一匹の獣
一五四五年 吉川少輔次郎元春
「次郎様、月山富田城から兵が出ました」
隣に控えている勘助(山本春幸)がそう告げる。
「あぁ、そうみたいだな」
肩越しに視線を後方の川向う、月山富田城の方へと向けた。開戦と同時に後方からも鬨の声が聞こえていた。予想してはいたが月山富田城からの兵が今、対している敵の援軍と連動して出陣したのだろう。城に籠っていればいいのに。そうぼやきたくなるがそりゃ見逃してくれる訳ないか。
伯父上(吉川経世)を川向うに配置して手当てはしたがそれでも数は100程度。応急措置とはいえ心もとないもんだ。それなりに攻城戦で削ったとはいえ兵数はまだまだ向こうの城兵の方が多いだろう。
いくら守戦に秀でた経験豊かな伯父上でも長くは保たないのは分かっていた。だがこちらは兄貴が率いる軍の到着以外に仕掛けられる策は無い。ギリギリだ。
権兵衛(佐東金時)が手元にいないのも不安の一つになっている。身体を張って俺の身を守ろうとしてくれる権兵衛の存在は俺の予想以上に心の平穏材料になっていたんだろう。
「フーッ…」
一度大きく息を吸って深く吐いた。前線で戦えないのがもどかしいが我慢だ。
前線より少し後ろに配置していた平左衛門(宇喜多就家)の隊がぶつかる間際まで石礫で向かってくる敵に攻撃してくれたおかげで勢いを削ぐことが出来た。
最前線には権兵衛を預けた兵庫(熊谷信直)が前線に配置したし中軍に孫四郎(今田経高)を置き、遊撃として均衡が崩れそうな所に送り込めるよう俺の前に置いている。
向こうの方が兵数は倍以上の差があるんだ。全体を見ていないと。
初撃の勢いを削れたおかげでそれほど陣形を崩されずに尼子勢を受け止めることが出来た。権兵衛が前線で斧を振り回しているのが見える。兵庫の方は問題なさそうだ。
平左衛門の方はどうだ?
こっちも耐えられてるか。あそこには若いとはいえ史実の宇喜多三老の内、二人がいるからな。平内(岡家利)も又三郎(長船貞親)二人も槍を持って戦っているし粗削りながら用兵は巧みだ。
それに馬上にいる平左衛門のすぐ隣には同じく馬上で弓を構えている又左衛門(花房正幸)の姿も見えた。今回の戦でうちの軍で唯一弓矢を持ってきた男だ。その正確無比な弓術で突出しようとしてくる敵兵を貫いている。順調そうだ。
「勘助、後方は。伯父上の方はどうだ?」
戦場から目が離せないため視界は前に向けたまま隣にいる勘助に問い掛ける。
「式部少輔様の方でも始まったように御座います」
「なんとか生き残ってくれよ伯父上…」
脳裏に伯父上の戦死も過っていた。だが伯父上以外にこの危険な任務を任せられる人間がいなかった。これで伯父上を亡くしたらそれは命じた俺の責任になる。
分かっていて命じたことだ。今も押し潰されそうなほど後悔している。でもそうする以外なかった。伯父上も危険なことを理解した上で受けてくれた。その伯父上の為にも抑え切らなければ。ここからは後方に気を回している時間も無くなるだろう。すまん、伯父上。最悪逃げてでも生き残ってくれ。
「殿、あれを!」
「何だ!」
不意に勘助の焦った声が響く。勘助の指差す先には権兵衛が一人どんどんと敵陣へ突き進んでいく姿だった。
「権兵衛!?おい!権兵衛!!行くな!突出し過ぎだ!権兵衛!!」
「駄目です!ここからでは聞こえておらぬようです!兵庫殿も呼び掛けていますが反応しておりませぬ!」
一体どうしたっていうんだ!権兵衛がそんな無茶をするような男じゃない筈だろう。
『権兵衛!権兵衛!』と何度も呼び掛けても届いている様子は見えなかった。姿は見えるのに…!クソッ。
見れば権兵衛が戦っているのはその辺の雑兵とは纏っている装備が違った。どうも敵の武将とぶつかっているみたいだが権兵衛の戦いぶりがいつもより明らかに大振りで雑だ。見入るだけで冷静じゃないことは明らかだった。敵将らしき奴に何かされたか?温厚な権兵衛が挑発されるなんて想像出来ないんだが。
誰か人を送るか。いや、俺が行くか?駄目だ、ここからじゃ明らかに無理だ。激しくぶつかり合う前線を今から割って行っても必ず敵兵に阻まれる。敵兵の層の方が分厚いんだ。
それに明らかに権兵衛だけを敵陣に引き込むように敢えて敵兵はぶつかるのを避けているように見えた。
権兵衛を失った兵庫の前線は徐々にだが再び尼子勢に押され始めていた。兵庫の前線が押されれば敵の士気は上がりそれが伝播するように宇喜多隊の方にも影響が出ていた。
膠着状態に持ち込んでいたが徐々に崩れ始める。
特に宇喜多隊の方が乱れが酷い。宇喜多隊は全体的に若いせいか経験が足りていない。その影響が出ているんだろう。早急に手当てしなければ一気に崩れる。
「孫四郎に宇喜多隊の援護に向かわせろ!」
俺の指示にすぐ近くに控えていた孫四郎の部隊が動き始める。だがこれで俺を守る100程の兵以外周りには兵がいなくなった。
「熊谷隊は如何なされます?」
勘助の緊張した静かな声が響く。
「俺達も出るしかねえだろ勘助。このままじゃどうせ崩される」
前線に俺が出ることに不安がある勘助の表情が曇る。だが取る手段がこれしかないんだ。明確に否定はしなかった。
「…分かりました。お供仕る」
「頼む勘助。お前にも無理をさせる」
「お任せ下さい。権兵衛に代わり私がお守り致します」
「頼む…。吉川隊出るぞ!兵庫の援護に回れ!掛かれ!掛かれ!!」
俺の声で一斉に兵達が動き始める。いつもなら真っ先に先陣切って走り出したのに。つくづく自分がぶっ倒れていたことが悔しい。こうして兵達に周りを囲まれながら兵庫の隊の横から部隊をぶつける。これで何とか盛り返せるだろう。焼け石に水だがやらないよりましだ。だがこれで完全にこっちが出せる札は出し尽くした。
「権兵衛は大丈夫か!?権兵衛は今どこにいる!?」
目まぐるしく動く戦況。それに気を取られていたせいで肝心の権兵衛の姿を見失った。敵陣内深くで戦っていた権兵衛は何処だ。
違う。あれも違う。権兵衛がいない。何処だ。何処だ権兵衛。……いた!!
「権兵衛!!」
やっと見つけた権兵衛はまだ生きていた。だが俺が見ていないうちに見るも無残なほどにやられていた。ボロボロだ。ここから見ても分かるほどに血で赤く染まり、既に立つ力も残っていないのか片膝を付いて敵と対していた。このままじゃ権兵衛が殺される!!
「やめろ!権兵衛!権兵衛!!誰か権兵衛を!」
思わず叫んでいた。今にも殺されそうな権兵衛を見た瞬間、疾風の下腹を蹴っていた。
「次郎様!!」
勘助の声が聞こえた気がしたが構っていられなかった。だが駆け出したところで権兵衛の所まで行くためには味方と敵の兵を越えなければならなかった。
味方は俺に気付いて道を譲ってはくれるが敵はそういう訳にはいかなかった。いくら気性の荒い疾風もこの人の群れを突破することは出来ない。俺の意思に反して足踏みをしてしまう。
「頼む疾風!お願いだ!少しでも向こうに、権兵衛が。権兵衛が殺されちまうんだよ…!」
こっちの気持ちを汲んで何とか前に進もう試みてくれる疾風だが人だかりを前になかなか上手くいかない。視線を権兵衛がいたところへと移せば敵がゆっくりと槍を振り上げるのが見えた。
「権兵衛ェェェェェ!!!」
叫んだ瞬間に敵の中軍辺りに尋常ではない悲鳴にも似た大喚声が沸き上がった。前線では何が起きたのか分からず敵味方の動きが止まる。
「次郎様!あれを!!」
後を追ってきたのだろう。息を切らしながらも勘助や兵がすぐ近くまで来ており指を差した。
それは、一匹の獣と錯覚するほどの統率された騎馬部隊だった。月山富田城への救援に来た尼子軍を一匹の獣が横腹を食いつき、食い破り、そして貫いたのだろう。そのまま右へと駆け抜けていく。
数はそれほど多くはない。百騎いるかいないか程度だ。
だけど兵士一人一人が統一された一つの目的を持って動いているのだろう。誰も迷うことなく先頭をひた走る一人の男の後を乱れることなく追っていた。
先頭を駆けていくのは何時か見た因縁の敵。鬼の前立ての兜を被る戦狂い。尼子式部少輔誠久。
美しくすらあった。一糸乱れぬその動きに一瞬見惚れた。あんな風に一人の人間が自分の手足のように部隊を動かせるのかと。俺もあんな風に兵を率いてみたいと思わずにはいられなかった。
一瞬、尼子誠久がこちらを見たのが分かった。それで意識が元に戻る。あいつと視線がぶつかったと分かった。あいつも分かったんだろう。
不敵ににやりと笑みを浮かべるとそのまま駆けたまま部隊をぐるりとUターンさせて再び尼子の軍へと突撃していった。貫かれた敵軍の圧力が途端に分散していくのが分かる。
言葉にしてみればただ騎馬隊が敵陣に割って入り、抜けた後に再び割って入った、ただそれだけだ。でもそれだけで尼子の軍はぐちゃぐちゃにされただろう。
今この戦場でどれだけの人間があの戦狂いが現れるのに気付けていただろうか。
少なくとも俺は聞かされていなかったし気付かなかった。そもそもあの部隊の参戦は作戦に組まれてたのか?…組まれてたなら俺にも知らされていた筈だ。ならあいつらの独断だろうか。分からなかった。でも全て知らなくてもいい。
確実に分かることは俺達じゃなく尼子に突っ込んだという事だ。少なくとも敵じゃない。それだけ分かりゃ十分だ。…だけど悔しいな。戦バカが格好いいじゃんか。いや、そんなこと考えてる暇はない。今がチャンスだ。
「今が好機!!味方の援軍だ!!死力を振り絞れ!!一気に押せ!!」
不意討ちに思考が混乱しているのは味方も敵も一緒だった。だから味方を鼓舞するように大声で叫ぶ。勘助も俺のすぐ後に俺と同じことを復唱する。そうすることで味方の認識を固められる。戸惑う時間を短縮出来る。
そしてそれが周知されれば味方の士気は上がり敵は更に混乱する。先に動き出したのは味方の兵だった。それに釣られて尼子の兵も応戦し始めるが後ろを脅かされているせいか腰が入っていない。事実は分からないが少なくとも後ろが攻撃されていることに悩み続けることになる。
これなら権兵衛のところに…!
「次郎様、この混乱で今なら権兵衛の元まで行けまする!参りましょう!」
俺の考えを読んでくれたのか勘助は俺を引き留めるどころか共に行くと言ってくれる。周りには俺の直属の兵達の姿もあった。皆が勘助の言葉に頷く。
「皆…。すまん!一緒に権兵衛のところまで来てくれ…!」
『応!』
「行くぞ!!掛かれ!」
頼む権兵衛!生きててくれよ。俺を守ってくれるのはお前しかいないんだからな…!
この展開は皆様の予想通りでしたでしょうか?
明日も投稿します。楽しんで頂けたら幸いです。




