兵を死なせるという事
一五四五年 吉川次郎三郎元春
敵の中腹の大曲輪を占拠して2日経った。流石に最後の砦、本丸の守備は熾烈ですぐに抜けそうにない。まあ、それ自体はぶっちゃけると想定内だから構わないんだが、尼子軍の動きがおかしかった。
今日の城門攻撃の将は孫四郎(今田経高)か。孫四郎の部隊はいつも士気が高い。孫四郎自身が常に前線に出てるからな。敵を威圧するのに効果的だ。
味方の喚声を聞きながら隣で同じく孫四郎の攻めを見ている勘助(山本春幸)に話し掛けた。だいぶ時間を無駄にしている。そろそろこっちからも何かしら動かないと拙い気がする。
「出てこないな」
「出てきませんな。これは想定しておりませなんだ。何か手を打つべきです」
出てこないというのは敵の急使、遣いのことだ。
居城が攻められているんだ。しかも俺達は本丸まで俺達は追い込んでる。にも拘らず敵からはいつまで経っても安芸に攻め込んでいるだろう尼子の本軍へ救援を求める遣いを出そうとして来なかった。
こっちは遣いを出して欲しいんだ。そもそも今回の戦、俺たち吉川の兵だけで月山富田城を墜とせるなんて考えてない。あくまで俺達は親父(毛利元就)が尼子家を釣る為に竿から下ろしている餌の付いた釣り針だ。
俺達が月山富田城を襲って尼子軍の後方を脅かす。月山富田城を脅かせば必ず尼子詮久が軍を退こうとする。
親父が尼子詮久の何を知って確信を得ているのかは分かんないが確実に詮久自身が軍を退くと見て今回の作戦を立案したんだ。
戦闘中に軍を退く撤退戦は余程の戦巧者でない限り必ず被害が出る。無傷での撤退はほぼ不可能だろう。
それに今回、余程のことがない限り兄貴(毛利隆元)の軍が温存されているはず。兄貴の親衛隊は親父の下にいる兵よりも精強らしい。模擬戦で親父の兵と兄貴の兵がぶつかった際は兄貴の兵が勝ったという。見たことが無いから本当かどうか分からんが親父が太鼓判を押すくらいだ。
ひょっとしたらうちよりも強いのかもしれない。兄貴の人徳は安芸国内じゃちょっとしたもんだからな。兄貴の為なら命が惜しくないと思っている兵だけで構成されていたとしても驚かん。
それが追撃の主力になるという事だから相当激しく尼子軍を追い散らすだろう。他にも何か手があるらしいが。
まあ、だからこそ救援を求めるように月山富田城をここまで追い込んでる訳なんだが。
夜なんかはわざと隙を見せて敵の遣いが出でもいいように見せてるんだがそれでも動きがない。もしこちらの動きを警戒してるなら、例えば不意を突いて打って出て来て俺達が刃を交えているどさくさに紛れて救援を求めに行ってもいい。鉢屋衆を使ったっていいだろう。
俺でさえ手段はいくつか考え付くんだ。敵が思いつかない訳がない。
「まさかこっちの狙いがバレたか?」
「かもしれませぬ。まさかここまで尼子が我等を警戒してくるとは思いませんでした。こちらから偽の伝令を仕立て上げてでも盤上を動かすべきです」
「偽報か…でも失敗したら…」
思わず呟いた。偽報。確かにそれしか手はない、だが上手くいくんだろうか。
世鬼衆は鉢屋衆の動きを封じるために動いているから使えない。だからうちの兵を尼子の兵に見立てて使うしかない。失敗してバレればその兵は殺されるだろう。そもそも辿り着く前に尼子の鉢屋衆に狩られる可能性もあった。
今いる兵達の顔は皆知っている。言わば俺の大事な子飼いの兵達だ。俺を信じて付いて来てくれている大事な兵達だ。
戦で死ぬならまだしもこんな死に方をさせるのか…。
「次郎様、おらたちはみんな次郎様の為なら死ぬのだって後悔しねえですだ。だから使って下せえ」
俺が悩んでいると黙って従ってくれていた権兵衛(佐東金時)が珍しく口を開いた。権兵衛は農民出で俺に従ってくれている兵達と元は同じ身分だ。代表として言ってくれたんだろう。だからこそ肩に重く何かが圧し掛かってくるように感じた。
「次郎様が自分を慕う兵を死なせたくないとお考えだというのは分かっております。ですが負ければその兵たち全てが敵地で屍を晒すことになるのです。将とは兵の命を背負う者。次郎様も背負わねばなりませぬ」
「背負え、か」
「それこそ人を従えるものの責任に御座いましょう。…どうかご決断を」
「責任…、そうだよな」
思わず空を見上げた。天を仰ぐとはまさにこの事なんだろう。誰も助けちゃくれないんだけど。
…厳しいな。一緒に戦場で命を懸けることで何処か兵達を死地に送っている訳じゃないって逃げてたのかな。逃げてたんだろう。覚悟が全然足りてねえや。情けない。…これからも戦い続けるなら逃げられねぇな。逃げられないならしっかり受け止めろ。こうやって何度も自分の心の葛藤と向き合って来てるじゃんか。
「…足の速い者、口の回る者を集めてくれ。俺が直接命を下す。それと尼子の兵の鎧を人数分集めてくれ。後は書状だ」
「承知。ですが兵へ命令するのは私が」
「いや。…ありがとう勘助、でも俺が言うよ。せめて最後になるかもしれないならちゃんと俺自身が見送ってやりたい。それが俺の出来ることだと思う」
「…御立派です。然らば準備を始めまする」
「あぁ、頼む」
足が悪くて辛いだろうに勘助はわざわざ膝を付いて頭を下げた。跪かなくていいって前に言ったのに。顔を上げるとこちらを気遣う様に、心配するように俺を見てから立ち上がるとそのままこの場を去っていく。家臣に心配を掛ける訳にはいかないな。
本丸の城門前では今も孫四郎の部隊が激しく攻めているようだった。今更ながら思えば孫四郎の部隊の兵も死地に送ってるようなもんなんだよな。
「権兵衛、俺はお前たちにとって命を投げ出すに足る主でいられてるかな?」
口にしながら我ながら情けないと思った。だけど権兵衛の慰めの言葉を聞きたかった。
「おらたちみんなぁ、次郎様に感謝しとりますだ。何度だって命懸けて戦うだよ」
「そっか…。ありがとな、権兵衛」
そう思ってもらえること自体幸せなことだ。なら、その兵達が俺に仕えることが誇らしいと思えるような立派な武将にならなきゃ。
きっと、この辛さはこれからずっと背負っていかなきゃいけないものなんだろう。きっとこれはこれからもずっと増え続けていく。でもこれからも一人の武将として生きていくなら背負わなきゃいけないものだ。何度でも覚悟を決めろ。
一五四五年 佐世伊豆守清宗
「わざわざ来ていただき忝い」
「いえ、お気になさらず。それで、ご相談というのは?」
毛利との激しい争いも夕方には互いに兵を引き明日に備えて互いに牙と研ぐ。そんな日が既に何日も続いている。やはり山名が参入して来たあの時に攻めきれなかったのが今の状況を作ってしまったのだろう。
戦の趨勢は完全に膠着していると言ってもいい。だが消耗具合で言えば毛利の方が間違いなく削られているだろう。このまま攻め続ければ確実に敵の陣を押し切ることが出来る。
だが、それも怪しまなければならない出来事が起きている。私一人で事を決めるにはあまりにも重い。誰かの意見が聞きたい。そう思い殿の信頼篤い三河守(山中満幸)殿を陣に招き相談することにした。
三河守殿には前線を預けている。疲れているとは思ったが私の呼びかけに快く受けてくれた。
その三河守殿に私が持っている書状の一つを手渡した。
「まずはこちらをご覧頂きたい」
そっと差し出した書状を三河守殿が読み始める。内容が内容だ。表情に不信が滲む。
「これは、事実で?罠では無いのですか?」
その書状には月山富田城に吉川軍が攻めてきたこと。既に本丸まで攻め込まれていること。そして救援を求めると書いてあった。この書状は既に幾つも私の元に来ている。月山富田城からの急使だという兵達。情報を広めぬ為に全て斬った。味方である可能性もあったが罠である可能性も高い。それにこの情報が広まるのは拙い。
「罠である可能性が高いでしょう。飛騨守(宇山久兼)殿だと証明する印も花押も御座いませぬ。ですがこれが偽物だと断じるための情報も集まりませぬ」
そうなのだ。鉢屋衆の情報の悉くが恐らく毛利の世鬼衆に阻まれている。情報が錯綜しておりどれが事実なのか確認も取れぬ。だが吉川が石見国から侵入したことは確実であるらしい。そしてその進軍は早くこちらが配した城を見向きもせずに東へと向かった。吉川を従えているのは死んだと思われていた毛利の次男、吉川少輔次郎との情報もある。私の本拠である佐世城にも確認を取っているがまだ使者が帰って来ていない。
書状の内容が事実だとしても何の不思議もない。その事を三河守殿に伝えると眉間の皺が深くなる。
吉川元春。生きていたのが事実ならこの戦、一気にきな臭いものに変わってくる。何処からが奴らの策だ。この戦自体が毛利の、右馬頭(毛利元就)の策略である可能性すら出てくる。全てを疑わねば、喰われるのは我等尼子…。
「この事を殿には」
「未だに伏せております。…言えませぬ」
「…何故?」
「今回従軍している国人衆が騒ぎ混乱するのではないかという危惧が一つ」
「他には?」
「この一連の流れに右馬頭(毛利元就)の影がちらつくというのが一つ」
「成程」
「それと」
「他にも何か?」
「殿が撤退を考えるのではないかという危惧が一つ」
「…まさか」
「恐らく。右馬頭が狙っているのはこれです。殿を狙い撃ちにしてきている。殿の家族を狙う事で」
三河守殿は信じられないと言いたげだ。私とてそのような判断をするとは信じたくない。だが、家族に対する執着にも似た殿の御気持ちを考えればその考えを否定しきれない。
右馬頭もどこかでそこに気付いたのだ。殿の弱みに。弱点に。
だからこそ殿の御家族が住まう月山富田城へ強引な強襲を仕掛けた。敵の狙いを読み切らねばならん。この少ない情報で。そして敵が何をされることが一番辛いのか。そこが敵を穿つ弱点になるはずだ。
「間違い、ないのですな」
念を押す様に呟かれた言葉に首肯する。
「間違い御座いませぬ」
「そうか…。殿にそのような弱点が。だが、確かにあり得るのかもしれぬ。だがこのまま月山富田城を放置したままで大丈夫なのですか?」
「毛利軍はこちらの策で備後からは兵を出せませぬ。恐らく目の前にいる敵がほぼ全軍でしょう。吉川が城を攻めたとして兵はそれほど多くは無い筈。少なくとも一月は保ちます。それだけ保てば守備に残した周りの城から兵が集まりましょう。警戒すべきは大内家の介入ですが大内から軍は出ていない様子。太宰大弐(大内義隆)の狙いは今も九州で変わっていない。ならば敵からすればこのまま我等に攻められるのが一番嫌なことかと」
真に僭越な事ではあるがこのまま殿のお耳に入れぬ方がいい。このまま押し切れば我が方の勝利だ。この戦が終わった後ならば処罰されても構わぬ。この首差し出したとて惜しくはない。毛利から迫る魔の手さえ振り払い滅することが出来れば再び尼子は輝くことが出来るのだ。
「分かりました。他ならぬ伊豆守殿の申すこと。私も支持致します。このまま勝ち切りましょう」
「重ね重ね忝い。三河守殿には苦労ばかり掛けます」
「なんの。それはお互い様の事。もし今回のことで咎が及ぶようなことがあれば私も共に罰を受けましょう。まずはこの戦、勝たねばなりませぬ」
「有り難う御座いまする…」
力強く請け負ってくれた三河守殿には頭が上がらん。深く頭を下げた。
右馬頭よ。このまま思い通りにはさせぬぞ。勝つのは我等尼子だ。
「伊豆守殿、御免。殿より至急話したいことがあるとのことに御座います」
丁度話も終わった頃、我が陣の外から声が掛かった。何かあっただろうか。
「分かった。すぐに参る」
「何で御座ろうか?」
「分かりませぬ」
「私も参ります。前線の報告もしたい」
「分かりました。では共に参りましょう」




