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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一四年(1545) 尼子激闘
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追撃



一五四五年  毛利(もうり)安芸守(あきのかみ)隆元(たかもと)



追撃を開始してから既に二回目の夜を迎えている。未だに敵の背中を見ることは出来ていない。こちらとしてもかなりの速度で進軍している筈なのだが敵地だからな。勝手を知っているのは向こうか。だが気配が近づいてきている気がする。

このまま夜通しと行きたいところだが今日はこの程度で止めておくべきだな。あまり兵達に無理をさせ過ぎると後に響く。敵は恐らく既に月山富田城の近くまで迫っているだろう。明日にはこちらも追い付けるはずと思う。次郎(吉川元春(きっかわもとはる))が上手く足を止めてくれれば捕らえられる。

だがどうしても焦りが顔を出す。大国だった尼子をここまで追いつめているのだ。焦りもしよう。


「弥三郎(宍戸隆家(ししどたかいえ))、全軍に通達。今夜はここで休息を取る。兵達には交代させながら休ませよ。敵地だ、夜襲の類にも警戒をせねばならん」


「宜しいのですか?まだ余力は御座いますが。それに敵はかなり足が速いようですが」


「いや、ここで焦れば最後の追い討ちで力尽きる恐れもある。余力があるのなら尚更温存しておくべきだろう。それに尼子軍が強行しているなら必ずどこかで綻びが生まれる筈だ」


「ふむ、そうですな。恐らくこの辺りは敵のお膝元。夜襲の恐れも御座います。兵達には見張りを強化させておきましょう」


「よろしく頼む。いつも助かっている」


「それは言いっこ無しですよ、安芸守様」


馬を寄せていた弥三郎がそう笑顔で言うと離れていく。年上の義弟だ。やり辛いと感じることもあるだろうが弥三郎自身そんなことも感じさせない程に尽くしてくれている。有難いことだ。

このまま順調に次郎と挟み撃ちが出来ればよいのだが。


次郎か。顔を合わせるのは実に一年ぶりだな。快癒しすぐに此方に戻って身を潜めるのかと思っていた。だが蓋を開けてみれば大和国で武者修行をすると言ってきた。

その時は懲りていないのかと呆れそうにもなったがあまり地元にいては動き回れないし自分の存在が発覚する可能性があると言ってきて納得した。しっかり世鬼衆から護衛を回して欲しいと言ってきたのもあり了承した。一応自分の身を案じることは覚えたようだ。


その後武者修行が終わりこちらに戻ってきても顔を合わせず次郎はすぐに石見国に行くことになっていた。こちらも戦の準備をする必要があったから顔を合わせる時間が無かった。書状のやり取りも最低限しかしてこなかった。元気になったとはいえ心配だ。この戦さえ勝てばまた次郎に会える。その為にも何としても勝たねばな。


近習達の手で陣幕が張られて火が起こされる。この時期は乾燥しているため火起こしも早く済んだ。

兵達も各々に火を起こしているのだろう。近辺がぼんやりと明るくなる。腰に巻き付けていた切り餅を出して齧り付いた。僅かに甘みがあり、ふと気が抜けたように感じる。


味噌の味が付いた芋がらを湯で溶かしたものが近習から運ばれてきた。湯気が立っていて一口すすると塩味が感じられた。そういえばいつかの次郎がこの陣中食にも文句を言っていたな。

自分たちと共に戦ってくれている兵達にもっとしっかり食えるものを食わせたい、だったか。次郎は驚くほど食に煩いからな。それに私以上に兵や民に寄り添おうとしている。あの姿勢は私自身も見習わねばならん。


私が考えに浸っていると陣幕内に弥三郎と左京亮(さきょうのすけ)赤川元保(あかがわもとやす))も入ってきた。


「弥三郎と左京亮にも汁物を出してやってくれ」


「畏まりました」


「二人ともご苦労だったな」


近習に声を掛けて二人に労を労う。『いえ』『なんの』と二人が微笑を浮かべる。

二人が床几に腰掛けると左京亮が口を開いた。


「順調で御座いますな、安芸守様。明日にでも月山富田城に到着しましょう」


「うむ、そうだな左京亮」


「敵の待ち伏せを予想していたのですが肩透かしですね」


「敵がこちらの追撃を警戒していないようですな、弥三郎殿は先陣故、随分気を揉んだでしょう」


くくっと左京亮が弥三郎を皮肉るように笑みを浮かべた。その反応に弥三郎が苦笑する。


「その割には楽しそうですな、左京亮殿?」


「ふふ、これは失礼。ですがそれなりの人数をこちらが動かしているのです。敵に捕捉されてもおかしくはないでしょう。にも拘らずここまで警戒されていないのは、余程に民部少輔(尼子詮久)にとって身内は泣き所なのでしょうな。叔父(尼子国久)を粛清した人間とは思えませぬ」


「左京亮の言う事も尤もだろうが敵の足止めが無いのも当然だろう。こうまであっさりと自分たちの軍が抜かれているなど分かろう筈も無いからな。そもそも分かっていれば救援を出す暇すらなかっただろう。だからこそ、この時を逃すわけにはいかぬ」


「ですが本当に当主自らが救援に行くなど殿は良く分かりましたな。本来有り得ぬことでしょう。我が殿ながら本当に恐れ入る」


「全くです。一体どこまで見えているのか…」


まさか本当に民部少輔自身が救援に向かうとは思わなかった。だが内応していた内藤と三刀屋が反旗を翻した際の混乱は明らかに異常だった。組織的な反抗はほぼなく正面でぶつかっていた部隊を突破すればすんなりとここまで追ってこれた。それはすなわち民部少輔自身が救援に向かったと判断するに十分な証拠になった。此方にとっては幸運だったが。


「本当にその通りだ。我が父ながら本当に恐ろしい。好機が訪れるまで一切敵に怪しませること無くこの秘事を隠し通した。正直山名からの援軍なんて鬼札を出されたときは肝が冷えたがな」


「国司隊と粟屋隊に感謝ですな」


「二つの部隊では相応に被害が出たが本当によくやってくれた。山名からの援軍で策が壊れる可能性は大いにあったからな。皆の働きで何とか耐え切ることが出来た。おかげで父上の策がこうして活きてきている」


「まだ確実に勝った訳ではありませんよ安芸守様。油断なさらぬよう。振り返るなら戦が終わった後にお願い致します」


おっと、左京亮に窘められてしまった。別に既に勝ったつもりは無いのだがな。苦笑が漏れる。


「ふふ、手厳しいな。分かっている左京亮。勝利が決するまでは気を抜けない。そもそも最初から油断出来るような相手では無いからな」


「月山富田城に入られれば再び振出しに戻ってしまいます。何としても城に入られる前で片を付けなければなりませんな」


「そうだな弥三郎」


左京亮が入ってきた時に言っていた通り、明日中には月山富田城に到着するだろう。次郎もそこにいる筈。そこで尼子にとどめを刺せれば。

気付けばいつの間にか器の汁物は無くなっていた。考えているうちに食べ終わってしまったらしい。腹も満ちた。


「明日は今日よりも早めに出立しよう。我々が遅れれば吉川隊が突破される恐れもある」


「そうですな。見張りを交代させながら休息するよう伝えておきます」


「では私が伝えておきましょう。安芸守様も早めにお休みください」


「そうか、では二人とも、後を頼む」


「はっ」


二人も食べ終わると陣幕から出ていった。寝台として用意された板の上で横になる。火があるとはいえこの時期は既に冷える。こうして鎧を着たまま寝るのにも随分と慣れてきた。

明日から始まる戦いが最後となろう。気を引き締めなければ。






一五四五年  佐世(させ)伊豆守(いずのかみ)清宗(きよむね)



「どうやら敵の部隊が後を追ってきているようです」


強行に強行を重ねて進軍していても兵をへばらせては軍を維持できない。もうすぐに城に辿り着ける距離だが最後の休息を取り、空が明けて来る前に様子を窺わせに出していた物見が帰ってきた。

その表情は明るいものでは無い。まだ距離はあるものの敵が迫って来ていた。指している旗は一文字三星(いちもんじみつぼし)、そして百万一心と書かれた旗。どうやら総大将自らこちらの軍を突破して追ってきているらしい。


「どういうことだ、何故敵が我等に迫っている。まさか敵が突破してきたとでもいうのか!」


私の報告を床几に座りながら聞いていた殿(尼子詮久(あまごあきひさ))が驚いたように立ち上がる。その表情には驚きと共に苛立ちが含まれていた。


「残念ながら」


私とて信じられるものでは無かった。だが物見がこのような事態に見間違う余裕も嘘をつく意味も無かった。現実に敵は既に後方より迫って来ているのだろう。信じたくなくてもその事実は認めねばならない。でなければ我々が負ける。ほんの数日前までは勝てていたのに何故こうなってしまったのだろう…。

赤名峠の戦は今どうなっているのか。何をすれば我ら尼子の陣を突破することが出来るのか。確認する術が今は無い以上今出来る最善をしなければ。


「そもそも何故敵が追ってくる!私は伊豆守の軍に紛れ私の兵は動かしておらんのだぞ…!追ってくる意味は、…あぁ、そういうことか…」


殿が気付いたようにぼそりと呟かれた後、崩れ落ちるように床几に腰を下ろした。


「誰かが裏切った。そうだな…?」


「…はい」


「…そうか」


激高しかけていた意気が消沈していく。項垂れたように殿の視線は地面を見つめているようだった。これだけ早く我等を追ってこれる筈がないのだ。追い込んでいて勝てる戦がひっくり返されるという事は予期せぬことが起きたという事。そしてこうもあっさりと敵が追い縋ってきたという事は味方の誰かが裏切る以外になかった。恐らくその内応者が殿の不在を告げたのだ。だから追手が放たれた。


しかも此度の戦は勝ち戦と言って良かったはずだ。その勝ち戦を捨ててまで裏切ったなら相応に恨みがあった筈だ。気を落とされるのも無理はない。幾つか裏切りそうな顔は浮かぶが確認のしようがない。


状況としては最悪だ。しかもその最悪は現在も継続中。敵の爪牙がこちらにも振りかかってこようとしている。


家督相続の際に殿は大分無理をされた。殿に権力を集中するために仕方が無かったがここでその不満が噴出したという事なのでは無いだろうか。今更だなそのような結果論。場を沈黙が包んでいく。


「何故だろうな。私が望むものはいつもこの手から離れていってしまう。何故だろうな。やはり私では父上のように上に立ち皆を率いていくことは出来ないのか。私のような非才の身では右馬頭を越えることは叶わぬのか」


「そのようなことは…!」


ぼそりと呟かれたその言葉は酷く悲しげだった。そんなことは無い。少なくとも殿だからこそ私は、身を粉にして働いてきたのだ。そう言葉にしようとする前に殿に手で遮られる。


「良い、慰めはいらん。所詮はこの程度よ。私はいつもこうだ。欲しいものが手に入ってもすぐに誰かが邪魔をする。誰かが裏切る。祖父に、叔父に、敵に。常に誰かと比べられる。どれだけ努力をした所でだ。報われたいと願う事すら許されん…。」


「殿…」


殿にとって右馬頭(うまのかみ)毛利元就(もうりもとなり))は意識せざるをえない相手だった。亡き興國院(こうこくいん)尼子経久(あまごつねひさ))様の目は常に右馬頭を見ていたせいだろう。

私の知らないところで比較されたこともあるかもしれぬ。だからこそ殿にとって右馬頭の存在は勢力的にも個人的にも越えねばならない相手だった。此度の戦で超える筈だった。


下げたくもない相手に頭を下げ、戦の前から敵の勢力を削る為に策を弄して実際に勝ちが目の前にまで来ていたのだ。だが殿の弱味に付け込まれ今また右馬頭に負けようとしていた。このままでは城に戻る前に殿の心が折れてしまう。

だからこそ強引に言葉を重ねた。


「まだ諦めてはいけませぬ。あの場に留まっていれば敵の罠が殿に届いていたやも知れませぬ。であるならこの場にいることがまさに僥倖。それにまだ戦は終わっておりませぬ。城に辿り着きさえすれば毛利を撃退することは叶いまする」


「……」


言葉が返ってこない。視線は未だに下がったままだ。『御免』と一言告げてから殿に近付くと両肩を掴んで無理矢理にもこちらを向かせた。生気を失った目と視線がかち合う。


「しっかりなされませ!ご家族を守るのではなかったのですか!貴方が守らずして誰がご家族を守り切れるというのですか!まだ貴方の手の中には守るべき家族が残っているでは御座いませんか!その手に残っている大事なものすら手放されるおつもりか!」


「…!」


徐々に殿の目に生気が戻ってくる。うまうまと右馬頭にしてやられて自暴自棄になりかけていたが何故ここにいるかを思い出したようだ。


「殿、貴方は失いながらも前進してきたではありませぬか。私はそんな貴方だからこそ忠義を尽くしてきたのです。少なくとも殿に掬い上げられた者たちはそう考えております。まだ貴方の手は空になっておりませんぞ」


「そうか。…そうだったな。私には、私にはまだやることがある」


そう言った殿が床几から腰を上げてゆっくり立ち上がる。その顔は先ほどの生気を失った顔では無かった。まだ殿が生きることを諦めていないならやり様はある。


「ありがとう、伊豆守。いつもお前たちには助けられているな…」


「良いのです。私などで宜しければ幾らなりともお力をお貸し致しまする」


「…ありがとう」


そう私に小さく頭を下げた殿は、頭を上げる頃にはもう気を引き締めておられた。この引きずらない性格も殿の強みだ。


「元はと言えば身から出た錆だ。…追ってこられたという事は恐らく赤名峠の方は厳しいものとなっているだろう。既に敗走しているかもしれん。だが月山富田城が落ちたわけではない。状況は厳しいがまだ立て直してみせる」


「はい…!まだ城に戻りさえすれば戦えまする」


「…すまんな、伊豆守。私のせいで苦労を掛ける。だがどうしても家族だけは捨てられんのだ。私を城に戻してくれ」


「お任せ下され。必ずや、月山富田城まで辿り着いてみせます」


「頼む」


深く頭を下げる。そうだ、まだ負けが決まった訳では無い。

とはいえだ。状況は厳しいと言わざるを得ぬ。時機を逸した。今追ってきている部隊が運良く追ってこれたと考えるにはこちらの都合が良すぎる考え方だろう。やはり赤名峠の戦が負けたと考える方がいい。

求心力は地に墜ちような。内応者が出た時点で当主が戦場にいなかったのだから。国人衆にそこを攻められれば弁明の余地もないしあの右馬頭がこの状況を利用しない筈がない。

毛利や大内に寝返るものも多く出よう。この後に残されている尼子の道は険しい。

だがそれを今口にしても詮無いことだ。今はこの危地を越えねば。月山富田城に戻りさえすれば、そこで毛利を撃退すれば再び振出しに戻せる。




一五四五年  尼子(あまご)民部少輔(みんぶのしょう)詮久(あきひさ)



「状況を考えますに、形勢を引っ繰り返されている恐れがあります。何処からが毛利の策か分からず後方の状況も把握できない以上最悪を想定しませんとこのまま我らが討たれます。追ってきている部隊は殿がこの部隊にいることも知っているかもしれませぬ」


「月山富田城を攻めている吉川も待ち構えているかもしれぬな。だが構っている時間はない。遮二無二攻めかかり突破するしか無かろう」


「はっ、最優先は月山富田城への入城です。ここから先は待ち伏せられるような場所も御座いませぬ」


「では最速で進軍する。先陣頼むぞ」


「お任せを」


二人で小さく頷くと伊豆守は離れていった。そのまま先陣の伊豆守から進発を始める。伊豆守、私には過ぎた家臣だ。先ほど伊豆守は私が戦場にいなかったことは僥倖だと言ってくれたがそんな筈はない。例え内応されたとしてもここまであっさりと敵の追撃を許すことは無かっただろう。結局のところ私が城に残る千代(ちよ)や子等を優先したからこれだけ形勢がひっくり返されたのだ。私は父上の跡を継ぐと息巻いておきながら家族を見捨てられぬ程の男だ。なんと情けない。

右馬頭であれば家族を見殺してでも攻め切ることが出来たのであろうな。そもそもあの男とは同じ土俵にすら立ててちなかったのだ。


だが、家族だけは必ず守り切ってみせるぞ右馬頭。お前の好きにはさせん。どれだけこの戦で尼子の力が落とされようとも足掻き続けてみせる。それが愚かな選択をした私の意地だ。


もうすぐ月山富田城が見えてくるだろう。そう考えていると案の定先陣から伝令が駆け寄ってきた。


「先陣の伊豆守様より伝令!やはり敵が待ち構えております!敵は吉川!」


やはりか。だが予想出来ていたこと。


「予定通りこのまま勢いに任せて突破する!者ども突撃せよ!後続に追い付かせるな!」


ここにいる兵はまだ私に付き従ってくれている。負けるわけにはいかん。必ず城に戻る。家族を見捨てる訳にはいかん!


「者ども掛かれエエェエェ!!」


「応オオオオォォォオl」



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