。孫四郎。もう十分だ」
もう意識が保てそうにない。
死んだのだろうか。
『少なくとも俺はガキの頃からお前に仕えるんだと思って生きてきたつもりだった』
孫四郎の声でそんな言葉が聞こえたような気がした。幻聴か。孫四郎がそんなことを言う筈がないからな。
だがそう思ってくれていたのなら、いいな。もう手遅れだが最期に聞けて良かった。
ひょっとしたら孫四郎の目は俺を憐れんでいたのかもしれないな。
死ぬ前に気付くなんて。
本当に私は愚かだ。
ああ、父上と母上が見える。
叱られてしまうかな。でも叱られたことも無いから、それも嬉しいかな。
本日もお読みいただきありがとうございました!
毎日連続投稿も今日が最後となります。最後までお付き合い下さりありがとうございました。
次回より申し訳ありませんがまた週一投稿に戻ります。
引き続き、百万一心の先駆けをよろしくお願い致します!




